第9話
初めは校外学習の一環で、外の教会を手伝うばかりだったけれど。休日も暇さえあれば外に出て、様々な雑事をこなすことにした。あれこれ一人で悩んでいるより、身体を動かして誰かと話している方が気持ちが上向く気がする。
(今日も教会へ行ってみよう)
エリクに指示されるまま、学校と教会を走り回っているうちに、こちらの世界にハケンされて三年の月日が流れていた。すっかりエリクの対応にも慣れ、こちらの世界についてもわかることが増えてきた。
まずはエリクについてだ。出会って早々の印象はそこまでよくなかったが、エリクにも事情があるのだと知った。もとは孤児院で育ったエリクは己の生い立ちをバネに、使えるものは何でも使って上位神官になろうとしているようだった。校外学習で学校を離れるタイミングで、近くの街に立ち寄り、身寄りのない子供たちや孤児院を訪れて食事の世話や雑事などをこなしていた。ケイタに対しての態度はそれほど変わっていないが、誰に対しても大体同じように接しているのであれがエリクの標準だと考えればあまり気にならなくなった。それに――。
『エリクさん、いわゆるツンデレなのかもしれませんね』
(だね……)
雑用を押し付けられたあとには必ず、エリクはケイタの部屋を訪ねてきた。何も言わずに手渡される紙袋のなかには、街で買ったお菓子やきれいな小物が入っていた。お土産ぐらいで騙されないぞ、と肩肘張っていたケイタだが、エリクが気になって始めたくらいなのでちょっと優しくされたらどうしようもなかった。
王都からほど近い教会は中規模で、街の人々の憩いの場になっていた。見習い神官とわかるように、白のローブに黄色の帯を腰に結んだケイタは外回りの掃除から始めた。
整えられた花壇には手入れのされた花が植わっており、つぼみが風で揺れている。花を咲かせるのはあと少し、あたたかくなってからだろう。
(ジャンは相変わらずお父さんと話し合いができてないみたいだし、フェルティフィーも当主になるのを嫌がって騎士団に志願して喧嘩になってるらしい……もう、どうしよう……!)
『やはりこれは変えられない運命のようです』
神学校の寮に入ったあとも、二人とは文を交換している。フェルティフィーは絵葉書を送ってくることが多いけれど、ジャンはあの大きな手のひらからは想像もできないほど繊細な筆跡で日々の様子を書いて教えてくれた。森で、川辺で、屋敷の庭で――草花や木々、虫や小動物を観察するのが楽しいのだと文面から伝わってくる。初めの頃はどうにかしてジャンが勘当されず、ゲーム本編のように研究者になれないものかと考えていたけれど。ジャンがジャンらしく、フェルティフィーがフェルティフィーらしく生きるのに、ケイタは介入してはいけないのだ。むしろ手を貸そうとすればするほど、二人は歪になってしまうことを、飛田の未来視で見た日から、我慢するようにしている。
『ケイタさん、誰かが近づいてきています』
(え?)
ジャンとフェルティフィーの幸せのため、無心で草を抜いていたケイタに、飛田の意識が唐突に入り込んでくる。
飛田の声に身構えるように立ち上がったケイタは、辺りを見回す。教会の壁際に沿って視線を動かし、違和感に気が付く。生い茂った緑の生垣の中に、なにか白い塊が蠢いている。やがて白い物体は庭の真ん中に飛び出して、ゆっくりと歩くスピードで移動し始めた。
「あれ……? もしかして、あなたは……」
「わっ! あなた、見えてるの? …………なぜわたしが見えるの?」
「えーと……なぜでしょう…?」
あやふやな白い物体をよく見ようと、ケイタは目を凝らす。ケイタから数メートルのところで、塊は動くのを止めた。そこには白いドレスを纏い、さらに白いレースを被った少女がいた。海の青をそのまま溶かしたような二つの瞳には見覚えがあった。互いに視線があい、時が止まったような沈黙が流れる。
『現王の一人娘、メイリア姫です』
(やっぱり主人公だよね!?)
『あの白いショールには人目から姿を隠す効果があるようです。神具を持ち出すとはなかなかいい度胸です。おそらく私がインストールされているせいでケイタさんの目を騙せなかったのでしょう』
(そうなんだ……?)
少女――メイリアが動揺したのは一瞬だった。瞬きのうちに、その幼い輪郭からあどけなさが消え、神の末裔としての矜持でケイタを睨みつけてくる。
「あなた、いったいなにもの?」
「えーと……オレは見習い神官のケイタで、今はこの教会で御奉仕活動中なんだ。それで草むしりをしてて……。君こそ、この辺の子?」
「このまちより……もう少しとおいところに住んでるの。今日はともだちにあいに来て……あ、マークス!」
「マークス!?」
メイリアはおそらく物見遊山の途中で、衛兵たちの目を欺いて抜け出して来ているはずだ。庶民は王族の姫の顔など知るはずもないのだから、慎重に話すつもりだったのに。メイリアの口から知った名が飛び出して、ケイタは驚いて反復してしまった。
「大丈夫? メ、メイリ……じゃなくてメイ!」
「ええ、なんともないわ。こちらのケイタさんに……その、見つかってしまって……」
「ショールを被っていなかったの?」
「いいえ、かぶっていたの。いつものようにまちでは誰にも気づかれなかったのに……」
マークスはそのままだった。あまりにそのままだったので、街で見かけることができたのならすぐにわかっただろう。身体の大きさだけが違う、まるでミニチュアのようにゲームで知っているマークスの顔そのものだった。
「多分、えっと、オレ神官見習いだからかもしれません! 多分!」
「そういうものかしら……?」
神具の存在は庶民はもとより、神学校でもまだ習っていないものだ。おそらく知っているのはごく僅かの人間だけ。なんとか話を変えようと、ケイタは二人の前でわざと大きく身振り手振りを交えて質問する。
「そ、それより、あの……お二人はここで何を……」
二人は顔を見合わせて、しばらく小さな声で話し合った。メイリアがマークスの手を取り、ぎゅっとその手を握ると、ケイタに向き直って、静かに話し始めた。
「この教会でぼくたちは出会って仲良くなったんです。メイは遠くに住んでいて、その……家も厳しいからたまにしか会えないんですけど、それでもぼくは嬉しいんです」
「マークス……わたしもよ。あそこにいるよりずっと、ここの方が自分らしくいられるの」
ゲーム本編では語られていない部分だ。マークスは庶民出身で、突然、選定の儀によって選ばれ城にやってくる。幼少期からの知り合いで、こんなふうに思い合っているのなら、二人が結ばれるあのエンディングも納得できる。
「お互いに、大事な人なんですね」
「……そうね。マークスみたいな人、どこにもいないわ」
「メイ……」
それからケイタは、マークスとメイリアの話に耳を傾けた。数年前、この街で偶然出会ったこと。月に一度、こっそりこの教会で会っていること。けれど大人になったら、もう会えなくなってしまうということ――。会えなくなってしまうというのは、メイリアが成人し夫探しが始まれば城から出られなくなるからだろう。せっかく想い人がいるのに、メイリアの意思は尊重されない。それが神の末裔に与えられた宿命だ。
教会の一室に二人を案内し、ケイタは庭掃除に戻る。
(マークスルートって影が薄い感じがしたけど……もしかしたらどのルートでも二人はこうやって出会ってたのかな)
『そうかもしれませんね。ゲームの世界ではプレイヤー次第でいくつもの世界線に分岐していくものですが、開始時までの世界は一つですからね』
自分のあずかり知らぬところで、人生が変わっていってしまうだなんて、ケイタは今まで一度だって考えたことがなかったけれど。ゲームの中の人生だって、その人にとっては一回だけ。突然やってきたケイタに、何か大それたことができるはずもない。
『ケイタさん、今、落ち込んでいますか』
(ううう……見ないでよぉ……)
『生憎と目が閉じられないものですから。こちらの世界へ来たのは、ケイタさんの意志であり、ジャンさんやフェルティフィーさんの願いでもあります。メイリア姫やマークスさん、それからエリクさんにもよい未来が訪れるように、と考えてしまうのも無理はありません。しかし、ケイタさんはケイタさんにしかできないことがあるはずです。弊社システムのマッチングに間違いはありません』
(……うん、もう少し、やってみるよ)
『ゲーム開始時期まであと七年あります。どんな運命でも変えてみせましょう)
飛田の声に勇気づけられて、ケイタは再び草を抜き始める。ジャンとフェルティフィーの幸せだけではなく、マークスやメイリアの幸せも叶えることができたなら。プレイヤーとして見ていたどんなエンディングよりも、きっと素晴らしいものになるはずだから。