春の頃
フロラリア侯爵家の三女デフォラピスは、母と同じ年齢で学園では同級生として過ごしていた。優秀と評判の姉二人に負けず劣らず育ち、成績は上位五位より落ちたことがない才女と名高い令嬢で、三女という立場でも舞い込む縁談は引きも切らず選り好みを許される状態にあった。
対する母ティティアリースは、パピィクラルス侯爵家の五人の子供のうち三番目そして唯一の娘で、両親のみならず上の兄や下の弟達にそれはそれは愛されて育った。おかげで、おっとりのんびりした性格の大胆な行動に出る、変わり者の令嬢が出来上がる。
学園からの帰りに兄や弟と買い食いしながら歩く姿を、知らない者は学園に居ないと言われるほどに。多少変わっていようとも縁を結ぶにはとても良い条件の令嬢なので、縁談はこちらも引きも切らない状態だった。ただし、家族による鉄壁の守護で全ての話を却下され、選り好みする前に彼女に話が通ることさえ無い状態なのだが。
そんな母に直接交際を申し込もうと近付く猛者も居るには居たが、兄たちの守護の前にあっけなく玉砕する。兄たちの守護は完璧だったのだが、彼らの誤算は下の兄と仲が良かった父が幸せそうに食べ歩きする母に一目惚れし、それほど時間をかけずに妹が目的と悟られることなく彼らの買い食いに加わった事だろう。
変わり者の令嬢を馬鹿にするどころか、兄よりも美味しいものや楽しいものを紹介し一緒に楽しんでくれる父に、母が好意を寄せるのもすぐだった。
二人の関係が兄経由の知り合いから恋人へと変化しても、自分の好意を押し付けることなく家族との時間を優先する父の態度は、母の家族にも受け入れられてゆき二人の交際は無理なく婚約という形に変化した。
グラテアン傍流だが見目が整っていて気さくで人の良い父は、意外に人気の高い男子生徒だった。母との婚約が整ったあとは「まあ、こうなるよね」という納得の意見と「上手くやったよな」という妬みの発言、「他の女性と婚約してしまうなんて…」等の嘆きで騒がしかった。
ただ、父はそういった周りの騒ぎや評判に気がつかない鈍い人間だった。ティティは人気者で自分との婚約を羨ましがられている、自分はとても運が良いと明後日の方向に勘違いし浮かれていた。
おおらか故に鈍いと思われているが、実は人の感情の機微に聡い母はそういった世間の悪意ある意見を知らぬふりでやりすごしていた。
母と同級で同位貴族であるデフォラピスには取り巻きとも言える大勢の『おともだち』が居て、常に彼女を囲んでいたが、母はほとんど友人も居らず彼女らとあまり接触はしていなかった。
しかし、父がパピィクラルス兄妹の買い食い仲間に加わった頃から、彼女からなにかと用事を見つけて寄ってくるようになったらしい。
彼女の行動や様子から母が推察したのは、どうやらデフォラピスは父が好きなようだ、という事。
貴族たちの人となりを見るための学園とはいえ、選択科目以外では異性と同じ教室になることもなく、学年も違えば自然に会話する事もできない。事あるごとに催される行事で触れ合うことも出来るのだが、人気者の父にそれとなく近づくのは下級生の彼女には困難だったのだ。
更に、傍流であった父は夜会などの貴族の集まりにも、ほとんど顔を出さないので打つ手なしという状況であった。
自分と懇意になって父に近づこうという魂胆が見えていた母は、鈍そうという評判を盾に彼女の思惑に気づかない振りで全力で彼女を避けて、親しくなるのを回避していた。
父との再婚後に私に挨拶してきたデフォラピスの顔を見たとき「彼女はすごく必死だったのね。とても静かで落ち着いた行動と声音だったのだけれど、目だけがギラギラしてて、とても怖かったわ」と、苦笑する母の言葉が鮮やかに蘇ってきた。
大兄さまの姉と言っても納得するくらいに若かった頃とほぼ変わらない容姿でやわらかく微笑しているのに、本当に瞳だけが殺気立ったようにギラギラ輝いていて、憎しみさえ篭っているかのようで怖かった。よくぞ私とヴァニはあの視線に晒されて義母に反抗できていたと、今でもヴァニと自分にも感心してしまうほど。
特別に親しくなれなくとも、デフォラピスは諦めなかった。事あるごとに母に絡み、父と接触できなくても学園中で母に付きまとって、親しそうにしていると印象づけていた。
父との会話でも時折『友人たちから、フロラリア侯爵令嬢へと繋いで貰えるようにティティへ依頼したいと言われて困っている』と話題に出るくらいにまでなっていた。
都度、母はフロラリア侯爵令嬢とはただの同級生であり友人ではないと訂正しても、あれだけ楽しそうにしてるのだからいいじゃないか、といいように解釈されて困ると兄たちにまで言われてしまう程に。
そんな状態も半年経たずに卒園し、彼女との接触を断つことが出来て落ち着いたかと思われた。
しかし、デフォラピスは誰とも結婚せずに、叔父である神官長と王宮と文官との橋渡しをする神殿秘書なる役職に就いていた。女神関係の行事ではほぼ必ずと言っていいほどグラテアン家の誰かが出席するのだが、母が居る場には絶対に姿を見せないのに夫妻での出席や父のみ出席する行事には、必ず彼女も現れる。
彼女が独身を貫いていることから『フロラリア侯爵家に咲く永遠なる高値の花』という異名が付き、学生時代からグラテアン当主に懸想して諦めきれずに時折彼の前に姿を現している、という噂が密やかに囁かれるようになった。
グラテアン側はそういった噂を徹底的に無視し、それとなく話を振られれば迷惑極まりないと断じていたが、貴族というものは暇とみえて好き勝手に想像しては気持ちの悪い笑顔で遠巻き眺めて、ヒソヒソと煩かったそうだ。
傍若無人で強気で何をするか予想できないと言われる私の性格は、間違いなく母譲りだと兄が断言する。その母はおっとりして見えるが決して気弱ではなく、漏れ聞こえる噂を耳にしても「あの話の出所はどこなのかしらねぇ? ちょっとお兄様の伝を使って調べてもらいましょうね」と兄に微笑んで、優雅にお茶を飲んでいてなんとも思っていないように見えたらしい。
噂の出所を突き止めた伯父が何をしたのかは分からないが、あのお茶の日から幾ばくかの日にちが過ぎた頃、大元であった商家は仕事本体に大打撃を受けて、母を嗤っていた人たちの家庭も離婚したり家計が貧窮した等の話を聞いた、と兄が話していた。
その時の母は「何も言わずに、いい笑顔でお茶を飲んでいた」そうな。満面の笑みでお茶を飲む母、それを見て嬉しそうに笑う父まで想像できて、二人らしいね!と笑い合う小兄さまと私を見て、大兄さまが後ずさっていたのはいい思い出だ。それが、生まれたばかりのヴァニが母の腕に抱かれてよく眠っている昼のこと。
その日の夕食前に初めて母が昏倒し、寝込むことが増えた日の始まりだった。あの母が苦しそうな顔で蹲る姿は、とても悲しい思い出だ。忘れたいけれど、あれも母の思い出であって、忘れられない。




