望まない役割 ①
常磐の部屋として高延が案内したのは、主郭の奥にある離れの建物だった。
渡り廊下を進んで奥の棟にはいると、歩兵の姿がなくなる。この建物全体が城の主のための場所のようだ。
常磐達が来るのをいつ察したのか、部屋の前に侍女が一人立って待っていた。先ほど、控えの間に常磐を迎えにきたのと同じ侍女だった。
「私に仕えていた侍女です。あなた付きにしました」
「そんな。いらぬ世話です」
「あなたをこの山城で一人にできるはずもない。大丈夫。優秀ですよ。忠義に厚い」
忠義に厚いと言われても、王付きだった侍女など「高延への」忠義が厚いだけではないか、と思う。
でも戦のためのこの城で、常磐を自由に行動させるはずもないだろう。
「どうぞ。ゆっくり休んでください」
高延は戸を開け常磐を促した。
部屋に入ると、続いて侍女がきて高延に一礼する。
高延になにか言うべきだろうかと思ったが、常磐がなにか言う間もなく侍女が戸を閉めた。
視界から高延が消えて、途端に、どっと疲れが押し寄せてきた。ずっと自分が緊張していたことに気がつく。
高延と離れることができて、常磐は気が抜けたような、だけど唯一の知り合いにさえ置いていかれたような変な気持ちになった。
「お疲れでしょう。おくつろぎください」
部屋のなかには座がつくってあり、侍女が常磐にすすめてくる。常磐が座ると侍女は離れた位置に改まって座り、深く礼をする。
「式部でございます。本日よりあなた様が主、なんでも私にお申し付けください」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
式部は常磐について一体どのように聞いているのだろうか。
先ほどの櫓の上で兵士から向けられた目を思い出す。少年兵にしか見えない常磐を、式部はいぶかるでもなく接してくる。
「あの、私のこと、どのように聞いているのですか?」
聞いてみたが、式部は質問の意味をはかりかねるという顔をする。
「暁津島の第一王女であられる、常磐様だとうかがっております。お客人として遇するようにと」
「そうですか」
よかったと安心する。咲耶の身代わりの花嫁だとは聞いていないようだ。
式部はそれ以上余計な口は聞かず、「なにか飲み物をお持ちします」と立っていき、あれこれと世話してくれる。
しばらく過ごしてみると、高延が優秀と評したとおり式部は気が利いている。
式部は親しげな雰囲気を作るのがうまかった。かといって近すぎない適度な距離感で常磐をくつろがせる。
控えめでそつのない式部だが、それでいて時に姉のように叱咤してくることもあった。
夕方になって、「食事を」と式部が運んできた膳は、本来は祝いになるはずだったのだろう。華やかにいくつもの料理が盛られていた。
だが常磐は祝いの膳を味わう心境ではない。そんな常磐を見て、式部はしっかり食事をとるようにと励ましてくる。
「常磐様、見知らぬ八雲の地でご不安なのはわかります。しかしだからこそ、いざという時のために、食べられる時にきちんと食べておくことが肝要ですよ」
食事の後は湯浴みをしろというので、さすがにそれは無理だと断ると、「すべては私が世話をする。何人も近寄らせない」と誓ってみせる。
いくら危険はないと頭では思ってもこんな状況で湯浴みなど無防備すぎる。
「刀は離しません」と言うと、「ごもっともです」と反論しない。
式部と話していると、暁津島から女官を連れてきたのだったかと錯覚しそうになるほど、常磐の立場でものを考えてくれる。
本当に常磐付きの侍女として忠義を尽くしてくれているように感じる。しかも冷静な感じで話してくるので説得力がある。
だから湯浴みを終えて、さて着替えはとなった時、式部からこの国の服を出されても、もう抵抗しようという気が失せていた。
常磐がいつも着る服とは似ているけれど少し違う。
暁津島と八雲は隣国で衣装や建築など似通った文化だが、雅やかな暁津島に比べ、八雲は簡素で武張った雰囲気が強い。
用意された服に華やかさはないが、肌触りのいい上質なものだった。国境にいる間、兵装ばかりしていた常磐には久しぶりの女物の服だ。
湯殿から部屋に戻ってくる頃には、あたりは薄暗くなり夜が近づいていた。
あてがわれた部屋に戻ってくると、先ほど入らなかった奥の間にはすでに寝具が用意されていた。
暁津島とは違う様式で、床より一段高くなった寝台だった。一人寝には広く感じる。
それを見た途端、ちらりと不穏な想像がよぎる。
「常磐様、私はとなりの部屋で宿直をいたしますから、安心してお眠りください」
声に出してもいないのに、式部がすかさず常磐の不安を打ち消してくれる。
「ありがとう」
ほっとした気持ちになって、常磐は礼を言った。
「あなたが付いてくれてよかったわ」
それは本心だった。式部にもそれがわかったのか、初めてにっこりと笑みを浮かべた。
「それはありがたいお言葉です。どうぞゆっくりお休みください」
「ええ、おやすみなさい」
常磐は戸を閉めると寝台に横になった。
横になると、自分で感じていた以上に疲れているのがわかる。
用意された寝具は心地よく、気を緩めてはいけないと思いながらも、常磐はいつの間にか眠りに引き込まれていた。
*
どのくらい経ったのか、そんなに長い時間ではないと思う。
いつつけられたのか、出入り口のそばに小さな常夜灯が灯されていて、部屋をほんのり照らしていた。
部屋の外で密やかな声がする。式部が話している相手は高延のようだ。
いやな予感に心臓が早鐘を打ち始める。
まさか、高延を引き入れている? また私は、信じてはいけない人に心を許してしまったのだろうか。
そう思うと、常磐はお腹に石が入れられたような気がした。
常磐は起きていって耳を澄ませた。