01-11.人でなしの願い
少女の職場体験は無事に終わりを迎えた。
別に少女が落ち込みすぎて部屋から出られなくなったわけじゃない。それは無事とは言わないし。まあ、その一歩手前までいったというか、私が必死に言い聞かせてどうにか最後まで続けられたのだけれど。
いや、違うな。
少女ならば私がいなくともやり遂げたはずだ。
少女は日々成長しているのだ。
過保護な薬瓶など必要無いほどに。
終わった理由は至極単純。期間が満了したのだ。
結局依頼の真意は教えてもらえなかった。
その代わり、何時でもまた来てくれと言われた。
むしろ当然戻って来るよね?って感じで、部屋もお嬢様のお側付きという席も確保しておくと言われた。お嬢様もメイド長も同僚達も、誰一人として少女が戻ってこないとは考えていないようだった。
要は二、三日休暇とでも思ってゆっくりしてこい、という事なのだろう。それでも無理やり延長してしまわなかったのは、落ち込んでしまった少女に気を遣った結果なのかもしれない。
少女は未だ本調子ではない。
依頼の報酬として、今までの人生で見たこと無い程の大金を受け取った時ですら、ニコリともしなかった。
領主の屋敷を出て、人気のない道を歩いていても、私に話しかけてくる気配もない。
何時もなら、私と二人きりになる瞬間を見逃しはしない。
マシンガンのように尽きることのない言葉を放ってくる。
私がうんざりして口をつぐもうと、お構いなしなのだ。
それがどうした事だろう。
少女は確かに人間関係に限っては豆腐だが、心は強いのだ。普通、翌朝にはケロっとしているものだ。いや、晩飯でも食えばそれで忘れるはずだ。だと言うのに、今回に限ってはえらく引きずっているではないか。
こんな少女の態度は初めてだ。
私も何を言って良いのかわからない。
いや、ダメだ。私がこんなだからダメなのだ。
今更名前を呼ぶ事など出来ぬが、元気づける事くらいは私にも出来よう。諦めず、話しかけ続けるのだ。少女がいつもの調子を取り戻すまで。いつも通りを続けるのだ。
『美味い飯でも食いに行くか?
今なら何でも食えるぞ?』
「……」
『おい。無視はいかんだろう。
私が物言わぬ薬瓶になっても良いのか?』
「いじわる」
『飯は嫌か?
まあそうだな。
あの屋敷での飯を美味い美味いと食っておったものな。
今更そこらの飯屋で満足出来る筈もなかろうな。
なれば装備を新調してはどうだ?
少しばかり値も張るが、機械式の弓でも買えば効率も上がるのではないか?』
「いらない」
『そうか……。
ならば……』
「少し黙ってて」
『すまぬ……』
「……ううん。私こそ」
少女は私を握りしめた。
何時も寝ている時のように、まるで絶対に手放すまいとするかのように、薬瓶をきつく握りしめた。
少女に握りしめられながら、私は昨晩の出来事を思い出した。あの時も、こうして少女に握りしめられていた。
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少女が寝静まった後、私はどうにか少女の手から抜け出そうと藻掻いていた。どうしても今晩中に済ませておきたい事があるのだ。明日で少女は屋敷を出ていく事になる。その前に、お嬢様にお願いしたい事があるのだ。
私はここ数日、更に魔力の腕の制御を磨き続けてきた。
大雑把なグローブのような手から、細く繊細な、人間の指のような動きが出来るようにと練習を重ねていた。
今こそ、その成果をみせる時だ。
私を握りしめる少女の指を一本一本解いていく。
少女はすぐに力を込め直してしまい、中々上手くいかない。
このままでは埒が明かなそうだ。
もう少し別のイメージが必要だ。
今度は少女の手を覆うような、手袋のように纏わせてみた。
魔力の指を動かすのと同じように、少女の手を包んだ魔力を動かしていく。
今度は上手くいった。
少女の手から、薬瓶が転がり落ちた。
しかしまだだ。
まだこれだけでは終わらない。
少女は薬瓶の首紐をストラップのように、腕に巻き付けている。これも解いていかねばならない。
少女の手に纏わせた魔力を引き剥がして、再び指の形に変化させた。そうして今度はもう一本の手も出現させ、片手で少女の腕を少し持ち上げながら、もう一方の指で少女の腕に巻き付いた首紐を外していった。
「エリク……」
『!?』
一瞬起こしてしまったかと焦ったが、どうやらただの寝言だったようだ。とはいえ何時起きてしまうとも限らない。ここ数日、少女はあまり寝付きが良くないのだ。
早く用事を済ませて戻って来るとしよう。
私は自身を浮遊させつつ、魔力の腕も使って部屋の窓から外に脱出し、お嬢様の部屋の窓に向かって飛んでいった。
果たしてお嬢様は起きてくれるだろうか。
部屋の中に見張りがいたりはしないだろうか。
下調べも何も出来てはいないが、もう今日しかないのだ。
せめて先に言葉でだけでも探りを入れておくべきだった。
「どちらさま?」
心配は要らなかったようだ。
お嬢様は上体を起こし、月明かりで本を読んでいた。
まったく。そのような事をしているから目が悪くなるのだ。
『体が冷える。
夜はちゃんと布団に入りなさい』
私は魔力の腕で窓越しに鍵を開けて侵入し、お嬢様のベット脇にあるサイドテーブルに着地した。
「もしかしてエリクなの?」
躊躇なく薬瓶を手に取るお嬢様。
「驚いたわ。
まさかこんな姿をしていたなんて」
『確認は済んだだろう。戻したまえ。
あの子以外に握られるのは落ち着かんのだ』
私も初めて知ったが。
「あらあら。それはごめんなさい♪」
お嬢様は素直に私をサイドテーブルに置き直してくれた。
「それで?
こんな夜更けにお父様みたいな事を言ってどうしたの?
まさか、夜這いでもしかけに来た?」
『まさかあの父君がそのような事をしていたとは』
「もう。そんなわけないでしょ。
さっき言っていたじゃない。
夜は冷えるから布団に入りなさいって」
『もちろん冗談だとも。
そんな事をするとは、もう思ってはいないよ』
「あら。失礼ね。
それって前は思っていたって事でしょう?」
『仕方あるまい。
あの子に依頼した意味がわからんのだ』
「ふふ。残念ながらまだ話すわけにはいかないわね」
『それでもよい。
もう私は君達の事を信頼しているとも。
だからこうして頼みに来たのだ』
「頼み?ユーシャの事?」
『ああ。あの子を頼みたい。これから先ずっと。
これは私の最期の願いだ。
どうか聞き届けて頂けるだろうか?』
「……詳しく聞かせてくれる?」
『難しい話ではない。
私は見ての通り少々特殊な薬品なのだ。
おそらく、君の、いや、ディアナお嬢様の病すらも完治させられるだろう』
「……ダメよ。話はおしまい。
そんな話を聞いて飲むわけ無いでしょ」
『だろうな。
だからこそ、こうして頼みにきたのだ。
あの子に必要なのは怪しげな薬瓶などではない。
人間の友こそ必要なのだ。
どうかわかってほしい』
「出来ないわ。
あの子の大切な人を奪ってどんな顔で側にいろと言うの?
あなたはどうしてそんな酷い事を私に頼むの?」
『人でなしだからだ』
「ふざけるなら帰ってちょうだい」
『ふざけてなどいないとも。
わかってくれないのか?
自分が人でない事がどれだけ口惜しい事なのか。
あの子の側に居ても、あの子の幸せにはなれないのだ。
ディアナ。君ならわかるはずだ。
私のもどかしさが。私の悔しさが。
君だからこそ、こうして頼んでいるのだ。
どうか聞き届けてくれないだろうか』
「……私は人間よ」
『だから頼んでいる』
「そういう話じゃない。
エリクの気持ちはわからないと言っているの」
『そう、か……』
「確かに私もお父様には幸せになってほしい。
その為なら、私の命がいつ終わっても構わない」
ああ。そうだろうな。
私だってそうだ。だからここに来たのだ。
「けれどそれでも。
……私は投げ出そうなんて思わない。
最後の瞬間まで足掻き続ける。
一日でも長く生き続けるの。
それが一番お父様を幸せに出来ると信じているから。
私の手で幸せにしたいと願っているから。
私はまだ何も諦めてなんていないから」
『ならば飲め。父君も喜ぶ』
「ふざけないで!あなたは悪魔よ!
決してあの子の守護者なんかじゃないわ!
なんでわからないの!
人と同じ意思を持ってるんでしょ!?
あの子の幸せがわかるんでしょ!
目を逸らしているだけなんでしょ!
もっと!ゴホッ!ゴホッゴホ」
「お嬢様!!」
お嬢様の怒鳴り声を聞きつけたメイド長が部屋に駆け込んできた。
お嬢様の背を擦りながら、何があったのかと問いかける。
「大丈夫よ。ごめんなさい。
怖い夢でも見たみたい。
もう下がって。私も寝るわ」
お嬢様は私の事を告げる事なくメイド長を追い返した。
不安気なメイド長は渋々といった様子で部屋を後にした。
『すまぬ』
「あなたも戻りなさい。
交渉は決裂よ。
それくらいわかるでしょ」
『ああ。悪かった。
私が浅はかだった。
わかっていたのだ。私だって。
あの子を残して逝こうとしたのは今回が初めてではない。
後悔したはずだった。繰り返さないと誓ったはずだった。
あの子が幸せになるまでは側にいると決めたのだ』
「ならそうするべきよ。
最後まで諦めずに」
『それは……難しいのだ。私は十年待った。
だから眼の前にぶら下がった奇跡に飛びつこうとした。
ここでならあの子も幸せに生きられると盲信した。
いや、違うな。本当は十年どころではない。
あの子と出会う前の数百年。
孤独に生きたその時が私を苛み続けているのだろう。
早く楽になってしまいたかったのだろう。
私はまた逃げたのだろう』
「……そう。あなたも頑張っていたのね。
ごめんなさい。事情も知らないで」
『いや、君が謝る事ではない。
突然こんな愚痴を聞かせて申し訳ない。
少々気持ちが不安定なようだ。
正直驚いているのだ。
そこまで強い意志で拒絶されるとは夢にも思わなかった。
君ならば私よりあの子を幸せに出来ると思った。
この考えに同調してくれると思った。
このちっぽけな体を見れば全て納得してくれると思った。
そんな浅はかな考えに縋り付いていた。
すまない。君を苦しめるつもりはなかった。
どうかあの子とは変わらずに接してくれないだろうか』
「もちろんよ。
エリク。当然あなたとも。
これまで通り、変わらずお友達でいましょう。
相談にも乗るわ。正直私だって誰かに聞いてほしくても言えない事はいっぱいあるの。また今度会いに来て。その時は私の話を聞いて頂戴」
『ああ。約束しよう』
「あの子の事は心配要らないわ。対価なんてなくても、ユーシャはいつまでだってここに居て良いんだから。お父様にそう口添えするくらいなら喜んで引き受けてあげる。そもそも私が何も言わなくてもお父様なら手を回してくれるはずよ。
だから安心して、エリク。
安心してあの子の側にいてあげて」
『……それではダメなのだ』
「……そうね。そうよね。
ふふ。嬉しいわ。
そんな風に想ってくれるお友達が出来て」
『半分だけでも飲んでみんか?』
「嫌よ。喋るお薬なんて口に入れられるわけないでしょ」
『ふっ。違いない』
今夜は出直そう。
だが私は諦めない。
あの子の幸せにディアナの存在は不可欠だ。
ディアナの居なくなった屋敷で務め続けられるはずはない。
私の大切な娘の為、なんとしてもディアナには生き続けてもらおう。
それから私は少女の部屋に戻った。
少女の手に元通りに収まって、少女の温もりに包まれながら考え続けていた。