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兵装の姫君

「あなたが兵装の姫君と名高い、暁津島(あきつしま)の第一王女ですね」


 常磐(ときわ)は腕を強くつかまれて、高延(たかのぶ)の胸へと引き寄せられた。


 目の前に立つのは隣国、八雲(やくも)の王だ。品定めする冷たい目が常磐を見下ろしてくる。


 常磐は血の気が引く思いだ。高延に、正体を知られている。


 さらに次の言葉で、常磐は自分が完全に窮地に陥ったことを知る。


「妹姫を連れ戻す必要はありませんよ。あなたが私の妻になってくれればよいことだ」


 口調は丁寧だが、有無を言わせぬ威圧感だった。


 ここは八雲の城の奥深く。王である高延の意志がすべてを支配する場所だ。


 ああ、私は間違えてしまった、と常磐は絶望的な気持ちになる。


 今日は妹姫と高延の婚礼の日となるはずだった。


 常磐の役目は妹、咲耶(さくや)を八雲へ送り届けること。それだけだったはずなのに、今、常磐自身が高延に絡めとられようとしている。


 どこで間違ってしまったのか。ことの起こりは王妃からの(ふみ)だ。


 振り返れば、引き返すべきところはいくつもあったが、あの文にほだされてしまったのが間違いの始まりだった。



   *



「姉様、やっと来てくださったのね」


 常磐が部屋を訪ねると、咲耶はうれしそうに抱きついてきた。しばらくは抱きしめてくるのに任せる。咲耶は常磐より三つ下の十六歳、まだ幼さが残っている。


「私が付き添わないと行かないと言われたら、来ないわけにはいかないわ」


「そんなこと言って、全然来てくれなかったじゃない」


「ごめん、色々やることがあったから」


「奥の里でやっている工事のこと? そんなの里の人達に任せればいいじゃない。こんな格好までして姉様が出て行かなくたって」


 咲耶は体を離して、常磐の格好を見てくる。常磐が着ているのは軍で一番下っ端の雑兵が着る服だ。


 王都にいる時は後ろに垂らしていた髪をきつく一つ結びにして、兵装に身を包んだ常磐はとても王女には見えない。少年兵のようだ。


「停戦になった今だからこそ、やることがたくさんあるのよ。里の人達だけに任せないで、私達も支援しないと」


「それなら私にこそ、付き添ってよ。私の婚姻に八雲との和平がかかっているんでしょ」


「もう。わかっているなら、みんなを困らせないで」


 和平のかかった大事な婚礼だというのに、すでに約束の期日を三日も過ぎている。


 花嫁である咲耶は体調が悪いといって、輿入れを先延ばしにしていた。もちろん体調が悪いというのは嘘だ。


「そんなこと言ったって、怖いのだもの。だから姉様が付き添って。一緒に高延王を見てほしいの。何度もそう頼んでいるじゃない」


 確かに、何度も頼まれている。


 咲耶がこの国境に来た五日前から、奥の里にいる常磐のところに何通も文が届いていた。八雲入りに付き添ってほしいと。


 だけど常磐はこの願いを断り続けていた。


 咲耶に付き添ってやりたい気持ちがないわけではないが、一緒に結婚相手の高延王を見たところで仕方ないと思っていた。これは政略結婚なのだから。


 高延王と会って、「やっぱり気に入らない」となったとしても、常磐にはどうしてやることもできない。政略結婚の白羽の矢が立ったからには、王女に選択の余地はない。


 それでもここに来たのは、王都にいる王妃から頼まれたからだ。


 王都で成り行きを見守っている王妃達も咲耶の強情さにさすがに焦っているようで、常磐のところに朝一の早馬で文が届いた。


『どうか咲耶を励ましてあげて。できれば付き添ってやってほしい』


 文にはそんなことが丁重な文面で書いてあった。それはちょっとびっくりするくらいに下手に出た文だった。


 常磐は、今は亡き前王妃の娘。現王妃の実娘である咲耶が甘やかされる一方、常磐は冷遇されてきた。威丈高になにかを言いつけられることはあっても、頼みごとなどされたことはなかった。


 それでつい、心が動いてしまった。


「だからこうしてここまで来たじゃない。一緒に付き添うから、私と八雲へ行きましょう。さあ、準備をして」


「もう? せっかく久しぶりにお会いできたのですもの。もっとゆっくりお話ししましょうよ」


 みんなが咲耶のことで気をもんでいるというのに、のんきなものだ。


「だめよ。散々先方を待たせているのだから」


 八雲側は体調が悪いという咲耶を気遣い、辛抱強く待っている。しかしその我慢も今日で四日目、もう限度というものだろう。


「それに私は今日のうちにまた向こうの里に戻りたいの。門脇(かどわき)殿も一緒だから」


 咲耶の視線が常磐の肩越しに流れて、「げ」と王女にあるまじき声を出す。


 門脇は遠慮して部屋の外にいるが、開け放たれた戸の向こうから仁王立ちでこちらを見ているのだろう。


 父王の信頼が厚い武官で、じいやのような存在でもある門脇は、王女にもずけずけ物申す。常磐にとっては祖父のような親しみのある存在だが、咲耶は門脇が苦手なのだ。


「ほら、支度を」


「はあい」


 咲耶は渋々、部屋の奥へと向かう。


「常磐様、わざわざありがとうございます」


 古参の女官、清井(きよい)が礼を言ってきた。


「いいのよ。都から一緒に来たのはあなただけ?」


 いつも大勢の女官に囲まれている咲耶なのに、部屋のなかには清井だけだった。


「八雲まで一緒に連れていくのはかわいそうだと、咲耶様がおっしゃって。他の女官は都に残しました」


「そうでしたか。でもあなたは付いていってくれるのね。ありがとう」


 女官として一緒に八雲へ入れば、咲耶同様に暁津島に戻れなくなる。主人についていくかどうか、女官にとっても大きな決断だ。


「いえ、当然のことにございます」


 頭を下げた清井は一度部屋の外に出て、待機していた他の女官を部屋に招き入れた。八雲入りのために新しく雇い入れた女官達だ。


 清井が指示を始めるのを見て、常磐も外の兵に声をかける。


「咲耶姫は支度を始めました。八雲に連絡をお願いします」


 廊下で成り行きを見守っていた重臣達がやれやれと息をつき離れていく。


「咲耶様のわがままにも困ったものですな」


 門脇が話しかけてくる。


「王妃様は咲耶様を甘やかしすぎです。王がお元気であればこのようなことには」


「そうですね」


 父が元気であれば咲耶に王女の務めを説き、滞りのない輿入れにさせただろう。娘二人と末息子、三人の子供達を愛しつつも厳しかった父なのだから。


 だが父王は八雲との争いが始まって間もなく、病に倒れてしまった。


 臥せりがちになった父に代わり発言権を増しているのは、王妃の実家である芳原(よしはら)一族だ。それもあって、王妃の愛娘である咲耶はさらにわがままになった。


「ともかく、咲耶が八雲に行く気になってくれてよかったです。それに咲耶にも覚悟がないわけではないようですよ」


 八雲へ行くことを前提に新たに女官を雇い、都からは腹心の清井のみ連れて行くことを初めて知った。


 女官といっても、咲耶のまわりを囲んでいたのは都出身のそれなりの家柄の子女達だ。咲耶の王女としての自覚のなさにやきもきしたが、彼女達を気遣い都に置いてくるだけの覚悟があったのか、としんみり思う。


「しかしながら、王女が二人揃って敵地に入るとは危険です。いくら王妃からの要望といっても、行くべきではありません」


 また門脇は話を蒸し返す。


 一度敵地に入ってしまえばなにが起こるかわからない。咲耶のわがままで常磐を花嫁行列に同行させるなどとんでもない、と門脇は思っているのだ。


「大丈夫。敵地ではありません、もう停戦したのですから。これは和平のための婚姻なのです。滅多なことはありませんよ。それにこんな格好なのです、私を見て王女だと思う人はいませんよ」


 常磐は軽く両手を広げる。


 半年前に八雲との戦が始まり、父王が病に倒れ、常磐の生活は変わった。


 床に臥した父に代わって、常磐は兵装をして国境を慰問して回った。


 選んだ服は一兵卒の服だ。八雲との国境を守るために動員された多くの民兵達に連帯を示したいと思ったからだ。


 停戦となった今もなお、常磐は兵装のままで国境にいる。戦で疲弊してしまった多くの里を支援するためだ。


 咲耶に重い役割を担わせることを申し訳なく思う。もしかしたらこの役目は常磐のものだったかもしれない。でも常磐は体が思うように動かない父王を支え、王の役目を果たしたい。


 弟もいるがまだ八つと幼い。常磐が兵装までして戦地を回るのは、ひとえに父のためだ。だから咲耶と立場を変わってやることはできない。


「私は荷物持ちの小者として行って、他の者達と一緒に戻ってきます。小者の一人くらい誰も気にしませんよ」


 この格好なら一緒に行けても向こうの屋敷の玄関まで、花嫁とともに王の御前に出ることはない。そのほうが好都合だ。


 常磐も高延王がどんな人か見てみたい気はする。でも門脇が言うとおり、王女が二人で他国の王の御前へ出るべきではない。


 一緒に高延王を見てほしいという咲耶を騙すようで悪いが、常磐は花嫁行列に付き添っても、顔合わせまで付き合う気はなかった。


 向こうの屋敷まで送っていけばもう逃げ道はない。咲耶も自分の役割を受け入れてくれるだろう。


 常磐がするべきこと、それは咲耶を送り届け、八雲と正式に和平を成すことだ。



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