004 プロローグ その4
「これ……は?」
「ぴぃっ!!……ぴいぴい!!」
「ご主人様……なんと言ってるんですか?」
《マスターは人間としての発声器官を備えてない為、人化の影響で言葉を聞き取れなくなったと思われます。
マスター、伝心能力で彼女にも心の中で話かけることが出来るようになっています。心で話しかければ言葉は伝わりますので、そちらで会話してください》
《そっか、ごめんね。
無事、人の姿に成れたみたいでよかったよ》
いきなり頭の中に響いてきた声にフェンリルは驚く。
だが、これがマスターの言っていたもう1つの思考なのだろうか? と考え、次にスライムの声が聞こえてきた事で安心した。
《私にも聞こえてきました。
これでよろしいでしょうか?》
フェンリルが心の中で問いかけてみるが、スライムからの返答は無い。
「今、心の中で会話してみましたが、聞こえたでしょうか?」
《ごめん……聞こえないみたい。僕の声は聞こえるみたいだけど、君から会話する事はできないみたいだね》
《申し訳ございません。
調整は完璧と思ったのですが、どこかで齟齬が発生した模様です。
ですが、マスターの意思は伝わる模様ですので、特に問題はありません》
「もう1つの思考さん、始めまして。
これからご主人様の元で一緒に過ごす事になるフェンリルです。
話せば通じるのでしたら、確かに問題は無いと思います」
《こちらの声も聞こえる模様ですね。
始めまして。よろしくお願いします。私の事はサブとお呼びください。
マスター、いつまでもフェンリルと呼ぶ訳にも行かないでしょう。何か名を与える事を提案します》
《あ、そうなんだ? でも名前って、どうやってつければ良いの?》
《記録を検索します。
……名前の付け方に法則は無いようです。マスターの呼びやすい名前でよろしいかと思います》
「はい、ご主人様に付けていただいた名ならどのような物でも嬉しいと思います」
《判った。
う~ん……むむむ……フェンリルだから……フェンリルちゃん?》
さすがに残念過ぎる結論となった。
【知識の実】から人格に影響されないだけの一般常識は得ていたが、名前を与えるという事は相当に難しいようだ。
「ご主人様がその名で呼ばれたいのであれば」
フェンリルはそれで問題なさそうだったが、サブは否定する。
《マスター、そのままでは魔物との区別が付きません。
せめてフェン・リルとして分割する事を提案します。女性名としてリルでしたら違和感はありません》
さすがにそのままというのは可愛そうだったので。ナイス判断だろう。
安易な所に違いが無いのは、元が同じ思考より分割した為だろうとは思うが……
《そっか、難しいね?
それじゃ、名前はリルって言う事に?》
「かしこまりました。
今後、私はフェン・リル、呼称はリルと名乗りましょう。
ご主人様の名も伺ってよろしいでしょうか?」
リルの問いにスライムは頭を悩ませる。
《僕の名前か……スラ・イム?》
かなり考えたようだが、先ほどとあまり変わらない。
《……マスター、人間の身体と同化する事を考え、人間の名を名乗ればよろしいので無いでしょうか》
早速サブからのフォローが入る。
《確かにそうだね。
それまではただのスライムってことで良いかな?》
「はい、かしこまりました」
《マスター、次はリルの服を探す事を提案します。
人間は服を来て活動する生き物です。服を着ないでいれば、直ぐに治安維持の兵士に捕らえられるでしょう》
《うん、判った。
……えっと、手に入れるには街に行かないといけないけど……裸で入るわけに行かないよね?》
スライムは悩むがリルは不思議そうに小首をかしげる。
「裸のままでは不都合なのでしょうか?」
《リルも人としての一般常識がないようですね。一般常識を分け与えた方が良いと思いますが、いかがでしょうか?》
サブの提案へスライムは頷く。
《その方が良いんなら》
「ご主人様がそうおっしゃるのであれば……よろしくお願いします」
リルの了承に先ほどと同じく【知識の実】の一部を体液に浸透させ与える。
光が収まった後、恥ずかしそうに顔を紅くした、リルがそこに佇んでいた。
「あの……ご主人様、身体を隠す物は無いでしょうか……」
常識を知る事により、羞恥心が生まれ、自分の姿がいかに恥ずかしいか悟ったのである。
《そこらに焼け焦げているオークの死体があったはずです。
そこから使える部分を剥ぎ取って身につけてはいかがでしょうか?》
「ありがとうございます。サブ様」
リルはそう言うとオークの死体からぼろぼろの服を引き剥がし、胸当てと腰ミノで大事な部分だけでも隠す事が出来るようになった。
「うぅ、まだちょっと恥ずかしいけど、これで我慢するしか無いかな……
そうだっ!! ……くん……くんくんくん……
ご主人様、あっちから人の匂いがします!! 向かって良いですか?」
《うん、いいよ》
《マスター、その人間を殺害し、身体を奪う事もできます》
《いや、それは無しで……》
サブからの提案にスライムは即効で却下を降す。
「ちょっと……失礼しますね」
リルはスライムを胸に抱くと、物凄いスピードで駆け出した。
《うひゃぁぁ、早い~~~》
《時速60kmのスピードですね》
「少々お待ちくださいませっ♪」
といっている間に現場へと着いた。それほど遠くは無かったようだ。
そこには1人の男性の死体が仰向けに転がっていた。よほど恐ろしい目に合ったのだろうか? 表情は憎しみに染められており、色素が抜け落ちているのか髪は真っ白、瞳も黒目が判断つかないレベルとなっている。
ただし、顔は美形、肉体年齢も10代後半。身長は高いと言う事は無いが、平均的なレベルで余分な肉もついていない。
……そう、その死体は冒頭で殺された元勇者、その人であった。
「あら、死体でしたか。
でも、服が剥ぎ取れますし、丁度良かったでしょう。」
《リル、お待ちください。
……マスター、この死体使えます》
リルは、さっくりと服を剥ぎ取ろうとするがサブに止められる。
「どうしたの?」
サブの言葉にはリルだけでなく、スライムも頭にハテナを浮かべる。
《マスター、この死体は特別な力を備えております。
死後それほど経ってないので、肉体の損壊状況も無し。体内へ毒素が蓄積されておりますが、マスターの【対毒】があれば問題ありません。
この肉体を使っての同化を薦めます》
《さっき言っていた、人へ変わる方法って奴?》
《その通りです。
この肉体からは、最上級の力を確認できます。
マスターが同化するには、ぴったりの素材であると判断します》
2人の会話を聞いてリルは困った顔をする。
「ご主人様の肉体になるなら、服は残しておかないと……まずいですよね?」
《リルには申し訳ありませんが、その通りです》
「あ、気にしないでください。
恥ずかしいですが、ご主人様の方が何倍も大事ですから」
余談では在るが、常識を与えられた事により、自意識が強くなってきたのか、口調も少しづつ変わってきている。
《それではマスター、"同化"を行いますので、私の言う通り行動してください》
《了解っ!!》
《それではまず、死体の腹の上に立ってください》
ぽよんぽよんと音を立てて、スライムは死体の腹部に乗っかる。
《そこで私に続けて詠唱を行ってください。
[原初の始祖と精霊よ、我ここに願う。我ここに存在を捧ぐ。
彼の者の肉体へとわが存在を受肉し、転生の奇跡を起こせ!!]》
《ふむふむ……
[原初の始祖と精霊よ、我ここに願う。我ここに存在を捧ぐ。
彼の者の肉体へとわが存在を受肉し、転生の奇跡を起こせ!!]》
サブに教えられるままにスライムは詠唱を唱える。
《[リーンカーネイト]》
スライムと元勇者の死体から光が溢れ、2つの光が1つへと合わさっていく。
光がおさまると、そこには1人の少年が立っていた。
髪の色はスライムの体液と同じ水色、瞳も同じく水色。服装などは先ほどの青年のいでたちだったが、全てを憎む表情だったそれが見るもの全てを癒すやわらかい微笑みと変わっていた。
「この身体……僕は人間になったのかな?」
「ご主人様っ、間違いなく人間です。しかもかっこいいと思います!!」
リルは頬を染め、うっとりとスライムを見つめる。
《この身体に宿って認識しました。
"同化"する事により、"人間"ではなく"超越者"という一段上の存在と成りました》
「へぇ?人間とどこか違うの?」
《基本的なスペックは人間と変わりません。
違いとして最大の所は、人のスキルと魔物のスキル両方を使役可能な所です。
この体に残っていた【神の眼】【空間操作】を始めとしたスキルと、マスターの持っていた【吸収】を初めとした魔物のみが使用可能なスキル、また【魔力の実】を吸収しているので、魔法も使う事ができます》
「それって凄いんだ?」
《通常、人間は限界に縛られると共に、魔物スキルを試行する事が出来ません。超越者となることで、体組織を変化させる魔物スキルを試行する事ができるようになります。
また、人の身体にある限界値が消失します》
「う~ん、色々言われてもよく判らないけど……
勇者様の役に立つ?」
《間違いなく、なれます》
「そっか、なら良いや」
《了解いたしました》
スライムは気にしていなかった。この力がどれだけの強さで、どれほどの事が出来るかを。
彼の中に在るのは「勇者様の力になりたい」それだけである。
良いことなのか、悪い事なのか……それはこれからの彼の生き方次第だ。
「ご主人様、同化おめでとうございます」
サブとの話が終了した事を確認したリルは、スライムへ近づき言った。
「リル、ありがと……うっ?」
スライムがリルへお礼を言おうとすると、2人の間の空間が突如歪み始め、歪みの隙間から様々なアイテムが出現した。
金貨・服・武具・消耗品・食材・様々な本や調度品類。
「わっ!? これは一体何?」
《この身体が"ポケット"へ所持していた物品と判断できます》
「"ポケット"……あぁ、人の持つ収納スペースかな?」
《その通りです。同化して魔力パターンが変わった為、収納スペースが消滅したのでしょう。
全てマスターの所持品なので、改めて"ポケット"へ収納する事を薦めます》
「うん、判った。……でも、なんで女物の服とかあるんだろう?」
《調べて見ましょう。……検索……エラー発生……
この体の記憶を検索しましたが、記憶自体がクラッシュしている模様です。情報を得ることは出来ませんでした。
金貨を多数所持している事や、多岐に渡る所持品から、渡りの商人の可能性が考えられます》
「それでこんなに色々持ってるんだね」
《品物を見るに、どれも最高級品です。かなり凄腕の商人だったのでしょう。
可哀想ですが、死んだ今はマスターの物になります。他人に見られる前に早めの回収をお勧めします》
「うん、そうだね。
そうだっ!! その前にリル、ここから好きな物をとってよ。
リルが使う物はリルが"ポケット"に入れて。残りは僕が使った方がいいんじゃないかな?」
「ご主人様、ありがとうございますそのようにさせていただきます」
リルが散乱している服を、集めて眺める。
メイド服やセーラー服、チャイナ服やアオザイを初めとした、いわゆるコスプレ衣装と色とりどりのランジェリー。
なぜ元勇者がそんな服を"ポケット"に大量に入れていたかというと……そういう人間だったから。としか答えようが無い。
リルはラインナップを見ると一寸嫌そうな顔をしたが、一番まともそうなメイド服とレースをふんだんにあしらったランジェリーを手に取った。
「ご主人様、ちょっと後ろを向いて貰っていいですか?」
「あ、うん。判ったよ。」
スライムが後ろを向いた事を確認すると、リルはいそいそと服を身につけ始めた。
その間にスライムは散乱していた物品を全部"ポケット"へと突っ込む。
……ここは偶然を装って後ろを向くべきではないだろうか? という考えを持ってはいけない。
「お待たせしました。
それと、お名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」
着替えが終わったのか、スライムへリルの声が掛かる。
長い銀髪をカチューシャでまとめ、膝下まである正統派のメイド服姿。見た目、中学生のけもみみっ子が、恥じらいながら上目遣いでスライムを見上げる姿に背徳感が刺激される。
一般的な感性を持つ殿方が居れば、ほぼ間違いなくお持ち帰りするだろう。
「うん、この体の名前は……なんだろう?」
恐ろしい事にスライムはそんなリルへ全く反応せず、悩み始める。
《少々お待ちください……記憶がクラッシュしている為、パーソナリティーが断片化しております。
…………ヒットしました。【×キ ノ×ム】とでました》
「きの……む?」
《断片化が激しい為、これ以上の読み取りは行えません》
「じゃ、僕の名前は【キノ】でいいかな?」
「はい、キノ様♪改めてよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく」




