余談 ── あるみそっかす王族のひとりごと ──
完全な冬といえる寒さまであと一歩という日々が続いていたが、今日は薄い上着を羽織るのがちょうどいい暖かな一日の始まりだった。
穏やかな日常なのだが、寒さと同じくらい日ごとに空気に針が混ざるような何とも言えない居心地の悪い気配が重くなる毎日だ。
グラキエス・ランケア帝国軍が迫りつつあるという情報は国民にはあえて知らされておらず、迎撃軍の関係者の緊張感だけが高まっていた。神殿といえば、愛し子と神殿関係者が守れれば良いという態度を隠すことなく、着々と準備を重ねる姿が見える。
宮殿でも侵攻軍への対策はなされているはずなのだが、国王陛下は全て王太子と巫女に任せて自らが座す王宮を護って当然と嘯いていた、と苦々しい表情で王弟である父が漏らしていたのを、兄たちと共に聞いた。
父はグラテアン家の長兄が宮殿で文官として勤めていることで情報を求めたそうだが、迎撃計画の詳細は騎士団の副団長にも伝えられない徹底ぶり故に公開する情報を持っていない、と一言で終わったらしい。
いくら巫女に次ぐ女神の愛し子とはいえ王弟への態度としては目に余ると怒る兄に対し、父は兄王が巫女姫にした事に比べれば失礼にも当たらない、と兄を諌めた。
それは先代神官長へ幼い頃の巫女姫を渡してしまったことを指すのだと、今なら理解できる。
王太子殿下や第二王子殿下は優秀で将来の国王になんの心配もないこの世に、王弟の第三子とかなり年が離れた末の子として私は生まれた。
殿下方の予備扱いである兄たちは、予備と言われてもくさることも無く未来の国王陛下を支えるために努力していたと、まわりを固める教師たちから一言一句間違わずに言えるくらいに聞かされていた。屋敷の使用人からすら、子守唄変わりに聞かされて育っていたのは異常だったと思う。
父にも兄にも邪険にされたことは無かったが、父は多忙であり下の兄と10歳以上も離れているために生活環境が違いすぎて彼らと顔を会わせる機会はひと月に数回あればいい方で、会話をすることもなく本当に顔を会わせるだけだった。……邪険にするどころか、私に対してなにかしらの感情が湧くような関わりが無く、私は彼らの視界にも入っていなかったという事だな。
母は月に数日だけ入り浸っている実家のフロラリア侯爵家からプロキシルム家を訪れて、神殿に勤める叔父である神官長から得た巫女や愛し子の知識を、脈絡なく語ってはフロラリア侯爵家へ帰っていった。
母の『家』は私の暮らすプロキシルム家ではなく、実家であるフロラリア侯爵家なのだろう。フロラリア侯爵家の権勢が衰えた今でも、実家に住んでいるのだから。
兄たちはとても優秀と評価されていると家庭教師に教えられて、自分なりに兄に近づこうと頑張った。
だが、身近に同年代の子供はおらず、私を囲む教師たちに年の離れた兄たちに比べお前は…と言われ続けた。今考えれば、数年しか生きていない子供と、文官として勤務を始めた兄たちと比べる方がどうかしている。
兄たちは年も近く、5歳を超えた頃から父に直接いろいろな事を教わり切磋琢磨していたのに、殿下ときたら遊んでばかり…と年老いた教師に説教された6歳児が悪かったとは、どうしても思えない。
遊んでばかりと言われても、教師たちは教材を投げて寄越すだけで、誰からもまともに読み書きを教われなかった私には理解するにも限度がある。父どころか兄たちにも何かを教えてもらったことが無い私に、どうしろというのか。
そもそも、あの年頃の子供の遊びを全く知らず、部屋でただ何もない空間を眺める私を憐れんだ下位の使用人たちが部屋の外へ連れ出してくれなければ、ただ寝て起きて食事をするだけの物体に成り果てていたというのに。
今思えば、かなり不幸な身の上なのでは?
しかし、使用人たちには恵まれていた。放置されている子供を蔑むことなく人として育ててくれたのは彼らなのだから。王族や貴族に関する知識は無いけれど人間の感情は教えられますよ、と優しく笑う使用人夫婦が私の家族だ。
そんな環境でまともに育つわけもなく、母なる女神への知識も時折接する王族や神殿寄りの偏ったものしか得られなかったし、王族としてもアレな子供が出来上がった自覚はある。
学園の高等科へ進学する15歳のときに、巫女と王族の女神への祈りの儀式に初参加したのだが、その場でも当然のように失態を晒して父と兄たちに叱責をくらった。
母なる女神への知識は家族や親族から教えられるものであり家庭教師たちでは教えられないもので、王族である家族の誰からも教わったことのない私には何が失態なのかすら理解できず「なぜこんな初歩的なことで躓くのだ」と言われて、困惑のあまり呆然とするしかなかった。
月に一度の王位継承権を持つ王族が揃って女神へ祈りを捧げる儀式に、今まで一度も参加したことが無い事も責められたのだが、そんな儀式があると知ったのは叱られたその時だ。
母なる女神への祈りの所作や規則、義務である儀式について一度も誰にも教えられていないと訴えても、嘘をつくなと取り合ってもらえなくて泣きながら謝罪を繰り返すだけだった。
ただ、幸運にもその場を王太子殿下が見ておられて、私の状況を調べてくださったらしい。
結果、教師の手配だけして放置されていたと知った王太子殿下が、父と兄たちに私の状況報告書を目の前で読ませて父を叱ったそうだ。
王太子殿下に、お前たちのなかでソノルースに儀式の知識を教えたものは誰だ?と問われて、やっと私の言った事が本当だったと判明したらしい。父と兄たちにとって、私は存在しないようなものであり、誰かが必要な知識を与えているだろうと思って、彼らで確認すらしていなかった事に王太子殿下が失望されていたと後にアルドール殿下が教えてくださった。
手配した教師と使用人の報告を聞くだけで面倒を見ていると思っているだけだと気付かされた、と父と兄たちに謝られたときには王太子殿下への感謝はあったが、父と兄たちに対してはもうどうでも良いという感情しか湧かなかった。
今でも父と兄たちは自分に似た他人という認識しか持てない。
そんな捻くれた私に、まともな友人なぞ出来るはずもない。欲を宿した目をする者が付きまといだしたが、それもどうでも良かった。
学問的な知識だけは叩き込まれていたおかげで無理なく高等科でも成績上位を維持していたが、それを褒めてくれるのは家族と思う使用人夫婦だけ。
これからは親と兄として過ごそう、と耳障りのいいことを言っていた人たちは、今まで通り与えられた宮殿で暮らし、プロキシルム家へ帰って私に関わることもなかった。
父も兄たちも、お互いの誰かが屋敷へ行っていると思っているようだ。あの人たちはやはり変わらないのだと理解し、これからの身の振り方を真剣に考えなくてはと決心した日にアルドール殿下が私を呼んでくださった。
「王太子殿下に第三王子が誕生されたら、私は王位継承権を放棄するつもりだ。王族や母なる女神とその愛し子の知識、継承権放棄のための手続きなどはちゃんと教えてやるから、よく学べよ」
近衛騎士団へ入団して、瞬く間に大隊長まで上り詰め半年後には副団長に就任が決定している第二王子殿下が、私などに関わっていいのだろうか?
「助け手を出すのが遅くなってすまない。叔父上が心を入れ替えて対応すると言っていたのを信じて遅くなってしまった」
言われている意味が分からず、首を捻る。
「国王陛下の弟を、そう簡単に信用してはいけなかった。父と違い仕事は出来ているから、人格も違うと勘違いしたんだ」
夢中になるものが違っただけで似た者兄弟だったわ、と吐き捨てている様は言葉の内容と表情は酷いものなのに、とても上品に見えた。
アルドール殿下は約束を違えず、自ら私を指導してくださった。兄の様な優しくて厳しいアルドール殿下に近づきたくて所作を真似るようになったのだが、なかなか上品には見えなくてへこんだ。
そんな私を見ても楽しそうに笑い、時には目の前で見本を見せてくれる殿下が兄だったらいいのにと思って、呟いたことがある。
「従兄弟なんだ、ちょっと場所の離れた兄でいいじゃないか。『兄上』と呼んでいいぞ、弟がいないからそう呼ばれたかったんだ」
嬉しそうな笑顔で私の髪の毛をかき混ぜたあとに抱きしめられて、泣いてしまった私に「そんなに嬉しいか、よしよしもっと泣いていいぞ」と笑われたのは恥ずかしいが嬉しい思い出だ。
あれから、私の家族は使用人夫婦とアルドール殿下、そして弟の弟なんだ私も兄と呼べばいいと頭を撫でてくれた王太子殿下になった。
まだまだ残念な王族のままだが、気を配ってくれる兄上たちに報いるためにも高等科進学時よりましになって卒園したい。
先日から、私に纏わりついていた下位貴族の子息たちを遠ざけ、一人で行動するようになった。
巫女姫と、愛し子であり巫女姫の護衛騎士に忠告された事をきっかけに、正しい愛し子の情報を彼らに教えて、私から離れるように言えたからだ。やっとだ。
もっと、もっとまともな王族になってからプロキシルムという姓から離れよう。
心の内で気合いを入れながら少し肌寒い廊下を歩いていると、そう決心させてくれた恩ある二人が向こうから並んで歩いてきていた。




