八
地獄は、常に赤い。
煮えたぎる溶岩と硫黄の煙に満ちた冥界の奥底で、上級邪神は玉座に深く腰掛けていた。
停戦期間が終われば反攻に出る。女神どもの信仰基盤を根こそぎ叩き潰す。そのための戦力配置を練り直し、中級邪神どもに指示を飛ばし、モンスターの増産計画を承認し――やるべきことは山積みだった。
「報告」
上級邪神が低く言った。
「邪神2号。フェスでの工作の結果を述べよ」
影から邪神2号が現れた。陰湿な笑みを浮かべ――ているはずだったが、その手には何やらカップが握られていた。ストローが刺さっている。ピンク色の液体。
「……それは何だ」
「あ、こちらでございますか。さすがお目が高い。こちらフレマルのストロベリー味シェイクにございます。フェスの限定メニューでございまして、これがまたけっこうな美味だと評判でございまして。ええ、まず苺果肉入りで——」
「工作の結果を述べよと言っている」
「あ、工作。そうでございましたね。はいはい、かしこまりましたよと。えーっと。ターゲットとなる人物の選定はこちらで総力をあげて行わせていただきました。現在、人間界では2派が分かれて争っておりまして、新フレマル(赤)派と、旧フレマル(白)派に分かれているとのことです。私が潜入調査した結果、このストロベリー味のピンクは赤と白を混ぜ合わせることによる、フェスの象徴的な飲み物として……」
上級邪神の額に青筋が浮いた。
アイドルのマーケティング戦略を延々と聞かされていたが、要約すると失敗した、ということらしい。
「ふん、まあいい……邪神1号はどうした」
「あやつでございますか? あやつなら——」
冥界の入り口から、バタバタという足音が響いてきた。
邪神1号が走ってきた。煤だらけだった。触角が焦げていた。しかしその顔は満面の笑みで、両手に抱えきれないほどの紙袋を提げていた。
「おっほほぉ~! 見るでおじゃ! 見るでおじゃ!」
邪神1号は紙袋から次々とグッズを取り出した。
スピカ&フレマルコラボTシャツ。限定デザインのサイリウム。ツクナのアクスタ。ポメルのキーホルダー。デディーナのポストカードセット。そしてフェスのパンフレット、スタンプラリーの台紙(全箇所制覇済み)。
「全部買えたのでおじゃ! 閉場ギリギリだったのでおじゃ! Tシャツは着てきたのでおじゃ!」
邪神1号は煤だらけの体を見せびらかした。確かに、煤の下からスピカとフレマルが並んだイラストのTシャツが覗いている。
上級邪神は玉座から立ち上がった。
溶岩が波打った。
硫黄の煙が渦を巻いた。
地獄の底から、地鳴りのような声が響いた。
「——貴様ら」
邪神1号がシェイクを飲む邪神2号と目を合わせた。二人同時に凍りついた。
「我が邪神軍の幹部が……揃いも揃って……敵の推し活に現を抜かしておるのかぁぁぁぁっ!!」
冥界が揺れた。
文字通り揺れた。溶岩が噴き上がり、天井から岩が落ち、邪神1号のグッズ袋が吹き飛んだ。邪神1号が「アクスタがぁぁぁ!」と悲鳴を上げ、邪神2号が咄嗟にシェイクだけ守って丸くなった。
焦土の中で、上級邪神は荒い息を吐いていた。
怒りが収まらない。しかし怒りの底には、もっと深く、もっと古い感情が燻っていた。
上級邪神は拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、黒い血が滴った。
「おのれ……許さんぞズース……必ずこの手で息の根を止めてやる……!」
声は低く、冷たかった。先ほどの爆発的な怒りとは質が違う。積年の怨念が凝縮された、研ぎ澄まされた殺意だった。
振り返ると、邪神1号が瓦礫の中からアクスタを掘り出して「無事でおじゃったぁ!」と泣いており、邪神2号がシェイクの残りを吸い上げてずずずと音を立てていた。
上級邪神は深く、深く息を吸い込んだ。
部下は使えない。中間管理職の苦悩は、冥界においても例外ではなかった。
邪神1号がTシャツの煤を払いながら、嬉しそうに呟いた。
「次のフェスはいつでおじゃろうなぁ」




