2つの放送室のためのソナタ
俺は高二になって最初の登校日、始業式が終わって俺は放送室に入った。
部長という肩書があることを除けばいつも通りだ。
いつも通りなのに、震えが止まらない。
それは、初めて俺の声が女子に聞かれることになるからだ。
この聖城学院という学校は男女併学方式、それも年中通して女子と何回会うかというレベルの男女の隔たりがあったのだが、訳あって今年度から完全共学での募集となり、男子棟と女子棟の間の扉が開かれた。
そして、それに伴って男子側と女子側の間のルールの差を埋めたので、それの周知のために我らが放送部が一役買うこととなった。
そうこうしているうちに言われていた時間となった。
桜の花びらはすでに散っている。
何度も踏んづけられて、水に濡れて腐ったような不快な桜の花びらの匂いが混ざっており、とても爽やかとは言えない香りの風がうるさいほどに放送室に吹き付けている。
俺は震える手でカフをONにした。
「こんにちは、放送部部長の三十野龍樹です」
「こんにちは、放送部部長の二十川杏果です」
少し喉を抑えた俺の言葉に少し遅れて何処かから俺より半音7つほど高い声が聞こえた。
振り返っても放送室の中の誰もが戸惑いの表情を見せる。
そもそもうちには男子しかいないんだからこんなにあからさまに高い声のやつがいたら分かるに決まっている。
そして、二十川杏果と言っていた。
俺はそいつの名前を知っている、というか知りすぎている。
とにかく、この声がどこから聞こえたのかを探ってみる。
放送室の外に出ると、明らかに生徒が混乱した様子だった。
つまり、聞こえたのは俺だけではないということだ。
そういえば、まだ放送室は男子棟側の設備と女子棟側の設備しかなく、今回は急造で男子棟側から放送の線を女子棟側に引いたらしい。
ということは、女子棟の方も同じことをやっているという可能性は十分にある。
そう思って俺は走って女子棟側に向かった。
そしてついに女子棟側に渡ろうとするところで見知った顔を見て俺は止まった。
「杏果か。こんな偶然もあるもんだな」
俺はそう言って苦笑する。
目の前の見知った顔、杏果の方も引き攣った笑みを浮かべていた。
「同じ学校なのは薄々勘づいてはいたけどまさか両棟の放送部の部長なんてね」
「まあそうだな。とりあえずこの状況どうする?というか杏果もこれと同じやつ配られてるのか?」
そう言って俺は手に握っていた周知することが書かれた冊子を広げて見せる。
すると、杏果はコクリと頷いて言った。
「まあ同じやつ配られてるんだったら話は早いよね。男子側への注意点と女子側への注意点の二つにしか分けられてないから、男子側の方は龍樹が読んでくれたら女子側の方は私が読む」
「今は混乱をおさめるのが先決だしそれでいくか。一応どっちかになんかあってもまずいから通話繋いどいてくれ」
「オッケー。じゃ、また」
俺は急いで戻って、一度ONにしたカフを戻してから、杏果と電話を繋いだ。
何も言ってないが、流石にイヤホンくらいはしてくれないと困る。
「聞こえるか?イヤホンはしてるよな?」
「多分大丈夫。イヤホンはちゃんとしてる。じゃあ同時に行こ。3、2、1!」
杏果の声に合わせて、俺は手の震えることなくカフをONにした。
「皆さんお待たせしました、男子側の放送部の部長の三十野龍樹と」
「女子側の放送部の部長の二十川杏果です」
これは本来不要な演出なのだが、一応生徒たちにも大丈夫だと伝えるために俺が今思いついてやった。
にしても杏果も一切戸惑いの声を出さずに元気よく乗ってくれるとは大したもんである。
この演出によって生徒のざわめきも少しは落ち着いたように感じた。
若干向こう側の放送の声が遅れて聞こえて、それが少しざわめいているように感じるが、おそらく大丈夫なはずだ。
というかこの放送室防音しっかりしろよ。ノイズ入りまくりじゃねえか。
「えー、皆さんご存知のことかと思われますが、弊校は今年の新入生から男女混合クラスが編成されるようになり、男子棟と女子棟は自由に行き来できるようになりました。そこで、両棟で様々なことを揃える必要が出てきたので、今年度になって変更となる箇所があります。そのため、その変更となる箇所を我々が放送を通して注意を呼びかけようということになって参りました。男子側への主な注意を私、三十野が」
「そして、女子側への主な注意を私、二十川が担当させてもらいます」
さっき杏果のことは心の中で褒めたのだが、自分から提案したくせに200字近くのセリフを俺に丸投げするこの態度も大したものである。
途中所々少し空白を入れて言わせようと画策したのだが、杏果は一回も言おうとしてくれなかった。
俺は不満を心の奥底にしまって、喋り始めた。
「では、私から。まず、旧男子棟の2階のトイレですが、・・・・・・。以上です」
「では、続きまして、私が。旧男子棟と同じように、旧女子棟の2階のトイレは、・・・・・・。こちらも以上です」
「これを以ちまして、皆様への周知を終了とさせていただきます」
俺はこう言って、電話にも音が入るくらい大きく息を吸った。
そして、その後には掛け声なんていらなかった。
「「ありがとうございました」」
二人の声は電話上では完璧に重なった。
すぐに拍手が巻き起こったことを考えると、おそらく放送の方でも問題なかったはずだ。
俺はゆっくりとカフをOFFにして、脱力して放送機材に顔を埋めた。この後部員から怒られそうだ。
そしてその後、神経質な副部長に静かに怒られると思ったら肩を叩いて労ってくれて、体の中に穴が空いたような感じのままクラスでの点呼を終えて帰宅しようとするといきなり身柄を確保された。
「男子棟放送部部長であるという罪より、女子棟放送部部長の愚痴をカフェで聞くという刑罰を与えまーす」
一時的な俺と違ってなんかずっとどこかに穴が空いてそうな杏果がなんか間抜けな声で間抜けなことを言っていた。
普段は部屋着で俺と会うから間抜けな方に全振りされているため気が楽なのだが、今回は制服を着ているがために無駄に見た目だけはしっかりと優等生である。
そのため本来ならば優等生に連行されるという気分の高揚するイベントであるというのも相まって、俺は間抜けな声で完全に脱力して、連行されていった。
地面は濡れて、桜の花びらが茶色く変色したものが至る所に落ちている。
杏果の絶妙な間抜けさにぴったりな景色である。
どこに連行されていったかというと、俺たちが住んでいる2000人ほどの町にある唯一のカフェである。
俺と杏果は向かい合って席に腰掛けた。
平日なのもあって店内には店長しかいないので、店長自らこちらに来てくれた。
「おぉ龍樹くんと杏果ちゃんか......って聖城の制服!?龍樹くんは中等部に行ってたの知ってたけど杏果ちゃんも受かってたんだ」
「店長ひどーい」
杏果に対しては申し訳ないが、俺も店長の立場だったら全く同じ反応をしただろう。
一応聖城だって名門校だ。あんな間抜けが簡単に受かっていいところじゃない。
「じゃ、二人ともいつものでいいよね」
そう言う店長の手にはいつの間にかすでに乗せられていた二つのドリンクの乗ったお盆がある。
店長の顔はすごくにこやかなのだが、ものすごく圧を感じる。
俺たちもにこやかな笑顔で受け取った。
店長はお盆を脇に挟んで言った。
「そういえば、聖城受かったのうちの町では二人だけだと思うよ」
「そっかー。じゃあ卒業するまでは二人っきりだねー」
そう言って杏果はこっちを見て口元を緩ませる。
ここでパァっと明るくなるなり逆にハイライトの無い目になったりすれば俺もその気になるのだろうが、声も顔もだらけたままなので、そう言う気になれない。
というか向こうもそう言う気がないのだろう。
俺たちの反応を見て店長はそそくさと厨房に入っていった。
「じゃあ打ち上げ兼その他諸々始めよー。かんぱぁい!」
最初の刑罰という目的はすでにどこかに行っているし、その他諸々とか適当すぎるのだが、これがいつも通りの杏果だ。間違っても放送中の杏果ではない。
俺は自分のカップを杏果のグラスに少し当てた。
ちなみに、俺のところに運ばれたのはウインナーコーヒー、そして杏果に運ばれてきたのはなんとアイスエスプレッソ。これはまじで他では聞いたことねえ。
まあ天才は変なものを飲むのだ。
「で、今後どうする?」
いきなり真面目な話になって俺は急いでカップから口を遠ざけた。飲んでたら吹き出すところだった、危ない。
突発的に真面目スイッチを入れないでくれと俺は何回も言っているのだが、一向に聞いてくれない。
「確かにどうしような。今まで通りで行くか?」
「今まで通りっていうのはどんな感じ?」
「男子棟で男子側の放送部が、女子棟で女子側の放送部がだ。多分急造の線とか放送室側で切れるようになってるだろうからそこは放送の時だけ切って使う時だけ使う人に繋げてもらうという形で。一応教師の許可は要だろうけどこの学校ある設備は有効利用してけっていうスタンスだし多分大丈夫だろ」
「まあ確かにそれが部員の反発も一番少なさそうだしね。新入生はどっちに入るのかっていう話はあるけれどやっぱり部活は二つとも残したいよね」
杏果はそう言って納得してくれた。
そして、お互いに教師のことを愚痴り合って、自分だけ帰ろうとしたのだが、それをさせまいと杏果がついてきた。
そんなのを無視して俺が自分の家のドアを開けて入り、閉めようとしたところで
「お邪魔しまーす」
と入ってきた。
なぜここに入ってきたかというと、共通の趣味のためである。
杏果は許可もとらずに俺の家に上がると、キーボードの置いている部屋に俺より先に入っていって、自分のスマホであるバンドの新曲をスピーカーに繋いで再生した。
そして、なれた手つきでキーボードの電源を入れて、曲に合わせて弾き始めた。
そう、俺たちの趣味は音楽、それも聞くことではなく分析したりアレンジして演奏してみたりと少しニッチな部分だ。
杏果の家にも電子ピアノのようなものはあるのだが、出せる音が少ないためいつも俺の家に入り浸っている。
結果この無駄に距離が近いわけでもなくかといって全く疎遠にはなっていない幼馴染という絶妙な関係に落ち着いている。
聖城の制服でここに入り浸られるというのは新鮮な感覚だが。
次の日、俺と杏果で急造で線を引いた教員たちに昨日の案を直談判すると、ほとんどの人が全くもって興味がなく、一部の教員になぜかすんごい支持されて承諾された。多分この一部の教員はどちらかのヘビーリスナーだろう。
少しくらいは反対意見があるものだと思っていたから俺は拍子抜けして、杏果は真面目モードからいつも通りに戻った。
という感じで次の週から二つの放送部が同時に放送しているという奇妙な状態になったわけだ。
金曜、気まぐれで放送部を他の部員に任せて放送の反応を確認しようと食堂に行ってみると想像していなかったことが起こっていた。
少し大きな声で会話している輩がいたので耳を傾けてみると
「やっぱ晴れの金曜の昼って体力的に疲れてるから男子側の渋い感じの方が落ち着けていいよな」
「曇りの月曜とかは精神的な疲れが大きいから元気出したいから華やかな感じがする女子側の方がいいけど、今日は圧倒的に男子側だよな」
どうやら、男子側と女子側の両方の放送を聞いているようだ。
周りを見渡してみると、男子棟の食堂でありながら未だ併学である高二や高三の女子もかなり見られた。そして、女子側の食堂にも行ってみると、数は男子側より少ないながらも高二や高三の男子もちらほら見られた。
つまり、日によって聴きたい放送が違うために男子側と女子側で使う食堂を変えているようだ。
別の日にもいろんな場所を見てまわっていると、いきなり声をかけられた。
「あの、男子側の放送部の部長さんですよね」
放送部ほど顔を出さない部活も無いから顔が覚えられていることなんて滅多にない。
流石に驚きで一瞬フリーズしてしまった。
「はい」
「実は僕放送が始まる前までの男子棟と女子棟の行き来した人数を他の三人と一緒に計測しているんですよ。一昨日女子側の放送部の部長さんも来たんですけど、この情報を毎日このサイトに載せてるんですよ。よかったらぜひ」
そう言って彼は俺にスマホの画面に表示されているQRコードを見せる。
それを俺のスマホで読み込むと、毎日の放送が始まる前までの男子棟から女子棟に行った人数と女子棟から男子棟に行った人数が表になっていた。
俺は一礼して、そのデータを拝借させてもらった。
にしてもどんな理由でこんなことやっているのだろうか。
その日、俺は帰宅してからその表を学校からもらったノートパソコンでエクセルに書き起こして、様々なものとの相関を調べ始めた。
まず、曜日ごとの平均を出してみた。
すると、予想通り、月曜は女子側が有利で、火曜から少しずつ男子側に傾いていくという結果になった。
次に、湿度との相関を調べてみた。
すると、男子棟→女子棟の人数は湿度と負の相関があり、女子棟→男子棟の人数は湿度と相関があるという結論になった。
後は、前日に流した曲や、前日の放送時間の中での曲のかかっている時間の長さだったりと、もっと細かい情報を調べようとした時にいきなり俺の部屋に女子側の部長様が現れた。
「お邪魔しまーす」
なんだかその声は間抜けな感じが残っているものの、いつもよりテンションが高かった。
俺は杏果に見られないよう、ゆっくりとノートパソコンを閉めた。
「あれ?別に閉めなくてもいいんだよ?」
しかししっかりとその閉める動作は杏果に見られていたようで、ちゃんと咎められた。
「閉めなくてもいいんだよじゃねえよ。なんでうちの部屋に入ってくんだよ」
俺はノートパソコンに肘を置いて、無意味なのはわかっているものの少し威圧的な態度をしてパワハラっぽい声を出した。
「CD取りに来た。私の家ほとんどiPodに入ってるから持ち出してもスピーカーで流せないんだよね。じゃあパソコンの画面見せてもらいまーす」
しかし腹の立つことにちゃんと理由があって俺の抵抗は虚しくパソコンは取り上げられることとなった。
杏果は俺のベッドに座って横のワゴンの上にパソコンを置いて、開いて中を確認した瞬間焦り始めてものすごい勢いで閉じた。
「な?俺だって見せないようにゆっくりと閉じたんだから察しろよ」
「ご、ごめんって。まさかあんなになってるとは思ってなかったから」
俺は自分のパソコンのロック画面をコンピューターウイルスにかかった時のような画像にしていた。
これによって俺はパソコンの画面を見られずに済んだ。危なかった。
「にしてもまさかここまで反響が大きいなんてね」
パソコンを閉じていつの間にか手にしていた俺の親父が好きなバンドのCDをパソコンの上に置いてベッドに横になった杏果が嬉しそうに言った。
取って行ったCDは俺が目をつけていたものなのだが、仕方ない。別のを探そう。
にしても杏果がここまでわかりやすい表情をしているのは少し前まで全く見なかった。
それだけじゃなく、なんだか最近は間抜けな感じがしない。
なんというか、今の状況をいつものあの感じじゃなくて、本当に何も他のことなんて気にせずに全力で楽しんでいる感じだ。
「やっぱり放送してるの楽しいのか?」
「うん!」
杏果は少し前のだらけた感じの笑顔とは違う、満面の笑みで即答した。
流石にここまでとは思っていなくて、俺は眩しさに一瞬目を逸らした。
でも、俺も杏果から同じこと聞かれたら絶対に同じように即答するだろう。
その後は自分たちのリスナーを増やすために色々と分析した結果、ある日は俺たちが東南アジアの曲を集めたら杏果たちはインドやネパールの音楽を流していたり、ひどい日には俺たちがL’Arc~en~Cielのアルバムをぶっ通しで流したら杏果たちがGLAYのアルバムをランダム再生して間接対バンみたいになっていた日もあった。
この放送部が二つある状態はたまらなく楽しかった。
ずっとこのまま放送部が二つあればいいのにって思っていた。
これは俺や杏果だけじゃなくて、放送部全員、なんなら放送部以外の人まで願っているはずだ。
でも、こんな異常は長く続かなかった。
校長からある日の放課後、突然男子側と女子側の放送部の部員が全員集められた。
校長はゆっくりと話し始めた。
「まず、放送部の皆だが、今一番この学校を盛り上げていると思う。そこには最大限の感謝を示したい。不登校になっていて私が気にかけていた子が放送部の話を聞いてまた学校に来てくれるようになったんだ。こんなの簡単にできることじゃない。ただ、この放送室が二つある状況ってのはあまり好ましくないんだ。正直、今だけなら全然問題ないのだが、将来的にも維持するとナルトかなりの維持費がかかる。そして、今は臨時で全校に繋がるように線を引いているわけだが、この設備は貧弱で、いつ壊れてもおかしくない。また、緊急の連絡の時に今のままなら被ってしまう恐れもある以上、一つの放送室にまとめることは決定事項なんだ。だから今の状態が続くのは夏休みまでだと思ってほしい。今の盛り上がりを見ると私としても辛いんだが、どうか理解してほしい」
言っていることは全てが正しかった。
放送室は放送部のためじゃなくて、緊急の連絡用のものだ。
そして、別に統合したって放送ができないわけじゃない。
全てわかっていた。
わかっていたけど、気持ちの高まりがそれを無視していた。
校長の話を聞くのはただただ辛かった。
でも、校長だって言うのは辛そうだった。
何よりも学校のことを優先しなくてはならない校長でさえ沈痛な面持ちだった。
放送を第一にしている俺たちが辛いわけなかった。
ふと杏果の方を見ると、今にも泣き出しそうだった。
流石に校長の前で泣かせたくなんてなかったから、俺は杏果の手を引いてその場を去った。
人目につかなさそうなところまで来て、座り込んだ杏果に俺もしゃがんできいた。
「大丈夫そうか?」
「う、うん。多分大丈夫。それより結衣は?」
杏果が言っている結衣ってのは多分女子側の放送部の副部長の沢良木結衣さんのことだ。
今年になってから何回か喋ったが、すんごい対抗心むき出しで俺より身長が高いのもあって少し怖さを覚えた記憶がある。
俺は杏果の方しか見てなかったからどうだったかはわからない。
でも、泣いていたなんて言えるわけはなかった。
「俺には杏果とおんなじくらい辛そうに見えた。多分辛さを堪えてたんだと思う」
「そ、そうだよね。結衣だって堪えてるんだから私が泣いたらだめだよね。私、これでも部長なんだから!」
その虚勢を張った声は、風によってかき消される。
杏果は目を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
「ちょっとで良いから私の話聞いてくれない?結衣がさ、去年言ってたんだ。放送部が男女混合になったら私は辞めるって。中等部からの因縁みたいなものがあるのが男子の放送部の方にいるらしくて、嫌いなわけじゃないけど協力して何かをやろうとしたら絶対に上手くいかないから今はライバルって感じで落ち着いてるんだって」
俺は多分その因縁の相手を知っている。
あの俺を一時的に間抜けにしやがった神経質副部長の川崎颯斗である。
うちの学校は男女関係なく定期テスト毎に上位十人が張り出されるのだが、テスト五回中二回ずつ沢良木さんと川崎が一位を取っていた。
まあ確かに性格は全然違うし、反りは合わなさそうだ。
何も言っていなかったが、もし放送部が男女混合になっていたらあいつも辞めただろう。
「でさ、うちの特進って私みたいな高入生って少数派じゃん。でも他の高入生と馴染めなくてさ、どうしようかなって思ってた時に結衣が放送部に誘ってくれたの。で、それから毎日放送のこと考えて結衣とばっかり喋ってたからさ、結衣がいなくなったらって思うとどうしても耐えきれなくって」
もう最後の方は声になっていなくて、泣いちゃダメなんて言ってたのに全く涙なんて堪えられてなかった。
虚勢張ったんだからそんな泣きそうになるような話なんてするなよ。
そう思った一方で、打ち明けてくれなかったら一人で抱えてたままだったんだなって思うと一人の幼馴染として打ち明けてくれたことが嬉しくて。
俺は色々な感情がごちゃ混ぜになって言いたいことは泡沫のように浮かんでは消えて、最後に出た言葉が
「泣いちゃダメなんだろ。ダメな姿見られる前に帰るぞ」
だった。
俺は帰って、ひたすら考えた。
もう放送室が一つになるという結末は変わらない。
そんな中で一番いい結末を迎えるためには俺は杏果のために何をしてやれるだろうか。
いや、杏果のために何をしてやれるかじゃない。杏果も一緒にできるようにしなきゃ意味がない。
杏果と一緒にできること......
俺はそれでふと思い出して、キーボードの横にある楽譜を一つ拾い上げた。
その楽譜を開くと、二人分のピアノの譜面が載っていた。
俺はその片方の譜面にものすごく懐かしさを覚えた。
キーボードでその懐かしさを覚えた方の譜面の音を弾いてみる。
かなり有名な難しい曲が大幅に易化されて、初見でも弾けるレベルになっている。
俺はその音を聴いて思い出した。
確かだいぶ小さい頃に、俺と杏果は二人で弾ける曲を探して、教えてもらっていたピアノの先生に簡単な楽譜を作ってもらったんだった。
ピアノの発表会で、他の人たちは数人のグループで出るか一人で出るかのほぼ二択だった時に俺と杏果は二人で出て、発表会でも一番の拍手をもらっていた。
あんな感じのことが今でもできたらいいのにな。
そんなことを考えている間に、一つやりたいことが出来上がった。
校長からの唐突な通告があっても、放送は何も変わらなかった。
何回か杏果の放送を聴きに女子棟に行ったが、全く落ち込んでいる感じはしない。相変わらず人の前では虚勢を張るのが上手いのだろう。
ある日、俺はふと思い立って杏果が放送をしている放送室の目の前に行ってみた。
声を出している時はあんなに元気そうなのに、曲に入ったりするとすぐにため息をついて下を向いていた。
俺と目が合うなり驚いた表情を見せた後すぐに笑顔になるが、その表情も男子棟と女子棟の間の渡り廊下で想像してなかったような出会いがあった時くらいには引き攣っていた。
しばらく放送室の前で突っ立っていると、声をかけられた。
「あの、ちょっといいですか?」
振り向いてみると、自分より背の高い女性が立っていた。
前のような対抗心むき出しの目では無いため怖かったりはしないのだが、それでも少し身構えてしまう。
「えっと放送室に用ですかね。それなら退きますが」
「違います。あなたへの用です」
「あっ、ならここで話すのもあれですし、場所を移しましょうか」
そう言って職員室の前の丸テーブルのところまで向かい合って座る。
少し経って沢良木さんが切り出した。
「一応確認しておきますけど、このwebサイトって男子側の放送部の方々も見てるんですよね」
そう言って沢良木さんはスマホの画面を俺に見せた。
その画面は放送までの男子棟と女子棟の行き来した人数を記録しているあのサイトだ。
「はい。全員見てますよ。特にうちの川崎は居る日は放送の前に昼も食べずにずっとパソコンいじってますよ」
「あいつ......あの人も相変わらずですね」
めちゃくちゃ律儀そうにしてても隠せないくらいには川崎と因縁があるらしい。
俺も中等部にいたはずなのに、なんで知らなかったのだろうか。
「とりあえずみなさんが見ているのなら問題はないです。まず、あのwebサイトって投票サイトの結果が表示されてたって知ってましたか?」
「いいえ、全く」
「私も知らなかったんですけど、webサイトを一から作るとなるとサーバーが要りますし時間もかかるので大変ですし、かといって表を作るようなサイトもあまり使いやすいものがなかったみたいです。そこで毎日アンケートをとって結果が表示される表が一番使いやすかったみたいで、渡り廊下で人が通るたびに投票ボタンを連打しているみたいです」
確かに日毎に表示したいものが変わるとなるとpdfをネット上に放出するわけにもいかないし、日毎に変わる表を作成するなんて需要も基本は無いから妥当な判断だろう。
「そこで、この結構学校内でも有名になったこのサイトの投票機能を放送部が一つになった後にどう有効利用したらいいか考えてくれってサイトを更新している人に言われたんですよ。でも私放送部が男女混合になったらもう続ける気はなくて、杏果を部長に推薦して私はたまたま続けられたので副部長になったくらいなんですよ。だから今後も続けそうな方に考えてもらおうと思って。こんなの杏果に話したら絶対泣いちゃいますから未だ杏果に話す勇気は出ないです」
おそらく俺が川崎から部長に推薦されたのも同じような理由だろう。絶対に放送部に対する熱意は川崎の方が上だ。
にしても川崎もこの目の前の人も夏休みが終わると辞めてしまうのか。
......なんで辞めてしまうって決めてしまってるんだ?
辞めてしまうって勝手に決めつけて、辞めなくてもいいように努力することすらまともにしないくせに悲しむなんてあまりにも他責思考がすぎるだろ。
杏果だってあんなこと言っておきながら絶対に辞めなくてもいいようにするための道を探しているはずだ。
俺だけそれをしないなんて嫌だ。
周りは優しいから許すだろうけれど、俺は自分がそれを許せない。
まず、なんで辞めないといけないか、それは男女が一緒に放送をしなければならないからだ。
だから、今まで通りに男女別で放送すればいい。
じゃあ、交互に放送するか?今日はもう片方が良かったなんて文句が出るに決まっている。
時間を分けて半分ずつ放送するか?入れ替えの時間が無駄だから実際に放送できる時間はもっと短いし、満足行く放送なんてできないだろう。
どちらにしても辞めないといけないなんてことはないが、俺は男女が一緒に放送したほうがましになるような選択なんてとる気は無い。
辞めようとしている奴に罪悪感を植え付けるなんて絶対にしたくないし、結局罪悪感を持ったまま辞めていってしまうなんて誰が得するって言うんだ。
でも、それならどうすれば良いんだろう。
そんな時に、さっき沢良木さんが言っていた話を思い出した。
俺は思いついてすぐに敬語なんて忘れて焦り気味に切り出した。
「こんなのはどうだ?」
俺は思いついたことを伝えた。
沢良木さんの方も律儀さなんてどこかにやって
「良いですね。ぜひやりましょう!」
と賛同してくれた。
そして席を立とうとした沢良木さんを俺は引き止めた。
「実は僕杏果にこれを渡そうとしてたんです。でもよく考えたら僕が渡そうとすると何か勘繰られると思うのであなたが渡してくれませんかね」
そう言って俺は手に持っていた紙を沢良木さんの前に突きつける。
戸惑いながらも沢良木さんは俺の突きつけた紙を受け取った。
「これって私が中身を確認しても良いのでしょうか」
「構いません」
「では」
そう言いながら沢良木さんはゆっくりと折られた紙を開いた。
少しばかり確認した後、怪訝な表情をして俺に尋ねてきた。
「これは楽譜ですかね?お言葉ながら曲が成立しているようには見受けられませんが」
なんだかどんどん律儀さがエスカレートしていってビジネスしているように思えてきた。
これ同学年の会話なんだぜ。
「その通りです。この楽譜は曲が成立していません。僕はあえてこの不完全な楽譜を終業式の日に杏果に彼女の家の持ち運べる電子ピアノで弾いてもらいたいと思っています」
そう言った後俺はやろうとしていることを全て伝えた。
すると沢良木さんはクスリと笑った。
「ほんと、川崎といいあなたといい男子の放送部とは全く反りが合いそうにありません。別に全然嫌いじゃ無いですけどね」
沢良木さんはそう言いながら笑う。
その笑いは嘲笑のようにしか聞こえないが、目は少なくても俺を見下しているような感じではなかった。
最後に
「その想い、伝わると良いですね」
と言って去っていった。
その想いってどの想いなんだろうか。
俺は何を思ってこんなことをやっていたんだろうか。
杏果に何かしてやりたい。
なんで何かをしてやりたいのか、それは今の状況が本気で楽しそうだったからだろう。
楽しそうなままでいてほしい。それは間違いなく俺が考えていること。
でも、なんで楽しそうなままでいてほしいんだろう。
杏果だって今の感じのままの方がそりゃ楽しいだろうけれど、別にこの状態のままであるために全力で行動を起こすほどこの状態を保つことにやる気があるのかって言われてもそれはわからない。
なら放っておいて、杏果がどうするのか見守るだけで良いはずだ。
なら、なんで今のままでいてほしいんだろう。
ここまで考えて、自分の想いに初めて気がついた。
自分の想いに気づかせてくれた沢良木さんには感謝したい。
そして、この想いは……やっぱり伝わってほしい。
その後も、何事もなくこの楽しい日々は過ぎ去っていって、いつの間にか終業式を迎えていた。
今日も、俺は放送室に入る。
いつもと違うのは折りたたみ式のキーボードを持っていることだけ。
中にはすでに川崎がいた。
まだ放送までには時間があるので少し話しかけてみる。
「なんかこの二つの放送室って奇跡みたいだよな」
「まあ偶然の重なった産物だからな。もう終わりなんだが」
そんなことをほざきながら川崎は遠い目をする。
やはりこいつはこの夏休みで放送部を辞めるようだ。
理由は言わずもがな。
……だから、実は辞める理由なんてすでに無くなることが俺と沢良木さんの間で確定しているんだがこれは今言うと動揺でまともな放送ができなくなるだろうからとりあえず今は言わないでおこう。
しばらく黙っていたら、川崎が俺が持ってきたキーボードをじっと見つめ始めた。
だが一向に話しかけてこない。いつも通りのこいつだ。
多分なんでこんなものがあるのか気になっているだろうから答えてやろう。
「ん?ああ、これか。ちょっと放送の時に弾こうと思ってな。女子側の放送部の部長と一緒に」
川崎は何を言っているんだという顔をする。当然口を開かないが。
「やっぱりさ、二つ放送室があるのって奇跡だと思うんだよ。だからこの二つの放送室へのお別れとして一曲披露しようかなと」
「お前ってそんなにロマンチストだったか?もっと冷淡なイメージだったんだが」
「ロマンチストに……なったんだよ、最近」
多分この時の顔はすっごい赤かったと思うのだが、川崎からしてみれば意味わからないこと言ってそのくせ意味わからないくらい照れている不審者なわけで、侮蔑し切った視線をこちらに送ってきた。
当然何も言わないのだが、こう言う時に限って無言というのは辛い。
「だからさ、せっかくだしちょっと外に出て指揮者みたいなことしてくれよ。やっぱり放送室の中だとズレが分かりにくいしな」
「別に最後だし良いけど、俺の指揮はお前のピアノと違って付け焼き刃ですらないただの金属塊だから当てにせずにお前でリズム取れよ」
「まあ一応こっちにもリズムをきちんととるための機能はついてるし問題ない。向こうがズレた時の確認ってだけだ」
こんなやりとりの後、遂に一学期最後の放送の時間がやってきた。
約束の時間は十一時。後十秒だ。
もうとっくに川崎は外に出ている。
学校は、周りが田園なのもあって、すごく静かだ。
初夏のやや湿った風が放送室の窓から吹き抜けていく。
その風の音と、俺の深呼吸の音が重なった。
俺は始業式の後一度も繋げてなかった女子棟側への線を繋げた後、カフをONにして、一向に乾かない汗に濡れた手をピアノの上にそっと置いた。
時計の長針と秒針が重なった瞬間、俺は力強く鍵盤を押した。
俺の手元から鳴っているのは、「2台のピアノのためのソナタ」のメロディーの部分。
二人分を一人分にまとめているわけだが、かなり弾きやすいようにした。
また、右手と左手が同じような動きをしているから、そこまでの難易度ではない。
そこまでの難易度ではないのだが、折りたたみ式のキーボードであるが故に音の強さの調節が非常に難しい。
指先に感覚を研ぎ澄ませて一つ一つ、丁寧に鍵盤を弾く。
それを意識すれば、小学生でも弾くことのできるレベルだ。
問題があるのは、杏果の方だ。
少し遅れて窓の隙間から聞こえてくるのがおそらく杏果の音だ。
あっちはメロディー以外の部分を一つにまとめたわけだが、右と左がどちらも大きく動き、時には交差する。
俺が譜面を作ったというのに、俺が弾いている時もかなり余裕がなかった。
なら、もっと簡単な楽譜を、と思うかもしれない。
でも、杏果が弾いているのはかなり地味な部分だ。
正直、あの楽譜くらいやってくれないと、生徒たちの耳には俺の音しか残らない。
本人にも何度か弾けるかどうかは沢良木さんを通して確認しているのだが、一向に「難しい」としか言わないらしい。
杏果は乗り気になって弾いていると沢良木さんは言っていたのだが、それでも俺が一方的に頼んだものであることに変わりはない。
たとえ弾けなかったからってそれは仕方ないと思っていた。
でも、そんなの杞憂だった。
杏果は楽譜を作ったはずの俺なんかよりよっぽど上手く弾いている。
大きく手の位置が変わってどうしても音が途切れてしまう部分も、違和感なく前の音が残っている。
こんなの相当練習したに違いない。
俺の作った楽譜にそんなに練習してくれたんだって思うと嬉しくて色々なものが込み上げてきた。
俺が頼んだわけでもないし、きっと練習したのも沢良木さんのためだろうに、バカだな、俺。
そんな風に自嘲しながらも、なぜかそれが悪くないように思えてくるのが不思議だ。
きっと病気にかかっている。
曲は第三楽章に差し掛かった。
手の動きが加速し、曲も壮大な感じになってくる。
俺も油断できる状態ではなくなってきた。
今のところは大きなズレはないはずだ。
少し多分杏果の方のタイミングがずれてしまう部分はあるものの、川崎の指揮によって俺も上手く合わせられている。
ちなみに、俺は杏果の方がズレるのを予想して、リズムをとる機能はほとんど使っていない。
これを川崎が知ったら俺は川崎に怒られるのか、はたまたまた労われて間抜けになるのか。
そうこうしているうちに、もうフィナーレに近づいている。
俺の方は別の部分とはそこまで変わらないのだが、杏果の方の譜面は俺が弾いた限りでは一番きつい部分だった。
こんな所でミスったくらいで誰も文句は言わない。
でも、杏果なら絶対にミスなんてしない。
杏果の何かわからないながらも弾いている姿を想像すると、俺も負けられないななんて思って、敢えて楽譜に書いてある簡単な譜面ではなく、本物さながらの難しい譜面の方で弾いた。
何度か手を滑らせそうになったけれど、その度に俺は意地で自分の指を止めた。
そして、俺の手元で最後の一音が鳴った。
数秒して、杏果の方の最後の一音が聞こえて、完全なる静寂が訪れる。
実は、これを聞いてくれた人たちにどうやった説明するかはまったくもって考えていない。
今までのことを考えたら、俺としては長々と説明したくもなるのだが、ここではあまりダレるのも好ましくない。
少し考えて、俺はマイクに向かって喋り始めた。
「ただいまお届けしたのは、『二つの放送室のためのソナタ』でした。演奏は私、三十野龍樹と」
唐突に杏果の方に振ってみた。
すると、なんだか物凄く焦っている声が放送に流れた後に
「二十川杏果でした」
と先ほどの焦っている声はなかったかのように引き締まった声が全校に届けられた。
「一学期の間という非常に短い期間でしたが、二つの放送室からの二つの放送をお聞きいただき、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
俺と杏果の声が流れた瞬間、静寂の訪れたこの学校から盛大な拍手が、しばらくの間鳴り止まなかった。
時は過ぎて7月末、俺は杏果を自分の家に呼び出した。
いつもなら杏果はいらん揺さぶりをかけて結局俺が杏果の家に迎えにいくことになるのだが、今日はすんなり来てくれた。
その代わりなのかなんなのか、とても警戒しているように見て取れた。
「まあそんなに警戒しないでくれ。呼び出したとは言っても大したことじゃない」
俺がこう言うと、俺が座っているところの隣まで来てくれたものの、なぜかそっぽを向いてしまった。機嫌がよろしくないのだろう。
こうやって見ると今まで不思議な関係してたんだなって思う。
「いきなりなんだが、聖城って男女ともに制服のネクタイが浅葱色という少なくてもネクタイにおいては聞いたことのない色をしているよな」
「……ほんとにいきなりだね。まああれはとんでもなくダサいと思う」
そしてびっくりするくらいにテンションが下がっていた。反抗期かよ。
「とりあえず、あの色のネクタイなら聖城だってすぐに分かるわけだ。だから俺はAIくんにあのネクタイの画像で検索をかけてみたわけだ。するとなんとあのネクタイが映り込んでいる動画が某動画投稿サイトに二千件も見つかった。俺もは?ってなった」
「二千件って……暇人すぎるでしょ聖城の生徒」
この部屋に入ってきてから初めて俺の目の方をちゃんと向いた。
もちろんその目は呆れ返ったような目だ。
「そう。そこで俺は調べてみて、再生数のTOP3の動画を集めてみた。まあ、一緒に見ないかっていう話だ」
「別に暇だからいいけど、期待はしてないし一時間くらいあるつまらない動画だったら帰るよ」
「3位と2位はショート動画だからどうか帰らないでくれ」
「ふーん。じゃあ別に最後まで見るけど」
おかしいな。杏果の声がツンデレボイスになっているのは気のせいだろうか。
俺はそんなことを思いながらもパソコンを開いた。
そして3位の動画のファイルを開く。
「3位の動画は5万6千回再生の3年前の動画だ。森嶋 裸さんの動画でタイトルは『天敵の子』だ」
「3位で5万って意外とレベル高いんだね。投稿者とタイトルは明らかに不穏だけど」
俺は再生ボタンを押す。
パソコンの画面に映ったのは、この学校の屋上を使って雨の日に天気の子を模した劇のようなことをしている制服の男女だ。
天気の子ではどちらも制服ではないのだが、そのあたりは適当だ。
女子の方が空に手を伸ばすような格好をして言う。
「今から食べるよ」
そう言って、男子のほうに襲いかかってグロシーンは見せずにエンドロールだ。
その間わずか三秒。
杏果は小さく笑っていた。
飽きさせても仕方ないので、さっさと2位の動画のファイルを開く。
「次は2位の動画だ。2年前の動画で再生数は8万4千回。なんと聖城の公式の動画でタイトルは『文化祭の打ち上げ花火』だ。ライブ配信のアーカイブの切り抜きらしい」
「聖城の公式って絶対センスそんなにないでしょ」
俺はすぐに再生ボタンを押す。
画面には夜中の暗い学校が映し出されている。
打ち上げ花火のカウントダウンを全員でやっているようだ。
「5、4、3、2、1」
その後、でっかい花火が打ち上がるかと思いきや、何も打ち上がらなかった。
生徒たちは混乱しており、教師陣は頭を抱えている。
杏果は知っている嫌な教師たちが頭を抱えているのを見て大笑いしていた。
俺は少し間を空けて、1位の動画のファイルを開いた。
「最後に1位の動画だ。十日前の動画で再生数は15万4千回。投稿者は聖城学院女子棟放送部公式で、タイトルは『二つの放送室のためのソナタ』だ」
俺がこう言った瞬間杏果は俺の顔の方に一瞬で向いた。
俺はそれを気にせずに再生ボタンをタップした。
画面に映ったのは、間違いない。杏果の手だ。
俺の横では
「えっ私!?」
と杏果があたふたしている。
杏果の手が映っている間は、あまり聴きたくないような旋律だ。
しかし、投稿者が放送室から外へ出た瞬間、その音は綺麗な2台のピアノのためのソナタへと変わった。
華やかな低めの方の音が杏果の音、渋い高めの方の音が俺の音だ。
この二つの旋律は、綺麗に重なり合っている。
ふと杏果の方へ目をやると、前見えてないだろってくらいには大量の涙が眼球を覆っていた。
杏果は文字通り涙目で俺にきいてくる。
「あれ誰が撮ったの?私の周りに撮ってそうな子いなかったんだけど」
「沢良木さんが撮ったらしい。勝手に撮る許可を得ていたとかなんだとか」
「い、いや確かにそんなこと言ってたけど……最後なんだから静かに聞いてくれればよかったのに」
「何が最後なんだ?」
俺がそう言った瞬間、杏果は涙に濡れた目を見開いた。
敢えて当たり前のことを言うように言ってみたのだが、効果覿面だった。
「な、何がって部活にくること、だけど……」
「部活辞めるなんて言ってたか?」
「いや、確かに言ってない、けど男女混合になったら結局辞めちゃうじゃん!」
「へ?男女混合になるなんて誰か言ってたっけ?」
「いや、確かに言ってな……って私の反応わかってやってるよね!絶対揶揄ってるよね!」
どんどん自信無くしてく杏果があまりにも面白くて揶揄うのを辞められなくなってしまっていたのだが、ついにキレさせてしまった。
別にキレさせようとするつもりはなかったので、このあたりでやめておこう。
ただ、責任逃れはしたいので全力で惚けさせてもらうが。
「あ、そういえば杏果には言ってなかったな!いつも放送までの男子棟と女子棟の行き来の人数を表にしている投票サイトあるよな。あれ使って放送前に男子側と女子側に分かれて投票して多かった方がその日の放送をするっていうルールになったんだよ。ごめんごめん、杏果はすでに知ってて承諾してるようなもんだと思ってたわ」
こんなことを言っている間に、杏果は完全に脱力して俺の方に倒れ込んできた。
騙すような真似してほんとにごめん。悪気は……あった。
「正直さ、龍樹は隠そうと必死だったけど龍樹が何やろうとしてたかなんてわかってた。わかってたけどその気持ちは嬉しかったから黙ってた。なのにあれが盛大な前振りだなんて言われたらもう恥ずかしくて動けないんだけど!せめてその後のオチが想定外のものだったりしたらまだしも放送室が一つになるだけの記念のために私の努力が……あんな壮大な前フリからだったらそれを超えるオチをつけてよ!あーもう一生こうしてたい……」
俺の足の上で杏果はずっとボソボソ言いながら時々俺の方を向いて叫んだりして悶えていた。
近所の子供を見ているかのような微笑ましさがある。めちゃくちゃ可愛い。
「別にずっと悶えてもいいけどそろそろ足しんどいから退いてくれない?」
「やだ」
そう言って頭だけじゃなくて全体重を俺の足の上に乗せてくる。
全く動けなくなった俺の顔を杏果は両手で挟む。
「盛大な前フリの後は、それを超えるオチがないとダメでしょ」
そう言い終わるや否や、杏果は唇を俺の唇に近づけてくる。
こいつと最後にキスしたのなんて何年前だろう。
そんなことを考えながら唇に関してはずっと杏果に委ねていたのだが、全く離してくれなかったので、俺はもうわけわからなくなって無理やり杏果の体を突き放した。
「ふっ、照れてるじゃん。あんな分かりやすい龍樹なんて私からのキスで永遠に照れてればいいの」
そういう杏果の顔も真っ赤だ。お互い様だじゃねえか。
その後、互いに弄り合った後疲れてどちらも寝ているところを親に発見された。情けない話だ。
時は流れて二学期最初の放送の日になった。
今日は月曜、そして曇りだ。
どう考えても女子側の有利な日だ。
結果はというと、倍くらいの差をつけて女子側の放送部の圧勝だった。
一つになって設備も新しくなった放送室の前でその結果を確認して帰ろうとすると、いきなり後ろから腕が俺の腹へ回された。
これは間違いなく杏果だ。
俺の背後から嘲笑う声が聞こえる。
こいつ、俺を放送室の中へ連れ込もうとする気だ。
でも、その腕を振り解こうとしてもあまり腹には力を入れることができない。
俺は助けを求めようと周りを見て知っている顔を探した。
すると俺の視界の中に沢良木さんが入ってきた。
「あの、沢良木さん!ちょっと杏果が俺を誘拐してこようとするので助けてくだ……」
ガチャン。
現実は非常で、俺の訴えなど一切気にされることなく鍵が開けられた。
俺は抵抗虚しく放送室に連れ込まれることになった。
そして、沢良木さんに内鍵をかけられて俺が放送室の中に閉じ込められた状態で放送が始まった。
「今日の放送は私二十川杏果がお届けさせて……って龍樹流石にいくら悔しいからって放送室の中に入ったらダメだよ。ええ、では最初の曲をお届けしま……」
「違う、今杏果に誘拐されたんだ、これは俺じゃ……」
マイクに乗せて俺の疑いを晴らそうとしたのだが、杏果はカフをOFFにしやがった。
今なら逃げられるかもしれないと思ってドアの方を見ると、沢良木さんが全く持って似合わないダブルピースをしていた。
すごく嫌な予感がして、ドアの外側を見てみると、そこには川崎がいた。
そして、俺と目が合うなり鬼の形相で睨んできた。
本当に冤罪なんだが、あいつにはしばらく口を聞いてもらえなさそうだ。
振り返ると、杏果が俺の方を見て屈託のない満面の笑みを見せた。
その顔は、放送が楽しいかどうか聞いた時と同じだった。




