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 とんとんと階段を下りてくる足音に、ナツは大量の洗濯物を入れた洗濯籠を抱えて顔を上げた。


「おう、隼人。アキはどうだ?」


「うん、よく寝てるよ。顔色はだいぶ良くなったし、もう少し休めば大丈夫だと思う」


「そっか」


 ほっとした表情で息を吐いたナツに、隼人は少し意地悪な様子で言う。


「ナツ……相変わらずのシスコンだね……。でもアキの夢に出てきたのは僕みたいだったから。残念だね」


 輝かしいほどの笑顔で挑発的な言葉を投げられたナツは、眉を寄せた嫌そうな表情を隠さない。


「隼人……言いたいことはそれだけか? 洗濯干すの手伝え」


 当たり前のように自分を使おうとするナツに、隼人は反論せずに苦笑して従う。


 この家の洗濯物はナツが取り仕切っている。なんでもハルに干させるとシャツやらズボンやらが皺くちゃになってしまい、アキもあんまり几帳面な性格ではないことから、後からいろいろ面倒くさいよりは、最初から全部自分でやってしまおうということらしい。今は夏休みだから理解できるが、学校がある時でも毎日ひとりで洗濯するのだから徹底している。

 そんなナツだが、隼人が休日に遊びに来ると必ず洗濯の手伝いをさせた。しかも隼人が来る日に限ってシーツなどの大物や、普段は洗わない様々なものを洗う。確信犯だと隼人もわかっていたが、几帳面なナツの御眼鏡にかなったのだと文句も言わずに手伝うことにしていた。

 変わらないテンポのナツとのやりとりに、隼人はくすりと笑ってナツの後に続いた。



 日向家の庭は、田舎だけあって広い。今は五人家族が住まう家屋も、実は広すぎて掃除が大変なのだが、家族全員そんなことは口に出さない。何しろこの家は、栄の父である四兄弟の祖父が、彼ら一家のために自ら設計図を引いて建てた家だからである。長年大工をやってきた祖父のこだわりで、外観は純日本建築、玄関は南向き。家の中も洋間より和室のほうが多く、もし不動産の広告に載っていても敬遠されるタイプだろうと思われる。だが、広く取られた台所や居間の畳の下に隠された掘りごたつ、大きく開いた縁側とそれに向かって広がる庭は、暮らす人の心地よさを考えた、祖父なりの心遣いだと家族は知っているし、頑丈に作られたこの家が大好きだ。


 庭は庭で、園芸好きな祖母が様々な木や花を植えたお陰で、一年中花や実がなるようになっている。圧巻なのは縁側の上に張り出すように造られた、藤棚ならぬキウイ棚で、鉄パイプで組まれた骨組みに、キウイフルーツの雌雄二本の木が絡み合うように伸びている。秋になれば熟した大量の実を収穫できるが、今は独特の丸い大きな葉が、太陽を浴びて更に成長せんと頑張っているお陰で、縁側はほどよく日光の遮られた快適な空間になっている。数年前に祖父が冗談半分で隣に植えた葡萄の木も、いまでは大きく成長してしまって、葡萄の葉もキウイの葉を押しのける勢いで勢力を広げている。

 

 縁側から向かって正面には一面の向日葵が黄色い元気な花を、左手にはサルスベリの大木が、赤い花をいっぱいに咲かせている。裏庭には柿の木、梅の木、グミの木、クランベリー、プラムなどが植わっており(何故みんな食べられる木なのかと、以前隼人はナツに聞いてみたが、ナツは笑って「さあね」と答えるだけだった)、とにかく木と花に囲まれた、小さな植物園のような庭なのだ。

 


 さて、そんな緑に囲まれた庭に出てきたナツと隼人の二人は、向日葵の前に直角にくの字を描くようにしつらえられた物干し竿に、洗濯物を干していく。

 五人分の洗濯物は普段からでも多いのに、夏は汗をかく分、余計に増えるから嫌になる。ただ強烈な日差しのおかげで、午後になるとからりと乾いていてくれるのは嬉しいと言うナツに、「それは主婦の感想だよね」と隼人は本音を漏らして、ナツに睨まれた。


 他愛もないことを言い合いながら洗濯物を干していたが、ふと途切れた会話の間でナツは、隣で黙々と手を動かしている隼人に目を遣った。


「隼人。お前、いつまでここに居られるんだ?」


 目を瞬かせてナツを見た隼人は、とたんに嫌そうな、苦い顔をして薄く笑った。


「ナツは直球で核心ついてくるから、嫌だよね」


 さっきまでとは全く別方向に振られた話題は、ナツが本当に聞きたかったことに違いない。さすが県内屈指の進学校で、学年でもトップクラスの頭脳だ。頭が回る。


 隼人がここにいること。それがかなりのイレギュラーであること。


 隼人の説明がどんなにファンタジックで信じられないことでも、ここに存在している以上、その上で大切なことを、ナツは見切っている。


「そうだね、大体……一週間くらいかな」


 吐息に乗せるように小さく囁いた隼人を、ナツはじっと見つめる。


「雲じいのぎっくり腰が治るまで、だから、長くてもその位だろうね。天界の時間はこっちの時間よりだいぶゆっくり流れるけど、それでも……」


「そか。わかった。お前、ウチに泊まるんだろ? 布団用意してやるからさ」


 ただ夏休みに泊りにきた友達に言うような台詞をナツは言って、洗濯干しを再開した。

 それ以上、何も言わず何も聞かないナツに、隼人は相好を崩してぽつりと呟く。


「やっぱり、ナツはいいよね」


 自分にはもったいないくらいのいい友達だと、隼人は素直な気持ちで言う。そんな隼人にナツはぷいとそっぽを向いて顔を隠した。


「ふん、ナツ様だからな!」


 表情は見えないが、耳が赤くなっているのを隼人は見逃さなかった。これだからナツはいい。可愛いと言ったら怒るから言わないけれども。

 

 東から射す午前の太陽は、仲良く洗濯物を干す青年達を焦がすように勢いづく。それぞれの胸に秘めた想いをそのままに、時間はじっとりと過ぎていった。






 洗濯物を干し終えた二人は、家の中に戻った。日差しに当てられ、少しひりつく頬を撫でながら、ナツが台所へ向かうと、風呂掃除と一階の部屋掃除を済ませたハルが、居間で新聞を広げて茶を飲んでいた。


「ハル兄、今日はバイトないの?」


 ナツが台所から声をかける。二つのコップと麦茶の入ったポットを持って居間にきて、そしてはっと立ち止まる。


「あ、麦茶も飲めないんだっけ」


 自分を見てちょっと気まずそうにしたナツに、隼人はその行動の中のナツの自然な優しさに微笑む。


「うーん、飲んで排泄できなくなっても困るしね」


 「飲んでもいいけどその後どうなるんだろう?」 と、お腹をさすりながらさらりと言った隼人に、ハルが飲んでいた麦茶を噴き出した。


「ちょ、隼人! おま、そんなこと言うなよ!」


 口からだらりと雫を垂らした情けない表情のハルに、隼人もナツも笑った。笑われたハルは、口元を拭きつつ元凶を作ったふたりを睨み付けた。


「ちくしょー。……今日は休みだ。お前は、ナツ?」


「あはは、ハル兄サイコー。……えっと俺は午後から。じゃあ今日の夕飯お願いね。俺は要らないからさ」


 立ったままとぽとぽと麦茶をコップに注いで、ナツはすぐに飲み干した。そして二杯目を注ぎながら台所へ引き返す。冷蔵庫に麦茶をしまい、再び戻ってきたナツは、ハルの隣に腰を下ろして言った。


「ハル兄、今日はアキも食べられるようになったみたいだし、カレーとかでいいかもね。ああ、でもスパイスが胃に良くないかなぁ?」


「そうだなぁ、どっちかって言うとカレーよりグラタンとかの方が優しい感じしないか? アキの好物だし」


「ハル兄グラタンなんて作れるの? 今日はハル兄が作るんだよ? ってか夏にグラタンって」


「あ、そっか、そうだったな。んじゃ、他にアキの好きなもので……」


 くすくすと笑い声が聞こえてハルとナツはそちらを向いた。言わずもがな隼人が、本日の夕飯に関する兄弟討論を見て笑っているのだった。


「ホントにアキ大好きだよね、ふたりって。微笑ましいってこういうことだよね、きっと」


 その言葉に仲良し兄弟は、ちょっとばつが悪そうに顔を見合わせ、そして一瞬の後開き直った。


「ま、否定はしないな。何しろアキは超絶可愛いからな! 自慢の妹だ!!」


「正直アキ以上に可愛い女の子に会ったことないもんね、俺。けど身内の贔屓目じゃないんだからショウガナイよね」


 真顔で言い切った妹バカふたりに、隼人はさらに声を上げて笑う。苦しそうに大笑いする隼人に、ハルはやはり真顔で言った。


「そんなアキ大好きな俺たちだけどな。お前だって人のこと言えないだろ」


 ふいに真剣に投げられた言葉に隼人は笑うのをやめた。ハルの顔をじっと見つめる。


「……死んでから天使になって、恋人のところへ来た奴の話なんて聞いたことないよ」


 それが自分に対するハルなりの賛辞だと、隼人は受け取った。


「はは、そうだね。……ありがとう、ハルさん」


 曇りのない笑顔とともに言われた「ありがとう」に、ハルもナツも苦笑した。最愛の妹の心を奪った男であるのに、憎めないのは自分たちの性格か、隼人の人柄か。

 アキを見てくる、と二階へ上がっていった隼人を見送ったふたりはどちらからともなくため息をついた。


「あいつの葬式で泣いたのが嘘みたいだな」


 複雑な表情で新聞をたたんだハルに、ナツがやはり複雑な表情で言った。


「……一週間くらいだって、ハル兄。あいつ、どうするつもりなのかな……?」


 和やかな空気の中で忘れそうになるが、隼人が死んだことはどうしようもない事実であって、覆すことはできない。飲んだり食べたりできないことを除いて、生きているのと変わらない隼人の姿は、錯覚を起こさせる。それがアキの心にどんな影響を及ぼすのかと、ナツは心配していた。


 アキの恋人である以前に、隼人は自分の親友である。自分の考えうる最悪の結果になってしまったら、絶対ぶん殴ってやる、と心に決めて、ナツは微妙にぬるくなった麦茶を飲み干した。


「一週間……か」


 ハルが呟いて、居間は重い沈黙に支配された。そこに日向家本来の天使がぱたぱたと走って来た。


「ハルちゃーん、ぼく宿題終わったよー」


 いままで部屋に篭っておとなしく宿題をやっていたフユが、終わって嬉しそうに一階に下りてきたのだ。手にはプールバッグを持っている。


「今日学校のプールの日だから、僕行ってくるねー」


「おー、隣の晶子と一緒か? 気を付けて行くんだぞ」


 小学校五年生なのに自分でスケジュール管理ができるのはすごいと兄ふたりは感心し、エンジェルスマイルを浮かべた愛らしい弟を送り出す。

 玄関で揃って手を振って、弟の小柄な後姿を見送ると、長兄と次兄はまた揃ってため息をついた。


「しっかり育ってくれたのは助かるけど、やっぱりちょっと気の毒っていうか……」


「うん、あんまりしっかりされると逆にな。気丈さに、泣けてくるって感じだな……」


 ふたりは自然と仏壇を眺めていた。今まで日常、特に意識することもなく過ごしていたが、隼人が現れたことで、無意識のうちに気にかかったようだ。写真の中、色褪せることのない、笑顔。


「母さん亡くなって、もう七年か」


「七年……か。時間っていうのは、容赦ないよな」


ハルは大好きな向日葵に囲まれて笑う、美しい母親の写真を見つめ、そして呟く。


「母さん、天国にいるのかな」


 ナツは無言で、何かを考えているようだ。

 仏壇に置かれた母親の遺影は、静かに兄弟を見つめる。ハルはそのまま、母親と過ごした幼い日々の記憶に、久方ぶりに思いを馳せ、目をつぶった。




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