女神と荒ぶる巫覡
アグメサーケル様の使者として炎の女神の巫女を迎えに行けば、予想よりもずっとひどい扱いを受けているようだった。
プロエリディニタス帝国では神々も愛し子の位の関係なく、等しく神の子として敬われる。ただし『敬われるに相応しい人たれ』という義務もある分、例え巫覡や巫女であってもフランマテルム王国やグラキエス・ランケア帝国の神官のように傍若無人に振る舞えるわけでもない。
この二国の巫覡と巫女への態度が、本当におかしいんだ。
数百年ぶりに誕生された、我らが神の巫覡の扱いがとても心配になる。いち侍従、それも他国に居る俺が心配したところで、どうなるものでもないのが悔しい。
獣車で兄と楽しそうに話していた痩せ細った少女は、突然張り詰めた糸が切れるように気絶した。
グラテアン邸に到着する直前だったのは幸いだったと思う。
涙ながらに少女の帰還を喜ぶ使用人への挨拶もそこそこに、下の兄君が速足で彼女を部屋へ運び上の兄君が待つ少女の部屋の寝台にそっと寝かせた。
「お疲れ様、ドゥオ」
「ありがとう、兄上。でも兄上の方が疲れただろ、お疲れ様兄上」
細紐で一つに括られた肩より少し下まである真っ直ぐな髪の色は、透き通るような赤茶色。弟を見る真紅の大きな吊り目は優しく細められており、細い鼻の下の薄い唇は両端がちょっとだけ上がっている。あまり表情が変わらない人なのかもしれない。
「妹を助けてくれて、ありがとう。私はドゥーヌルス、そしてご存じだろうが弟のドゥオフレックシーズ」
「よろしく」と揃って挨拶するグラテアン兄弟は、趣は違うがどちらもかなりの美形だ。先ほどの第二王子殿下の話からいって、兄が父なる神の巫女の系統、弟がグラテアン直系の系統の顔なんだろうと思われる。ずいぶん前の事なのに、ここまでコルフィラティナ様の血が現れるということは、炎の女神が望まれているからだろうか。
「インフィウム・ソリスプラと申します。よろしくお願いします」
「綺麗な朱色の瞳だ、これから君がどうするのかはゆっくり考えて。この国で母なる女神の愛し子として生きるもよし、自国に帰ってもうひと方の神へお仕えするもよし。とりあえずティーシアの『神問い』が終わるまでは、グラテアン家が責任もって君をお世話するよ」
ちょうど邪魔だった騎士や使用人たちが居なくなったから居心地は悪くないはずだよ、と変わらない微笑に恐怖心が湧いてくる。この人、見た目程に穏やかじゃないな。
「ありがとうございます。お世話になります」
震えそうになる声をなんとか抑え、無理やり笑顔を作って答えると後ろから吹き出す声が聞こえる。
「その物騒な笑顔で言われたら怖いじゃないか、ドゥーヌルス」
「顔が物騒と言われても、いつもと変わらないじゃありませんか。殿下こそ、その表情はどうかと思いますよ」
「ほぼ私的な場なんだ、いいじゃないか」
月の夜に佇んでいそうな貴公子と、グラテアン家にも負けない光るような明るい頭髪と笑顔の王子が幼い少女の部屋で語り合う、妙な絵面だが絵画として残したら喜ぶご令嬢方がたくさん居そう。
いつもの事のような顔で眺めているドゥオフレックシーズ様は、居心地悪くないんだろうか… 俺は非常に悪い。困ったな、と思っているとここには居ないはずの方の声が、部屋の入口から聞こえた。
「なんだ、楽しそうだな!」
驚いて振り向くと、明るい金髪に澄んだ緑青の瞳を持つ美丈夫が、薄紅色の長い髪と薄い赤銅色の瞳を持つ美しい女性を伴って立っていた。
「アグメサーケル殿下!! アウローラ妃殿下まで… どうしてここへ?」
「巫女が気になったからな」
よくやったと俺を褒めて、にやりと笑ってアウローラ妃殿下を連れて寝台の横まで近づいたアグメサーケル殿下が、ドゥーヌルス様へと向き直る。
「俺はアグメサーケル、戦の神の巫覡だ。こちらは妻のアウローラ」
「初めまして、アウローラと申します。グラテアンの未来のご当主にご挨拶できて光栄ですわ」
「お初にお目にかかります。グラテアン次期当主、ドゥーヌルス・グラテアンと申します。今は御身の国へ留学生として滞在させて頂いております。」
隣は弟のドゥオフレックシーズですと弟と共に丁寧に挨拶をするドゥーヌルス様に、軽く手を振りながら笑うアグメサーケル殿下はものすごく砕けた態度である。
「丁寧な挨拶ありがとう。だが今俺たちはプロエリディニタス帝国に居て、ここには居ない存在だ。身分は関係なく、言葉使いも普通でいい。それでいいな、アルドール殿下?」
「ええ。殿下が良いと仰るなら、そうさせて頂こう。それで、巫覡殿はどうしてここへ?」
アグメサーケル殿下は即座に対応するアルドール殿下を面白そうに見て、寝台にアウローラ妃殿下を押しやりつつ答える。
「アウローラが、カリタリスティーシアの容体がかなりひどい状態だから癒したいと心配していてな。このままだと、二か月後でも『神問い』の為に遠距離を旅するのは無理だと」
アウローラ妃殿下が、グラテアン兄弟が頷いて許可するのを待ってそっと寝台に寄り、腰をかけてカリタリスティーシアの頬に手を伸ばすのが見えた。
「正式な手続きをとっていては時間がかかるからな。手っ取り早く直接来た」
「いや、直接って…。え、どうやるんだ?」
爽やかに意味の分からない事を言われて混乱する王子。そして、俺も意味が分からない。それにしても、だんだん部屋が暑くなっている気がする。
気のせいかと思っていたんだが、グラテアン兄弟も辺りを見回したり、首をひねっていたりするし周辺が何かざわざわしている感じもする。
遅れて、アルドール殿下もこの気配のおかしさに気が付いたのか、なんだろうと呟いていた。
「うっせぇな、クソ女神。お前がちゃんとカーリィを護らないからこうなってんだろうが!」
突然、アグメサーケル殿下が上を向いて怒鳴ると、さらにザワザワとした気配が起こる。これは女神の気配だったのか。
「ここまで来たら治療師ごときじゃ癒せないだろうが。心配してここまで癒しに来たアウラに這いつくばって感謝しやがれ」
けっ、と吐き捨てるように言う表情はとても皇子には見えないし、本気で怒っているようで怖い。騒がしかっただけの気配にも殺気がこもっているようだ。
「アグメン、大きな声を出さないで。そして炎の女神、御身も声を抑えてくださいまし。いくら眠っていても、この子に声は聞こえるのですよ」
カリタリスティーシアの額に手を置いて癒しているアウローラ妃殿下が、声を抑えて女神と夫に注意すると、夫は舌打ちをしてそっぽを向く。とても20歳になった青年には見えない。
巫覡は男神サルアガッカの化身と言われ、歴代の巫覡はもれなく能力も突出している。実際に帝国から直接ここへ来られる能力からみて、本当に男神が人として生まれてきたのだと思う。
しかし、神にしては幼い反応なのじゃないか? 肉体の年齢に引っ張られるとかあるのかもしれない、とかなのか?
そして周囲のざわめいた気配も収まらない。女神も大人げないというか、絶対的に相性の悪い相手に苛立っている感じだな。
何と言っていいか分からない一同が、呆けたようにアグメサーケル殿下を見ていると部屋の扉が開き、明るい廊下の光を背負う小さな影が見えた。
「おねさま、帰ってきた?」




