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19

クライマックス突入です。

 


 おっちょこちょいで不器用で鈍感な私は、他人の痛みにも気がつかない。

 自分のことに精一杯で、誰かが泣いている声も耳には入らない。そうやってぼーっと生きて、手のひらから零れ落ちて初めて、ようやく気づく。


 きみも、泣いていたんだね。


泣き虫な私はすぐに泣いてしまうけど、きみが静かに心の中で流す涙に、ずっと気づかなかった。家族が当たり前に笑う家で、一緒になって笑うきみが、本当の家に帰ったときに、どんな気分になるのかなんて、考えもしなかった。

きみが時々ふっと寂しそうな顔をするの、知っていたの。……知っていたのに。


 奇跡が、私の身の上に降ったこと、感謝してもしたりない。きみが、私の為に起こしてくれた奇跡。鈍くて、肝心なことに気づかない私に、みんなが教えてくれた。


 ―ありがとう、私に出会ってくれて。私に、会いに来てくれて。

 











 息を切らせて庭に走りこんできたアキを、洗濯物を干していたハルが出迎えた。


「アキ? ど、どうした? そんなに汗だくで……。今、水持ってきてやるから!」


 息の整わない妹を心配し、ハルは家の中に駆け込んだ。


 緑に囲まれた庭、干しかけの洗濯物。強い日差しの下、いつもと同じように、緩やかな風に揺れる向日葵。手で汗を拭って大きく息をついたアキは、どうしようもない震えを感じ、両手で自分自身を抱きしめた。


 ……来る、もうすぐ。


 息も整わないままそう思った次の瞬間、空気がきつく萎むように歪み、一瞬の後でアキの眼前に現れた。


「はーいアキ。お久しぶり。お母さんよー。」


 ニコニコと手を振る母、葵が真っ先に声を上げた。アキはまさかの展開に声も出せずに立ち尽くす。ずっと前に死別した母。隼人が天使になって再び現れたのだから、母が現れてもおかしくはないが、でも今現れるなんて予想もしていなかった。

 微笑む母の笑顔は、仏壇に飾られた写真と同じ。いつまでも若々しいその美貌。


「ちょっと葵さん! これ解いてくださいよ! 僕は逃げませんって!」


 もごもごとくぐもった隼人の声に気づき、アキは視線を葵の足元へ下ろした。そこにはロープでぐるぐる巻きになった隼人がいた。何故か口元までロープが巻かれ、苦しそうにもがく隼人。

 何がなにやらよく分からず、ぽかんとするアキの前で、鼻から上と足の先しか出ていない状態の隼人の頬をつつきながら、アレックスがにやにやと笑っている。


「ふふーん、そんなコト言っても信用されないよー、ハヤト。あれだけ暴れたらこの処置だってシカタナイよーぅ」




「……何、この光景」


 嫌そうに突っ込みをいれたのは、台所から麦茶のポットとコップを持って戻ってきたハルだった。


 ハルの眼前にあるのは、死んだ当時の記憶のまま若い母と、その手に持たれたロープによって簀巻きにされて倒れこんでいる隼人。そしてその隣にしゃがみこんだ金髪の美少年天使だった。アキは少し離れたところで口を開けて放心している。


「っつーか何で母さんが?」


 分かるようで分からない、理解し難い光景に、暑さの為ではない嫌な汗が額から流れ落ちハルは渋い顔で呟いた。


「やーだ、ハル。こんなにおっきくなっちゃったの? お父さん追い越してるんじゃない?」


 いつの間にかハルの目の前までやってきていた葵が、背伸びをしてハルの頭に手をやった。ハルは今自分が見ているものをもう一度確認しようと、目を擦った。


「……母さん、聞いていい?」


「なあに? 何でもどうぞ?」


「その背中の羽は……何?」


 瞬きを繰り返しても、目を擦ってもやっぱり見える純白の翼。しかも隼人のように一対ではない。三対、合計六枚の翼が葵の背にあった。


「やーだ気づいちゃった? うふふー」


 にこにこと笑う母親に、ハルは思わず突っ込みを入れた。


「いや、気づかない方がおかしいから。……ってそうじゃなく」


「……あおいっ!」


 ハルの言葉を遮る、大きな声が響いた。この家で葵を呼び捨てにする人間はただ一人。


 先ほどのアキ以上にぜーはーと息を切らし肩を上下する栄は、汗だくで疲労困憊と言っていい様相だった。にもかかわらず、俊敏な動きで庭を横断し、次の瞬間にはがばりと葵を抱きしめていた。


「ちょっと! その汗どうにかして!」


 何十年ぶりに再会した連れ合いに対する第一声にしてはひどすぎる葵の非難の声も、栄には聞こえないようだ。全身で抱きしめるその力に、葵はふっと息を漏らした。


「……締めすぎよ、痛いわ」


「……葵……」


「ん……ただいま」


 葵は抱きしめられたまま腕を伸ばして栄の背中を撫で始め、その場は一瞬にして甘い空気になってしまった。いくつもの視線を集めているにも関わらず、全く空気を読むつもりのない恥ずかしい両親をハルは複雑な表情で眺めた。


「ここでおれがおーいとか言っても、絶対聞こえないんだろうなぁ……」


 諦めの気持ちで遠い目になったハルは、先ほどまで近くにいたはずのアキがいないことに気づいた。


「あれ、アキ?」


 きょろ、と見渡せば探すまでもなく、ロープでぐるぐるの隼人を解放すべく、うんうん唸って必死で引っ張っているところだった。

 金髪天使が隣で野次を飛ばしているのを尻目に懸命な妹を手伝おうと、ハルはそちらへ移動した。どちらにせよ両親の周りで漂っているピンク色の空気に当てられて居心地が悪かったのだ。


 一歩歩き出したハルは、隼人に巻きついているロープの端が、母親の手に握られているのに気がついた。アキがあちこちを引っ張っているのにも関わらず、まるで意思があるかのように元に戻ってしまう全く解けない不思議なロープ。

 自力で立つことも出来ず地面で芋虫状態の隼人を見、六枚もの翼を背負った母を見、少し思案した後、ハルは母親の手元から、ぐいっとロープを抜き取った。


「あー、ハル、余計なことを!」


 葵が声を出した時、隼人の体にきっちり巻きついていたロープが、まるで意思を持っているかのようにしゅるしゅると動いて解け、更に蛇のようにとぐろを巻いて一箇所に丸まった。

 不思議なロープからようやく開放された隼人は、座り込んだまま体のあちこちをさすった。


「あーようやく解放された。ありがとう、ハルさん。……アキも」


 血が通う人間ならそこここが赤くうっ血しているだろう箇所を探りながら、隼人は礼を言った。全く痛くはなかったが、自力で動けないのはつらい。じたばたもがく隼人を笑いながら見ていたアレックスは、簡単にロープの解き方を見破ったハルに彼なりの賞賛の感想を述べた。


「あはは、よく分かったねぇ、そのロープの仕組み! ふふ、やっぱりバカ女はバカ女だねー」


 アレックスが自分を見て本当に馬鹿にするように笑うのを、アキは口を尖らせて睨んだ。そんなアレックスの発言を、シスコンのハルが見逃すわけもなく。


「おい、コラ、人の妹に向かってバカ女とはなんだ、小僧」


 ハルの大きな拳が、アレックスの美しく輝く金の髪にどかんと落ちた。


「痛い! ああ、もう、実体で来るんじゃなかった!」


 頭を両手で押さえながら涙目になって言うアレックスを、アキも隼人もいい気味だ、と内心で思った。そこでアキはふと首を傾げた。


「……アレックス、一昨日来たときは半透明じゃなかった?」


 壁に寄りかかったり椅子に座っていたりはしたが、彼はずっと半透明で、体が透けて後ろが見えていたのだ。


「今日はアレックスも<天使の器>使ってるんだ。短時間なら正天使になってしまうこともないし、せっかくだからって」


 アキの疑問に答えたのは隼人だった。そして隼人も、半透明でないということは、未だに<天使の器>を使っているということを意味していた。もうすぐ融合してしまうからと強制送還されたというのに。



「……大丈夫……なの?」


 隼人の隣にしゃがみこんだアキは、その腕に触れつつ、心配そうに呟いた。アキの言いたいことを汲み取って、隼人はふっと視線を逸らした。


「いいんだ、僕は、もう……」


「あらあら、何を言うつもり?」


 いつの間にか栄と並んで縁側に腰掛けていた葵の声が響いた。軽い口調ではあったが、鋭い空気を孕んだ葵の声に、隼人はぎくりとした。


「もー、だからロープで逃げられないようにしておいたのに。ハルったら妙なところで頭働くんだから。さすが私の息子」


 最後は自画自賛の台詞だったが、葵は気にせず先を続けた。


「……で? 隼人君。あなた私と約束したよね? 正天使にならずに帰るって。だから連れてきたのに、まだ諦めてないわけ?」


 この場に登場してからこれまで、呆れるほどに気の抜けた雰囲気を演出してきた葵であったが、急にがらりとその空気を変えた。真剣な表情と奇妙なプレッシャーが、場に緊張をもたらす。

 葵から顔を背けて黙ってしまった隼人の態度は、葵の言葉通りまだ諦めきれない想いを物語っていた。


「まだ分かってないみたいだから改めて言うけど」


 葵はばさりと重そうな翼を揺らし、立ち上がった。


「こうして三人ここへ来たのは、隼人、あなたがアキに最後のさよならを言いたいっていう我侭を叶えるため、そうよね? そして私は言った。絶対に、あなたを正天使にはしない。だからあなたがここから逃げないようにわざわざ付いてきたの。……正天使としての私に戻って」


「え……」


 さく、と土を踏んで目の前まで歩いてきた葵を、隼人とアキは仰ぐように見上げた。その威圧感。背中で風に揺れる六枚もの翼が、大きな影をつくっている。とんでもない母の告白に、アキは驚いて言葉を失った。


「え、母さんって天使……だったの……か?」


 先ほどからの疑問を素直に口にしたのはハルだ。そして無意識に、父親の方を見遣った。


 栄は縁側に静かに座ったまま、アキ達がいる方を見つめていた。ハルに見られていることに気づくと、ふっと口元を緩め、何もかもを許しているように、笑った。その笑顔を見てハルは理解した。父さんは、知っていたのだ、と。


「私は生粋の天使なの。<天使の器>で創られたものではなくてね。まぁ生粋だろうが大抵は感情を持たない人形みたいなものなのよ、天使って」


 しゃがみこんだアキと隼人を見下ろす格好で、葵は話し始めた。アレックスすら緑の瞳を大きく開けてぽかんと話に聞き入っている。


「ところが私は生まれたときから感情も人格も意思も、全て人間と同じように持っていた。要するに異端児よね。……省略して話すけど、いろいろあって天界を出て、あんた達のお父さんに会って、結婚して、あんた達が生まれて、で、死んで」


 身振り手振りを交えながら、何十年か分の物語を一掴みにまとめて話すと、葵はひとつため息をついた。


「どうも環境が合わなかったみたいで、天使の体は長く持たなかった。でも死んだって言っても元々この世界の生き物じゃない。体はすっごく弱ってたけど、火葬場の火力くらいじゃ燃えないのよ。……だけどここに留まることは出来なかった。だから体と力を隠して天国で暮らしてたの。天界には行きたくなかったから。すっごく嫌なところなのよ、あそこ」


 何か嫌な思い出を思い出したかのように葵は眉を顰めた。緑と黄色の向日葵が、内緒話をするようにざわりと風に揺れる。


「正天使……しかも半端に力を持った“大天使”だってことが知られると天界に連れ戻されちゃうでしょ。だから今までずーっと出来るだけ見つからないように天国に隠れてたのよ。……でも、あなたが来た」


 葵の澄んだ瞳が、隼人をまっすぐに見つめた。もうそこには先ほどの圧力も、意地悪さも含まれてはいなかった。この話を聞かされてはいなかったのだろう、戸惑いつつも隼人は黙ってその視線を受け止めた。


「あなたは、私の息子同然だと思ってる。そりゃ生きてるときには会えなかったけど、アキの恋人だもん、そのうちホントの息子になったらなって思ってたの。……けどあなたは死んで私の前に現れた。だから助けたかった。あなたがせめて天国で幸せに暮らせるようにって」


 優しいぬくもりに包みこまれているような、そんな感覚に隼人は泣きそうになった。


 葵がそんなことを考えていたなんて、今まで知らなかった。思いも寄らなかった。自分のことを大切に思ってくれていることは確かに感じていたが、まさか息子だと、思ってくれていたなんて。


「それなのにあなたったら、正天使になるとか言い出して! 二度と転生できないって言ってるのに、妙に頑固だから、力使わずにいられなかった! 強制送還とか、悪いと思ったけど、なりふり構っていられなかった」


 葵の口調がどんどん荒くなっていく。息も上がって泣きそうな顔になっている。


「もう天界に連れ戻されたって仕方ないって、私の存在で、あなたが正天使にならずに済むなら……だからこうして体も元に戻した……。全部、あなたを守りたくて……」


 涙は見せていないものの、葵の顔は真っ赤に染まっていた。怒りとか、悲しみとか、悔しさとか様々な感情を超えてただ、照れているんだなと、ハルは思った。


「……こんなに大切に想われてるのに気づきなさいよ! もう……バカなこと言わないでよっ……」


 隼人は唇をかみ締めて何かを堪えているようだったが、その瞳から抑えようのない感情が、一筋の線を描いて零れ落ちた。 


 最後の言葉を振り絞るようにして吐き出した葵は、真っ赤な顔を隠すように両手で覆ってしまった。肩を震わす葵にいつの間にか近くに来ていた栄が寄り添う。労わるような、慈しむような瞳でしばらく妻を見つめていたが、その視線を、そっとアキに移した。

 未だしゃがみこんだまま、声も出さずに涙を流す隼人の隣で、隼人の背中をさすっていたアキは、父親の視線に気づき、それが意味することを理解した。


「ね、隼人……私の話も、聞いてくれる?」


 耳元で囁くように呟かれたアキの言葉に、隼人はゆっくりと顔を上げた。涙で真っ赤に濡れた瞳で、こくりと頷く。





 母の話を聞きながらじっと様子を見守っていたハルは、よろりと数歩歩くと気が抜けたように縁側に腰を下ろした。


「……なんだかなぁ」


 ぼそっと呟いて苦笑すると、こちらを見つめるアレックスの視線に気がついた。紹介されてはいなかったが、彼がナツ言うところの金髪天使だとハルは納得した。確かに金の短髪が太陽に煌めいて綺麗だし、生意気そうな顔つきはナツとは馬が合いそうにない。


 アレックスは両腕を組んだまま居心地悪そうにひとつため息をついて、ハルに向けて言った。何だか不貞腐れたような、馬鹿にするような表情だったが、どこか羨ましそうに。


「……ほんっと、不器用なヒトたちだよねぇ……」


 全く同感だ、と言わんばかりにハルは大きく頷いて、また庭に佇む四人を見つめ笑った。




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