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三度目の戦場。


同じ荒野。同じ土埃。同じ恐怖の匂い。


パン屋の青年は何も知らずに剣を構えている。リザードマンは何も知らずに大剣を掲げている。


どちらも傷つけたくないスピカは、どうすれば戦いを収められるかわからない。あわあわしながら、ただいたずらに奇跡を消耗していった。


二人がかつて兄弟だった世界線があったことも、二度やり直していることも。

知っているのは、スピカだけ。


「プロデューサー」


「なんだ」


「信仰ポイント、あとどれくらい残ってますか」


ズーPがスマホを確認する。


「……さっきの半分くらいの奇跡なら、もう一回飛ばせるか飛ばせないか、ってところだな」


「半分の、奇跡」


スピカは自分の手のひらを見つめた。


小さな手だ。パンを捏ねるにはちょうどいいけれど、剣を握ったことはない。炎を出したこともない。嵐を起こしたことも、敵を打ち倒したこともない。


この手にできるのは、パンが美味しく焼けるように祈ること。赤ちゃんが泣き止むように祈ること。隣の人がそっと消しゴムを貸してくれるように祈ること。


そんな——ちいさな、ちいさなこと。


(でも)


モニターの中で、パン屋の青年がお守りを握りしめていた。


(この人は、その小さなことを喜んで、私に祈ってくれた人だ)


パンが美味しく焼けますように。それだけの祈りを、毎朝欠かさず捧げてくれた。


この世界がどんなに荒れても、窯に火を入れて、パンを焼いて、常連さんに渡すことをやめなかった人。


スピカは——涙を拭いた。


今度は泣かない。泣いている場合じゃない。


「プロデューサー」


「ああ」


「私、神託を使います」


「内容は?」


スピカは一度だけ深呼吸した。それから、真っすぐにモニターを見据えて言った。


「——パン屋さんに、『私に祈ってください』って伝えます」


ズーPの眉が、わずかに動いた。


「……戦場の真っ只中で、祈れと言うのか」


「はい」


「戦え、じゃなく。逃げろ、でもなく」


「はい。——祈ってくださいって、お願いします。今ならまだ間に合うかもしれない。もう一度信仰ポイントを貯めて、最後に私にできる、最大の奇跡を起こします」


ズーPはスピカの目を見た。

泣き虫の目。おろおろした目。だが——そこに一本だけ、折れない芯が通っていた。


「……お前の信者だ。お前が決めろ」


スピカは頷いた。

残りわずかな信仰ポイントを——最後の一滴まで込めて、神託を放った。


戦場。


リザードマンが大剣を振りかぶった瞬間。


青年の首のお守りが——温かくなった。


温かいなんてものじゃなかった。窯に火を入れた朝の、あの最初のひと息のような。小麦が焼ける匂いが立ちのぼる、あの一瞬のような。


そして——声が聞こえた。


小さな声。震えている。泣きそうな声。だけど——必死な声。


『——青年よ。私に、祈るのです』


青年は目を見開いた。

女神の声だ。お守りの。あの——パンが美味しく焼けるようにしてくれる、あの女神の声。


『私を信じて、祈ってください。——お願いです』


声は震えていた。今にも消えそうだった。

でも。


青年は神託を聞くと、剣を鞘におさめ、その場にひざまずいた。


青年はすべてを信じて両手を合わせた。

お守りを包んで、目を閉じた。


「——女神さま」


リザードマンの動きが、止まった。

裂けた瞳孔が、青年の姿を凝視している。


敵対する人間が、戦場のまんなかで、手を合わせて祈っている。


果たして、リザードマンに祈りは理解できたのか。


奇跡が起きた。


リザードマンの大剣が——ゆっくりと、下がった。


「……ふん」


リザードマンは低く唸った。


「祈りの最中に攻撃するなど、戦士の恥よ」


そして、大剣を地面に突き立て、自らも目を閉じた。

巨体が静かになる。鱗に覆われた手が、腰の巾着袋——邪神のお守りを握っていた。


人間が人間の神に祈り、魔物が魔物の神に祈っている。

剣を交えていた二人が、並んで祈っている。


スピカの半分の奇跡は、戦場にほんのつかの間の日常を取り戻すものだった。


周囲には砂煙が立ちこめ、聞こえていた兵士たちの声は、どこかに遠のいていった。


しばらくの間、その場所だけが、嘘のように静かだった。


ズーPの目は、リザードマンの手元で止まっていた。

鱗に覆われた手が握っているのは——邪神のお守り。


「……そうか、こいつにも神がいるのか」

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