そびえたつ城 ①
部屋のなかに戻ると、咲耶は女官達に囲まれて婚礼衣装の着付けの最中だ。
新米の女官達は要領がわからないらしく、清井がこと細かに指示を出している。
「姉様、高延王はどんな方だと思う?」
みんなに身支度をされながら咲耶本人は暇らしく、話しかけてきた。
「恐ろしい人だったらどうしよう」
「そうね、どうかしら」
咲耶はもうすぐ実際に高延王に会うのだ。あまり白々しい慰めを言っても仕方ないと思いつつ、
「でも理知的な王ではないかしら」
と控えめに言った。だが咲耶は不満げに反論する。
「先王に武力で退位を迫るような人が?」
咲耶が婚姻を嫌がる理由の一つ、それは高延王の悪い評判だ。
ほんの一月前、突如、先王に反旗を翻した高延は、わずか一日で八雲の王都を制圧すると、先王を幽閉して自らが王になったという。高延王がどういう人物なのか情報はなく、先王の従弟らしいと聞くばかりだった。
「武辺者の王だろうともっぱらの噂よ。それに高延王は先王の従弟なのでしょ。血筋だって劣るわ」
「でも多くの臣下から支持を得ていないと反乱などおこせないわ。武勇に優れていたって、一人で政変を成せるわけじゃない」
多くの臣下がついていきたいと思うだけのなにかが、高延にはあるはずだ。そうでなければ、たった一日での政変などあり得ない。
「それに私達に停戦と和平を申し入れてくれたわ」
常磐は咲耶を励ますつもりで、高延王をいいところを話す。
高延が王になった時、暁津島は国境の防衛の要となる城を落とされていた。常磐達が今いる居館の裏手にある山城のことだ。
ここは八雲との国境で、互いの王都につながる街道が通っている。暁津島と八雲の交易の地でもあり、また争いの際は守りの要となる場所だ。
半年前に始まった暁津島と八雲の戦いは、最初は局地的な小競り合いだった。それが次第に国境を接する各地に飛び火して、略奪、報復、また報復の泥沼になった。
これまでも八雲と暁津島は国境でせめぎあいを続けてきたが、この地を攻め落としたあと、八雲は本格的な侵攻を開始する姿勢を見せた。
長らく小競り合いを続けながらも、お互いを侵略する姿勢を見せなかった両国の関係が、一線を越えて違う局面に入ろうとしていた。
八雲で政変が起こったのは、そんな時だ。
先王を廃して新王となった高延は、八雲のほうが圧倒的な優位にあったにも関わらず、暁津島への侵攻をやめ、正式な停戦と和平を申し入れてきた。
和平の条件は暁津島の王女との婚姻。和平を成す意志の証として、落としたばかりの山城を早々に返還もしてくれた。
だから高延は暁津島にとって救いの王だ。常磐には高延が武辺だけの王とは思えない。
「でも和平の条件は私。しかも私と女官だけで八雲に来いと言うのよ。そんなの人質みたいなものじゃない」
「それは、そうだけど」
否定しきれず常磐もうなずいた。
確かに咲耶の不満はもっともだった。
普通、和平のための婚姻なら、婚礼の当日に親族や家臣が付き添うものだ。でも今回は八雲からの要望で、花嫁とともに八雲に入るのは数人の女官のみ。祝いの席は後日にするそうだ。
「だけど高延王に会う前から先入観を持つのはよくないわ。少なくとも好戦的な人ではないはずよ。きっといい人だと思うわ」
さすがに希望的な推測だと自分でも思ったが、そう言うしかない。咲耶のためにも高延がいい人であってほしいという気持ちもあった。
ただ、どれだけ慰めても、結局、咲耶は納得しない。
咲耶が輿入れを渋るのは、高延の人柄を心配するだけでなく、八雲の王を夫にすることへの嫌悪も含まれているのだ。
その昔、八雲は暁津島に臣従していた一豪族に過ぎなかった。百年ほど前のことだが、暁津島には八雲を下に見る風潮は現在でも強い。
特に咲耶の母の出身は王都より東の地。東方では王都より西は格下とみる向きが強く、さらに西の八雲となれば蔑視の対象だ。
王妃や芳原一族にとっては、そんな国に愛娘を嫁がせなければならないことは業腹だろう。
だが和平がかかっているとあっては受け入れざるを得ない。
それにいくら昔臣従していた国とはいえ、すでに長い年月が経ち、それぞれに国の体をなしている。百年前の主従関係など持ち出しても仕方がない。
常磐にできるのは、高延王がいい人であるようにと祈ることだけだ。
*
二時間ほどして、咲耶の支度は終わった。
「きれいだわ、咲耶」
きらびやかな衣装を纏い、華やかな化粧を施された咲耶はこぼれるばかりの美しさ、まるで天女のようだ。きっと高延王も一目で咲耶を好きになるだろう。
女官達も衣装を整え直し、やっと花嫁の一団の準備が整った。
「行きましょうか」
出発を促すと、咲耶が念を押してくる。
「姉様、ちゃんと最後まで付き添ってね」
この雑兵姿では王の御前に出られないけれど、と思いつつ、ここで馬鹿正直に言っても埒が明かないので、常磐は黙ってうなずいた。
部屋を出て、屋敷の玄関まで行くとすでに輿が待っていた。
山城を任されている武官が代表して咲耶に祝いを述べる。言祝ぎを受けた咲耶が輿に乗り込み、これで花嫁行列の完成だ。
常磐は小者の体で行列に加わる。
「常磐様もお気をつけて。咲耶様を送り届けたら、速やかにお戻りください」
門脇が耳打ちしてくる。
「わかっています」
常磐は行列について門を出ていく。ここから国境となる川まではいくらか距離がある。
晩春の暖かな日だった。
歩いていく道すがら、川向うにはこれから入る八雲の城が見えた。
抜けるような青空を背景にして、八雲の山城がくっきりとそびえる。
停戦をしてもう敵国ではない。でも目の前にすると、あの山城を恐ろしく感じてしまう。これでは八雲入りをいやがる咲耶を責められない。
川の近くまで来ると、八雲の城の物見櫓から何人かがこちらを見ているのがわかった。やっと花嫁が重い腰を上げたとほっとしていることだろう。
常磐は女官達の後ろについて小箱を恭しく持っている。小箱には櫛が一つ入ったきり、小者のなりをした常磐が付いていくための、口実の荷物だ。
さらにその後ろには長持を持った本物の小者が四人、そして城から見送りに付いてきた武官や兵士達が続いている。
国境の川の両端には頑丈な門が作られていて、大きく開け放たれている。
橋の中央には八雲側の迎えが待っていた。さすがに身分を偽っているので、常磐は顔を伏せる。
王の使者が花嫁歓迎の口上を述べ、いよいよ八雲の領地に入る。
ふと顔を上げると、咲耶と清井がこちらを見ている。常磐は小さくうなずいてみせる。乗り掛かった舟だ。進むしかない。
その時の常磐が思っていたのは、咲耶を八雲まで送り届けなければということだけ。そのあとに自分に降りかかる災難など、微塵も頭になかった。
和平がかかっているというのに、平気で八雲を待たせる咲耶をのんきだと思っていた。
でものんきなのは常磐のほうだった。このあと、それを常磐は身をもって知る。