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 天国の片隅。陽だまりと向日葵に埋もれるように立つ小さな家の中。

 隼人が去り、後に残された葵は、空になったカップを見つめ大きな独り言を呟いた。


「あーあ、誰かしら? あの子に余計なことを吹き込んだのは?」


 誰もいないというのに返事を期待するその言葉には、やはり反応はなかった。葵は一瞬眉を寄せた後で、部屋の隅をじっと見つめた。すると。


「……いやはや、それも運命じゃよ」


 独特の声と共に空間を揺らして白い髭がふわりと現れた。


 いたずらがバレた時の子供のような顔をして頭を掻く老人に、葵はこれ見よがしなため息をついた。部屋の隅に現れた小さな老人は、自慢の白髭を撫でながら何事もなかったように我が物顔でテーブルに近づく。そしてテーブルを挟んで葵の目の前の椅子に腰掛けながら「茶!」と言った。


「ったくふざけんじゃないわよ、じじい! どこがぎっくり腰なのよっ。飲みたきゃ勝手に淹れるのね!」


 それまでじっと老人の行動を見ていた葵だったが、さすがに我慢しきれなかった苛立ちを言葉にして指を鳴らすと、まるで魔法のように空間からティーカップが現れ、老人の前にちょこんと座った。だがそれを見た老人は、なにやら困った顔をした。


「わし、今日は実体で来たからのー、これじゃ飲めんわい」


 確かにしわしわの小さな手は、目の前のカップを掴めずにすり抜けた。その様子に更に苛立ちを深めた葵は、思わずテーブルを叩いて立ち上がった。


「ちょっと、雲じい! まさかあの子を正天使にするつもりじゃないでしょうね! 回りくどくあの子の意思みたいにしてるけど! 完全に神の都合のいいようになってるとしか思えないわ!」


「おおこわっ! これ、テーブルがかわいそうじゃぞ、叩かれるのは今日何度目かの」


 葵の怒りをまるっきり無視して、さすさすと労わる様にテーブルを撫で始めた雲じいに、葵は呆れてどさりと椅子に座り直した。そして髪をがしがしと掻きながら、じとりとした目線を雲じいに遣った。


「……で?」


「……」


 心に疚しいことがあるといわんばかりに、さっと視線を逸らした雲じいは、誤魔化すようにティーカップに手を伸ばす。先ほど持てなかったカップは何事もなくその手に収まり、いつの間に淹れたのか温かい紅茶が湯気を立てていた。ふーふーと息を吹きかけ冷ましながら、一口こくりと飲んだ後、無言の圧力に負けたのだろう、しぶしぶ口を開いた。


「……上に目を付けられておる。人手不足なのはおぬしも知っておろう?」


「だからって、なんであの子が?」


「適正があるのじゃ、この上なく。こればっかりはどうにもならん」


 小さな暖かい部屋に、ふたりの会話が静かに響く。葵のティーカップからも、再び温かい湯気が立ち、一見穏やかなティータイムだ。だが剣呑さが滲んだ二人の顔は、ものすごく渋いお茶を飲んでいるかのように、刻一刻とだんだん険しくなっていった。


「……それってあたしの、せい?」


 まるで怯えているかのように葵が呟いた。

 雲じいは泣き笑いの表情になった。


「……嘘は言えんね。……それもある」


 その言葉を聞いた瞬間、葵は両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏した。


「だから……、だから正天使になんて、なってほしくないのよ……」


 涙の滲んだ声で葵は小さく呟いた。何もかもを分かっているかのような優しい表情で、雲じいはお茶を一口啜った。


「……それも含めて、彼の運命じゃから。すでに起こってしまったことに対して、わしらが出来ることは少ない。じゃが……」


 途切れた言葉に、訝しげに葵は顔を上げた。雲じいの視線は、先ほどの隼人と同じように、葵の背後の窓から、一面に咲く向日葵に向けられていた。


「……孤独な魂は、恐れる。ここに居れば居るほど、自分が消えてしまうかもしれぬという恐怖は強まるじゃろう。自分ではどうにも出来ないならなおさらじゃ。……おぬしにも覚えがあろう?」


 問われて葵の脳裏に苦い記憶が蘇った。自分ではどうすることも出来ない、もどかしさや辛さ。あの子が負っているモノの、不安定さと儚さを思えば、今の選択も理解できる。理解はできるが……。


 葵はぐだっとテーブルの上に頭を乗せ、考えこんでいる様子だったが、しばらくしてゆっくりと立ち上がった。


「……何とかするわ。あの子を正天使にはしないし、消させもしない」


 それはまるで、何か大切なことを宣誓するかのように、静かに、厳かに響いた。


 ゆっくりと瞬いた瞳には、先ほどまでは影を潜めていた輝きが戻り、溢れんばかりの力を放ち始めた。そうかそうか良かったと、満足げにうなずき静かに茶を啜った雲じいをじろりと見下ろし、葵は高圧的に言い放った。


「じじい、アンタにも手伝ってもらうわよ!」


 外野にいたはずなのに、いきなりピッチャーに指名された雲じいは文字通り椅子から飛び上がって驚いた。


「はぁー? わしも?」


「何そんなに驚いてるのよ! ある意味共犯でしょ、既に! 大体手伝うつもりがないならわざわざここへ来る意味もないでしょうが! いい年だからってボケてんじゃないわよ!」





 がやがやと賑わい始めた室内に対し、庭を吹きぬける静かな風は、優しく隼人のほほを撫でていった。


 外壁に寄りかかるように窓の下に蹲っていた彼は、埋もれそうな程咲き誇る向日葵を前に、泣きそうなほっとしたような表情を浮かべていた。

 自分を想ってくれる、その優しさに涙が零れそうになり、慌てて目頭を押さえた。


「葵さんって雲じいの前ではすっごく態度悪いんだな。というよりあの二人って知り合いだったんだ、知らなかった」


 涙を誤魔化すように苦笑して呟き、ごしごしと顔を擦った。もう既にバレているのだろうけど、顔を合わせるのも気まずいと、隼人は適当な場所まで四つんばいで移動した。そして生えたばかりでいくらも経っていない純白の双翼を広げ、今度こそ陽だまりの家を後にした。










「だーかーらーねー、正天使になっちゃうと、ボクも困るワケ! だってボクの唯一のシンユウなんだよ、ハヤトは。ハヤトがいなくなっちゃたら、ツマンナイでしょー?」


 アメリカ人と思しき金髪の少年、アレックスの辞書に遠慮という文字はないらしい。

 

 隼人が話し始めたのにも関わらず、途中からやはり口を挟みだし、最終的にはアレックスが一人で話を続けていた。……その話は、自分がいかに隼人と仲がいいか、そして隼人との天界での楽しい暮らしについてなどが主だった。

 最初は話の軌道を修正するのに躍起になっていた隼人も、途中から諦めたようにアレックスに話をさせていた。アキはといえば、目をぱちくりさせて、わけもわからずアレックスの話を聞いていた。アキが聞き上手なのもアレックスが調子に乗った一因であったに違いない。


「あーはいはい、アレックス。その話は分かったよ。だけど今話したい一番の問題は……」


「このままここに居続けると、ハヤトはすぐに<天使の(うつわ)>と完全融合しちゃうっていう問題だよ」


 何とか自分の話を切り上げて、再び軌道修正しようとした隼人に、アレックスは口を尖らせて言った。


「別にボクはそこまでバカじゃないよ。ボクよりバカなのは、ハヤト、キミだよ。いくら居心地がいいからって、ずっと天界に帰らないなんて、この状態では自殺行為さ。……ボクたちもう死んでるとかいうツッコミはいらないよ」


 こほん、とわざとらしく咳払いをして、アレックスは続けた。


「キミがこっちに来てから、思ってた以上に融合の進行が早まってる。なんでだか分かる? キミ自身が、そう望んでいるからさ。もうこのまま正天使になっちゃおうって。だけどそれって約束違反でしょ? ボクとも約束したし、あのオバサンとも約束した。正天使にならないうちに戻るって」


 意思の篭った大きな緑の瞳に見つめられ、隼人はたじろいだ。後ろめたさは、確かにある。


「キミがどんなに望もうとも、ボクらはそれを阻止するよ。オバサンも言ってたろ? どんな手を使ってでも連れ戻すって」


 いつの間にかアレックスは、隼人の近くまでにじり寄っていた。全身から発せられる圧力に、隼人は思わず目を逸らした。


「あ、あの……。隼人が正天使になることは、そんなに悪い……事なんでしょうか?」


 隼人の隣に座り込んだアキが、控えめに声を出した。隼人がそんなにも望むことならば、叶えてやってもいいのではないか、とアキは思ったからだ。どうもアレックスの勢いに負けてしまうが、隼人のことなのだ、アキにだって発言権はある。

 しかしそんなアキの一言は、アレックスをより激怒させた。


「アンタ、ボクの話聞いてた? <正天使>って聞こえはいいけど、実際天界では、『魂の流刑(るけい)』って呼ばれてるんだよ? 本来<天使の器>は、癒しようのない、傷の治らない、もう転生できない魂を、天使に創り変えるために作られた道具。ハヤトみたいな立派でキレイな魂を、何が楽しくて正天使にしなきゃならないワケ?」


 アレックスの勢いとその内容は、アキを閉口させるのに十分だった。口をぱくぱくさせて結局何も言えないアキを見て、アレックスはわざとらしく大きなため息をついた。


「ハヤト、キミだって何も反論しないのは、迷いがあるからだろう?」


 一転、穏やかな調子になって向けられた言葉に、隼人は顔を背けたまま、沈黙を守った。


「……だったら悪いコトは言わない、とにかく天界へ帰るんだ。もし今のままでここに居れば、あと一日そこらで限界になっちゃう。天界に帰れば、融合の進行は抑えられる。時間の進み方が違うから。キミも分かってるだろう?」


「でも僕は帰れない……! アキを置いて帰るわけにはいかないんだ」


 強い意志を持って発せられたその隼人の言葉に、アキは屋根の上で交わした約束を思い出した。私が、望むなら……。

 アキが口を開こうとしたその時、アレックスがそれを遮った。


「置いて帰れない? この女を?」


 自分をきつく睨みつける瞳に、アキはたじろいだ。見慣れない緑の瞳が、語っている。『余計なことを言うな』、と。


 ―一体、何を言おうとしたの?


 はっきり言って、アキ自身にもよく分かっていなかった。


 帰って?

 帰らないで?


 私の我侭のために隼人は自分を犠牲にしようとしている。それだけは分かる。


 ―でも、どうしたらいいの?

 ……帰らないでほしい、でも帰らなければ隼人は。


 ふいに、涙がぽろりと落ちて、アキは自分がどうしようもなく追い詰められていることを知った。今の自分に、隼人にかけられる言葉など、ない。


「あーあ、ボク自分勝手なヒトってきらーい。ねぇ、今一番泣きたいのってハヤトだと思わない?」


 アレックスは呆れたようにアキを見てそう言った。

 アレックスにどう思われようと、アキに自分の涙を止めるすべはなかった。止まれ、と思っても、勝手に流れ落ちる涙は全く言うことを聞かない。かえって余計に溢れ出してしまう涙に、アキはとうとう降参して顔を覆った。その直後、温かいものに、アキの体は包まれた。


「アレックス、違うんだ。正天使になろうとするのは僕の意思だ。アキのせいじゃない」


 いつの間にか隼人がアキを抱きしめていた。ほんのりとしたぬくもりに思わずほっとしたのも束の間、アキはその異常に気が付いた。


 隼人の身体が、熱を持っている。


 ほんの三日前までは、一切の温度を持たない、ただの人型だったはずの隼人の身体。今は一般的な平熱までには届かないものの、ぬくもりを感じられるほどには温かくなっているのだ。


「僕の親友だっていうのは認めるけど、アレックス。あんまりアキをいじめないでくれ。すべて僕の意思なんだ」


「キミの意思だとしてもだよ? ありえないでしょ? このままずっとここに残ることが出来るなんて、ホンキで思ってるの?」


 頭の上で始まった二人のやりとりも、アキの耳には入らない。ああ、そういえば、さっき少しだけど汗をかいたって言ってた……。

 髪を撫でてくれる隼人の指の感触が、身体から伝わるぬくもりが、アキに決断を促す。このままでは、隼人は本当に正天使になってしまう。意思を持たない人形に、二度とこの世界に生まれ出でない永遠に封じられた魂に……


 ―帰さなくちゃ。


 そう思ったとたん、アキの体はびくりと強張り、瞳からは更に大粒の涙が零れた。その雫がほほを伝い、アキを抱きしめる隼人の肩を濡らした。


「アキ?」


 アキの微妙な変化に気づいた隼人は、アキの顔を見つめた。顔を俯かせたのアキは、目を見開いたまま、何か訴えようと必死に言葉を搾り出そうとするように唇を動かしていた。


「……アキ?」


 いぶかしんでアキの顔を覗き込もうとする隼人を、アレックスが肩を掴んで止めた。


「アレックス? 何を……」


「タイム・オーバーだよ、ハヤト」


 アレックスの声も表情も、事実だけを伝えようとする無感情なものだった。


 顔だけをアレックスのほうに向けて疑問をぶつけようとした隼人の手を掴み、アレックスは自分の持っていた一輪の向日葵を無理矢理隼人に持たせた。実体がなく、透けていたはずの向日葵は、なぜか隼人の手にしっかりと掴まれた。

 手にした向日葵を見たとき、隼人は目を見開いてアレックスを見、口を開けて何か言おうとした。しかしその直後、素早い動作でアキに視線を戻し、アキの肩に置いた手に力を加えた。

 アキが不審に思い顔を上げた一瞬だった。隼人の声にならない声が零れ落ちる直前だった。

 

 その瞬間、隼人は消えた。


「……は…や……と……?」


 隼人は消えた。

 アキの左肩に小さな温もりだけを残して。



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