04-52.想定外の劣勢
「お目にかかれて光栄だ。妖精王」
「貴殿がオルドニェス侯か?」
思っていたよりは随分と老けている。とても十六の娘がいるようにも見えない。実は孫娘なのか?
「驚いたか? あの子は年のいってからようやく生まれた娘だ。私にとって大切な子だ。それがわかったのなら早急に返還したまえ。今ならばまだ殿下もお許しくださるだろう」
あの第三王子配下の者だからてっきり初手で怒鳴りつけてくるものかと思っていたが、オルドニェス侯は物腰柔らかな紳士然とした男だった。
「お断りしよう。何よりあの子自身が望んだ事だ」
「妖精王とは子どもの戯言を真に受けるのか?」
「戯言だと?」
「あの年頃にはありがちなものだ。所詮一過性のものに過ぎん。人の常識を知らぬ貴殿にはご理解頂けぬかもしれんが」
「第三王子の側室となる事が娘の真の幸せに繋がると?」
「いかにも」
「本気で言っているのか?」
「当然だ。娘が自らが支持する殿下に見初めて頂けたのだ。何を憂慮する必要があると言うのだ」
「侯爵殿の立場であればそれも当然か。ふむ。だがお主には我々視点の考えが抜けているようだ。我々からすればお主ら第三王子派閥の者達は厄介者でしかない。第三王子個人の人柄なんぞは知る由もないがな」
「つまりこれは我々に対する妨害工作と受け取ってよいのだな? 第一王子殿下の派閥と組んで我々の結束力を損なわせる為に我が娘を攫ったと。そう言うのだな?」
「我らをくだらん人の争いに巻き込むな」
「首を突っ込んだのは貴様らであろう」
流石に気分を害したようだ。確かに我ながら酷い言い草だったな。この男からすれば悪いのは完全に私の方なんだし。
「仮に妨害の意図があったとして第一王子派閥は関係あるまい。我々はデネリス公の領都に居た頃からお前達の手の者に害されてきたのだ。ここらで一矢報いたいと思うのも当然の話であろう」
「よかろう。あくまでこれは我々と妖精王一派の争いであると。そう受け取ろう」
やけにあっさりと引き下がったな。スノウ達の件を仄めかしてみたけれど特にとぼけるつもりも無いようだ。これも意外だな。彼らとしても現時点で第一王子派閥を相手にまともにやり合うのは避けたいか。
「だが言うまでも無く私に妨害の意図は無い。ただイネス嬢の真摯な願いを聞き届けたに過ぎん。彼女は我が臣民へと加わる事を望んだ。私はそれを受け入れた。故に彼女を帰すわけにはいかん。私はこの身を賭して彼女を守り抜く。それだけだ」
「結果が全てだ。貴殿にどんな意図があろうとも関係ない。私は愛する娘を取り戻そう。どんな手を使おうともな」
「「……」」
「待ちなさい」
ここまで黙って成り行きを見守っていたニアが口を挟んできた。
「これ以上妖精王を巻き込んだ騒ぎを起こす事は陛下がお認めにならないわ。この場で落とし所を見つけなさい」
ニアの言葉にベルトランが動いた。逃げ出す事は禁ずると、扉の前に仁王立ちで立ち塞がった。
「これはどういう事ですかな? 王女殿下」
「どうもこうも言った通りよ。侯爵は先程の騒ぎを聞いていないのかしら?」
「騒ぎ? はて。何のお話やら」
「先程謁見の間に女神の御遣いがご降臨なされたわ。そしてあろうことかその御方は妖精王の姉君を名乗られたのよ」
なんでもうニアが知ってるの? あの場にニア本人は居なかったよ? 私達まっすぐにここに来たんだよ? 先回りして誰かが知らせたの?
「……女神……それは真でありますかな?」
「この目で確かに」
「……」
ベルトランが補足するとオルドニェス侯は何やら考え込み始めた。
「妖精王。一つ取引をしよう」
オルドニェス侯は方針を定めたようだ。
「それを飲めばイネス嬢の出奔をお許し頂けるのかな?」
「いかにも」
たしかオルドニェス侯はイネスを失えば第三王子派閥内での影響力を失うという話だったが。それに変わる案を思いついたとでも言うのか?
「一人少女を用意する。その者に貴殿の加護を与えよ。さすればイネスの事は貴殿に託すとしよう」
「加護だと? 何の話だ?」
「惚けるな。第十三王女殿下に何やら施していただろう」
十三? レティの事か。爺様との戦いを見ていたのか? ならその少女を眷属にしろと?
「その少女をどうするつもりだ?」
「イネスの代わりを務めさせるのだ。当然であろう」
「結局それが本音か」
「家の為、娘の為、最良の道を選び取るのが当主の務めだ。一面的に切り出すのは経験の浅さ故に視野が狭い証拠だ」
「……そうだな。失礼した」
この男の本心がどこにあろうと、この男が今日この場で口にした言葉には正当性があった。これ以上噛みついても無様を晒すのは私の方か。
「間接的とは言え女神の加護が与えられるのであれば、イネスの幸福も間違いのないものであろう。であれば後はオルドニェス侯爵として動くだけだ。ご理解頂けるかな?」
「その為の犠牲にするのか? その少女とやらを」
「何を憂う必要がある? 女神の加護と王子殿下の伴侶。この二つを得られるのだ。希望する者はいくらでもいるぞ」
それはそうかもしれぬが……。
「我が力を分け与えられるのは我が伴侶と認めた者のみだ。貴殿の要望には答えられん」
「ならばイネスを返せ。あの子に貴様の言う犠牲を強いるがいい」
こやつ……。
「論外だ。話にならん」
「ダメよ。妖精王。この場の話し合いでケリを付けなさい」
くっ……。
「そもそも侯爵殿は勘違いしている。侯爵殿の言う加護はただ祝福されるだけのものではない。我が力を授ける代わりに我との断ち切れぬ繋がりが生まれるのだ。つまりは我が半身を派閥の中枢に忍び込ませるも同然なのだ」
「ならば妖精王ごと我らの陣営に組み込むまでだ」
「ふざけるな。それこそありえん話だ」
「あり得ん出来んとそればかりだな。ならば潔く娘を返したらどうだ? 貴様のやっている事はただの拐かしだ。それが理解出来ぬ程に常識が乖離しているわけでもなかろう?」
「本当に侯爵殿が娘を愛しているならあの子が私に助けを求める事なんざありはせんかっただろうな。必ずや愛する父君と家族の為になろうと己が身の犠牲を受け入れた筈だ」
「くだらん揺さぶりは結構だ。今必要なのは落とし所を定める事だけだ。娘を攫うと言うなら代わりの者を置いていけ。それで不問にしてやると言っておるのだ。私の言葉は的外れだと思うか? 道理を逸していると思うか? この場において人の道から外れた事を為そうとしているのはどちらだ? 例え妖精王であろうが知らぬとは言わんせぬぞ。貴様は話し合いに来たのであろう? 人の道理を以って私を責めようと言うのであろう? ならば従え。勿論私にではない。人としての正しさにだ。貴様は我々の土俵に自ら乗り込んだのだ。それを決して忘れるでない」
「……何故お主程の者が第三王子なんぞを」
「あのお方を何一つ知らぬ貴様に話す意味は無い」
道理だな。この侯爵の口から何を聞かされようが私があの者を見直す事なんぞありえんのだ。
姉さん。
『加護ですか? それっぽいのを授ける事は出来ますが……やめておいた方が良いですよ。つまりは我々にその少女の支援者になれって話ですし。将来その少女が為した事は全て我々の責任と言い張りますよ』
だよなぁ。
「私は第三王子派閥と縁を繋ぎ続けるつもりは無い。それを前提に考えていただけるかな?」
「ならば何を提供出来るのかね? 貴殿から提案してみるがいい」
姉さん。
『はいはい。ここは無難に一度限り使い捨ての神器でも差し出してみては如何でしょう』
ふむふむ。具体的には?
『例えばギンカの魔力を封じた小瓶です。それを傷病者の側で開ければまたたく間にその者を癒やしてみせるでしょう。小瓶さえご用意頂ければ私が必要な機能と封印を施します』
悪くない案だ。用法用量を守れば依存症の心配も無い。私との面識が無ければ私に好意を向ける事も無いだろう。
「……ならば神器を一つ授けよう」
「神器の所持は禁じられている。お断りしよう」
えぇ……。




