049 王都へ その5
夕日が地面に沈み、世界を闇に染め上げた頃キノはやっとの思いで宿場町シュガーへとたどり着いた。
「生きてるって素晴らしい……」
キノの肩に担がれたジェイクは涙を流し、生の実感を噛み締めつつもよく生きていたものだと振り返った。
転移ドアをくぐり、ジェイクの手を取って走り出したキノは、すぐにジェイクの手が重くなったことに気づいた。
歩みを止め様子を見ると、顔や服が地面に削られ、血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃのボロ雑巾となったジェイクが地面に横たわっていた。
直ぐに謝って治療したキノだったが、ジェイクはキノのスピードについて行けない事。そもそも人の身であれだけのスピードを出せるのはおかしいと、鼻水を垂らしながらこんこんと説明した。
「でも、今日のうちに合流出来ないとリルが怖いし……」
と言うキノの理由を聞き、自分が頼んでいる立場だからと泣く泣くキノに担がれることを選択したジェイク。
走る方角を間違う度にキノの首を捻って角度を調節し、全力で追ってくる魔獣パンサー(最高時速140km)を軽く追い抜くキノに常識を崩壊させられ、砂埃に涙や色々な物を枯れさせながらも、やっとの思いでたどり着くことが出来たのだ。
「キノ様、お待ちしておりました」
「ひっ!?」
街に入ってすぐの場所にリルが立っていた。
サブが事前に連絡を入れていたため、迎えに来たようだ。
だが、ジェイクはその姿を見て声にならない悲鳴を上げた。あれだけ常識を崩壊させる非常識なキノが怖がる女性、そのリルが何故かこんな所で笑顔で待っていたため(お仕置きのためにずっと待ってたの!?)と思ったからだ。
「えっと……やぁ、リル」
《マスター?》
「あっ、えっと……ごめんなさい」
普段通りの返事を返そうとしたキノだったが、サブに言われてすぐに謝る。
「キノ様、次からは必ず私の後ろを進んでくださいね?」
笑顔で答えるリルだが、有無を言わせない迫力がある。
「あうっ……気をつけます」
項垂れるキノへ、リルはそっと腕を絡ませようとして気づいた。
「あら? このボロクズは何ですか?」
地面を引きずられ、恐ろしい速度で砂埃の中を走ってきたジェイクは、ぱっと見ボロクズと間違われても文句は言えないほど心身共にズタボロだった。
「あっ……あのっ……こんな体勢で失礼いたします。
僕はジェイクと言いまして、キノ様にお願いがあって連れてきてもらいました」
キノの肩の上から顔だけを上げて挨拶する。
「そうですか。キノ様、捨ててきて宜しいでしょうか?」
リルは冷ややかな目で、キノの肩からジェイクをつまみ上がると冷酷に告げる。
「ひっ!?」
「リルっ、待ってっ!!
その子が居ないと、この町にたどり着けなかったんだから許して上げてっ」
多少は方向音痴を自覚したのだろうか? 助けて貰った事には気づいたようだ。
「そうですか? まぁ……その功績に応じ、捨てるのだけは勘弁して上げます。
ですが、自分の足で歩いてください。キノ様の手を煩わせることは許しません」
リルはジェイクを地面に下ろすが、ジェイクは全く立とうとしない。
「すっ……すいません。腰が抜けて立てません……」
涙目でリルを見上げる。
「はぁ、仕方ありません。
それでは私が連れて行きましょう」
リルはため息を付くとジェイクの首根っこを掴み、そのまま持ち上げるとキノの手を取って宿へ向けて歩き始めた。
「では、宿へ参りましょう。芹香達も待って居ますよ」
今度こそ裏の無い笑顔を見せられたキノだったが、ジェイクの惨状を見て「うん」と頷く事しか出来なかった。
「それでお願いについてですが」
リルに連れて行かれた宿屋で遅い夕食を取りつつ、ジェイクが話し始める。
「それは急ぎの用件なのですか?」
キノが食事を楽しむ様を、にまにまと眺めていたリルはジェイクの言葉に棘を持って答える。
「あっ……いえ、キノ様の護衛が終わってからで良いのですが……」
射すくめられたジェイクは、どんどん声が小さくなって行く。
「なら護衛が終わってから話してください。
それと、軽々しくキノ様に抱きつくのは2度と許しませんからね?」
どうやらトゲトゲしい理由はそこにあったようだ。あれは不可抗力の結果であると思うのだが……リルにとっては許せない行動だったようだ。
(ううう、味がしないようぅ……
怖いっ……リルがこわいよぅ……)
どうやらキノも当てられて食事を楽しむどころでは無いようだ。
「あっ、聖者様帰ってこれたんだ? 良かったぁ」
天の助けか、普段着に身を包んだ芹香が階上の宿泊スペースから降りてきた。
「あっ、うん。
いやぁ、一時はどうなるかと思ったよ。芹香さんも迷惑かけてゴメンね?」
キノは芹香を視界に入れ、助かったぁとばかりに話しかける。
「あれ? その子は?」
芹香の視線はしょんぼりとした様子でフードのすき間にスプーンを差し入れ、食事をとっているジェイクへと向いた。
「あっ、わたっ……じゃない僕はジェイクといいま……勇者様っ!?」
ジェイクは視線を上げ、頭を下げようとするが芹香を見ると大声で叫んだ。
周囲でちらほらと食事をとっていた人達は手を止め、視線が芹香に集中する。
「あっ……いやっ……これはっ」
おろおろする芹香を見て、咄嗟にジェイクは再度頭を下げる。
「すみません、人違いでした。
あまりに妄想の中の勇者様にそっくりだったので、ついっ」
あまりにも突飛な理由に大爆笑が湧き起こる。
中途半端な言い訳よりも突き抜けた方が話は逸れる。知って行なったのか、知らずに行なったのかは誰にもわからないが、ジェイクはしきりに頭を下げていた。
中には「妄想しすぎ」とか「ムッツリすけべ」と言う声が混じっていたのもご愛嬌だ。
「え……っと、それじゃ、私は自分の部屋にいるからっ。何か手伝えることがあったら言ってね」
これ以上視線を集めるのはゴメンとばかりに、そそくさと芹香は自分の部屋に戻って行く。
尚も頭を下げ、周囲からおもちゃ扱いされるジェイクだが、芹香やキノの話題には巧みに話題をそらし続ける。リルはジェイクに冷ややかな視線を浴びせるつつも、巧みな話術には感心する。
ひとしきり騒ぎが収まった所で、リルはジェイクに鍵を一つ預ける。
「リル様、これは?」
「私の部屋の鍵です。今日はそこでおやすみください」
「ですが、僕はお金を「良いですね? 大人しくしないのであればお願いとやらは受けませんよ?」……わかりました。ありがとうございます」
ジェイクは渋ろうとするがリルの言葉に頷き、残っていた食事を慌ててかき込む。
「と言うわけでキノ様、本日は同じ部屋で宜しいでしょうか?」
「あ、うん。いいよ」
有無を言わせぬ迫力に、慌てて頷くキノ。
「シングルの部屋ですので、ベットは一緒に使いましょうね」
リルの嬉しそうな言葉に、実は狙って鍵を預けたのでは無いかと疑ってしまう。
「ご馳走様でした。あのっ、失礼します」
ジェイクは食べ終わった所で頭を下げると、帽子を被り直し階上へ駆けて行った。
「ふうっ、ご馳走様。
それじゃ、僕たちも行こうか?」
「はい」
キノも食べ終わった為、リルを伴って部屋へと入る。
「じゃ、今日は走り回って疲れたから、直ぐに寝るね」
「はい、おやすみなさいませ」
それだけ言うと、部屋の隅にあるベットに乗り「リルはこっち側ね」と壁側を叩くとそのま寝入ってしまった。
鼻息を荒くしたリルは今か今かとキノの癒しの波動が湧き上がって来るのを待つ。
……が、期待とは裏腹に癒しの波動がまかれることはない。何故ならばキノは新しく【闇の衣】と言う常時展開型の結界を身につけたからだ。正確に言えば今もキノは癒しの波動を放出しているのだが、闇の衣に遮られてしまっている。
楽しみにしていたものが来なかったことで、次第に冷静さを取り戻したリルはゆっくりとキノの隣に行き、静かに「おやすみなさいませ」と言って床に就くのだった。
魔獣パンサーの最高時速が40kmは間違いでした。ヒョウの最高時速120km/hが大元で140kmが本来です。
ちなみにキノ君は約180km/hぐらいだしてます。




