表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この絵に

作者: 野々村

夏休みの課題というものは厄介で、美術部で毎年恒例となっている、テーマに沿った絵を一枚仕上げて提出というのがまさにそれだ。夏休みで宿題が出るなんてことがそもそも目眩を覚えるくらいに鬱陶しいことだというのに、それに加えて美術部でも課題を出されるなど大事件だ。世紀末だ。

 だから、そう。真っ白なキャンパスに向かってしかめっ面をしている私は、まだ一筆も手をつけていないけど、かなり真剣に悩んでいる。一枚のこの真っ白な世界を汚した瞬間に、作業を開始するという実感が湧いて、面倒くさくなる。だからといって手をつけないというのは本末転倒なのだけれど。

 美術部の今年の課題のテーマは「鎌」だった。いやいや、せめて夏休みの課題で出すお題なら、せめて学生らしく「太陽」だとか、「海」だとかもう少し夏を感じさせられるようなお題を出して欲しい。顧問の先生曰く、今回のお題は一捻り加えたものだそうだけど、これは一捻りどころではない。軽く三回転ほど捻っているんじゃないだろうか。捻くれた性格の先生らしいという感想は心に留めておくとして。

 「鎌」とお題を突きつけられて、真っ先に頭に浮かんだのは、稲刈りだった。実りの秋の季節に、コンバインみたいな現代的な機械を使わずに、「鎌」という原始的な道具を使っての稲刈り。たくさんの人が中腰になって稲に手を伸ばして収穫をしていく今はあまり見なくなった、どこかほのぼのする光景。

 でも、これは夏らしくないから気分がのらないという理由でボツになった。夏休みが終わる頃にはきっと秋だろうけど、それでも絵を描く時には夏なのだから、なら個人的にはやっぱり絵の中に夏を閉じこめたい。いや、本当の理由はとても単純で、稲の色塗りが凄くめんどくさいからだ。手間をかけないと良い物が出来上がらないというのは、私の合理主義という名目の怠惰に酷く反発する。

 稲の一本一本に明暗をつけて絵筆を走らせるなんて、体力の無駄遣い以外の何物でもない。

 次に浮かんだのは、鎖鎌だった。よく時代劇やアニメで忍者が手にしているあれ。鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら敵へ向けて分銅や鎌を投げつけて攻撃するという光景は、少女趣味ならぬ、少年趣味を掻き立ててくれる。けど、ここでも私の怠惰は首を妙な角度にしながら囁く。鎖が繋がっているところなんてどう描くのだ。それを持つ人間のポーズはどうするのだと。ごもっともなその意見に私はあっという間に服従してしまう。

 ここまで「鎌」という面倒を実体化させたようなお題を得意顔で考えた顧問に文句の一つでもつけたくなったけど、決まってしまったものはもう仕方がない。

 ここまで二つのアイデアを墓に埋めて、次に浮かんできたのは、この刃は命を刈り取る形をして・・・。法に触れてしまいそうで手を出す勇気が湧いてこない。

 そもそも「鎌」なんて、日常生活でそんなに目にする機会なんてないものを選ぶのはあんまりだ。いや、何度かは目にするだろうけど、頻繁に目にするようなものではないはずだ。

考えても見て欲しい、「携帯」とかならまだいい。最近の高校生は携帯を持ってない方が珍しいくらいだし、電車の中や歩道では視線を携帯に釘付けにしている高校生が大半だ。そういったありふれた光景が浮かぶような物ならお手の物だ。でも「鎌」なんてどうだ。もし鎌を持ってそこらをうろうろしている人がいたら、それはもう現代の価値観で不審者のレッテルを貼られるじゃないか。電車の中にそんな人がいたらもうそれは犯罪者に近い雰囲気を感じる。少なからず物騒な物というイメージが定着している「鎌」をお題にして、あの顧問は美術部員にどんな絵を描かせたいのか甚だ疑問に感じる。

 と、いくら憤慨しても絵は完成しないのでさっさとイメージを膨らませる。

 「鎌」ゲームではよく死神とか、そういった強敵が持っている武器だ。だったら、ここはもういっそのことその路線でいってしまおうか。だとすると、よく見られるような骸骨の死神では少し暗いイメージがする。仮にも夏休みの課題で提出するものなのだから、美術部の先輩後輩、クラスメイトが見た時に暗いイメージを持たれるというのはいい気がしない。

 だとすると、可愛らしい女の子に変えてみた方がいいだろうか。いや、あまりに単純すぎてそれは好みじゃない。だいたい、なんでもかんでも可愛い女の子に擬人化してしまう風潮は私は気に入らない。でも、それを拒否したら暗い絵が完成してしまうわけで。

 なら、男ならどうだろう。クラスに一人はいるような、少し暗い雰囲気を纏っている男子。それなら死神のイメージを保ちつつ、人としての形をしているから、骸骨よりは印象も良くなるだろう。それに少し申し訳程度に女の子でも付け加えておけば、立派なものになる気がする。

 そうと決まれば、あとは構図だった。絵の構図。絵の骨格部分とも言える場所。構図が単純だったり、上手い具合にあっていないだけで、見る人に与える印象は変わってしまう。構図に関しては、私が一番得意とするもので描いた方が違和感がなくなるだろう。

 ちなみに、その構図は上下を半分にしたような鏡合わせの構図だ。上に誰かが座っていたら、下半分に逆さまで同じように座っている人物がいる、というもの。

 早速下書きに移る。鉛筆の小気味いい擦れる音。それが淡々と室内に響くというのは、ある種の心地よさを感じて、好きだ。一本一本の細い線が、私が頭に描いている世界を創り出していく。自分の思うように世界が描けるというのは、幸せなことだ。たいてい、どんなに素晴らしい世界を頭の中に描いても、それを絵に映し出すとなると、自分の技量が追いつかずに、それは自分からは幼児の落書きにしか見えなくなってしまうのだから。

 だからその点では今、私は恵まれているに違いない。今のところ、望んだ世界が描けているのだから。

 線が輪郭を作って、少し丸みを帯びた顔を浮かび上がらせる。そこから首、胴体、四肢にわけて線は薄く人物を白い世界からくり貫いていく。

 それが二つできたら、一方には、身の丈ほどの大鎌を。私の絵はどこかポップと言われるから、できるだけ線は鋭く、禍々しいくらいがいいかもしれない。人はポップなままで、鎌との対比で印象を与えることにしよう。

 作業に集中すると、時間が経つのはとても遅いか、早いかの二択になる。私の場合は後者が圧倒的に多い。一枚の絵を仕上げていたら、夕方に始めていたはずの作業がいつの間にかご飯もお風呂の時間も通り過ごして夜中になっていたことが多々ある。きっと今回もそうなるんだろうと覚悟を決めつつ、自分の世界の輪郭をほぼ完璧なものに仕上げていった。

 線が幾重にも重なって構成された根暗そうな顔の死神と少女。平面での存在なのに、自分が描いた物はなぜか愛着が湧く。大げさな言い方だけど、我が子みたいな感覚だ。でも、あながち間違ってはいない。生み出したのは私なのだから。

 さて、この我が子を生かすも殺すも、あとは色塗りという作業だけだ。色の配色からグラデーション。気を配らなければならない箇所は細かく数えていけばキリがない。まず背景から始めよう。絵の具をきもち多めの水で溶かし、白い表面に侵攻していく。

 水分を多めに含んだ絵の具は、じわりと広がったかと思うと、吸収されるかのように馴染んでくれた。これならいける。そう根拠のない、でも頼もしい確信を持って、私は絵筆を走らせた。

 明暗はしっかりと、でも繊細さを失わないように、一つ一つのタッチを丁寧に。集中してしまえば、作業はとても楽しいものだった。絵の具をぶちまけてしまうとかいった致命的なミスさえなければ、ここまで時間を忘れさせてくれるものだ。

 私は憑かれたように夢中で絵筆を進めていく。髪の毛も、鎌の金属質な光沢も、少し白めの肌の色も。少し色を濃くしすぎてしまえば薄めて、薄くしすぎたならその逆を繰り返し、細かな修正を施しながら絵を完成まで近づける。早く、早く、早く。この絵を完成させて、やや離れたところから眺めて酔いたい。一つのものを完成させたという達成感を味わいたい。遠足へ行く子どものようにはやる気持ちを抑えながら、それでも確実に絵はその全貌を現す。

 いつの間にか、怠惰な私は消えていた。

 一度エンジンがかかってしまうと、こんなにも簡単に夢中になってしまう単純さに、呆れを覚える暇もなく、一心不乱に手を動かす。重ね塗りをして、色に深みを出しつつ、少し赤もまぜて明るい感じにしていこう。

 やがて、最後の一筆が私の手から離れ、床に落ちた。新聞紙を敷いておいたので、床が汚れることはなく、絵筆が含んだ色を灰色の紙面にぶちまけただけに留まった。

 心地よい疲労感に、達成感。どれもこれも今は幸せに感じて仕方がない。

 こうして出来上がった私の夏休みの課題は無事提出された。

 美術部の顧問の先生曰く、まだ悪い意味で色使いに粗があるそうだけど、今の私はこれよりいい色使いがわからなかった。

 何より、丹精込めて作り上げた一つの作品だ。我が子を批判されるというのは、あまり気持ち良くない。だから私はこう言った。それが私の持ち味だと。逆に胸を張った。顧問の先生は呆れ顔だったけど、私は構わない。

 私は我が子の表面を撫でながら、乾いたその感触に温かさを感じた。



また拙いものですが、読んでいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ