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その1

 放課後。夕日色に染まる教室に彼女はいた。

背を向けている彼女はとても小さくて、今にも潰れてしまいそうなくらいか弱く見える。そのまま窓に足を掛けて飛んでしまうのでは、それくらいにはかない存在だった。

 しかし、そんな事はしない。

 俺が来たことに気付いた彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。

 笑顔だった。ただし、その口は三日月のように開き、まるで狂っているかのような、不気味な笑みだった。

 ……いや、違うな。

 訂正する。「狂っているような」じゃない。彼女は「狂っている」のだ。まちがいなく。でなければ、今、俺の目の前で繰り広げられている光景に説明がつかない。

 そこはまさしく血の海だった。

 机が。

 椅子が。

 黒板が。

 床が。

 壁が。

 その全てに生臭い赤い血がまるで絵具をぶちまけたように染まっている。それを一種の芸術であるかのように、彼女はゆっくりと辺りを見回した。

 そして、満足そうに頷いた彼女はさらに三日月を大きくして哄笑をあげた。

 身震いする。

 彼女の狂いように。人はここまで悪魔のようになれるのかと。恐怖と嫌悪。この二つが俺の身体の中で渦を描く。気持ち悪い。この光景も。この光景に見慣れようとしている自分自身に対しても。

 それでも、俺はやらなければいけない。だから、こうしてここにいる。

 どうしてこうなってしまったのか。どこで失敗をしたのか。

 いや、わかっている。

 それは、きっと彼女の狂気にクラスメイトでありながら気付けなかったから。そして、彼女自身が狂気へと身を投げてしまったからだ。

 彼女が狂っていなければ、俺はこうして彼女に「ナイフ」を向けているはずがない。

 彼女が狂っていなければ、俺の目の前で、手に持ったナイフを自分の首に当てて「掻っ切る」少女が居るはずがない。

 彼女が狂っていなければ、この教室……いや、この学校全てが血で染まるはずがない。

 そして――

「お前さえいなければ……」

 彼女さえいなければ。きっと彼女さえいなければ……。



 俺の大事な恋人が、俺の目の前で、死ぬはずが、なかったのだ――



「……―い……おー……おーい、優くーんっ!」

「うぉっ!?」

 身体も震える二月の十日。そんな寒空の下をまるで北風を追い返すような元気良さで俺――竹原優斗の名前を呼ぶ小さな少女。

「もう! こんな校門の前で寝てるなんてどんな神経してんの? 凍死しちゃうよ?」

「え? 俺、寝てたか?」

「そりゃ、もうグッスリと」

 呆れた様子で少女――鈴本季雨がため息をつく。

「マジか……。いや、だからってこんな耳元で叫ばなくてもいいだろ」

 まだ耳元がキンキンしてる……。かなりの声量で叫んだに違いない。

「だって、どんなに起こしても優くんってば全く目を覚まさないんだもん。というか、もしかして寝不足? ちゃんと寝てる?」

「寝てる……はずなんだけどなぁ」

 しかし、こんなところで居眠りするというのは初めてだ。もしかしたら、本人が思っていないところで疲れが溜まっていたりするのだろうか? その割には妙に頭はスッキリしているし、疲労も感じないのだが……。

「いや、こんなところで寝ちゃうってことは絶対に疲れてるんだよ! 断言してもいいよ!」

「そう……なんかなぁ?」

 昨日までなんともなかったんだがな。しかし、でもまぁ、そんな日もあるのかもしれない。

「そうそう。だから、優くんの疲れを取りに行こう! それでね、提案があるんですが――」

「却下だ」

「えぇー!」

 季雨の両頭から生える短いツインテがぴょんと跳ねた。彼女は基本的に仕草や行動がオーバーだ。

 手足をばたつかせながら抗議する。

「なんでよ! いいじゃん、行こうよ!」

「お前が食べたいだけだろ?」

「うっ……。そ、そんなことないよ? 私、優くんのこと心配してるヨ?」

 そう言う季雨の目が右に左に泳いでいく。行動がオーバーな分、嘘も分かりやすい。

「あのな……。俺が何年お前と一緒に過ごしてると思ってんだよ。嘘ついてることくらいバレバレだ」

「うぅ……」

 そう。俺と季雨は小学校の頃からの同級生だった。それどころか、クラスも別々になったこともなく奇跡的と言う程に常に一緒の時間を過ごしていた。そのまま、二人で同じ高校に進学し俺達も今や高校生。 

 そして――

「……悔しいけど、でも嬉しいな。それだけ私の事をわかってるって事だもんね!」

 俺達はついに結ばれた。

 季雨曰く、もう少し早くても全然良かったとのこと。と、言っても俺達はまだ高校二年。これでも全然早い方だと思う。

 それを季雨に話したところ彼女はジト目で「おっさんみたいな事言わないでよ」と飽きられてしまったわけだが。

「じゃあ、普通にデートしようよ! それならアイス食べに行ってもいいよね!」

「……はぁ、しょうがないな」

「やたっ!」

 小さくガッツポーズをとる季雨。それがなんだか可愛くてつい頭を撫でてしまう。彼女の背が低くて撫でやすいからだろうか、気が付くと身体が勝手に頭を撫でるようになっていた。

「よしよし」

「ちょ、ちょっと子供扱いしないでよ!」

 口を尖らせながら文句を言う季雨だが、その撫でられた頭を振りほどこうとはしない。むしろ、押しつけてその感触を味わおうとしていた。

 そんな素直じゃない彼女の行動と言動にまた笑みを零しながらしばらくの間、彼女の頭を撫で続ける。

「ほ、ほら! そろそろ行くよ!」

 そのまま撫で続けられていた季雨だったが、さすがに恥ずかしくなって来たのか、俺の手の届く範囲から抜けだす。

「もう、言わないといつまでも撫で続けるんだから……」

「お前の髪質とか嫌いじゃないんだよな」

「もう…。ばかなんだから」

 しかし、実際のところサラッとしてる髪を触っているのは気持ちがいいものなのだから仕方がない。季雨も口ではそう言いながらも褒められてどこか嬉しそうに見える。本当にわかりやすい子だ。

 まぁ、そういう素直な所が好きなんだけど。

「ほら、優くん行こう? まだ校門から一歩も歩いてないよ」

「わかったわかった。そんなに慌てなくてもアイスは逃げないって」

「アイスは逃げなくても時間が逃げてくの! 閉店時間になったらどうしてくれんの!」

「コンビニアイスで我慢してくれ」

「……もし、そんなことになったら、ちゃんと責任取ってね? 優くんのお財布さんで」

「よし、わかった。すぐに行こう」

「さっすが優くん! 大好き!」

 こんなところで馬鹿をして奢られるわけにはいかない。高校生はコンビニアイスだけでもかなりの痛手を食らうものなのだ。

 ……まぁ、どうせ。どこのアイス屋だろうが奢るつもりなんだけどな。


 学校から少し離れて駅前の商店街。そこに季雨のお目当てのアイス屋はあった。建物の店ではなく移動販売車であちこちを転々としているアイス屋だ。この時間帯は学生層を狙っているのだろう、基本的にはこの駅前周辺で店を出していた。そして、その狙いは的中し、今では放課後の学生たちに人気のアイス屋としてその名を広めていた。

「それじゃ、私はあっちのベンチで待ってるね!」

「あいよ」

 季雨に席を取っておいて貰い、こっちはこっちでアイスを買うことにする。

「それにしても、大人気だな」

 今が真夏なんじゃないかと勘違いする程にアイス屋の前には行列が出来ていた。ほとんど女子。何人かのグループが談笑しながら順番を待っている。

「どうして、女子って甘い物が好きなんだろうな」

 甘い物が嫌いっていう女の子は余り見ない気がする。この子は絶対に甘い物を食べたりなんかしないだろうと思っている奴に限って目の前に甘い物を吊るしてやれば目の色変えて飛んで来たりするのだ。 

 ……あいつの時も機嫌が悪い時はいつもそうやっていた。

「……いや、季雨に関しては想像通りか」

 ちっこい身体。元気に動く短めのツインテール。明るくて元気な性格。そんな小動物のような彼女に甘味物が似合わない訳がなかった。

「ありがとうございましたー」

 そんなことを考えている内に目の前で並んでいた女生徒がアイスを持って立ち去る。店の前に来ると店員のお姉さんがニコニコと笑顔を浮かべながら「どちらになさいますか?」と聞いてきた。

「えーっと……」

 そこまで口に出してからようやく気付く。そういえば、あいつにどのアイスが食べたいか聞くのを忘れてたな。どれにするか聞こうにも季雨はもう声も届かないくらい遠いベンチでちょこんと座って俺の帰りを心待ちにしていた。今から聞きに戻ったら間違いなく並び直しだろう。

 それは面倒だ。

「まぁ、いっか。すいません、このチョコアイスを二つ」

 とりあえず、普段来る時にいつも頼んでいる物を頼むことにした。これなら不満はあっても文句は出ないだろう。もし、新作が食べたかったと言った時はまた今度買ってやればいい。

「はい、どうぞ」

 数分もしない内にアイスはやって来た。

 店員さんにお金を渡してアイスの入ったカップを二つ受け取り、そのまま季雨の待つベンチへと急ぐ。このクソ寒い中、わざわざ外で食べなくてもとは思うのだが、最早習慣になってしまっていて今さらそんなことを言うのもな、という気にもなってくる。

多分、なんだかんだ言いながら俺も楽しみにしているのだろう。

「待たせたな」

「待ってました!」

 足をぶらぶらさせて待っていた季雨にアイスを渡してやる。ニコニコと笑顔でそれを受け取った季雨だったが、途端その表情が曇ってしまった。

「……これ、チョコ?」

「そうだけど、お前好きじゃなかったか?」

「私が好きなのはチョコじゃなくてイチゴだよー。もう、私の好みを忘れるなんてどういうつもりなのよ!」

「あれ?」

 確かにいつもチョコを買っていた記憶があったんだが、気のせいだったのだろうか。首を捻る俺の隣で彼女はぷんすかと抗議の声を上げた。

「あれ? じゃないよ! もう、せっかく楽しみにしてたのにぃ……」

「そ、そんなにチョコ駄目だったっけか?」

 あからさまなテンションの低下に少し慌てる。そっか、こいつそんなにチョコ駄目だったのか。今度から気をつけないと。

「んー。別に駄目って訳じゃないけど……。食べろって言われれば食べられるし、チョコレートのお菓子だって好きだし。ただ、今日はいつものイチゴが食べたかったんだよー。そういう気分だったんだよー」

「今から買いに戻ろうか?」

 立ち上がる俺を横目に少し考える素振りをした後、季雨はゆっくりと首を横に振った。

「んーん。今日はこれでいいよ。また今度食べる時にイチゴ買って貰うー」

「そっか、悪かったな」

 ポンポンと頭を軽く叩いてやると彼女は気持ちよさそうに目を細めた。まるで猫のようだ。

「ん、今日の事はしっかりと反省しておくよーに!」

「はい、先生」

「うむ! んじゃ、食べよ?」

「だな」

 ニッコリと微笑むのを確認してから手に持ったもう一つのアイスを頬張る。瞬間、身体中を寒さが駆け抜けていくが、この甘さはやはり人気になるだけの味を持っていた。

季雨も文句を言いつつもやはり満足はしているようで「美味しいなぁ」と呟きながらハイペースで食べ続ける。別に溶ける心配はないんだしもっとゆっくり食べればいいのに。

「あんま早く食べると、すぐ無くなるぞ」

「その時は優くんの貰うー」

「だったら、最初から二個って言っておけよ……」

 意外と欲張りな恋人に呆れた声を出しながら自分の分のアイスをゆっくりと食べ進める。さすがに季雨のように一気に食べる自信はない。というか、寒い。

「ごちそうさま!」

 俺が半分くらいを食べ終えたくらいで彼女は全て完食してしまった。さすが女子。スイーツに関しての胃袋は尋常じゃない。

「……優くんっていつも食べるの遅いよね」

「一気に食うと体温持ってかれるんだよ。特にこの時期は」

「あー、優くんお腹弱いもんね……あ、そうだ。良い方法があるよ!」

「太るぞ」

「……うっ。ま、まだ何も言ってないじゃん!」

 言ってはいないがその反応から察するに大方俺の予想通りだろう。

「自分の分は食ったんだから我慢してくれ」

「だ、だから! まだ何も言ってないってば!」

「じゃあ、いらないんだな? あげようと思ったのになー」

「むぅ……。じゃあもういいもん!」

 頬を膨らませてそっぽを向く季雨。どうやらいじり過ぎたらしい。

「あー、悪かった。悪かったよ」

「つーん!」

 俺から顔を逸らしているのでどんな顔をしているかわからないが、きっと本気で拗ねている。それでも、普段の季雨が季雨だからそんなに怖くないのだが。

「ほら、アイスやるから機嫌直してくれよ」

「もういいもん!」

 怖くはないのだが、こうなった季雨の怒りを鎮めるのはなかなかに難しい。一度拗ね始めると機嫌を直すまでの時間が長いのだ。放っておくと次の日まで引きずってる時もある。

「え、えーと……。季雨?」

「……」

 呼びかけても返事はない。ついに、なんのアクションも見せなくなってしまった。どうしたものかと困っていると季雨が小さく何かを呟いた。

「…………だもん」

「……え?」

 聞き返すと、季雨は勢いよくこちらを振り向いた。その顔は朱に染まり、少し涙目になっていた。

「優くんが食べたアイスが、食べたかったんだもん……」

「……季雨」

 傍から見たら変態っぽい発言かもしれない(いや、間違いなく変態的な発言だろう)。しかし、この台詞はまぁ言いかえれば間接キスしたいと捉える事も出来るわけで……。まぁ、何が言いたいかと言うと、凄く嬉しかったわけだ。

「お、おお……」

「やっぱり、ドン引きしてる?」

 恐る恐ると言った様子でこちらを見上げるように視線を送る。その仕草もなんだか可愛くて意識しないうちにその身体を抱きしめていた。

「ちょっ……ゆ、ゆうくんっ!?」

 いきなりの事で慌てふためいていたが、次第に大人しくなる。三十秒もしない内に、俺の身体にすっぽりと収まってしまった。

「ゆうくん……」

「ん?」

「大好き……っ!」

 口にしたものの恥ずかしかったようでそのまま俺の身体の中に頭を埋もれさせてしまった。

「……あ」

「……?」

「今、動いたから髪にアイス付けちゃった」

「にゃーっ!? 早く取ってよー!」

 結局、俺達がこうやって抱き合って感じた幸せの時間は一分も満たなかったのだった。



「……もう、酷い目に遭ったよ」

 髪をハンカチでふき取りながら俺にジト目を向ける。急に動く方が悪い気がするが、よくよく考えたらアイス持ちながら抱きしめてる自分の方が悪い気がする。

「すまんな……」

「ん、もういいよ。気にしない気にしない。それより、もうすぐバレンタインだね」

 商店街に並ぶバレンタインの横文字。それを見ながら季雨はそう言った。

「そういえば、もう二月だもんな」

 意識して見ると、店の至る所にバレンタイン関連の商品が置かれていた。容器にチョコ。包装用のリボンに装飾道具。ピンクに彩られた各々のバレンタインコーナーをウィンドウショッピングしながら進んでいく。

「私もそろそろ準備しないとなー」

「お、作ってくれんのか?」

「当たり前でしょー。毎年作ってるじゃない! っていうか、私があげる人なんて優くんくらいなもんだし……」

「……そ、そうか」

 なんて返していいかわからず、つい素っ気ない態度を取ってしまう。これがいけないことだとはわかっているんだ。わかってはいるんだが……。

 そういうことを言われるとやはり嬉しさより恥ずかしさのが勝ってしまう訳で……。

「…………」

「…………」

 今まで自然に出ていたはずの会話が全く続かない。会話どころか言葉すら。季雨も同じなのかチラチラとこちらを見るものの口を開こうとはしない。そんな無言の時間が続いていく。まぁ、知った仲だしこういう雰囲気も悪くないから気まずいとは思わないが、せっかくのデートなんだしもっと会話に花を咲かせたい。

 なにかないだろうか……。今の会話から不自然じゃないように繋げる方法は――

「あ、そういえばさ」

「なにっ!」

 待ってましたと言わんばかりの速度で反応する季雨。その応答に少し驚きながらも会話のキャッチボールを開始する。

「葉月さんって誰にチョコ渡すんだろうな」

「…………」

「あ、あの?」

 会話のキャッチボール、失敗。

 ついでに直っていたはずの季雨の機嫌も急降下。もの凄いジト目でこっちを睨んできている。

「……彼女の前で別の女の子の話をよくしようと思ったね?」

「もしかして、怒ってる?」

「もしかしなくても怒ってるよ! 全く、あの人が綺麗で美人なのはわかるけどバレンタインの時期に話さなくてもいいじゃないの!」

「そ、そんなに嫌いだったのか……。確かに物静かで近寄りがたい雰囲気はあるけどさ……」

 今、話している女生徒は葉月 真黒という俺達のクラスメイトだ。学年でもトップの成績と美貌を兼ね備えた完璧人間。これで中身もよければ……と思ったのだが、基本的な社交性はほとんど皆無。休み時間も誰かと会話したりせずに一人で本を読んでいることが多い。誰かと昼食を取ったところも一緒に帰ったところも見た事が無い。完全に孤独。断崖絶壁に咲く一輪の薔薇と言ったところだろうか。

 もちろん、そんな彼女だからこそ男子の人気も高い。手が届かないというアイドル性も人気を呼んだのだろう。密かに彼女のファンクラブも作られているという話だ。そして、そんな男子を見て女子側が嫉妬しないわけが無い。俺も直接的に聞いた話ではないが、裏ではかなり色々と言われているらしい。

 季雨はそんなことないと思っていたが彼女もやはり葉月のことをよく思っていない人間の一人だったようだ。

「そ、そんなことないよ! 別にそんなに葉月さんの事が嫌いなわけじゃ――ちょっと、胸は大きいけど」

「そっちかよ」

「だ、だって! すごいんだよ! こないだの体育の時に隣で着替えてたから少しだけ覗いてみたんだけど。あれは、もう……女の子の私でもドキドキするくらいの綺麗なお胸でね――」

「わかった! もういいから!」

 健全な男子高校生の前で何を言っているんだ、こいつは! そんなこと言われたらまたよからぬ妄想を抱いてしまうだろうに……。

「……今、変な事考えなかった?」

「お前があんなこと言うからだろうが!」

「あー! 考えたんだ! サイテー!」

「だからそれは、お前が言ったからで別に普段からそんなことを考えていた訳じゃねぇよ! というか、原因はお前にあるんだからな!」

「だって、優くんが急にそんなこと言い出すから……。まぁ、でも誰にも渡さないんじゃないかなぁ? 葉月さんって同性から見ても誰かと仲良くしてそうなイメージないし」

 確かにそういうイベントとはかけ離れてる存在な気がする。それだけ、彼女が誰かにチョコをあげている姿を想像することが出来ない。クリスマスだろうがバレンタインだろうが平日と変わらず彼女にとっての日常を過ごしていそうだ。

「やっぱそんなもんか」

「高嶺に咲く花だからねぇ……って、そんな話じゃなくて!」

 季雨がぶんぶんと頭を横に振る。

「もうこの話は終わり! 美人さんの話は終わりなの!」

「はいはい」

 心配しなくても季雨から誰かに乗り換えるなんてことはしないのに。そこら辺はいつまで経っても信用されていないらしい。まぁ、でも逆の立場から考えたら俺も嫉妬くらいは抱いたかもしれないな。

「そんな話より、もっとオカルトな話しようよ。七不思議みたいなのとかさ」

「お前、そういうの大好きだよな……」

「いいじゃん、オカルト! 楽しいよ!」

 小学生の頃に流行った七不思議がきっかけなのか季雨はその頃からオカルト物の趣味が多くなった。占いはもちろんのこと黒魔術やらルーン文字等、現代社会で使うことは絶対にないと言えるような知識ばかりが増えていった。その度に付き合わされる俺もやけに詳しくなってしまって、今では彼女の趣味話にしっかりとボールを投げられるのは俺くらいのものだろう。

「ほんと、オカルト研究会とかあれば良かったのになぁ」

「そういうのはアニメの中の話だろ」

「でも、実際にあるらしいよ? そういうの」

「マジかよ……」

 一体、どんな活動を行っているのだろうか。想像出来るのは床に魔法陣が描かれていて、回りにはドクロや怪しげな水晶が――

「言っておくけど、今、優くんが考えたようなそんなとんでも部活じゃないからね?」

「うっ……。そ、そりゃそうだよな」

「当たり前だよ。それこそアニメだけの話だって」

「それじゃ、どんな活動してるんだ?」

「んー、新聞部に近い感じかな? 身近であった不思議な出来事を調査して新聞にしたりとか? 文化祭には展示物も掲載したりしてるみたいだよ? それと、一応言っておくけどそういう魔術っぽいことなんかあんまりやらないんだからね? やるとしても占いくらいで、そんな怪しげな魔法陣なんて書いたりしないんだから」

 人差し指を振りながら得意そうに説明する。

「お前、やけに詳しいな」

「ん、こないだ他校の文化祭に行った時にねー。いろいろ教えてもらったの」

「そんな近くにあったのか」

「隣町だよ? オカルト研究会なんてここら辺だとあそこしかないし」

「あんなところにあったのか」

 そういえば、昔それらしいことを言っていた気がする。近くの学校にオカルトを研究する場所があるとかなんとか。

「そういや、季雨はそこに入りたいとか言ってたよな? あそこなら今の学校と対して変わらない学力なのに、どうして入ろうとしなかったんだ?」

「へ? そ、それは……」

 もじもじしながら、ちらと上目遣いでこちらを見上げる。その頬は少し赤い。

「ゆ、優くんと一緒の学校に、その、行きたかった…から?」

「お、おう……」

「え? ドン引き?」

「いや、引いてはないけど返答には困るよな……嬉しくて」

「えへへ……」

 照れながらもにこりと笑う季雨の手に触れる。季雨もそれを受け入れてくれるようにその手を握ってくれる。……ああ、これ周りからはすっごいバカップルに思われてるんだろうな。俺としては全然結構なことだけど。

「そういえば、優くんは私達の学校のオカルト話知ってる? 結構、話題みたいなんだけど」

「それって『放課後の占い』のことか?」

「そうそう」

 季雨が言っているのは俺達が通っている学校で噂されているオカルト話だ。まぁ、言ってしまえば七不思議を高校生用にアレンジしたような嘘か真かもわからない都市伝説だ。

 内容は至って単純。放課後、誰も居なくなった放課後の教室のどこかに水晶を持った女が現れるらしい。その女は特に何をするわけでもなく、ただその場に立ち尽くしているだけで特に危害を加えたりはしない。しかし、その代わり彼女は一言だけ呟くのだ。

「貴方の未来を占ってみませんか?」

 その占いは恋愛運から仕事運までなんでも答えてくれるらしい。しかも、その占いの結果は百発百中なのだそうだ。

 ……だがまぁ、ここで話が終わらないのが都市伝説と呼ばれている所以だろう。

 実はその占いを頼んでしまうと翌日から人が変わったように狂うらしい。どこがどう狂うのかはわからない。それは人それぞれだと言う話だ。しかし、その最後はどれも同じ……自殺で終幕となっている。

 随分と突拍子のない話だが、それが今、学生達(主に女子)で人気の噂話なんだそうだ。

「本当に死んじゃうのかなぁ?」

「ただの作り話だろ? 大体、放課後に水晶玉持ってる女ってどんだけ不気味なんだよ。不審者だろ、それ」

「それがねぇ、見た目は普通の女の子らしいよ? っていうか、学生だって噂だし」

「なんだ。また設定が追加されたのか……」

 都市伝説にはよくある話だ。伝聞されていく内に少しずつ内容が変化、追加されて行って最終的には全く別の物語になることも多々ある。季雨と一緒にいると、あの有名な都市伝説が元々はこんな小さな事件から生まれたなんてのもよく見た。今回も多分、そういう類の話なんだろう。

「もしかして、信じてない?」

「季雨は信じてんのか?」

「信じてるかどうかと言われたら……まぁ、信じてはない、かなぁ?」

「だろ?」

 大体、最後が自殺とか「死」に関連する話ってのは大抵、嘘っぱちだ。季雨の付き添いでオカルトに触れてきたからこそ、それがよくわかる。

「信じてはない……けどぉ」

 しかし、季雨はそこで言い淀んだ。何かあるのだろうか?

「どうした?」

「んーと、実は明日本当にその占い女さんがいるのかどうか検証しようって事になって……」

「調べるのか?」

「うん。やっぱり女の子って占い大好きだからさ。そういう噂があると探したくなっちゃうものなんだよねぇ」

 それは、占いが好きというよりは、ただの怖いもの見たさじゃ? 怖いのは嫌いなくせにホラー映画見ちゃうみたいな。

「だから、明日はちょっと優くんと一緒に帰れないんだ。ごめんね?」

「あぁ、いいよ。気にしないで」

 本当は少し寂しかったが、一日くらいで我儘を言うわけにはいかない。

「あ、でもでも。その代わりって訳じゃないんだけど、今週は私、バイトお休みなんだ!」

「休日に休みって珍しいな」

 普段の季雨は休日だけバイトをしている。彼女曰く一週間に分担してやるくらいなら一日を全て使って集中してやりたいんだそうだ。だから、その日は基本的に季雨とは過ごすことが出来ない。

 その季雨と休日一日過ごすことが出来るのか。

「えーっと、だからね? そのぉ……。もしよかったら、私とデートなんて如何でしょうか?」

「もちろんです!」

「おおう、あのクールな優くんがなんか熱血だ!」

 だって、今まで学校の行き帰りと教室の中くらいでしか触れあえる機会がなかったんだぞ! しかも回りの目とかも気にしてたから気軽に触れあえるのは本当に今みたいな時間くらいなもんだし。それが休日にでもなれば……っ!

「テンション上がるわー!」

「優くん! キャラがおかしいよ!」

 きっと週末は楽しいデートになる。デートになると思ってたんだ。

 ……その日までは。



「それじゃ、優くん! また明日ねー」

「おう!」

 翌日の放課後。俺は季雨と別れて教室を後にした。昨日言っていた通り、彼女は他の生徒と一緒に都市伝説を検証するため教室に残る事にするらしい。俺も一緒に探してみようかとも考えたが、他の生徒にからかわれそうだし、なによりせっかくの友達との集まりに彼氏が入ったら余計な気を使わせてしまいそうだ。俺が入ったことによって雰囲気を壊してしまうのが嫌だったのだ。

「さてと……」

 特にする事もなく、ぶらぶらと廊下を彷徨う。

 それにしても、季雨とこうして別々になって別れるのも久しぶりな気がする。いつもあいつとは一緒に帰っていたから、こうして一人で帰るのは少し寂しい。……って、俺は乙女か。

「これが彼女中毒ってやつだな……」

 俺にとってもう季雨はいて当たり前、側にいて当然な奴なんだ。そう実感するとなんだか胸が熱くなる。

「はぁ、週末が楽しみだな」

 明日の半日授業さえ乗り切ればその次の日はデートだ。そしたら、きっと新しい思い出が作れる。生まれてからずっと見て来た町で新しい思い出が作られるんだ。

「そうだ」

 どうせなら、プレゼントを持って行こう。そろそろ、付き合い始めて……付き合い始めて……?

「あれ、何カ月目だったかな」

 確か、一ヶ月は経っているとは思うが……細かい月がわからないぞ? あれ、本当に何カ月だっけかな?

「うーむ……」

 これは彼氏として由々しき事態な気がする。彼女と付き合い始めた日を覚えていないのは問題だ。こんなことが知れたら季雨になんて言われるか……。

「早めに思い出さないとな……」

 せめて明後日のデートまでには。もし、なんかの拍子でその話題が出たら……そして、それに答えられなかったら。きっと大変な事になる。

 主に俺の財布の中身が。

 怒った季雨は何かに付けて俺に奢らせようとしてくる。「あーあ、今日はあれが食べたいなぁ……」とか「あ、あれいいなぁ」とか。もし断ろうものなら「さっき、あんな酷い事言っておいてなにもないの?」と、凄く悲しそうな目を向けてくる。超至近距離で。

 口で言ったらその程度だと思われそうだが、実際にその立場になってみるとかなり辛い。なんというか、必要以上に罪悪感を感じてしまうのだ。良心が痛むというのだろうか。毎度毎度わかっていながらも、悪いと思ってしまう。そしてつい財布に手が伸びてしまう。

「あいつだけは怒らせてはいけない」

 普段は温厚な性格だから怒ることなんて滅多にないのだが、誕生日とかクリスマス、そういう記念日関係の事にはとても敏感だ。忘れようものなら激怒することは必至だろう。

 だからこそ、全力で思い出そうとしているのだが……それがどうしても思い出せない。

「うーむ……」

 同じ唸り声上げながら廊下を歩く。

「……っと」

 そんなふうに考え事をして歩いていると誰かの肩にぶつかってしまった。俺はそのまま踏みとどまれたが相手側は上手く自分を支える事が出来なかったのか廊下に倒れ込んでしまった。

「あ、すまん!」

 急いで倒れた人を起きあげようと手を伸ばす。

「……大丈夫よ」

 しかし、その相手は俺の手を受け入れることなく自分の力だけで立ち上がる。

「ごめんなさいね。前をちゃんと見ていなかったみたいで」

「いや、こっちも同じようなもんだ。悪かったな、葉月」

「気にしないで」

 長い黒髪を掻きあげるようにな仕草はまさにお嬢様、と言ったところだろうか。彼女の立ち振る舞い、喋り方、その他諸々に関してもどことなく貴族のようなものを感じる。だからこそ、彼女――葉月真黒は人気があるにも関わらず、誰も近寄ることをしないのだろう。

それは皆の言う高嶺に咲く花と言うよりは泥沼やクレパス、その先に咲く花のように思えた。まるで食虫植物のように、近寄って来た人達を奈落の底に引きずり込む。そんな妖しさが彼女にはあった。

「葉月は放課後なのにどうしたんだ?」

「どうしたって? ああ、私が鞄も何も持っていないからそう感じたのかしら?」

 彼女の手には鞄がない。手ぶらのまま廊下を歩いていた。

「まぁ、ちょっと待ち合わせをしているのよ」

「待ち合わせ?」

「あら? 私が誰かを待っているのは不思議だったかしら?」

「あ、いや……そういうわけじゃないんだが」

 口ではそう言ったが正直驚愕だった。彼女は常に回りに壁を作り、線引きをし、あらゆる人間から距離を置こうとしていた。そんな人間が誰かと待ち合わせだなんて言うとは思わなかったのだ。

「ふふ、私だって仲の良い友達の一人くらいいるのよ?」

「そ、そうか……」

「そういうわけだから、私は行くわね。ごきげんよう」

「あ、あぁ……ごきげんよう」

 私生活で絶対に使わない挨拶をして彼女と別れる。俺がそんな挨拶をしたのが可笑しかったのか、クスっと笑いながら葉月はその場を後にした。

「……変な奴だな」

「まぁ、学年で一番の美人さんですからねー。何かに秀でてる人っていうのはどこか変わっているもんなんですよ」

「……お前も普通に変な奴だけどな」

 いつの間にか俺の隣に居た少女をジト目で見下ろす。身長が季雨よりも低い。下手をすれば小学生にすら間違われそうな体格だ。そして、季雨とは違い膝まであるであろう長い雪色のツインテール。目もくりくりとして可愛らしいのだが、その中身は……。

「いっつも後を追ってるんですが、なかなかいいネタを落としてくれないんですよねぇ。絶対になにかあると思うんですけど……。全く、こっちの新聞のネタの事も考えて頂きたいもんですよ!」

 そう。こいつは校内の全ての秘密を握る新聞部の長。人のプライバシーを土足で踏みにじる悪魔――鳳雪花。

「今、なんか酷いこと考えませんでしたか?」

「気のせいだろ」

「その顔は嘘をついてますね? 私は一応、新聞部なんですよ? 貴方が嘘をついてるかどうかなんて表情を見ればわかります」

「正直、悪魔みたいだなって思った」

「酷い! 酷すぎます! 私、あなたにはそんな酷いことした覚えなんかないのに……」

「しただろうが!」

 以前、季雨と付き合い始めていた頃の話だ。どこからその情報を嗅ぎ付けて来たのかは知らないが下校途中にいきなりマイクを突き付けられた事があった。



「どこまで進展しましたか? もうキスは済ませました? それともその先? まさかまさか、もっとアブノーマルなプレイとか!?」



 と、散々な質問をされた揚句、それがないと知ると「そうですか……はぁ」と小さくため息をついて颯爽とどこかへと走り去ってしまった。このどんな事にも首を突っ込む嵐のような少女と知り合ったのはそれが最初だった。

 その後、何の縁か何度か彼女と話す機会が増え、今に至ると言うわけだ。

「情報としての鮮度がないんで別にもういいんですけど、あれから順調ですか? どうですか、進展の程は?」

「お前に話すネタはねぇよ」

 余計な事を話してまた目を付けられても困る。

「はぁ、まだ進展してないんですか? 良いホテルとかデートスポット教えてあげたじゃないですか。それでも、駄目だったんですか?」

「……あいつが忙しくて時間が取れないんだよ」

「でも、明後日行くんですよね?」

「……っ!? なんでそれ知ってんだよ!」

「うふふ……新聞部を舐めて貰っちゃ困りますよー」

 そう言いながら小さなピンクの手帳をひらひらと見せつけてくる。一体、その手帳にどれだけの人間のプライバシーが書かれているのだろうか……。それを思うと、ただの可愛い手帳がなにか恐ろしい物に見えて来る。名前を書いたらその人が死んでしまう呪いのノートみたいな。

「お二人の関係は結構応援してるんです。こういう事やってると色んな恋愛見てしまいますからね。汚いですよー? ドロドロですよー? 修羅場なんか腐るほど見て来ましたし」

「そ、そんなに凄いのか?」

「二股されていた事を知った彼女さんがマンションの屋上から飛び降り自殺しようとした寸前で止められた、とかありましたけど? なんですか、興味あるんですか、こういうの? なんだったら色々教えますけど?」

「いや、そのワード聞いたらなんか聞きたくなくなってきた……」

 なんだ飛び降り自殺って……。

 興味本位で聞いたことを後悔する。しかし、そんな俺に対して雪花は小さく微笑む。

「それに比べてお二人の恋はピュアですからね! 本当に見てるこっちが恥ずかしくなってきちゃうくらいですよ。だからこそ、私は応援してるんです。いいですか? 私が無料でオススメのデートスポットなんか教える訳ないんですからね?」

「……あぁ、感謝してるよ」

 実際、雪花から貰った情報はとても役に立っていた。どこから行ってどこで締めればいいのか、スタートからゴールまでの道筋が細かく記載されていたのだ。あれなら絶対に失敗はしない。完全バイブルだった。

「ホントですか! それじゃ、そのデートを記事にしても――」

「だ・め・だ!」

 さっき二人の情報は鮮度がないとか言ってたのに、これだ。やはり、油断は出来ないな。

「ちぇー……。まぁ、いいですけどね。今はそれよりも美味しそうなネタを見つけちゃいましたから」

「『放課後の占い』の事か?」

「あー、やっぱり貴方もご存じでしたか」

「今じゃ、この話を知らない生徒はいないんじゃないか?」

「そうですよね。どこに行ってもその話で持ち切りですもんね」

 特に俺の学年は季雨を含めた数人が検証するということで一日中その話題が飛び交っていた。まるで、これから心霊スポットで肝試しでもするのかと言うくらいにその日の彼女達はテンションが高かった。

「そういえば、貴方のクラスメイトさんがその噂を調べるらしいですね? そこに貴方の彼女さんも含まれてるとか」

「あぁ、そうだよ……お前は参加しないのか?」

 この言い方から察するに雪花は今回の検証には付き合わないのだろうか? こういう面白そうなネタにはまず飛びつくだろうし、彼女自身さっきそのネタを調べていると言っていたはずだ。

 しかし、彼女はこくり、と首を縦に動かした。

「ええ、私も誘われたのですが今回は遠慮させて頂きました。私は私で別の線で調べてみようと思いまして」

「別の線?」

「情報って言うのはいくつもの線が絡み合って出来ているんですよ? 一つの可能性ばかりを模索しては駄目ってことです」

 一つの可能性。それはつまり、オカルトとは別の線で探すと言う事なのだろうか? 例えば、これが誰かの悪戯だと雪花はそう思っているのだろうか。

 ……だとしたら一体誰が?

「気になりますか?」

「まぁ、少し」

「ですよね。でも、駄目です。教えてあげません! これは新聞部の貴重な情報ですからね。貴方が新聞部の部員にでもならない限りは教えてあげる事が出来ないんですよ」

「……そこまでして知りたいとは思わないな」

「あら、新聞部は嫌ですか?」

「嫌ですかと言うか……」

 思わず言い淀む。新聞部は何かと黒い噂が多い。いや、違うか。新聞部じゃなくて、この女にだ。確か、入部初日から新聞部全員の情報を使って脅しを行い、わずか一週間で部長となったと、そういう噂が影で囁かれている。実際、こいつは一週間で部長に成り上がったし、その事に関して前部長は何も言わなかった(どことなく怯えた様子ではあったらしいのだが)という。そんな奴が頂点に君臨する部活動なんかに入ったら俺の私生活がダダ漏れになってしまいそうだ。

 ミラーハウスに憧れを持つようなドMなんかではないのだ。

「まぁ、別にいいですけどね。あ、それじゃあ私もそろそろ行かなくてはならないので」

「あ、もうそんな時間か」

 時計を見ると、あれからかなりの時間が経ってしまっている。気が付くと、廊下には俺達以外の生徒がいない。唯一、俺のクラスだけ笑い声が聞こえるが、きっと時間までの退屈潰しに話に花を咲かせているだけだろう。

「んじゃ、俺も帰るかな」

「あら、てっきり彼女さんと一緒に探すものと思ってたんですが、違うんですね」

「せっかくの友達付き合いに彼氏が介入するのもな」

「へぇ……」

 意外なものでも見るかのように目をぱちくりとさせる雪花。

「な、なんだよ……」

「いえ、意外にちゃんと彼氏さんやってるじゃないですか。その思いやりはグッドですよ!」

 グッと親指を上にして拳を突き出す。

 いや、褒められてるのは嬉しいんだが、そんなに駄目な彼氏に見えたのだろうか。

 ……ちょっと自信失くすわ。

「あー、はいはい。そんなに落ち込まないで下さいって。最初は確かにそう思っちゃいましたけど、ちゃんと気遣いの出来る良い人ってわかったんですから、ね? 元気だして下さい」

「……俺は、ちゃんと出来てるんだろうか」

「そんなの、彼女さんの顔を見れば一発ですよ。心から笑っていれば、合格なんです。そんなもんですよ……っと、それじゃ本当に時間があれなんで私はこの辺りで」

「あ、あぁ。じゃあな」

 ぺこり、とお辞儀をして背を向けて走り出す。本当に元気な奴だ。それにしても……。

「笑顔、か」

 本当に俺は季雨の彼氏としてちゃんとしているのだろうか。季雨に笑顔を与えてやれてるのだろうか。雪花はああ言ってくれたが……。

 不安が俺の身体を蝕む。それは、過去の事件が記憶の底から浮かび上がって来たから。

「いやいやいや」

 頭を振って嫌な考えを頭から吹き飛ばす。

「まぁ、考えてもしかたがないか」

 今は明後日のデートに集中しよう。そのためには、まず……。

「プレゼント選びだな」

 そうと決まれば早速行動あるのみだ。雪花が消えた方向に背中を向け、俺も学校を後にした。

 ……彼女達の笑い声を聞きながら。



「んっ……」

 朝。珍しく目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めた。チラ、と机の方に目をやる。そこには昨日商店街で買って来た季雨へのプレゼント。何しようかと迷った結果、小さなポーチにすることにした。出来れば、季雨にはずっと持っていて貰いたいし、それなら実用性のある物の方が良いと思ったからだ。

「……よし、学校に行くか」

 これを渡すのは明日。今日はまだ、あいつには秘密にしておこう。心の踊る気分のまま学校へ行く準備を始めた。

「いってきまーす」

 外は相変わらず二月の気候。長袖の制服だろうが容赦なく冷たい北風が流れ込んでくる。しかし、男子の俺はまだ楽な方だろう。女子なんかスカートで登校だからな。俺ら以上に寒いに違いない。下にジャージを履くことも許されない分、女子は制服面において、さぞや苦労していることだろう。

「だから、こうして早めに家を出ているわけだが」

 付き合う前から俺と季雨は一緒に登校している。これはもう子供時代からの習慣のようなもので必ず、季雨の家の前で彼女を待ってから登校するようにしている。最初は朝に弱い季雨の為にやっていたのだが、それも毎日続くと日課へと変わっていく。……おかげで、彼女の朝の弱さは相変わらず直らないままだが、それでも良い気がする。どうせ、これからも毎日、彼女を起こさなければならなくなるのだから。

 家から直線に歩いて来た道を右折する。そうすれば、季雨の家まで目の前……なのだが。

「……あれ?」

 そこには見なれない風景が広がっていた。

「季雨? 珍しいな、こんな時間に外で待ってるなんて」

 俺の視線の先には制服姿の季雨が空を見上げながら立っていたのだ。小走りで彼女の元に駆け寄る。

「よっ! 季雨」

「…………」

 手を上げて挨拶したが彼女はこちらをじっと見ただけで返事をすることはなかった。普段、こんな時間に起きないから眠いだけなのだろうか? しかし、どこか虚ろな目をする彼女を見ているとどこか不安を覚える。

「どうした? こんな時間に起きてるなんて」

「うん……なんでもないよ…」

 そう言う季雨の顔はやはり元気がない。いや、元気がないというより表情がない。今の季雨はまるで人形のようだ。ただ、あらかじめプログラミングされてる言葉を口にするだけのロボット。それくらいに、今の季雨は違和感の塊だった。

「いや、本当に変だぞ?」

 熱でもあるんじゃないのか? そう思って季雨の額に手を近づける。

「……っ!」

「……季雨?」

 しかし、その手が彼女に触れることは叶わなかった。季雨がそれを拒否し振り払ったのだ。こんな態度、喧嘩した時くらいしか見た事がない……。だが、彼女と喧嘩した覚えはない。昨日の放課後だって俺と季雨は笑顔で別れたはずだ。やはり、何かが変だ。

「なぁ、季雨」

「……早く、学校行かないと…」

 何があったのか? それを聞こうとしたが、それよりも先に彼女は学校に向かって足を動かし始めてしまった。俺なんか初めからいなかったかのように、どんどん先へ先へと行ってしまう。

「お、おい!」

「…………」

 慌てて彼女の後を追うが、それでも季雨の方からペースを合わせる事はない。

「どうなってんだ……」

 結局、その日の朝は彼女と一回も触れあう事のないまま、学校へと到着してしまった。



「優斗さん……優斗さん。ちょっと」

 昼休み。授業終了の号令と同時に教室から俺を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、そこには雪花が小さくこっちに来るように手招きをしているところだった。

「……なんだよ?」

「こんにちは、優斗さ……うぉっ! めっちゃ落ち込んでますね!? どうしました!」

「なんでもねぇよ」

 嘘だ。

 あの後、結局一度も季雨と話すことを許されなかった。完全無視である。回りからからかわれるどころか真面目に心配されるレベルで俺と季雨の間に深い溝が生まれてしまっていた。

 しかし、それは俺だけが例外じゃない。俺との仲を取り持とうと何人かの奴が季雨の所に行ったが全て失敗。見向きすらしてくれなかった。

「もしかして、喧嘩でもしました?」

「…………」

「え? マジですか?」

「……俺はそんなつもりなかったんだけどな」

「……なるほど。とりあえずこっち、こっち来て下さい!」

 雪花が勢いよく廊下側に引っ張っていく。チラ、と季雨の方を見たが、これだけ騒いでも見向きもしない。鞄から取り出したお弁当を一人で黙々と食べ続けていた。他の生徒も心配そうに見ている。

 ……本当にどうしたんだ、季雨?

「悪い……。やっぱり今はそんな気分じゃ――」

「もしかしたら、喧嘩に関係あるかもしれないんですって!」

「……どういうことだ?」

「いいから、早く来て下さい。いろいろ貴方にも聞きたい事があるんです」

「わかった」

 季雨の事はもちろん心配だが、雪花の言っている事も気になる。俺達の喧嘩に関係のあること……。喧嘩をした覚えはないが、もしかしたら何かしてしまったのかもしれない。その原因さえわかれば俺にもなにか対処出来る方法があるはずだ。

「季雨……」

 リピート再生のように食事を続ける季雨をチラと見た後、俺は雪花と共に教室を後にした。



「ここって……」

「はい、ここなら今の時間、誰もいないと思います」

 雪花に連れられてやってきたのは新聞部の部室だった。雪花がドアを開ける。これだけ噂のある部活だから中は一体どうなっているのか心配だったが、思ってた以上に普通だ。縦長の部室には何台かのパソコンと大きな長机が一つ。それを囲むようにして椅子が置かれ、その奥に一人用の机と椅子が設置されていた。

「どこでもいいので座ってて下さい。今、お茶淹れますから」

「いや、それよりも早く教えてくれ。さっきのは一体どういう意味なんだ?」

「……正直、私もまだよくわかっていないんです。裏の取れた話でもないので、本当は誰かに教えたくはないのですが……」

「それでも、俺をここに連れて来たって事は、教えようと思ったんだろ?」

「はい。ただし、他言無用でお願いします。これは、まだ部員にすら話していないものなので」

「わかってる」

 俺の言葉に頷いた雪花は机の下からファイルを取りだした。青色のファイルには数枚の写真が入っているようだ。

「まずは、これを見て下さい。今日の登校から今に掛けてまでの時間に撮ったとある人達の写真です」

「おまえ、これ盗撮じゃ……」

「私だって、普段はこんなことしませんよ。今日は状況が違うんです」

 本当だろうな……。雪花の事を訝しげに見た後に机の写真に目を通す。一つの学年を集中して撮ったりはしていないようだ。一年から三年、全ての学年がバラバラに撮影されている。男も女も関係ないらしい。

「あ……」

 写真を漁っていると季雨が映っている写真も出て来た。どうやら、授業中に撮られたものらしい。

 どうやって授業中に撮ったのかは気になるが今はそんなことはどうでもいい。それよりも気になったのは……。

「なぁ、これ……」

「気付きましたか?」

「あぁ……」

 全員、同じ目をしていた。

 季雨と同じどこか無気力で何も見ていない、虚ろな瞳。まるで人形のような、少し気味の悪い目を……。

「皆、変なんですよね。まるで夢遊病者のような目をしてるんです。他の生徒さん達にも少し話を伺ったんですが、受け答えもまるで寝ぼけているようだと、そう言ってました」

「寝ぼけてる、か……」

 やはり、季雨と同じだ。まさか、あいつの他にもこの状態の生徒がいたなんて。しかも、俺は気付かなかったがその中には同じクラスの生徒もちらほらと写っていた。

 なるほど、だからあの時は皆心配そうに見てくれていたんだな。他にも、同じ奴がいたから。

「だけど、どうして急に……」

「それなんですけどね……。この人達にはきっと何か共通点があるんだろうと探ってみたんです。そしたら、あったんですよ。一つだけ、この人達を繋ぐ共通点が」

「共通点?」

 俺が首を捻ると彼女は小さく頷く。

「貴方は知っているはずです。彼女さんが昨日、何をしていたのか」

 季雨が昨日していた事、それを聞いて一つの考えが思い浮かんだ。

「……放課後の占い」

 雪花が頷く。

「はい。ここの写真の生徒は皆、昨日『放課後の占い』の検証をした生徒達です」

「やっぱりか……」

 ということは、やはり原因は昨日の放課後になるのだろう。昨日、俺が帰った後、そこで何があったのか。それを調べれば、季雨達がおかしくなった原因がわかるかもしれない。

 だが、どうやって?

「他に目撃者はいないのか?」

「昨日の今日なので、まだ絶対とは言えませんが……いないと思います。そもそも、貴方はこの『放課後の占い』の内容をご存じですか?」

「噂程度にはな」

「では、そのやり方については?」

「やり方?」

 やり方もなにも、この都市伝説は突発的に占いをする何かと出会うものなのではないのか? そういう若干ホラー寄りな内容だと思っていたのだが。

「……もしかしたら、貴方が聞いた内容も間違って伝わっている可能性がありますね」

「間違ってる?」

「ええ。この手の話ではよくある事です。伝わって行く内に尾ひれがついていって全く別の物語に変化しているような」

 どうやら、俺の知っている話もそれに分類されてしまうようだ。ならば、本当の『放課後の占い』というのは一体なんなのだろうか?

 その心の中にある疑問を察したかのように雪花はさらにもう一枚別のプリントを俺の前に置く。

「これは、私達が次回の号で載せようとしてた記事の一部です。本当は見せちゃ駄目なんですけど、今はそんなことは言ってられませんからね。そこに、『放課後の占い』の方法が記載されてます。読めばわかると思いますが、占いをするのは幽霊のような誰かじゃないんです」

 雪花から配られたプリントを見る。この都市伝説が出来たきっかけと簡単なストーリー。そして、この都市伝説の方法が記載されていた。

「放課後に突然現れる謎の女。これが、今、学校で一番広まってる噂の一つです。しかし、実際はそうじゃない。謎の女なんてこの話には出て来ません。これを見て下さい。わかりますか? この占いの方法は、まず『占い役』が必要となるんです。この占い役と水晶玉。この二つが『放課後の占い』での絶対条件です」

「……占い役?」

 雪花はこくりと頷く。

「ええ。後は、校内であれば場所は余り関係ありません。人気の無い静かなところであれば、それだけで条件は満たせます。後は、多分貴方の知っている通りです。その占いは必ず当たり、そして死ぬ」

「…………」

「……私は、この『占い役』が怪しいと睨んでいます。この状態であるのが皆、参加者であるのなら、これらを纏める『占い役』が絶対にいるはずなんです」

 この『占い役』と呼ばれる人間が、季雨達をおかしくした元凶か……。なら、そいつは一体誰なのか。

「……それは、もしかしたら生徒なのかもしれないな」

 あの日。季雨と一緒に帰った時にした『放課後の占い』の話。その時、季雨は「見た目は普通の女の子らしいよ? っていうか、学生だって噂だし」と言った。それが、尾ひれのついたものではなく本当にその通りなのだとしたら?

その事は雪花も同意だったようだ。もう一度、頷いた後に口を開く。

「ええ。私もそう思います。この学生かもしれないという情報は都市伝説としての『放課後の夜』にもしっかり書かれていましたし、私がオカルトとは違う方面で探すと言いましたよね? それも、この『占い役』がいるという情報を掴んだからなんです。この都市伝説が誰かの悪戯だとしたらそれを暴くのも新聞部の役目……だと思ってたんですが、まさかこんな事件にぶつかるとは」

「さすがに思わなかったか?」

「当たり前です。どれだけ世界に犯罪が蔓延っていたとしても、それにはち合わせる確率なんて宝くじで一等を取るのと同じくらいのもんなんですよ? その確立を私達は引いてしまったんです。本当にどうしたものか……。いえ、どうすればいいのかはわかっているんです。きっと警察に届けた方がいい。ですが、この事件の真相を自分で解き明かしたいと思っている私もいるんです」

 はぁ、とため息を漏らして額に手を置く。新聞部部長としては、こんな美味しいネタを放っておくわけにはいかないだろう。しかし、もしその通りなのだとするならこの事件は一人の生徒の手には余る物だ。

 だから、悩んでいる。

 この時、俺なら雪花に警察へ行くことを勧めるだろう。いや、そうしなくちゃならない。季雨の為にも。

「雪花……」

「優斗さん?」

 だから、俺は彼女の手を取った。そして、言った。

「二人で事件を解決させよう」

「え……?」

 雪花が驚愕に目を見開く。しかし、それ以上に驚いたのは自分自身だった。俺は一体何を言っているんだろうか。二人で事件を解決させる? そんなこと無理に決まっている。しかし――

「俺はあいつの事を誰かに任せたくない。自分で救ってやりたいんだ。季雨の彼氏として、俺はあいつを救ってやりたい」

「……本気なんですか? 相手は普通じゃないんですよ! 複数の人間をあんな状態にするなんて、そんなの本当にオカルト――」

「それでも、あいつは俺の彼女だ!」

「……優斗さん」

 そうだ。あいつは俺の彼女なんだ。なら、救ってやるのは他の誰かじゃない。俺なんだ。馬鹿な事だと思ってる。きっと、雪花も呆れているだろう。しかし、俺にはこの選択肢しか出て来なかった。まるで、最初からこうなるように決められていたかのように。この選択しか与えられていないかのように。

「だけど、俺だけの力じゃ絶対に季雨を助ける事なんて出来ない。だから、お前の力が必要なんだ」

「……私に巻き込まれろと言うんですか?」

「その覚悟があったから、俺に頼んだんじゃないのか?」

「…………」

 無言。その間、雪花はずっと俺の目を見続ける。何かを試しているかのように、じっと……。だから、俺はその視線から逃げ出さず、じっと見つめ返した。この想いが嘘でないと伝えるように。

「……ふぅ」

 しばらくたった後、雪花は小さく息を漏らす。そして、呆れた笑みを零した。

「全く。仕方ないですね……」

「雪花、いいのか?」

「元々、これを持ちだしたのは私の責任ですからね。逃げる訳にもいかないでしょう? こうなったら、とことんお供しますよ!」

「……ありがとな」

 俺の言葉に今度はにっこりと笑うと制服の腕を勢いよく捲る。その目に先ほどの不安はもう、ない。

「よーし、こうなったら私も本気を出しますよ! 優斗さん、すいませんが放課後にまた来てくれませんか? それまでに色々と調べておこうと思いますんで!」

「それは――」

 一瞬、季雨と一緒に帰ると口に出そうとしたが、止めた。今、重要なのは彼女と一緒にいる事じゃない。彼女を、助ける事だ。

 季雨の側に居られない事は心配だが、今はそんなことを言っている場合ではない。助ける為に距離を置く。もし、彼女にこれまでの記憶があって罵られたとしても、その時の制裁はその時に受ければいい。

「優斗さん?」

「いや、何でもない。わかったよ」

「それじゃ、そろそろ行きましょう。あんまり、ここに関係ない人がいるのは好ましくありませんから」

「そうだな」

 机に散らばった資料を元に戻し俺達は一度、新聞部を後にした。



 教室に戻って来た。期待はしていなかったが、やはり季雨は何も変わっていない。そして、雪花が持って来た写真の生徒も同じように虚ろな目をしていた。どこを見ているかもわからないように視線を宙に彷徨わせている。本気で心配するクラスメイト達に大丈夫だと伝えてから俺も自分の席へと戻る。ここで季雨に話しかけても空しいだけだ。何にもならない。自体はそんなに簡単じゃないのだ。余計にこじれるだけなら、今は触れない方がいい。俺が彼女と関わるのはあっちが何かしらの行動をしてからだ。

 雪花と別れた時の会話を思い出す。



「私達はまだ、相手のことをほとんどわかっていません。どうして、こうなったのか。そして、彼女さん達は今、どういう状態なのか。それをしてどうしたいのか。それがわからないと動くことだって出来やしないです。ですから、私はそっちの線で調べてみます。貴方は……彼女さんのことを見ていてあげてください。遠くからでもいいです。彼女の動きを見て何か気になる事があったら連絡を下さい」



「……動きね」

 今のところ、そのような様子は見られない。ずっと人形のようにただただ、そこにいるだけだ。それでも、必要最低限の事はやっているのだから別にそれが何かの影響を及ぼすということはないだろう。

 あとは、雪花の方だ。彼女の情報の収集能力に全てが掛っている。

「俺には見ていることしか出来ないのか……」

 ここで、季雨を見ていることしか出来ない事に歯痒さを感じる。自分から誘っておいて結局は彼女頼りだ。情けない。

 しかし、だからと言って俺個人の勝手な行動は許されない。それもわかってる。俺は雪花と協力すると約束した。ならば、彼女の事を信じなくては。その彼女の事を信じるという行為、それが待つ事に繋がるはずだ。無力だからこそ、パートナーの迷惑になる事は避けなければならない。

 だからこそ、歯痒い。

「……放課後までの辛抱だな」

 放課後になれば、きっと情報を手に入れているはずだ。それを見ながら自分の果たすべき役目を見つけていけばいい。必ず、何かあるはずだ。

「……待ってろよ」

 人形のような季雨の背中を見つめながら、俺はそう呟いた。



「行くか」

 放課後。鞄を持って教室を後にする。ちなみに、季雨の姿はもうここにはない。HRの終了と同時に教室を後にしてしまった。

『優くん! 一緒にかえろっ』

『あ、優くん! 今日はアイス食べたいなー』

 思い出される彼女との記憶。当たり前だと思った、彼女との日常。それがもう、日常ではなくなってしまった。今、俺の隣に彼女がいない。それが日常に変わりつつある。

「……っ」

 言葉にすると胸が締め付けられる。温もりを感じることが出来ないのがこんなに辛いなんて、思わなかった。

「……行くか」

 これ以上、ここにいたらまた日常だった記憶を掘り起こしてしまいそうになる。それが素晴らしい物だっただけに今は辛い。深く穴の中に埋めて見えないようにしておきたかった。

「すぐに元通りにしてやるからな」

 願望とも取れる希望を口にして、俺も教室を後にした。



「待ってましたよ」

 昼休みに利用した新聞部の部室。その扉を開けるとすでに雪花が何かしらの作業に励んでいた。

「すまん。遅れたか?」

「いえ、ちょうどいい時間です。あんまり早く来られたら他の部員の方に見つかってしまうかもしれませんからね」

 そういえば、放課後だと言うのに新聞部の姿がどこにもない。ここには俺と、彼女だけだ。

「他の部員はどうしたんだ?」

「しばらく休部にすることにしたんで今は来ないと思います」

「休部って……大丈夫なのか?」

「間違いなく不満は出るでしょうね。まぁ、どうせ私には逆らえないですから、裏で陰口言われる程度だと思いますが」

 手と目を動かしながら雪花は答える。陰口を叩かれる事など意にも介さない様子だ。最初から聞き慣れているかのような……。

「まぁ、昔から言われてた事ですから」

 そんな俺の心を読みとったかのように彼女はそう口にした。

「情報ばっか集めてると、やっぱり自分自身の事も聞こえてきちゃったりするんですよ。別に気にしてはいないんですけどね。仕方ない事ですから」

 仕方ないこと。そう言う雪花の表情はやはり無表情のままだ。しかし、何故だろう。その顔はまるで仮面のように思えた。

「……っと。私の話なんかしてる場合ではありませんでしたね。さ、座って下さい。いろいろ情報を集めておきましたから」

「あ、あぁ……」

 言われるままに空いている席に座る。それと同時に俺の前に先ほど同様白いプリントが数枚置かれていく。

「さすがに放課後までだったんで犯人を特定する有力な情報は得られませんでした。ですが、今の彼女さん達がどういう状態に陥っているか、それはわかりました。これ、見て下さい。図書室から大急ぎで持ってきたんですよ」

 その数枚のプリントの上に一冊の本を置く。

「……催眠術?」

「はい」

 その本のタイトルは『催眠術』。表紙絵には糸に釣らされた五円玉がプリントされているだけという実にシンプルな物だった。

「それで、季雨達がその催眠術に掛かっていると言うのか?」

「ええ。あの状態はそれに近い物だと思ったんです。それで少し調べ物をしてたんですよ。これ見て下さい」

 そう言ってパソコンのモニターをこちらに向ける。それは大手の有名な動画サイトだった。その画面の向こうには一人の男性が女性に催眠術を掛けているシーン。男性が女性の視界を隠すように手で覆う。そしてそのままゆっくりと頭を回し始めた。

「……こんなんで掛かるのか?」

「まぁ、見てて下さい」

 俺の疑問の答えはすぐに出た。その男性が彼女に何かを囁いた後に数字をカウントする。一つ、二つ、三つ。すると、さっきまで普通に座っていたはずの女性が急にだらりと投げ出すような姿勢になってしまった。全身の力が抜け落ちたように座る女性。その女性に男性は「立って」と命じる。すると、その女性はのろのろとした動きではあったがしっかりと立ちあがった。しかし、未だに彼女の肩はだらんと垂れ下がっている。その状態はまるで――

「彼女さんのようでしょう?」

「ああ……」

 そう、確かに季雨も似たような感じだった。寝ぼけているような虚ろな瞳も、今の状態の季雨に一致している。つまり……。

「季雨は催眠術に掛かっている?」

「その可能性が高いです……。ですが」

「なんか問題があるのか?」

「はい。それを認めてしまうと、相手は人を自由自在に操れる超人ということになってしまうんです。ちょっとした人外ですかね」

「……?」

 雪花の言っている事がよくわからない。こうして目の前に催眠術の動画が流れている。それと同じ状態だとわかったのなら、そういうことなのではないのか?

「端的に言うと、ありえないんですよ。あれだけの人数を一度に催眠状態にして、さらに操るなんてこと。いえ、それよりもこんな長時間の間あんな状態に持って行くことすら出来ないはずです。掛かってからずっとですよ?もう十八時間は経っているはずなのに、未だに解ける気配がないなんて、おかしいんです」

「すまん。俺、催眠術って奴の知識が乏しいからよくわからんのだが……」

 テレビで催眠術ってやつを見た事はあるが、それも結局バラエティの一種として取り扱われている為に大した情報を得ることが出来なかった。

「いえ、知識とかは関係ありません。よく考えれば誰でもわかる当たり前の事なんですよ、優斗さん。考えてみてください。もし、こんな長時間もの間、誰かを操ることが出来たらこの国は――いや、この世界は当に支配されていると思いませんか? 誰も不満を持たない、ただ、その人だけを崇拝する世界が出来あがっていると思いませんか?」

「それは……確かに」

 簡単に誰かを支配出来たら、自分の想った通りの世界が出来あがる。それが例え理不尽な世界であってもその人は何とも思わない。今の季雨のように、人形のような目でただ崇拝するだけだろう。

 その世界を想像し、身震いする。間違っている事を間違っていると認識出来ない世界。そんなの地獄よりも恐ろしい。

「そんな世界が存在していない以上、催眠術っていうのは誰かを絶対的に操る物ではないってことです。いつかは切れるんですよ、催眠術は。なのに、今の状態を見て下さい。全く切れた様子がないんです? 有り得ないし、あっちゃいけない事のはずなのに……。それが、私が疑問に思っていることの一つ目です」

「一つ目?」

「はい。一つ目はこれ。そして、もう一つは、これだけの催眠術にどれだけの時間を要しているのかってことです」

「そうだな……」

 それは、わかる。これだけの人数――少なく見ても二桁を超える人間が同じ状態に掛かっている。このたった一日でだ。どんなに人気の少ないところだろうが必ず先生が見周りに来るはずだ。そうじゃなくても、警備システムが動作すればそれで終わりのはず。

 なら、この短時間でどうやって操っているのか、ということだ。

「もしかしたら、ここじゃないのかもしれませんね」

「どっかに移動したってことか? だけど、それは……」

 それこそ難しい気がする。数人ならともかく、この大人数を誰にも気付かれずに移動するなんてこと出来るのだろうか?

「そうですよね……。でも、だとしたら」

「いや、そうやって切り捨てるのはよくない。一応、これも可能性の一つに入れておこう。もし、どこかに移動したのであれば誰かが見ている可能性もあるんだ。そっちでも聞き込みをしてみないか?」

「……ふむ」

 顎に手を置いて考え込む。情報の分野は雪花に一任している。雪花がそれを望まないのであれば、諦めてまた別の方法を――

「そうですね。それでいきましょう」

 しかし、彼女は何かを納得したかのように首を縦に振った。

「いいのか?」

「いいのかも何も、私達はパートナーですよ? 上下関係とかないんですから、そんなこと気にしないでください。それに、貴方の考えも一理あると思いましたから」

 その言葉に俺は少し救われた気がした。

 何の役にも立てない俺の話をちゃんと聞いてくれた雪花に。そして、俺を必要としてくれた雪花の言葉に。

「その代わりなんですけど、一つ提案があるんです」

「提案?」

「その役割、貴方にやって欲しいんです」

「え?」

 予想外の言葉だった。まさか、俺にそんな仕事が回って来るとは思ってなかったからだ。また全部自分で情報を集めて来るものだとばかり思っていた。

「今の彼女達が私達の予想通りだとするなら、少々不味い事態になっている可能性があるんです。だから、ここは両方向を一斉に攻めようと思います」

「不味い事態?」

「ええ。さっきも言いましたよね? 催眠術は永遠に人を操る事は出来ないと」

 頷く。それを確認すると雪花はさらに話を続けた。

「しかし、今現状、彼女さん達は催眠状態に陥ってしまっています。なら、永続的に人を操ることが出来てしまっていると考えるべきです。いくら、それが有り得ないのだとしても、こうして現実にそうなっているのですから……。そして、それらから導き出される結論は――」

 そこで、一旦息を吸う。動揺している。あの雪花が。新聞部に限らず校内の生徒のほとんどの情報を暴き、逆らえる者などいないとさえ言われたこいつがだ。

 自分の言葉に確信を持っているかのように、動揺する。焦る。一体、彼女は何を考え、何に怯えているのか。

 その答えは彼女が口を開くと共に理解した。



「この校内で、操られた人を使って、何かをするつもりなんです。小さな世界を、支配するように。この学園を、支配するつもりなんだと思います」




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