033 ソルトにて その1
「ただし!! この事実は公に広まっている訳ではない!! 避難を始めている住人に対し、混乱を避ける為にも今の話は伝えないものとする。良いな!!」
「「「「はい!」」」」
オーウェルは帰ってくる返事に満足そうに頷くと、近場にいた年配の男性職員へ指示を出す。
「ユース、私はキノ殿と会議室へ向かい、砦の状況と依頼達成について話をする。君は集まってもらった冒険者をまとめ、幾つかの班を編成して欲しい。……災害マニュアルAで頼む」
ユースと呼ばれた男性職員は、まるで執事のような佇まいでビシッとスーツの襟を正す。
「……承りました。職員の皆、すぐに集まりなさいっ! 急いで編成を行いますよっ」
どこからか書類を取り出し、集まった職員達にテキパキと指示を飛ばし始める。
オーウェルは深く頷くと、キノへ振り返る。
「では私達は上の部屋へ……シエルっ! 君はついて来なさい」
シエルの「はい」という返事をまたず、オーウェルは階上へ上がっていく。
「えっと、僕たちは?」
オーウェルは先ほどまでとうって変わり、小さな声でキノ達へ話し掛ける。
「キノ様とリル様は一緒にマスター室へお願いします」
戸惑うキノへ頭を下げ、2人を案内して階段を登る。オーウェルに続いてキノ、リルが階上にあるマスター室へ入り、最後にシエルが「お茶の準備が出来次第お持ちします」と言って急いで給湯室へ向かった。
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乾いた音を立てて扉が締まり、きっかり10秒。時が止まったかのようにオーウェルの動きが止まったかと思えば、急にタオルでも吸収しきれない汗が吹き出る。
オーウェルの急激な変化にキノとリルも驚いて目が点になった。
「キノ様っ、何故戻って来たのですか!! ここは危ないのですよ!!」
ハンカチで汗を拭き取りながらも拭ききれず、大量の汗をしたたらせながらキノへと詰め寄る。
「えっと、なんで戻って来たのかって言われても……」
訳も分からず詰め寄られ、キノはタジタジする。
本当は砦を壊したのが自分だったが、酷い事にならなかったし、そのまま砦に長居したらボロを出しそうだったので逃げ戻って来た。などとは口に出せない。
《マスター、強大な魔力がこの街にむかっていたので急いで引き返して来たと言ってください》
「あっ、そうそう、凄い魔力がこっちに向かって来てたから慌てて「だから遠ざけたんじゃないですかっ!!」……えっ?」
「あっ!?」
慌ててサブの入れ知恵に従い、とぼけようとしたキノの言葉にかぶせてオーウェルがツッコミを入れる。
オーウェルは「言っちまったぁ!?」とばかりにすぐに口を抑えるがもう遅い。
「それはどう言う意味ですか?」
ばっちり聞いたリルが、不思議そうにオーウェルを問いかける。
オーウェルは口に置いた手をそのまま目を覆い隠すように移動させると、天を仰ぎ見るような姿勢を取る。
直ぐに顔を戻すと真剣な顔でキノとリルを見る。そこには先程の演説の際に見せた迫力があり、キノとリルも無意識に居住まいを正す。
「大変失礼とは思いましたが、キノ様、リル様の事情は把握させていただきました」
オーウェルの言葉でリルに緊張が走る。
(元の姿を知られた!?)
リルの持つ知識の中で、人化した獣や人と同化した存在がどのように扱われるかと言う情報はなかった。
キノに対しては先日のやり取りで崇め奉られる対象と知ったが、神獣から零落した自分が許容されるのか分からない以上、身構えるのは仕方が無い。
「勿論キノ様の実力は、エィムズとエヌの報告にて看過できないものとも伺っております」
オーウェルの言葉に、リルの中の不安は膨れ上がってゆく。
(この口ぶり、やはりキノ様の正体に気付いた!? ですが崇める雰囲気ではありません。それどころか隔離されましたか? もしやこの部屋はっ!?)
「ですが……」
オーウェルが机の横にあるボタンを押すと、窓の外に揺らぎが生じる。
瞬く間に揺らぎはガラスのように透明な板へと形を変え、建物の2階部分を覆った。
「キノ様をプゲラァッ!?」
オーウェルがキノへ手を差し伸べた瞬間、肺の底から空気を絞り出すような声をあげ、きりもみ回転で飛び上がり、天井へ上半身が埋まった。
「……はぁはぁはぁ……間に合いませんでしたか」
先程までオーウェルがいた場所には、かがみこんだリルが上方に掌底を突き出す形で呟いた。
「……へ?」
キノは状況について行けず、いきなりオーウェルを殴りつけたリルを呆然と見守る。
「オーウェル様、お茶が入りまし……きゃぁぁぁぁぁ!!」
絶妙なタイミングで部屋に入ったシエルは、天井に突き刺さったオーウェルを見て悲鳴を上げる。放り投げられたお茶は放物線を描き、キノの頭へと向かって……
「うわっ!? あちちちちっ!!」
頭に一つ、顔に一つ、ズボンに一つ中身をぶちまけた。
「キノ様っ!! おのれ、貴様もかっ!!」
熱いお茶を被り、悲鳴を上げるキノを尻目にリルはシエルへと駆ける。
シエルには知覚できないスピードで、リルの爪がシエルの喉へ突き刺さる寸前、
《リルっ!! やめなさいっ!!》
サブの声が響いた。
「……ひっ!?」
……間一髪。自分の首の皮にささった爪を見てシエルは短い悲鳴を上げる。
「サブ様っ、なぜ止めるのですかっ?」
眼光鋭くシエルを見据えながら、リルは静かに呟く。
《今のは不可抗力というものです》
「ですが……」
《おそらく、貴方は罠に嵌められたと思っているのでしょうが、それは間違いです》
「どういうことですか?」
《展開された壁は我らを封じるものではなく、中にいる対象を守る為の結界。恐らく我らを守ろうとしたのだと思います》
サブの言葉をうけ、リルの頬に冷たい汗が流れる。
「……それでは?」
《説明の途中でしたので、憶測ですが。こちらに向かっている敵から、我らを守ろうとしたのではないか? と思われます》
サブの意見は予想に過ぎないが、ほとんどその通りだ。オーウェルは、キノを隣国の王族に連なる者と誤解している。1冒険者であり、SSクラスの実力を持っていようとも、ギルドにとって王族の一員は、何としても守らなくてはいけない立場であり、優先すべき事項でもある。
そのため、万が一を考えて自身がギルドマスターになってから今日まで机型の魔石に蓄え続けた魔力全てを使い、魔王クラスでも簡単には破ることのできない完全結界を構築したのだ。
《それを貴方は罠と考え、先走った行動をとったのです》
やってしまった……リルの頭に浮かんだのはその一言だった。キノの前で失態をおかし、失態の相手がキノの知り合いの一人である事実がリルを追い詰める。
カタカタカタカタカタとリルの体が小刻みに震える。
「えっと……」
困ったようなキノの声が耳に届くと、リルの体は更に震える。リルの中では「どうすればいいか?」とか、「キノ様に嫌われる」とか、「捨てられるっ」という考えがどんどん大きくなった。
こういう時、元が獣であるリルは虚栄心などが無くいっそ潔い。
不安を振り払うかのように勢い良くキノへと振り返り(スパッ)、土下座のように頭を下げる。
「キノ様っ、先走った行動。申し訳ありませんでしたっ!!」
「あっ!?」
《あっ!?》
誠心誠意を持って謝ったリルへ、キノとサブの出した答えは意外な言葉だった。責めるでもなく、許すでもない言葉にリルも頭がハテナとなり、顔を少しあげる。
そんなリルの頬に赤い液体が音を立てて液体が飛んできた。
「え?」
リルが何かと思い、拭き取るとそれは血だった。
「っえっ!?」
慌てて液体の飛んできた方向を見ると、そこには首の1/3程を切り裂かれたシエルが立っていた。
良く考えてほしい。鋭利な刃物よりも更に切れるリルの爪が、首の皮に刺さった状態で勢い良く体を動かしたら……
結果が今のシエルの状態となる。
「まずいよっ!! すぐに治さないとっ!!」
《マスター、お待ちください》
キノが慌ててシエルに近づこうとするが、サブに止められる。
「でもっ、死んじゃうよっ?」
キノは慌てているが、サブは冷静だ。
《落ち着いてよく見てください。私も先程まで分かりませんでしたが……彼女はシエルではありません》
改めてよく見る。
顔、服装、体型、どこからどう見てもシエルだ。
だが、頭が傾いたことで髪の隙間から1対の山羊のような角が覗いていた。
「えっ!? 何か違うの?」
《よくご覧ください。髪の隙間から角が見えますよね》
「うん、あれが何か?」
《角を持つのは魔族のみ。シエルは人間だったはず。ならば、この者はシエルではない何かです。
危険があるかもしれません。キノ様は近づかないでください》
キノはサブの勧めに従い、足を止めると警戒体制をとった。シエルのようなモノは、首から溢れ出る血をそのままに地面に倒れる。
「ぐっ……くそっ……折角潜り込んだというのに……先程の光で擬態は崩れるわ……こんな訳の分からないうちに倒されるわ……
この西方鬼クダンが何もせずに敗れるとは……くそっ……せめてあの小娘は姿を奪うのでは無く、回復の為に食らっておけば……良かった……ま……様……あとはお願い……します」
気になる言葉を残すと、シエルの形をした何かの体から紫色の煙が立ち上がった。
「えっ? ……えっと?」
急すぎる展開にキノはついていけず、煙を立てる何かと、天井に埋まったオーウェルをどうしたものか見渡し、リルと目を合わせる。
「ええと……?」
キノへ困った顔を向けられたが、リルも土下座の姿勢のまま固まっている。
「どう……いたしましょうか?」
《言動から察するに、魔王四天王の一人西方鬼クダンであればそのまま捨て置いて問題ありません。ですが、オーウェル様をそのまま捨て置くのは問題でしょう。引き抜いて治癒した方が良いです》
やっとの事で呟いた言葉にサブが返答する。
「そうでしたっ!!」
サブの言葉を受け、リルは跳ね起きると天井に埋まったオーウェルを掘り出しにかかるのであった。




