010 貿易都市ソルト その2
「さて……っと、今日は助かった。ありがとう」
詰所の一角に椅子が置いてあり、守衛長が勢いをつけて腰をかける。軋む様な音がするが、丈夫なのか気にかける様子はない。
「改めて挨拶させてもらおう。
貿易都市ソルト、第1守備隊隊長のアッシュ・J・ダストという。
君達の名前を聞かせて貰って良いか?」
鋭いが温かみの篭った視線でキノとリルへ問う。
「私はフェン・リルと申します」
「僕はキノです」
この答えに守衛長は眉根を寄せる。
(フェン殿はミドルネームを名乗れない……
キノ殿の至ってはミドルネームもファミリーネームも名乗れないのか?)
この世界においてはごく当然の考えだ。この世界では母親の付ける名前、父親の付ける名前、家名の3つで成り立っている。
ミドルネームを名乗る事の出来ない者は、父親の認知を受けない者……、権力者のお手つきで産まれた者の多くがこれに当たる。
ファミリーネームを名乗る事の出来ない者は、家から追放された者。
つまり、2人とも問題あり……と言う事だ。
だが、アッシュは先ほどの話を思い出す。
「森の奥深くに住んでいたので、世情にうとい」という言葉だ。にも関わらず、ずれてはいるが一般常識を知っているし、先ほどの手管を見るに、頭脳も明晰。
(試してみるか……)
「この用紙を読んで、サインを書いてもらえるか?」
そう言って一枚の用紙を差し出す。
キノとリルはその用紙を上から下まで眺めると、リルがアッシュへと右手を差し出す。
「すみませんアッシュさん、ペンを貸していただいてよろしいですか?」
「あぁ、そこの机の上にあるペンを使いな」
「ありがとうございます」
ペンを受け取ったリルはさらさらっと署名を済ましキノに渡す。キノも軽くサインを行い、アッシュへと返す。
アッシュの前に置かれた書類にはしっかりとした字で「フェン・リル」と「キノ」と記入されていた。
「これで良いかな?」
「あぁ、ありがとう」
アッシュは書類を受け取ると軽く目を通す。
書類の中ほどには食事を頼むかの問いかけがあり、その中には2人ともしっかりとお願いするように書かれている。この書類は識字を確認する為、食事を取るか否かを聞く用紙だったのだ。
(字も読めるか……となると……)
ふと、キノが用紙に添えていた指に気付く。
指の中ほどに、指輪がついていたのだ。しかも、ただの指輪ではない。コリアンダー皇国の家紋が入っていた。
(あれはっ!?
コリアンダー皇国の紋章……)
彼の中で分散していた答えが一つに組み合わさる。
そして彼は結論に達した。すなわち……
(まさか……キノ殿……いや、キノ様はコリアンダー王家に連なるもの!?
森の奥深くに住んでいたというのは……、まさか……王家の忌み子か隠さなくてはならない何か……?
それならば文字の読み書きや、聡明な頭脳に説明がつく……
まてよ……今までの会話の中からも説明がつくな。
森は魔獣達も住んでいる。そんな所で過ごすには、結界に覆われた屋敷が必要だ。
万が一、結界から飛び出したところを魔獣に襲われたら? そこへ通りかかった人が勇者様だった場合……もちろん、勇者様は人助けをなさる。それが出会い……か。
そしてその恩義に報いる為に、家を飛び出そうとするキノ様。
だが、キノ様をかくまう者は反対する……だろうな? そこで、キノ様はミドルネームもファミリーネームを捨て、1人の少年として生きていく決意をしたのだったら!?)
妄想が妄想を呼び、何時しか空回りを始めている。
「そうですか……キノ様にフェン殿ですね。
私の事はどうぞ、アッシュとお呼びください」
急に態度が変わったアッシュに、キノとリルは困惑する。
そしてリルはこの態度の変化に何かを感じ取った。(キノ様の素晴らしさに気がついたのですね!!)と。
同時刻、キノも態度の変化にこう思った。(フェン殿って……もしかしてリルが神獣フェンリルなのに気付いた!?)と。
「畏まりました、アッシュ」
「僕はアッシュさんと呼べば良いかな?」
その言葉にアッシュは大げさに手を振る。
「いえ、キノ様!! アッシュとお呼びください」
そう言って深々と頭を下げる。
「え……っと、判ったよ、アッシュ」
(そうか、神獣であるリルが僕の事を様付けしてるんだし、僕がさん付けで呼んじゃまずいんだろうな。)
と考えて、キノも呼び捨てる事にした。
どうしようかと、キノがサブに相談しようと思った時、
「そうだっ!! いつまでもここでは……大変失礼でした。
直ぐに移動しましょう。
おい、そこのお前、貴賓室を使うぞ!! 茶の準備だ!! 最上級のを用意しろよ!!」
アッシュは勢い良く立ち上がると他の団員に声をかけ、机から鍵を2つ取り出した。
「キノ様、フェン殿、どうぞこちらへ」
うやうやしく2人に言うと、部屋の端にあった階段を上り始めた。
キノとリルもついていくと、2階の奥まった所にある大きな部屋へ通される。
床には高級と判る絨毯。壁には大きな絵が飾ってあり、調度品も品のよいものばかりだ。
「どうぞ、お掛けください」
アッシュは入り口横に立ったまま、広間の中央に鎮座しているソファへと2人を導いた。
「キノ様、お先にどうぞ」
「うん、ありがとう」
キノが座った後、その隣にリルが座る。アッシュは先ほどからずっと入り口横に立っている。
「アッシュさんは座らないの?」
「いえ、自分はこのままで問題ありません」
「そっか、それで、僕達はどうすれば良いかな?」
キノは一応犯罪者……という事になっている。
この後どのように過ごす事になるか。確認を含めて聞いている。
「はっ、大変申し訳ございませんが、規則は規則でございます。ですが、キノ様とリル殿を監獄に閉じ込める訳には参りません。
ですので、今日はこの部屋でお過ごしいただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
暗にこの部屋を独房として1日過ごして欲しい事を伝える。
「あっ、はい、それでいいんなら……」
キノとしても断る理由は無い。リルが機嫌良さそうな今、変なことを言う必要も無い。
「ありがとうございます。
つきましては、何か御用がありましたらいつでもお申し付けください。
階下には兵士が常駐しております。好きなようにお使いください」
「えっと……判りました」
(いいのかなぁ?)と思うキノであった。
「隊長、お茶もってきたっス!!
あれ? この2人って侮辱罪で連行してきた……なんでこの部屋使ってるんスか?」
入ってきた兵士は年若く、空気を読むと言う事を知らなかった。
お約束だが、こういう場合、上司のげん骨が飛ぶ。
「いった~……っ何するんスか、隊長!!」
アッシュはジト目で兵士を見る。兵士は器用にお茶をこぼさず、片手で頭を押さえていた。
「馬鹿者ッ!! このお二方はな!!
はっ!? ……ぼそぼそ「ええっ!?」……ぼそぼそぼそぼそぼそ「本当ッスか?」……ぼそぼそ「判ったっス!!」」
2人はぼそぼそと会話を続ける。兵士の視線はちらちらとキノとリルに釘付けである。
やがて話が終ったのか、兵士は直立不動となり、最敬礼を行う。
「大変失礼な物言い、スイマセンッしたー!!」
「そんな謝り方が有るか馬鹿野郎!!」
最敬礼の姿勢の後頭部へ、アッシュからのげん骨が飛ぶ。
「いてててて……隊長、あんま殴んないでくださいよ。
ただでさえ弱い頭が更に弱くなるっス」
「はぁ……まったく……
キノ様、リル殿、本当に申し訳ございませんでした」
さすがにここまでぽんぽん殴られているのを見ると、兵士が可愛そうになってくる。
「いえ、兵士さんの言うとおりです……私達も非があるのですし、その辺で……」
リルがアッシュを止めるが、これは悪手だ。
「そういうのであ「お嬢さんありがとうっス!! よく見れば美人……俺アイルっていうっス!! 是非覚えてください!!」れば……って懲りんかい!!」
勢い良くリルの手を握った兵士へ3度目のげん骨が飛ぶ。手加減なしだったのか、兵士は白目を剥くとその場へ崩れ落ちた。
「リル殿、申し訳ありませんでした。
こいつはここに近づけさせないんで、どうぞおくつろぎください。
あぁ、お茶もよろしければどうぞ」
何時の間に置いたのか、テーブルにはさっきまで兵士が持っていたお茶が置いてあった。
「え……ええ、ありがとうございます」
「ありがと……」
2人は唖然としつつ、部屋から出て行くアッシュと足を持ってずるずると引きずられていくアイルを見送った。
キノ達へ気を使ったのか、ゆっくりと扉が閉まる。
扉越しに階段の方からリズム良く重い物がぶつかる音が聞こえるが、きっと気のせいだろう。




