01-12.望むもの
『そろそろ起きんか。
休みとはいえ、ダラダラしすぎだぞ』
「うるさいなぁ~」
三日目にしてようやくまともな言葉が返ってきた。
返ってきた言葉の内容に反して、無性に嬉しさが込み上げてくる。
『飯でも食いに行かぬか?
いい加減、腹も減っているだろう?』
「……うん。行く」
芸はないが、元気を出すにはこれが一番効くはずだ。
特にこの子のような単純な者にはな。
「何食べよっかなぁ」
『先ずは肉だな。肉を食え』
「こんな時間から?
屋台あるかなぁ」
『そろそろ注文くらいは言えるんじゃないか?』
「……やだ」
『なら私が代わりに注文してやる。
好きな店に入れ』
「……良いの?
いつもダメって言うのに」
今更何を気にしているんだ。
確かにダメだとは言っているが、結局いつも私が注文しているだろうが。
喉元まで出かかった言葉を押し込んで、代わりに優しい言葉をかける事にした。
『頑張ったご褒美だ。
お前は最後まで投げ出さなかった。
これは称賛されるべき事だ』
「うん……ふふ♪」
嬉しそうに歩を進めた少女は、結局冒険者向けの安価な大衆食堂へと入っていった。折角大金が入ったと言うのに、洒落たレストランに入る勇気は無かったようだ。
「ふふ♪」
まあでも、この子はこんなにも嬉しそうなのだ。
ならば問題などあるまい。
それにこの時間のこの店ならば、小声で話している限りはそうそう不自然には思われんだろう。既に冒険者の朝食には遅い時間だ。そもそも朝食なんぞ店で食う者自体そう多くは無いが。
とにかく、今この店の中の客は少女だけだ。
大量の注文も全て届き、店主の爺さんも近くにはいない。
『それは美味いのか?』
「うん!とっても!」
『あの屋敷の料理よりもか?』
「どっちも美味しいよ。
味は全然違うけど」
随分と大雑把な舌を持っているようだ。
その辺りも改善出来ると良いのだが。
いや、必要ないか。別に。
『今日はどうするのだ?
買い物にも行ってみるか?
今日一日は代わりに喋ってやるぞ?』
「う~ん。どうしようかなぁ。
なんかね。何でも買えると思ったら欲しいものが思いつかないの。お金があればって何時も思ってたはずなのに」
『クッションを欲しがっていただろう。
ついでにディアナの分も探してみてはどうだ?』
「……ねえ」
『どうした?
そんな低い声を出して』
「何で名前で呼んでるの?」
『……』
「ねえ!」
「呼んだかい?嬢ちゃん?」
『あ!ううん!
違うの!つい叫んじゃったの!
あんまりにも美味しくて"うんめぇ"って!
あはは~♪ごめんなさい♪』
「そうかい。
そりゃ良かった。
おかわりがほしけりゃ何時でも言ってくれな」
『うん!ありがとう!』
その後少女は黙々と食べ続けた。
折角立ち直ったと言うのに、今度は別の理由で口を閉ざしてしまったようだ。
店を出て暫く歩いた少女は、人気の無い路地裏に入って私を目線の高さまで持ち上げた。
「ねえ」
『別に深い意味はない。
お嬢様も言っていただろう。
私がお前の手本になれと。
その言葉に従ったまでだ』
「ならなんで私の名前呼ばないの!
最初に呼ぶべきは私でしょ!
ねえ!なんで呼ばないの!
私の前から居なくなるつもりだからなんでしょ!
どうせ最初はそんな理由だったんでしょ!
ならもう関係ないじゃん!
私は何があっても手放さないよ!
呼べない理由なんてない筈でしょ!」
『そんな理由ではない。
単に照れくさいだけだ。
呼び方を変えるというのはそういうものだろう?
親しい相手ならば尚の事な』
「嘘つき!
ユーシャって名前は呼んでたくせに!」
『渾名を冗談めかして呼ぶくらいは出来よう』
「まだ言い訳するの!?
もういい!今すぐ呼んで!
それで全部許してあげるから!
ほら!早く!呼んで!」
『……すまぬ。本当は忘れてしまった』
「嘘つき!嘘つき嘘つき嘘つきっ!!」
少女は私を持った手を大きく振りかぶった。
このまま地面へと叩きつけられるのだろうか。
それも悪くは無いかもしれない。
勢いとはいえ、少女が自らの意思で私と決別するのだ。
それもまた、一つの成長と言えるのではないだろうか。
「嘘つき……」
少女は泣いていた。
振り上げたはずの手を自らの胸の前で合わせて薬瓶を抱きしめながら。
縋り付いて、啜り泣いていた。
「!」
『!?』
突然少女が倒れ込んだ。
少女に握りしめられた私からでは、何が起こったのかまるでわからなかった。
どうやら少女は気を失っているようだ。
そのまま少女が仰向けに転がされた事で、犯人が私の視界にも入った。
少女の指の隙間から見えたのは、黒尽くめの女だった。
女は少女の指を解いて私を取り上げようとしているようだ。
私はその女を観察しながら少女の全身に魔力を巡らせた。
そのまま少女の体を操り、不用意に近づいてきた女の額に向かって少女の頭を打ち付けた。
犯人は素早い身のこなしで攻撃を回避し、あっさりと諦めてそのまま走り去っていった。
いったい今のはなんだったのだろうか。
どう見ても私を狙っていた。
少女の財布などには目もくれず、真っ先に私を取り上げようとしていた。
とにかくこの場を離れよう。
幸い誰かが近づいてくる様子は無いが、気を失ったままの少女が立っているのを見られるわけにもいかない。
私はそのまま少女の体を操り、定宿の少女が借りている部屋を目指して駆け出した。