03-69.種族の違い
『好き……スキ……すき……主様好き……』
これはいったいどうしたことだろうか……。
ファムがオルニス達の世話の為に部屋を出ていった途端、私はまたもソラに押し倒されてしまった。しかもソラは耳まで真っ赤にして私の唇を啄んでいる。熱に浮かされたように好きだと囁きながら。
いくらなんでも急激に成長しすぎだ。どう考えてもさっきのファムとのやり取りが原因だろう。焚き付けすぎたな。ここまで効果覿面だとはファム本人ですらも思うまい。
「ソラ」
『好き。主様』
ダメだ。止まる気配が無い。姉さんも『うわっ』とか言って早々に引き上げちゃったし。姉さんは結構長く生きている筈なのに心はまるで年頃の乙女のような初心さだ。刺激が強すぎて退散してしまうのも仕方のないことだ。
どうにかして魔力の繭を取り除けないだろうか。困ったことにこの繭は魔力で干渉する事も出来ない。どころか今の私は魔力を放つことすら不可能だ。魔力の繭によって完全に遮断されている。ソラの方が圧倒的に私より魔力の制御技術が上なのだろう。密度が違いすぎるのだ。私の魔力を通せるような隙間が全く見つからない。
……いや、一箇所だけあるな。口だけは今も塞がっていない。ある意味塞がってはいるけど、少なくともソラの魔力には包まれていない。ならここから魔力を流すしかない。
しかしどうしたものか。下手をすればこの唯一の抜け道すら塞がれかねない。やるなら一発でやり遂げるべきだ。
覚悟を決めよう。ソラを我が眷属としよう。今後二度と勝手な真似をさせないように。ソラの気持ちが固まったと言うなら私も真剣に向き合う必要がある。何時までもなあなあではいられない。
「!?」
ソラの口が触れてきたタイミングであらん限りの魔力を流し込んだ。ソラは驚きで固まっている。しかしそれも少しの間だった。今度は嬉しそうに唇をより強く押し当ててきた。むしろ私から魔力を吸い出そうとしているかのようだ。
いや、ようだではなく本当に吸い出しているっぽい。竜や猫かと思ったらその正体はキス魔のサキュバスだったのかもしれない。普通の人間ならとっくに干からびていそうだ。
ソラの身体には私の魔力がよく馴染む。身体の隅々まで流し込める。これはソラが受け入れてくれているからだろうか。それとも身体が人間のものに置き換わっているからだろうか。或いはソラが姉さんによって支配された影響だろうか。
今更依存症については構うまい。ソラの気持ちは十分に理解した。今はまだ幼い孤独感故に過ぎぬとしても無視は出来ん。だから受け入れよう。本当に私のものにしてしまおう。姉さんからの借り物ではなく私だけのソラにしてしまおう。
ソラの体中を私の魔力で染め上げるには随分と時間を要した。魔力自体はよく通すのだが、そもそもの容量が膨大なのだ。流石は竜種。人間とは比べ物にならない。
ソラの魂を見つけだして私の魔力で染め上げるには更に長い時間を要した。器が大きい分なのか魂までの距離も相応に遠かったのだ。ソラ自身の協力が無ければ未だに見つけだすことすら出来なかったかもしれない。
「解放しておくれ」
『嫌♪』
眷属化が完了した途端、今度はソラの魂から魔力が逆流し始めた。やらかした。私はまた竜を舐めていた。このままでは私が染められてしまう。魔力量がどれだけ多くたって制御技術では遠く及ばない。そもそも瞬間的な出力ではソラの方が上だ。私が勝っているのは総量だけだ。しかもそれは魂そのものから引き出している魔力ではない。薬液に含まれた魔力だ。私の魂はその薬液に浸かっているだけだ。魂同士を直接繋いだ以上は防壁代わりにだってなりはしない。私は見落としていた。眷属化にこんな落とし穴があったなんて。ソラ自身が熱心に鍛錬を続けてきた成果でもあるのだろう。退屈を誤魔化すために必要だっただけかもしれないけど。何にせよ私は自分とソラの魂を直接繋いでしまった。逆侵蝕はあっという間だ。もう今更どう足掻いたって止めようがない。
『!!?』
「ソラ!?」
私の魂にソラの魔力が触れた途端、ソラは身体を仰け反らせてひっくり返ってしまった。私を包んでいた魔力の繭も解けている。慌ててソラを抱きかかえて様子を確認する。
『まったくとんだ邪竜ですね。主を支配しようとはどういう了見ですか』
「姉さん! 何をしたんだ!?」
『お口に出てますよ。それと助けてあげたんですから感謝してくれても良いのでは?』
「それより!」
『大丈夫です。予めかけておいたプロテクトが作動しただけです。ソラは無事ですよ。気を失っているだけです』
「はぁ……良かったぁ……。そういうことは先に言っておいておくれ。驚いてしまうではないか」
『勝手な事をしたのはギンカです。先ずは我が身を省みてください』
「……そうだな。すまん。ありがとう姉さん。お陰で助かった」
『はい♪』
本当に姉さんがいてくれて良かった。危うく最悪の形で皆を裏切ってしまうところだった。
『ふふ♪ 分かれば良いのです♪』
それで? ソラはどの程度で目を覚ますのだ?
『もう直かと。そこまで強い反撃は設定していませんから』
「……うぅ」
「ソラ! 大丈夫か!?」
『大丈夫だと言ってるじゃないですか』
分かってるけど!
『もう。心配性ですね。これでは駄竜にお仕置き出来そうにありませんね』
心遣いは有り難いけれど、ここはどうか遠慮しておくれ。お仕置きなんて要らんぞ。元より私から仕掛けたことだ。
『そうですか。わかりました。ですが最後にもう一つだけお節介です。もう直ファムさんが戻ってきます。お二人とも涎まみれなので至急証拠隠滅を図るべきかと』
ありがとう! そういうの本当に助かる!
『何故でしょう……。お姉ちゃんもっと大切なものを守り抜いたばかりなのですが……』
愛してる♪ ネル姉さん♪
『くっ! 雑に処理しおってからに! けど許しちゃう♪』
慌てて自分とソラの顔や首を拭い、襟にまで垂れていた惨状の跡をどうにか誤魔化したところで、姉さんの忠告通りファムが現れた。
「ごめ~ん♪ 随分と遅くなっちゃったよね♪ ふふ♪ 聞いてよ♪ オル君がさ~♪」
上機嫌で入ってきたファムは、私がベット上でソラを膝枕しているのを見て、ソラの頭側の位置に腰を下ろした。
「……」
隣に座った途端に何故か難しい顔で私とソラを見比べるファム。
「なんだ? 悪いがソラが寝てしまっていてな。少し静かにしておくれ」
「……二人で何をしてたの?」
「……色々と話をな」
「何で二人の魔力が混ざり合ってるの?」
そうかぁ……魔力かぁ……。
「何でクーちゃんの顔からソラ君の唾液の匂いがするの?」
そうかぁ……匂いかぁ……。
うん? 何故ファムはそんな匂いを知っているのだ?
「き、気の所為じゃないか?」
「このベットの乱れようは?」
「……ソラがな。燥いでおってな」
「そっか。ソラ君もクーちゃんの前でだけは元気にしてるんだね」
「……あ、いや、ファムも中々だと思うぞ?」
「ふ~ん?」
首を傾げたファムはそのまま私に向かって倒れ込むように口づけしてきた。相変わらずの身のこなしだ。気付いたらファムは既に離れていた。
「ふむふむ。やっぱりそういうことなんだね」
おかしい。ファムはもっと真っ赤になって恥ずかしがると思っていた。それがこともあろうに眼の前で自らの唇を舐め、私の唇についた何かを調べている。完全に研究者の目だ。これが乙女のファーストキスとは到底言えまい。
「まあボク知ってたんだけどね」
「えっと……」
「クーちゃんって小さい子が好きなの?」
「それは……」
「ボクにも好きなことしていいよ。ソラ君にするよりは幾分マシだと思うんだ。ボクこんなでもとっくに成人してるし」
「いや、私からしたわけじゃ……」
「そう。やっぱりしてたんだね」
「……」
「冗談だよ。言ったでしょ。ソラ君から聞いてたって。クーちゃんとソラ君はいっぱいキスしてたんでしょ? ボクがいなくなった途端にまたしてたんでしょ? しかもついさっきまでずっと」
「……いや……その」
「ほら。ソラ君にしたことボクにもしていいよ? ソラ君とボクってサイズ感は丁度同じくらいでしょ? ソラ君がボクを参考にしてくれたのかな? ふふ♪ 嬉しいよね♪」
「それは……」
「魔力まで使って何してたの? そういうプレイ? 興奮するの? ソラ君の好感度を高める為? ボクにも流してくれる? やっぱり人間は順番守らないとダメ?」
「ファム……」
「なぁに? 何がしてみたい? クーちゃんから来ないならボクから押し倒しちゃうよ? クーちゃんもいっぱい我慢してるんだよね? だから魔物であるソラ君に手を出しちゃったんだよね? けどダメだと思う。ソラ君は幼すぎるよ。もちろん実年齢はボク達より遥かに上だけどさ。精神がね。だからボクにしておきなよ。皆には黙ってるからさ。クーちゃんのしたいこと何でもやらせてあげるからさ」
「ちが……違うの……」
「何が違うの? 聞いてあげるよ? 冷静に話してみて」
『ファム』
「起きてたんだ。ソラ君。でもごめんね。今大切な話しをしてるから。もう少しだけ待っていて」
『違う。主様悪くない』
ソラは跳ね起きて今度はファムを押し倒した。しかもバッチリ魔力の繭付きだ。相変わらず私の干渉は受け付けない。結局眷属化には何の意味も無かった。ただただソラの好意を無駄に強めただけだった。
ソラは私にするようにファムの唇を舐め始めた。一切の抵抗を奪い、ただひたすらに無心で愛情表現を続けていく。
「ちょ!? ソラ君!? なにして!? クーちゃん! 見てないで助けてよ!」
「すまん……私にもどうにも出来んのだ……」
「本当に!? 本気で!? 言い訳じゃなくて!?」
「うむ……」
「悪かった! ごめんなさい! ボクの勘違いでした! ソラ君! これ嫌だよ! せめて拘束するのはやめてよぉ! 普通にしてくれたら避けたりしないから! ね! お願い! ソラ君! 聞いてってばぁ!」
ソラはファムの制止を無視して舐め続けた。とは言え私にする時とは違ってキスはしていない。あくまでファムの口を舐めているだけだ。どう見ても犬猫が飼い主にする感じのあれだ。私はこれをどういう気持で眺めていればいいのだろうか。
『目を逸らしてみては?』
姉さんこそ良いのか?
『これは幾分かマシですね』
流石に慣れてきたのもありそう。
それよりネル姉さん。あの膜の破り方を教えておくれ。
『まく!?』
魔力の膜だ。繭みたいなこれのことだ。
『あ、えっと、はい。そういうことでしたか。ふぅ……』
それで? どない?
『無理ですね。ギンカの実力じゃ』
そんなバッサリ……。
『ソラがギンカに絶対服従するよう契約を変えますか?』
やめてください……。そこまでは望んでません……。
『なら言葉で説得するしかありませんね。今なら案外聞いてくれるのではないですか?』
ああ、そっか。私の魔力は染み込んでいるんだものな。全くの無駄ではなかったのか。
「ソラ。もうやめておくれ」
『……』
「ソラ。頼む。ファムもよくわかってくれた筈だ」
『……』
「ソラ。私はあまり見たくないのだ。私だけにしておくれ。ソラは私のことが好きなのだろう?」
『わかった』
ようやく開放されたファムは震える手足を丸めて縮こまってしまった。よっぽど拘束が怖かったらしい。単純に舐められるだけならたぶん笑って受け入れていただろうし。
だが無理もない。指の一本すら動かせず他者に好き放題される感覚は到底歓迎できるものではない。薬瓶補正で感性が麻痺している私とは違うのだ。ファムは普通の少女だ。少々変わり者ではあるかもしれないが。
「すまんな。ファム」
「クーちゃん……抱きしめて……」
ベットの上で丸まっているファムを抱き上げて、横抱きに抱きかかえる。震えを抑えるように。けど拘束を思い出させないように優しく。ファムが落ち着くまでそうして抱きしめていた。
その間ソラは落ち込んだ様子で距離を取っていた。ファムが怯えていたことに気が付かなかったのだろう。自分を好きだと言うファムなら受け入れてくれると思ったのだろう。
これは私のせいだ。私が今まで本気でソラを止めなかったからだ。なんだかんだと言いながら受け入れてしまったからだ。ソラに勘違いをさせてしまった。人間は竜とは比べ物にならない程脆弱な生き物なのだと教えてこなかった。竜が全力で戯れれば簡単に潰されてしまうちっぽけな存在に過ぎないということを忘れさせてしまった。人の姿となったソラには必要なことだったのに。
「ソラ君」
暫くして落ち着いたファムはソラを招き寄せた。
まだ少し震える手をソラの頬に添え、ゆっくりと近づけてソラの唇を舐めてみせた。
「ふふ♪ お返し♪」
『ファム……』
「ごめんね。心配させちゃって。もう大丈夫だよ。クーちゃんはああ言ったけど舐めるだけなら大歓迎だよ。なんならボクからも舐めちゃう♪ いっぱい匂い付けてあげるね♪ でも魔力で縛るのはもうやめてね。あれはすっごく怖いから」
『うん……ごめんなさい……』
「ふふ♪ いいよ♪ 許してあげる♪」
それからもう一度、今度はソラの頬を舐めたファムは、そのまま私の頬まで舐めてきた。
「私は違うぞ?」
「いいじゃん。もう初めては済ませちゃったんだし。それにソラ君に人を学ばせたいなら、ボクらも竜のことをもっと学ぶべきだと思うよ」
「……今日だけだぞ」
「ふふ♪ ダ~メ♪」




