老兵の出陣
水野熊五郎とて腕には覚えがあったのだ。一騎討ちが当たり前であったその昔、敵中にめぼしい旗印を求めては襲いかかり組み伏し、首を刎ねて手柄としたことであった。それがお館様がテッポというものを取入れてからというもの戦の様子が変わってしまった。ここ何回かの合戦には騎馬武者としてでなく、足軽雑兵にテッポを担がせた四十名足らずを任されているだけだ。熊五郎にはそれが歯痒くて仕方ない。
……合戦こそは適材を適所に配備であらうのに、お館様の了簡は解しかねる。ワシは暴れたいだけの男だ。足軽を束ねるなんぞ好きになれん……
テッポ隊は熊五郎の率いるのと同じ員数のものが七つほど組織されている。一番から五番の若い隊長たちは取り立てゝ武芸に優れた者たちではなかったが、テッポを用いた戰略の立案はさすがだ。お館さまより直々の命を受けポルツガル兵法を学んだだけのことはある。この五つの隊はどの隊も及ばぬ戰果をあげる。ただ、熊五郎には必ず犠牲を出してしまう若い隊長たちの戰い方になじめないのだ。犠牲以上の戰果が得られれば「勝ち戰さ」だとするのには戸惑いがある。六、七番隊は統率を取るのもむずかしい烏合の衆だ。扱ひもままならぬのに、なまじテッポを持たされるがためにテッポ隊としての戰果を期待されてしまう。六番の召之助も七番の熊五郎もその辺りは見切つていた。二人は部下に、徹底して己が身を守れ、生きて還れば必ず次の機会が来る、と教えてきたが、隊長の「退けッ!」を待ってでもいるような、白兵戰を戦い抜けないテッポがふえて頭を悩ませていた。
戦果に応じて兵も武器もよいのものが与えられて隊は再編成される。「カルタ遊びのやうだ」と熊五郎は思う。割り切れぬものを割り切って駒を動かすのはお館様の役目、お館様に忠義を尽すのが家臣の務め。それは心得ている。が、ここしばらくはお館様から一声さえも、ついぞかけてはもらえない。二老兵の心のうちに寂しさと言ってよいものが沸いてくるののであった。
六番隊と七番隊はすぐに破られる。隊長に手柄がなければ貴重な火薬の分配は減らされる。稽古が不十分なテッポは火縄の一発目の撃ち損じが多くなる。精度の悪いテッポをあてがわれた者たちがこの六、七番の二隊に集るのだから仕方がない。隊伍の乱れをついて敵は雪崩れのように駆け込んでくる。撃ち損じたテッポを後ろにまわし、左右から長槍でその空きをつめて一時体勢を立て直す。二老兵が腕にものを言わせる弓馬の技も、そんなことのために使われるようになっていた。
早駆けの駒に跨がっていようと止めるべき所では蹄を焦がしても一寸と違わず止められたし、弓を引けば二十間先の三寸の的を射抜く山崎召之助であった。敵の騎馬に正面から射かける召之助の征矢は、馬の心の臓を違わず突き破るから、敵侍の体は馬から跳ね上げられ空中で一回転して地面に叩きつけられる。敵侍がよろよろと立ち上がるときには召之進はすでに彼の隣りに駒を走らせ、大刀をひと振りする。首級は血をしぶかせて前方へ或は後方へ飛ぶ。それは熊五郎が七番隊を立て直し、駒に鞭をくれて加勢に駆けつけるたびに目にする召之助のほれぼれする姿だった。
山崎召之助の卓越した武芸も、テッポ隊を任された今は持ち場を離れられない。独り駒で蹴散らし斬りちらしても、その場をしのぐに過ぎない。六番隊に戦果出ない。雑兵を無傷で連れ帰ってもお館様はよろこばないのだった。
……昔のようにせいせいと単騎で駆け回らせてくれいッ……
召之助や熊五郎がそう叫びたくなる合戦が何度も続いてきたのだった。旧来の戦になじんだ二人は、すでにテッポ玉に倒れてしまった敵侍の首を掻っ切り、引き摺ずりl帰っても昔のように高揚した気持ちになれない。嘗てのような抑え難い出陣の武者震いもない。戦さと聞いて奮い立とうにも、何故か憂いの方が先に立つのだ。
……戰さが戰さでなくなつたのか、わしが侍でなくなつたのか……熊五郎はやはり寂しい。
第六テッポ隊の山崎召之助にも、かつての一騎当千の華々しさが次第に失せて来たように思える。テッポ中心である限り、やることは雑兵を守るために自らの命を危険にさらすことだけだ。張り合いがない。世の趨勢は古士たちを浜に残して引き下がる潮のようにも思えた。さしもの召之助にも、合戦の度に戦術に苦慮しているふうで、頭のてっぺんの禿げがひとまわり大きくなったのは兜で蒸されたせいだけではないのだ。
「ほウ、山崎殿もタバコをおやりなさるか」
熊五郎はこの頃になって気散じの煙草をたしなむようになっていたので、親しみを覚えて言った。
「あゝ、これがないことには気が落着かんでなア」
「ははは、ポルツガルまねびの煙なんぞ吐きおって、何が面白いかと思ふてゐたが、わしも今では手離せんようになつた」
「水野、お主もか、ははは」
「気苦労ばかりですなぁ、戦も……」
「時に水野よ、侍といふのは一体何であろうかの?」
「不意に何を申されるかと思えへば……」
「いや、なに... わしらは何のために戦うのかと思案しだすと答が見当たらぬのよ。戦さといふものは、一にも二にもお館様の駆け引きであらう?」
「さう言へなくもない」
「合戦前には大方勝ち負けは決してゐようが。その後を引継いだ死に物狂ひの舞台を戦さと呼ぶのであらうと、さう思ふておつたのよ」
「これは意外。武藝百般の山崎殿ともあらうお方が侍を木偶をどりのやうにお思ひとは」
「決められた筋をきつちりと舞ふのが侍よ。武藝と言ふ。これは戯れではないぞ」
「解せませぬな」
「唐突に過ぎたか。わからぬならそれでもよい。ま、聞け。戦さも今は変はり目じやな。少なくともこれまでの戦さはさうであつたから、侍は生きるもよし死ぬもよしで憂などありやうもなかつた」
「……」
「それがな……」
「それが?」
「テッポ戦さになつた。武力が物を言ふとの浅はかな考えが当たり前になつたからには、戦さはもはや侍の舞台ではない。わかるか、水野?」
「……」
「藝とは道じやな、水野」
「覚えておりまする。極めつくせぬがゆゑに道と言ふ、さうお教えくださりましたな」
「む。その道の先が掻き消されたたのよ、テッポにな。テッポにしきたりなんぞなかろう?」
「……ないでござりませうな。武士の道はしきたりの道……でしたな」
「昔を懐かしんでばかりもおれぬが、若い日を武士で過ごせたわしらはしあわせだつたと言へるのかも知れんなぁ」
二老人はさらに武芸錬磨に明け暮れた昔を懐かしんでひとしきり話し、どちらからともなくすっくと立った。互いの眼の中に決意の光を見ようと睨み合った。戦さが明朝の明け方と決まったのだ。
「さらば、山崎殿ッ、武運を祈り上げるッ。南無八幡……」
「む、おぬしもな」
熊五郎は屋敷に戻り、女房のあやめと恒例となつた出陣前の盃を交した。あやめは合戰の前夜には、どこからひねり出すのか尾頭つきの膳を整へ、めつたには飲めない酒を出した。熊五郎はあやめを前に飲む酒を好んだ。醉へば祝言のときの十七の初々しいあやめが現れるからであつた。が、この頃は一段と皺が深いやうだし鬢に白いものが混じつてきた。熊五郎は口にはできない。
……煤け女房にしてしまったな、扶持が少ないばかりに苦労をかけて……
「殿、山崎さまは今度もテッポ隊ですか」察しはついているだろうのにあやめは聞いた。
「うむ。あれだけのお人がの、世の流れよ。わしには殿の気が知れん。わしなどと違うて山崎殿はれつきとした弓馬の家柄であるといふのにな……」
「惜しいことですね、まこと」
熊五郎は戰場での山崎召之助を筆頭に味方武将たちの戰ひぶりをよくあやめに語り聞かせていた。戰い終へての數日は『まあ、それはみごとなもんじやつた』と、自分の手柄でもあるかのやうに、童子のやうに嬉々として話したものだ。それが今では周囲を見渡しても尊敬に価する武士は召之助をおいては誰もいなくなっていた。時の移るのは早い。
「あれでは腕の見せ場もない。あの腕をもつたいない。世が変わつたとしか言いやうあるまいな。なんとも無念じや。明日はせめて雑兵のテッポ玉にだけは当つてくれるなと氏神様に詣つてきたところだ……」
「それなら殿もお立場は山崎さまと同じではござりましょ」クスとあやめは笑った。
「こら、あのお方を朋輩のやうに呼んではならぬ。山崎殿がおられなんだら、わしとてお館様に目通りさえかなはなかつた。周囲はわしが山崎殿と親しくするのを武藝に感服してのことと思うてをるやうだが、なんの、やつぱり、お人柄よ、皆の眼が節穴じや、ははは」
……この酒と魚も山崎殿からの差し入れで、あやめは口止めされたにちがひない。あやめとて他の者からであれば辞退するくらいのことは心得たをなごだ。山崎殿は無言で言葉以上のことを伝へてくる。わしにできるのは禮も言はずに友誼に與るだけだ。が、それでよい…〉
「あやめ、同じに敵であつてもわしは斬られて死にたい。テッポ玉なんぞで死にたうはないぞッ」
「妾も武士の妻、覺悟は元よりできてをりまする。でも、なぜか女房のあり方もお義母上がお訓へくだされたときとは違うているやう思へてなりませぬ。どこがどうとは分かりかねますものの…。世の中が大きくうねり始めたのかと、女の妾にもさう思へるときがございます」
……妾も舊いと笑はれやう。しかし、殿が望むなら、望むやうに死なせてやりたい。つひぞ出世とは縁のなかつたお人だが、それくらゐの望みくらゐは叶へてやりたい… たとへ子供と殘されやうと……
あやめは口にはしないが、武士の誇りの何たるかを心得ている。出陣には『だうぞ心をきなく。ご武運を』とだけ言う。残されての子育てがあるのに、男児の本懐を遂げさせようと言うあやめは熊五郎には過ぎたおなごだ。
「山崎さまはお獨りなのでござりませう?」
「む、『係累が多ければ悲しむ者も多くなる』とな、さう笑つてをられた」
「ご養子はつひぞ取られませぬのか」
「お館様には内緒だが、山崎殿は言つてをられたのは…」
「なんと?」
「テッポが槍刀に取つて代はつたとは申せ合戰こそは時の運。やがてテッポも何かに取つて代はられる時が来やう、と。子があれば自分以上に、孫はその子以上に苦勞もすると、さう……」
「さやうに? 噂には近ごろ山崎さまはキリシタンにご執心とか……。それでお寂しくはないのでござりまするか」
「これ、あやめツ、滅多なことを申すなッ。さ、遅い。寝るぞ」
……この戰さで命を落としたところで、お館様から下賜されるものが果たしてどれほどか……
熊五郎のテッポ隊は先駆けの露払いだ。ひとりで暴れまわった昔は自分が死ぬなど微塵も思わなかったが、テッポ隊を預けられてからというもの、どの戦でも死んで不思議はないほど危ういことが続いている。思うように動いてくれぬテッポ隊のためにいつ死ぬかもわからない。そんな死に方で、お館様のために、いや、妻子のためにさえ死んだと言えようか。山崎殿は誰のために死ぬのだろう。お館様のためか?キリシタン・デウスのためか?
熊五郎は年がいってから授かった二人の子供の寝顔に見いっていた。やがて口を真一文字に結び、踵を返して寝所へ向かった。今度も直しきれなかった廂の隙間からは帯のような青白い月明かりが射し込んでいる。戰さはいつでも急だ。夜具に正座して膝に置いたあやめの手にも白い光は射していた。熊五郎は出陣の前夜というと、あやめと二人でどこかに旅立ちでもするかのようにその手を取って安心したように目を閉ぢるのだった。 (了)