ほら吹き地蔵 第八夜 通小町
【お断わり】今回も三題噺ではありません。
ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。
でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。
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【1】
毎日毎日、雨の日も風の日も、地蔵堂にやって来る男がいた。
ブクブクと太った年齢不詳の男。
目付きがおかしい。
服装は、この陽気続きに冬用のパーカー。下半身は膝の抜けたスウェットパンツ。
変色したスニーカーの踵を踏んづけて歩いている。靴下も履かずに。
寝ぐせ頭にフケが浮き、もちろんヒゲも剃ってない。
そもそも風呂に入ってないのは3メートル先からでも分かる。
人間の体の、どこから発生したのか見当もつかない異臭。
セカセカと小刻みに歩いていたかと思うと、いきなり左右にフウワリ、フウワリと揺れる。
いつも、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。
地蔵堂の前で柏手を打って、30分も「祓いたまえ、清めたまえ」と唱えている。ずっと直立不動で。
最後に、いつも千円札を賽銭箱に放り込んで帰って行く。
【2】
オレは男を尾行した。
土地勘はあるようだ。
川べりとか、線路沿いとか、人目につかない道ばかり選んで、フウラリ、フウラリと歩いて行く。
やがて小ぎれいなアパートの一室に消えて行った。
オレはドア横のインターホンを押した。
カチャリとカメラの作動音がして、男の声がした。
「どなたですか?」
「地蔵堂の古狐です。少しお話ししませんか。」
「どうぞ」と、ドアが開いた。
ちょっと暗示にかけただけだ。地蔵堂の使いっ走りでも、このくらいの事はできる。
廊下にはネットスーパーの食品段ボールが山積み。
「これじゃ、恐らく室内も」と思っていたら、意外や、ゴミ屋敷「ではなかった」。
椅子を勧められた。
この状態で、男二人が差し向かいで話をするスペースがあるのだからリッパなものだ。
缶コーヒーの接待まであった。
オレの方から口を開いた。
「奥さんのこと、この度はご愁傷さまです。」
「ありがとうございます。」
「お淋しいですか?」
「ええ、もちろん。毎日、泣き暮していますよ。」
お地蔵さまが遠隔操作で男の心を開いたので、言葉なめらかに男はしゃべり続ける。
「妻はね。最高の女でしたよ。
カワセミっているでしょ? 青いきれいな小鳥。
妻の髪はカワセミの羽根みたいに軽くてフワフワして、そしてツヤがありました。
ウグイスが鳴くような声で話し、笑えば体全体が天国の光に包まれるようでした。
妻が欲しいと言えば何でも買ってやったし、世界一周のクルージング旅行までしましたよ。」
「わざわざ勤め先を辞めてまで?」
オレは、わざと話の腰を折った。
案の定、男の顔にチラリと陰が出た。
「私はね、男に生まれてきて良かったと思ってますよ。最後の最後まで妻に奉仕する事ができたんですから。
誤解しないでください。私は女には興味ありません。興味があるのは妻だけです。
私は妻が最高の人生を自己演出するための道具であり、モノだったんです。それを誇りに思っています。」
「そんなあなたを、奥さんは裏切り続けた。
外出を認めれば必ず朝帰り。それも、男の臭いをプンプンさせて。
毎日毎日、気も狂わんばかりだったんじゃありませんか?」
男が言葉に詰まった。やがて体が震えだし、両目から涙があふれた。
「あんた。何を言いたい? お地蔵さんの使いは、オレに嫌味を言いに来たのか?」
さて、ここから先がオレの仕事だ。
「お地蔵さまは、あなたが抱えている問題を、これ以上は見過ごせないと言っています。
私は問題解決のお手伝いをしに来たんですよ。」
男の顔に反抗と抵抗の色が浮かんだ。
「アンタに何が分かる。最後の5年間、私は妻を独占したんだ。
長くて苦痛に満ちたガン治療の間、私に連絡を入れて来た浮気相手は、ただの一人もいなかったよ。」
「その通り。あなたは奥さんを愛していた。
確かに、普通の男には到底できない事をやり遂げましたよ。
あなたは『99回目までは妻のウソを赦す』と決めていた。
そして100回目で、あなたの憤りは到頭、爆発してしまった。」
「そんな事はない・・・。」
男は床に腰を落とし、迷子になった子どもみたいに泣きじゃくっていた。
「じゃあ、これは何です? こういう事は、もう止めましょうよ。」
オレはベランダに出て、プランターを抱えて戻ってきた。
そのままプランターを引っ繰り返し、プランターの中の物を土砂ごと室内にぶちまけた。
泥だらけの頭蓋骨が転がり出た。
ものすごい臭気が充満した。
頭蓋骨の眼窩を、固い草の根が貫通していた。
「あなたは土葬の許可を取るため、わざわざ、この地に移住までした。
そこまではいい。
でも、これはやり過ぎです。犯罪ですよ、これ。」
男は涙声で話し続けた。お地蔵さんが男の沈黙を許さなかったからだ。
「オレを裁く権利が誰にある?
妻を愛した事が罪なのか?
そもそも、出会ってすぐ、妻に恋した事が罪だとでも言うのか?
最後の最後まで妻を守ろうとしたのを、執着心とか言って否定する積もりなのか?」
「誤解しないで下さい。お地蔵さんは裁判官じゃない。
そもそも仏法には白も黒もない。良いも悪いもないんですよ。
でも、人間の法は、そうは行かない。
人間が決めた法を、人間が無視しちゃならんのです。少なくとも、生きている間はね。」
「結局、オレを警察に突き出そうとしてるじゃないか。」
「人間の法は罪と罰のバランスで、できています。
ちゃんと罰を受けなかったら、あなたの罪もアイマイモコとしたままです。
これから死ぬまで、毎日、地蔵堂に千円お布施し続ける積もりですか?」
男は下を向いてつぶやいた。
「ごめんなさい・・・。」
オレはしゃがみ込み、男の顔をまっすぐ見ながら、できるだけ優しく言った。
「私はずっと、あなたと一緒にいるつもりですよ。
さあ、警察に行きましょう、小野さん。いや、小野少将。」