当時のあとがき
あとがき
え、ちょっと待って、なんか終わっちゃったよ?
作者らむねの、書き終えての感想です。あれれ?章の数は前作と同じなのに容量が少ないよ?
なんか適当に書いていたら、終わっちゃったんだけど、これでいいのかよ。って感じです。
でも、もう書くことないし、なんていうのか、ほら、駄目駄目ですよね。
………ちなみにぼくがこの作品で何を書きたかったか。
それは「夏の絶望」であります。ほら、なんだか夏休みって気が滅入りません?
夏休みという期間を生存すること、それがぼくには苦痛でした。
苦痛というよりも、あれは精神崩壊って感じです。気が狂いそうでした。
あんまりにも精神的につらいので、それだけで自殺したくなりました。
なんででしょうね。もしかしたらぼくは、学校という場―――もしくはそういう公共の場―――に自分を置かないと生存できない人間なのかもしれません。
学校に行っていても面白くない、っていうときもありましたが、夏休みほどではないです。
とここまで書いてしばらく筆を休めておりました。
校正がてら、執筆再開、そうして今ようやく完成。ちょこちょこと内容も修正。
うん、がんばりました。まあ、思ったよりは修正で良い出来になったのではないかと思ってます。
それにしても今回はちょっぴり官能的でした。
わざとです。絶望遊戯は官能的な要素を入れようというのは、原案段階からの計画。
やってみたかったんですよね、こういうの。ぼくはこういうの、ほほえましい光景だと思います。
本作は、ちょっと象徴的すぎる作品にしあがってしまったかもしれません。
これは最終飛行にも言えることですね。ただ、象徴的だからこそ人それぞれが自分なりの意味をつけられるということにはなるかもしれません。
ううむ、でも、次回作である「薄明階段」は、もっと具体的な話にしたいと思います。
そして、「薄明階段」で、この「貴理三部作」は終わりになります。素敵な話にしたいですね。
がんばります。
でも、ところで、思えばなんでこんなものを書いているのかよくわからないです。
ただ、自分の中にある何かを外に出したいだけだとは思うんですけど、その何かがよくわからない。
それにしても、ふりかえってみると、ぼくはちゃんと作品を完成させられるまでには成長したんだな、と思いました。それも、ある程度、自分が満足できるまでの完成度で。
これは、幸せですね。
それでは、また、次回作で。
2005/5/15(日) らむね
高校三年生のときに、現代文が読めなくなるような状態になり、今それに近い状態にあるので、読み返すことができないが、何かを形にしたいと思っていたようだというのがあとがきを読むとわかる。