女神と荒ぶる巫覡2
朱色の巻き毛に同じ色の瞳を持った小さな女の子が、部屋の妙な気配をものともせず下の兄に近寄り足に抱き着いていた。
「おかえりなさい! 二のにさま。一のにさまも! ね、おねさま帰ってきたよね?」
無邪気な笑顔で兄を見上げて、姉の帰りを喜ぶ幼子に部屋の気配が緩んだ。
険しい顔で女神に悪態を吐いていたアグメサーケル様が、少女と向き合うようにしゃがみ笑っていた。
「こんにちは、ちいさなお姫様。お名前は何と言いますか? 俺はアグメサーケルだ」
「こんにちは、アグメサーケルさま。わたしはヴァニトゥーナ・グラテアンです。4歳になりました」
物おじせずに笑って挨拶をするヴァニトゥーナに優しく笑い返し、彼女の両脇の下を持ち自分の頭の上より高く持ち上げてから腕に座らせるように抱きかかえた。
いきなり持ち上げられて驚いてはいたが「たかーい!」と喜んでいたので、ヴァニトゥーナはわりと度胸のある子なのだと思う。
「えっと、おとさま? 何で怒ってるの? あと、おねさま具合わるい?」
アグメサーケル様の顔を覗き込んだかと思えば、心配そうに姉を見る。しかし、お父様って?
「カーリィの心配はしなくて大丈夫だぞ、アウラがちゃんと癒してくれるさ」
「あ、おかさまだ! じゃあ大丈夫だ。ありがとう、おとさま」
可愛らしい子供の声に部屋の気配は和むものの、皇太子夫妻をお父様とお母様というのが不可解でならない。どういうことなんだ?
「ニィ、いまはお父様とお母様じゃないだろ。それになぁ、年齢的にはお兄様だと思うんだが」
アグメサーケル様に柔らかい巻き毛をかき混ぜる様に頭をなでられて、きゃあと声を上げて笑い「うーん?」と悩むように目を閉じて呟いた。
「なにがお兄様だ、相変わらずふざけた男だ」
幼子の声音も口調も変わった事に、アグメサーケル様と静かにカリタリスティーシアを癒していたアウローラ妃殿下以外が驚愕していた。いきなり貶された当人は、不敵な笑みを浮かべてヴァニトゥーナの姿をしている誰かをドゥーヌルス様に渡している。
「おや、いもうとを抱き上げてはくれないのかしら」
兄に抱き上げられて睨むように笑う少女の瞳は、輝くような真紅だった。同じ容姿をしていても、朱色の瞳の幼子と同一人物には見えない。
アグメサーケル様と言えば、肩をすくめて溜息をついて吐き捨てるように呟く。
「お前は赤の他人だ。ヴァニトゥーナはどうした」
「眠ってもらったわよ。カーリの口を使おうにも、あの状態では無理だもの」
ちらっと治療を受けているカリタリスティーシアの方を見て、再びアグメサーケル殿下を睨みつける。二人の睨み合いは長く続かず、殿下から口火を切っていた。
「幼い子供に貴様の気配は毒だ。さっさと出て行けクソ女神」
「それを言うなら、幼子にお前の気配も毒ではないの。アーラを置いてお帰り、騒がしい荒くれ者よ」
「お二人とも、言い争いがしたいなら部屋の外でなさってくださいまし。静かにしてくださいと申し上げましたでしょう?」
アウローラ妃殿下に軽蔑の目を向けられた二人は、同時に舌打ちをする。相性と仲は悪いのだろうが、息は合っている。
「不躾に直接来訪した事は申し訳なく思っております、母なる女神。わたくし共は、日ごとに気配が弱くなっていくカリタリスティーシアが心配だったのです。まだ『神問い』をしていないこの子では、御身でも癒すことはできないと思いましたの…」
一通りの治療を終えたのか、カリタリスティーシアの手を両手で握ったまま目を伏せて語る妃殿下の声が、だんだん小さくなっていった。
「そうね。わたくしに宣誓していないカーリには、あまり干渉することは出来ないもの。助かりましたアーラ」
妃殿下を見て悲しそうな微笑を浮かべたとは思えないくらいに、アグメサーケル様へ向ける憎々しげな表情への変化は速かった。
「だからといって、その刺々しい気配をまき散らしてわたくしの領域へ無造作に入り込むのはどういう了見か。これだから野蛮な男は嫌いなのよ」
「そりゃ悪いことしたな、癇癪持ちの女神サマ。愛しのアウラがとても心配していてな、気を遣う余裕はなかったんだ」
「まあ、わざと気を付けなかった事をアーラのせいにするとは、なんて素敵な伴侶なんでしょう。素直に嫌がらせと言わず妻のせいと言い訳する馬鹿者が夫だなんて、可哀想なアーラ」
「ああ?」
「わたくしに嫌がらせをするため、その禍々しい気配を撒き散らしているのでしょうけれどね。この屋敷から出る得体の知れないお前の気配のせいで、立場が悪くなるのはわたくしではなくて愛しい子供たちなのよ」
兄に抱かれて可愛らしい顔と声で、容赦なく神の化身たる巫覡を追い詰める幼女。彼女の言葉にずっと不敵な笑みを浮かべていたアグメサーケル様が、笑みを消して黙った。そして、小さく舌打ちをしてゆっくり瞬きをする。
直後、ずっとあった違和感のような気配が収まり、場の空気が和んだ気がした。
「お前がカーリの為に尽力している事や、アーラを連れてきた事には感謝しているのよ。だが、お前とは一度たりとも解りあえたこともなければ、解りたいとも思わない。お前も同じなのだろうけれど、わたくしに対する嫌がらせで可愛い愛し子たちを巻き込むのはおやめ。いくら人間になったとはいえ、人間の感情にばかり引きずられてばかりだと、アーラすら護れなくなるわよ」
こういった注意は神でなく人間がするものでしょうに…、と一気に言ってのけたあと目を閉じ、静かになる幼子。ふたたび瞼が持ち上がることは無く、二人分の静かな寝息だけが部屋を満たしていた。
「母なる女神はお帰りになったのでしょうか」
しばらく黙っていたドゥーヌルス様が、ぽつりと誰にともなくこぼした。
「疲労を癒しに本体へお還りになったのでしょう。カーリィが拘束されてからずっとお傍に付かれていたでしょうし、先ほどまでわたくしが全力で癒せるようこの場を整えてくださっていましたから。そのうえニィを口としていた時も、極力影響を与えないようになさっていたので…」
疲労が限界にまで至ったのでしょうね、と兄の腕で眠る幼子を切なそうに見やった。
「女神がご無事で良かったんですが、あの、なぜヴァニトゥーナはお二人を『お父様』と『お母様』と呼んだのでしょう。お二人もティーシアやヴァニとは会った事がないはずなのに、良くご存じの様子ですし。二人の愛称も…」
所在なく立っていたドゥオフレックシーズ様が、遠慮がちに皆が気にしていただろうことを質問した。
「二人は、最初に俺とアウラが結婚したときの子供たちの生まれ変わりだからだな。再び俺たちの子に生まれることもあれば全然違う国に生まれることもあるが、だいたいクソ女神の巫女と愛し子になるんで、まず出会える。そして不思議なことに、何処にどう生まれても愛称がカーリィとニィと呼べる名前になるな」
ものすごい事をさらっと言われたが、この部屋に来てから凄いことばかりで麻痺していたのか、ああそうなんだと納得するだけだった。周りを窺っても皆同じようで、そして疲れた顔をしている。
視界の端で妃殿下の腕が上がり、そこから淡い光が部屋を満たしていくのが見えた。
「あ、おねさま!!」
と可愛らしい幼い声と、とたとた走る足音が聞こえて自分が目を閉じているのだと自覚する。
目を開けて音のした方を見ると、明かりを落とした部屋の寝台に腰かけるアウローラ妃殿下の服を掴み、心配そうに質問する幼子が見えた。
「ね、おねさま大丈夫?」
「大丈夫よ、たくさん寝れば回復するわ」
にっこり笑うアウローラ妃殿下へほっとした笑顔を向けて、あっと慌てていた。
「ヴァニトゥーナです、おねさまを治してくださってありがとうございます」
とフランマテルムの正式なお辞儀で挨拶する姿は、とても愛らしい。
「まあ、可愛らしい。素敵な挨拶ありがとう、わたくしはアウローラよ。好きに呼んでね」
「はい! ありがとうございます、アウローラさま。えっと、アウローラさまはアグメサーケルさまと結婚なさっているんですか?」
「そうよ。といっても、つい先日結婚したばかりなのよ」
ちらちらとアグメサーケル様を見てうふふふ、と笑いあう二人を見ると場違いとは思うが和む。
「ヴァニトゥーナ嬢は4歳って言ってましたね。楽しそうに話しているのを見ると親子みたいです」
同じく隣に立って楽しそうに眺めているアグメサーケル様へ声をかけると、はぁ?と呆れたように見られた。
「アウラは18歳だぞ、そこは年の離れたお姉さんだろうが」
でも、アグメサーケル様なら父君でも違和感ないよな、と思ったが言わないでおこう。
「しかし、しっかりした子ですね。殿下方のことを『お兄様』とか『お姉様』って言いそうなものなのに、挨拶のときからずっと名前で呼んでいましたよね」
ませた子供だよな、と楽しそうに笑うアグメサーケル様の顔はあまり見ない笑顔だな、とグラテアン兄弟が殿下に近寄りお礼を言うのを、ぼんやり聞きながら思った。
「アグメサーケル殿下、妹の救助と癒して頂きありがとうございます。神殿ではあった女神の気配をこの部屋へ帰って感じませんが、女神も感謝なさっていると思います」
「いや、世界の巫覡や巫女と愛し子を助けるのが俺の役目なんだ、気にしなくていい。が、礼は受け取っておく」
ニヤっと笑うアグメサーケル様はとても20歳には見えなかった。やっぱりお兄さんでいいのかもしれない。




