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「——のでおじゃ! のでおじゃ! のでおじゃーっ!」


薄暗い洞窟の奥。苔むした祭壇の上で、小さな炎がぱちぱちと揺れている。その炎が不自然に膨らみ、空中にぼんやりと文字が浮かび上がった。


『フレマル(赤)×スピカ(白)の限定アクスタを買ってくるのでおじゃ。在庫がなくなる前に急ぐのでおじゃ。代金は干し肉で払うのでおじゃ』


リザードマンは祭壇の前に片膝をつき、神託を仰ぎ見ていた。


硬い鱗に覆われた顔には表情がない。だが、黄金色の瞳がゆっくりと瞬きをしたとき、その奥に確かな感情が灯った。


——推し活の神託か。


彼が信仰する下級邪神・1号は、最近しばしばこの手の神託を出すようになった。戦略上の指示かと思えば中身はグッズの購入命令であり、奉納品の大半はアクスタやタペストリーや限定缶バッジだった。信仰とは何なのか、リザードマンは時折わからなくなる。


だが、神託は神託だ。


リザードマンは立ち上がり、洞窟の入り口に立てかけてあった大剣を背に負った。フードを目深にかぶり、人間の街へ向かう。


停戦期間中だ。魔物が人間の街に入ることは、暗黙の了解で許されている。ただし、見つかれば穏やかではない。フードの下から覗く鱗を隠すように、リザードマンは足早に路地を進んだ。


グッズ屋は大通りに面していた。フェスの余韻で在庫を増やしたらしく、色とりどりのお守りやアクスタが木の棚に並んでいる。リザードマンは鱗の指で「フレマル(赤)×スピカ(白)」のアクスタを取り上げ、店主に干し肉の袋を差し出した。


「あいよ、毎度」


店主は鱗の手を見ても眉ひとつ動かさない。停戦期間のグッズ屋は、金を——あるいは干し肉を——払う者に対して寛容だ。信仰経済に種族の壁はない。


「あ」


背後で、聞き覚えのある声がした。


振り返る。


パン屋の青年が立っていた。


首にはスピカのお守り。エプロンは外しているが、袖口に小麦粉がついている。彼もまたグッズ屋に来たのだろう。その手には、スピカの新しいお守りが握られていた。


二人の視線が交差する。


前の戦場で刃を交えた記憶が、一瞬だけ空気を凍らせた。リザードマンの背の大剣。青年の腰の——今日は帯びていない短剣の位置。互いの目が、互いの武器を探した。


そのとき、青年は見てしまった。


リザードマンの手に持たれているアクスタ。

スピカ(白)の泣きそうな微笑を。


「どうして……お前が……」


戦場の敵だったリザードマンが、自分と同じ女神のグッズを買おうとしている。

青年が、驚きの声を漏らした。


だが、ただ神託を受けて買いに来ただけのリザードマンは、鼻を鳴らした。


あの日の雪辱を晴らしたいところだが、ここは停戦期間の街だ。


リザードマンはアクスタを布で丁寧に包み、懐にしまう。帰ろうとしたとき——。


「あ」


裏路地から、第三の声。


レオンだった。


頬はこけ、目の下には深い隈があり、唇は乾いてひび割れていた。しかしその瞳だけが異様に光っている。狂信者の目だ。


フェスの夜、ナイフを持ってステージに上がり、フレマルの光に打たれて正気を取り戻した男。あの後どうしていたのか、スピカたちは知らない。神界からは見えない場所で、レオンは一人で自分の信仰と向き合い続けていた。


リザードマンの存在に気づいたレオンは、とっさに腰に帯びた剣に手をかけた。


そのとき、レオンの視線が、リザードマンの懐——布から僅かにはみ出したアクスタの端に吸い込まれた。


赤と白。


フレマル(赤)×スピカ(白)。


レオンの目が見開かれた。


「なんだよ、それ……」


彼の表情はみるみる歪み、そして吠えた。


「フレマル(白)×ツクナ(紫)だろうがあぁ~~~~ッ!!!!」


絶叫だった。


それは一人の狂信者の叫びにすぎなかった。だが、フェスの余韻で沸き立っていた街は、その叫びを待っていたかのように反応した。


「赤のフレマル? ああ、軍部が持ち上げてる戦争の象徴だろ。あの女神のせいで俺の息子は」

「白だと? お前らはいつまで過去にしがみついてるんだ。時代は変わったんだよ」

「スピカ? あのパンの女神か? パンすら満足に食えないのに、何が小さな奇跡だ」

「ツクナ派か? フレマル派か? はっきりしろ!」


人々が集まり始める。


グッズ屋の前は大通りだった。人通りは多い。


最初に誰が剣を抜いたのか、誰にもわからなかった。


リザードマンの鱗がフードから露出した瞬間だったかもしれない。

レオンが白のサイリウムをたたき割った瞬間だったかもしれない。

あるいはそのどちらでもなく、名もない群衆の中の誰かが——戦争で家族を失った怒りを、フェスの熱狂を、日々の飢えを、祈っても報われない信仰への疑念を——もう抑えきれなくなった、その瞬間だったのかもしれない。


刃が閃いた。


血が飛んだ。


「フレマル赤×スピカ白!」と叫ぶ者たちと、「フレマル白×ツクナ紫!」と叫ぶ者たちが、同じ女神を信仰しながら互いの喉を掻き切り始めた。


解釈違いは——血の色をしていた。


パン屋の青年は走っていた。


自分の店がある方角から、黒い煙が上がっていた。群衆に追われたリザードマンが角を曲がり、路地に転がり込む。青年もまた群衆から逃れ、偶然同じ路地に入った。


薄暗い路地の奥。二人はまた向き合った。


リザードマンの脇腹から、赤いものが流れている。群衆の刃を受けたのだ。壁にもたれかかり、荒い呼吸を繰り返しながら、それでも懐のアクスタを庇うように両腕で抱えていた。


青年の手は震えていた。腰には——今日は持っていないはずの短剣が、いつの間にかあった。混乱の中で誰かのものを拾ったのか、それとも最初から持っていたのか、自分でもわからなかった。


リザードマンが顔を上げた。


黄金色の瞳が、青年を見た。


敵意はなかった。ただ、深い疲労と——どこか、懐かしむような色があった。


「——」


リザードマンが何か言いかけた。


そのとき、路地の入口から怒号が聞こえた。「魔物がいたぞ!」「殺せ!」。青年の体が跳ねた。手が、無意識に動いた。


短剣が、リザードマンの胸に刺さっていた。


静寂。


青年の顔から血の気が引いた。自分が何をしたのか理解するのに数秒かかった。手を離そうとしたが、指が動かない。


リザードマンは、刃が刺さったまま微動だにしなかった。黄金色の瞳が、ゆっくりと青年の首元——スピカのお守りに移る。


「……おまえ……は……」


声がかすれた。


リザードマンは震える鱗の腕を持ち上げ、懐から布に包まれたアクスタを取り出した。血で汚れた布。その中の、赤と白の小さなアクリル板。


「たの……む……村に……とど……けて……」


リザードマンの手が落ちた。


アクスタが石畳の上に転がり、かちん、と乾いた音を立てた。


青年は膝から崩れ落ちた。自分の手を見た。リザードマンの血に染まった手を。スピカのお守りが首元で小さく揺れていた。祈ることもできなかった。


「————」


神界から、スピカはすべてを見ていた。


リザードマンが刺される瞬間も。パン屋の青年が崩れ落ちる瞬間も。大通りで人々がスピカの名前を叫びながら殺し合う光景も。壊されていくパン屋の窯も。血に染まるアクスタも。


スピカの信仰ポイントのカウンターが、ぐんぐんと上昇していく。


人々が「スピカ」と叫ぶたびに。祈るたびに。殺すたびに。死ぬたびに。


上がっていく。


上がっていく。


上がっていく。


スピカの両目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。膝が折れた。床に手をついた。指が白くなるほど拳を握りしめて、それでも止まらない。止められない。自分の名前が呪いみたいに聞こえる。


隣にいたデディーナが、三個目の塩パンをぽとりと落とした。言葉が出ない。ポメルが画面を食い入るように見つめ、「なん……で……」と呟いた。フレマルは拳を握りしめ、唇を噛み切って血を流していた。


そしてスピカは——全身全霊で叫んだ。


「プロデューサー!!! 助けてぇーーーっ!!!!」


---


ズーPはパラソルの下で上体を起こした。


頭を抱え、ひどく思い悩んでいる。


邪神の動きにばかり気を取られていたら、まさか内側から崩壊しようとは。


スマホを取り出す。画面にはアウネラの連絡先。親指が通話ボタンの上で止まった。


「……すまんな、サマ=アルトムン……」


通話ボタンを押した。


三回のコール。出ない。四回。五回。


六回目で繋がった。


「アウネラ」


『……なんすか』


「今度、デートに連れてってやるから……」


『行く暇ないっす』


ブツッ。


通話が切れた。


砂浜にズーPだけが残された。波の音がやけに大きく聞こえた。


何も起こらない時間が続いた。


十秒。二十秒。三十秒——


そして。


世界が、キュルキュルと、巻き戻り始めた。

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