023 北の砦 救援作業 その2
キュイが一部の幹部を集め、緊急会議を行っている裏で。
「ふぅ、お腹一杯♪ このお弁当、美味しいね」
キノはお腹一杯食べて幸せになったのか、備え付けのベットの上でごろごろしていた。
「そうですね。昨日の夜、詰所で用意して頂いたご飯も美味しかったですが、このお弁当は更に絶品です」
それもそのはず。オーウェルが無理を言って、ソルトで一番美味しいと言われる料理店に特別に作ってもらった弁当なのだから。
「今日は色々あったし、まだ日も高いけど……眠くなってきた……ふぁぁ」
ベットの上がよほど心地いいのか、キノのまぶたが降り始まっている。
「そうですか。
では、夕食前に起こしますので、休憩されてはいかがでしょうか?」
「そうだね……そうさせて……もらおうかにゃ……ZZZZzzzzzz」
疲れもあったのか、すぐにベットの上で静かに寝息を立て始めた。
「……ふふ、相変わらず心地良いですね」
リルは、キノの体から立ち昇る癒しの波動に目を細め、気持ち良さそうに椅子に掛ける。
話は変わるが、実はこの部屋には大きな通気口が付いている。通気口は様々な部屋に繋がっていて、会議室や救護室もその一つだ。
そしてここは救護室。
「応急処置終わりましたっ」
年若い女性兵士達が、薬と包帯片手に走り回っている。
先ほどキノを迎え出ていたアーレイも既に戻り、陣頭指揮を取っている。
「ありがとう! もうすぐ治癒術を使える者が回復します。
それを待って、症状が重い者から順に施術して行きます!」
「かしこまりましたっ!!」
アーレイも兵士達と一緒に、看護ベットが並んでいる所へ向かう。
「うう……」
「ぐうぅ」
命に関わる程重症の患者はいないが、ベットから起き上がることも出来ない者が多い。
更に、数も多く、40人は居るだろうか?
「治癒術が必要な者はこれで全員ですね?」
「はっ!! 後は骨折、打撲など自力で動く事が可能な者のみとなります!!」
「本来ならそちらも治癒したいのですが……いえ、自力で動けるものは、後回しで構いません。優先度の高い者から治癒して行きましょう。
治癒魔法班、行けますか?」
「はっ!! 治癒魔法班入ります!!」
アーレイの問いに、部屋の隅に座っていた男性が答える。
男性は立ち上がると、一瞬立ちくらみのようなよろけ方をした。
「まだ足元がふらついています。無理は禁物ですよ」
それを見逃さなかったアーレイは、治癒魔法班の残りのメンバーを確認する。
男女併せ5人の魔法治癒班はいずれも顔色が悪い。
治癒魔法は使える者が少なく、更に消費魔力も莫大だ。休みなく魔法を使い続けている5人が限界であろうことは明らかに見える。
(まずいわね。このままでは治癒魔法班が倒れてしまう……仕方ない、最低限の治療に留めて明日にしましょう。)
アーレイはすぐに決断すると指示を出す。
「治癒魔法班、今日はすぐに休憩してください。他の救護班は応急手当ての用意」
「はい!!」
救護兵達が慌ただしく動く中 、先程返事した男性兵士が声を上げる。
「分隊長、私はまだ大丈夫です!!
治癒は遅れれば遅れるほど、患者にも術師にも大きな負担となります。お願いします!! やらせてください!!」
その声に他の治癒魔法師も立ち上がり、頭を下げる。
「私達からもお願いします!! どうか続けさせてください!!」
これにはアーレイも頭を悩ませる。
先ほども言ったように、治癒魔法師はそう多くない。国としても、治癒魔法師の数が生存率を劇的に変えると判っているので、彼らの待遇は実に高い。
だが治癒魔法師は、自己犠牲が強く驕る事を良しとしない性格の者が多く、このような時、無理をしてでも他の者を助けようとしてしまう。
その舵取りをするのも分隊長の責だ。
今、彼女は一刻も早く患者を治したいという気持ちと、彼等が明らかに「命を削ってでも」治そうとするのを止めなければならないという板挟みになっていた。
「くっ……、私が分隊長でなければ……」
アーレイは唇を強く噛む。彼女も治癒魔法師……思いは同じなのだ。強く噛みすぎからか、唇が切れ血が滴り落ちる。
「いえ、あなた達は休みなさい!!」
アーレイは治癒魔法師達に命令を飛ばし、自分は治癒魔法を組み上げ始める。
「あなた達の分も私が癒します!!」
アーレイの取った行動は"自分だけが命を削る。"だった。
「分隊長!! おやめくださいっ!!」
兵士の1人がアーレイの前に立つ。
「どきなさいっ!!」
「いいえ!! どけませんっ!!」
「上官の命令が聞けないのですかっ!!」
「この命令だけは聞けませんっ!!」
それでもどかない兵士の頬にアーレイの平手打ちが飛ぶ。
「命令ですっ!!」
だが、その程度では兵士も引かない。
「分隊長が無理をするなら、止めるのが副隊長の勤めです!! ……はぁはぁ」
心なしか打たれていない頬も紅潮し、目が潤んで息が荒いのは気のせいだろうか。
「それでもっ……私は分隊長である前に、1人の治癒魔法師なのです!!」
その言葉に、どうしようかうろたえていた他の治癒魔法師達が立つ。
「「「「ならば、我らも治癒するのみですっ」」」」
その決意が天に通じたのか、奇跡が起こった。
「えっ!? これって……分隊長!!」
最初に気づいたのは治癒魔法師の少女だった。
「え……? この感覚はまさかっ!!」
その言葉でアーレイも気付く。自分の周りに広がる暖かな魔力。
そして噛み切った筈の唇が全く痛くない事実。
「一体何がっ!? ……えっ……?」
辺りを見回すと、さらに驚愕することになる。
「う……ううっ……あっ……あれ?」
「なんだ? 体が……動くっ!!」
「どういうことだ……長年患っていた腰痛がっ!!」
「本当だ!! 俺の水虫もっ!!」
「私の口内炎もよっ!!」
ベットに横たわっていた兵士達が、何事も無かったように起き上がって来た。走り回っていた兵士達も何人かが驚きから立ち止まっている。
「これは一体……」
瞬く間に、部屋一杯にいた患者が治癒されてゆく。
「奇跡……だ」
ポツリと誰かが呟く。その呟きは隣に居た患者へと伝わり、新しい呟きに。その呟きは少しづつ大きくなり、次第に歓声へと変わって行く。
「まさかっ、神が奇跡をっ!!」
「分隊長の決意に心を打たれて……」
「いや、治癒魔法班全員の心に打たれたんじゃないか?」
「だが、分隊長が立ち上がったから……」
「うおおっ流石分隊長!!」
「アーレイ様、素敵っ!!」
「奇跡バンザーイ!!」
「アーレイたんは俺の嫁っ!!」
「おまっ、隊長に殺されるぞっ……」
「だが、それがいい!!」
「おまっ……」
1人の馬鹿の暴走が聞こえるが、起こった奇跡に救護室は沸く。
そして、会議室でも同様の事が起こっていた。
最初に気づいたのは隊長であるキュイである。
会議は白熱し、いつからかメロンパンの中身はあった方が良いか、無い方が良いかの論争に発展していた頃、キュイが違和感を感じて会議を制する。
「皆、少し待て。……魔力を感じないか?」
白熱していた幹部もその言葉に辺りを探る。
「これはっ……このような強大な魔力、初めてです」
「だが、攻撃的ではない……むしろ癒されるというか……心地よいというか……」
その場にいた全員がその心地よさに身を委ね始めると、
「あああああああああああああああっ!!!!」
1人の中年男性が奇声を声を上げる。
「どうしたっ!!」
キュイが慌てて席を立つと、男性は片手を掲げる。
「はっ!! 治りました……」
「え?」
「痔がっ……治ったぞおおおおぉ!!」
「はぁ?」
男性の声にキュイは力が抜ける。
「いきなり叫ぶから、どうしたかと思えば……」
項垂れるキュイを他所に周りからも奇声が続く。
「そんなっ!! 椎間板ヘルニアが治ってる」
いつも腰を抑えていた幹部がストレッチを始めたり、
「吹き出物が無くなった!!」
いつも吹き出物があって"ぶつぶつの方"と呼ばれている幹部の肌がすべすべになっていたり、
「ワシも十円ハゲが治った!!」
ストレスから来る円形脱毛で悩んでいた"禿げてる方"と呼ばれる幹部が、十円ハゲにうっすらと生え始めた産毛を愛おしげに撫でていたりした。
「一体……何が起こっているんだ……」
あえて言わせてもらえば、キノが寝てるだけである。
キュイが呆然と呟くと、今度は扉がノックされる。キュイは慌てて呆然とした表情を引き締め扉を見やる。
「誰だっ!!」
「第4分隊長、アーレイです」
扉越しの為くぐもった声だが、歓喜の響きが含まれている声だ。
「入れ!!」
「はっ、失礼します!!」
入って来たアーレイの表情は明るい。
「報告しますっ!! 奇跡が起きて患者が全員治りましたっ!!」
「…………はぁっ!?」
逆にその報告を聞いたキュイは、あごが外れそうなほど口を開けて目を見開く。
「ええと……理由は良く分からないのですが……急に癒しの魔力を感じたと思いましたら、患者が全員完治しました」
驚き過ぎてぶちゃいくになったキュイの顔に若干引きながら、再度報告する。
「えっと……、ご覧になりますか?」
キュイはハッとすると首を振り、元の男前に戻る。
「いや、君が言うのなら間違いはないだろう。
だが、腕の良い治癒魔法師でも一月はかかると思っていたが……アーレイ、心当たりは?」
その言葉にアーレイは視線を逸らす。その仕草にキュイは、何かを隠しているとあたりを付ける。
「アーレイ、何か心当たりがあるんじゃないか?」
キュイの言葉に、あからさまにうろたえるアーレイ。
「いえっ、心当たりなど有りませんっ!! 兵達は私が奇跡を呼んだと言ってますが、そのようなことは全くなく……」
最後には、顔を真っ赤に染めて聞き取れないぐらいだ。
キュイは何事か考えるが、直ぐに何かに気づいたように話題を変える。
「負傷者は了解した。念の為2日程休ませて問題がなければ、各部隊に戻すように」
「はっ!!」
アーレイが敬礼を取り、戻ろうとした所にキュイの声が掛かる。
「それと……アーレイ、神の声とか聞こえたりしないよな?」
アーレイはその言葉に一瞬ぽかんとするが、直ぐに否定する。
「やだ、キュイったら。そんな事無いからね?私は普通の兵士なんだから」
それだけ言うと、赤い顔で駆け出していった。
「青春ですなぁ」
「ごほんっ、茶化すのは後にしていただきたい。
今は緊急の懸案事項が出来たことを分かっているだろうか?」
誰かがポツリと漏らした呟きに、キュイは頬を染めていた。だが、それよりも気にしなければならないことが出来たのだ。
「ふむ、アーレイ殿が奇跡を呼んだと言う事かな?」
「それもありますが、もっと差し迫った事項です」
「それでは、兵士達が急に治った事でしょうか?」
「関連はしていますね」
「はっ……客人……」
「「「あっ……」」」
「そうです。本日の議題、キノ様をいかに足止めするかの一案が崩れたことです。
本来なら治癒に一月はかかるので、その間に足止めは済むだろうと結論が出ましたが治ってしまいました……なので、新たな案を考えなければ……」
キュイの焦った顔に他の幹部もうろたえ始めるが、1人の幹部はそれほど気にしていない。
「それならば、城壁の修理を手伝って貰えば良かろう。
尊い方に肉体労働など、と思うかも知れんが今は只の冒険者だ。問題あるまい」
「ですが……」
「ふん、勿論無理な仕事をさせるつもりはない。
無事、災害が通り過ぎてから別の街へ送り届ければ問題あるまい。恨まれようと、全ての責任はワシが取る!!」
頬を赤くして横を向きながら、高齢の幹部が言い放つ。
キュイはその言葉に感謝し、頭を下げる。
「エース殿、それではそのようにお願いします」
これで懸案事項は無くなった。キュイはそう安堵するのであった。
そんな事が起こってるとは全く知らないキノ達はと言うと……
「う~ん、むにゃむにゃ……リル、もう食べれないよう……」
「キノ様……可愛い……食べてしまいたいですね……はっ、いけませんいけません……
やはり、最初はムードを大事にしなければ……でも、少しだけなら……」
なんて感じだった。




