一
農繁期の停戦が布告された日、神界の空気が変わった。
戦の気配が遠のくと、女神たちの間にはある種の浮き足立った緊張感が満ちる。年に一度のフェス――人間界の各地で同時多発的に催される大祭典。人々は武器を置き、代わりにお守りとグッズを手に取り、祈りを捧げる。女神にとっては信仰ポイントを大量獲得できる最大のチャンスであり、同時に、一年の成果が残酷なまでに数字として可視化される日でもあった。
「というわけで」
ズーPはスピカの前にスマホの画面を突きつけた。画面には信仰ポイントのランキング表が映し出されている。スピカの名前は――下から数えたほうが早い位置にあった。
「お前の現状はこれだ。信者三人。信仰ポイントはフェスの出店料を払ったらほぼゼロになる。普通にやったら会場の端っこで誰にも見向きもされずに終わる」
「う……うぅ……」
スピカは目に涙を溜めた。溜めただけで、まだ泣いてはいない。第一話で三回泣いた実績があるので、せめて今日は我慢しようと唇を噛んでいた。
「だから手を打った」
ズーPがスマホをスワイプすると、画面に四つの名前が並んだ。
フレマル。ポメル。デディーナ。ツクナ。
「――えっ」
スピカの瞳が見開かれた。
「大物アイドル女神グループとのコラボステージだ。先方には俺が話をつけた。お前はゲスト枠で一曲だけ歌わせてもらえる」
「ほ、ほんとですかプロデューサー!? あの、あのフレマルさんたちと!?」
「条件がある」
ズーPの声が一段低くなった。
「フェスではイメージカラーが重要だ。信者はサイリウムの色で推しを示す。色がかぶると信仰ポイントの帰属が曖昧になるから、出演者全員で色を分ける必要がある」
「はい!」
「いいか、スピカ。白だけは絶対に選ぶな」
スピカは首を傾げた。
「白は統計的に信仰を最も集めやすい色だ。だが同時に、邪神からも最も狙われやすい。お前みたいな新人が白を背負ったら、的になるだけだ」
「わ、わかりました! 白以外ですね!」
「いい返事だ。じゃあ行くぞ、色決めの会議だ」
---
神界の会議室は、大物の気配で満ちていた。
長テーブルの向こう側に四柱の女神が座っている。それだけで空気の密度が違った。スピカは入り口で足が止まりかけたが、ズーさんに背中を押されて席についた。
テーブルの端で、マネージャーの秩序の女神ヘミラがバインダーを開いた。
万年筆の蓋を外し、議事録のヘッダーに日付と出席者名を記入する。
その所作には一切の無駄がなかった。
「イメージカラーの決定です。順にお願いします。
なお、本会議の内容は議事録に残りますので、ご承知おきください」
最後の一文は誰に向けたものだったのか。
ズーPがちらりとヘミラを見たが、ヘミラはすでにペン先をバインダーに落としていた。
最初に口を開いたのはフレマルだった。腕を組み、椅子の背にふんぞり返っている。赤い髪が炎のように揺れていた。
「あたしは赤」
一言だった。議論の余地を与えない宣言だった。火と戦争の女神。赤以外にありえない。誰も異論を挟まなかった。
次に手を挙げたのはポメルだった。青い瞳がきらきらと光っている。
「うちは青やな。海いうたら青やろ。ブランドイメージっちゅうやつや。青以外にしたらうちの信者混乱するわ」
「異議なし」とズーPが頷いた。
デディーナがおっとりと微笑んだ。
「では私は緑をいただきますわ。大地と豊穣の色ですもの」
彼女はふんわりとした笑顔を浮かべたまま、ちらりとスピカを見た。その視線はどこか温かかったが、スピカは緊張でそれどころではなかった。
三人が色を取った。残りは――
スピカはそっとズーPを見上げた。ズーPは腕を組んだまま、ツクナを見ていた。
ツクナは窓辺に座り、外を眺めていた。長い銀紫の髪が窓からの光を受けて淡く輝いている。会議が始まってから一度も口を開いていなかった。
「ツクナさん」とヘミラが呼びかけた。「色を選んでください」
沈黙が数秒。
ツクナがゆっくりと振り返った。
「――紫」
短い一語だった。フレマルと同じく、議論の余地を与えない静かな断言。
スピカの顔から血の気が引いた。
赤、青、緑、紫。
残っているのは――白だけだった。
「あの、あの、プロデューサー……」
スピカは小声でズーPの袖を引っ張った。
「白しか、残ってないんですけど……」
ズーPは目を閉じていた。
「わかってる」
「で、でも、白は駄目だって……」
「わかってる」
「プロデューサー! 助けてぇ〜!」
スピカの悲鳴が会議室に響いた。大物女神たちがちらりとこちらを見た。フレマルが鼻で笑い、ポメルが「元気ええなぁ」とにやにやし、デディーナが困ったように微笑んだ。ツクナだけは、再び窓の外に視線を戻していた。
ズーPはスピカの頭にぽんと手を置いた。
「落ち着け。白で行く。その代わり、俺が裏で対策を打つ。お前は表で信仰を集めることだけ考えろ」
「……ほんとに、大丈夫ですか?」
「大丈夫かどうかは、お前次第だ」
それは安心させる言葉ではまったくなかった。スピカの目にまた涙が溜まったが、今度も我慢した。




