なつかしい香り
野外訓練の為の広い空間にたゆたう、いかつい身体と野太い声の持ち主たちの海。中には可愛らしい子もいるけれど、圧倒的なほどにむさくるしい男どもの波を避けるように走る。無心になって走って体調を整えた後、食堂へ行くと普段よりも空席が目立つ。到着がいつもより遅かったのか、三割くらいの団員が朝食を取っていた。
誰かと話したいわけじゃないので、誰も居ないあたりに腰かけてゆっくり食べ始めると向かいに誰かが座ってきた。
「おはようございます。おひー様」
「おはよう、クアンド。今日も良く食べるのね」
挨拶の直後に食事を始めたクアンド・アーリの盆には、中身がはみ出そうで出ていない、絶妙な具合に収まっている皿がみっつもある。
アーリ小隊の小隊長であり、中隊長も兼ねている。我が小隊最年長のペンギテースより5歳は年上なのに、同じくらいに見える不思議中年だ。ペンギテースが老けてるともいうけれど、クアンドが若く見えるのもあると思う。
アーリ子爵家の長男なのに女神にお仕えしたいと家督は弟に押し付けて、我がグラテアン騎士団へ押しかけてきた強者。それまで天馬騎士と獣種混合の騎獣騎士混合の騎士隊だったのを、天馬騎士を中心に編成し直した中心人物の一人。
今のグラテアン騎士団を作り上げた団員たちはあまり残っていないのだけれど、その最古参ともいえる一人でとてもおおらかである。
ラクリーマとガウディムが、スペイフィキィスで遊んで騒いでいても「静かに遊べよー」と言って通り過ぎるくらいに、いろいろと緩い。だから小兄さまととても気が合う。
こういう、良く言えば陽気な団員しか居ない状態になってしまったから、だらしないけれど真面目な大兄さまが寄り付かなくなっちゃったのよねぇ… 同じ最古参組のイヴセーリスとかハエマティーなんかはとても真面目で、彼らが居た頃はクアンドもここまで緩くなかったから。
同じ最古参のスキエンテ・フリーギは残ってるけれど、硬くも緩くもなく他人がどうあろうと全く気にせず我が道を行ってしまうので、この雰囲気を変えるのは無理。たとえ変えることが出来てもしないだろうけれど。
ちなみにフリーギ男爵家の五男だったので、騎士位を得たらなんの事件もなくさくっとグラテアンに入団したそうな。
「身体が資本ですからね、維持するためにも補給しなくては。おひー様、今日は食が進まないようですね」
ちらっと私の手元を見て、クアンドが言う。いつもより、ちょっとだけ少な目なのを見抜かれたようだ。
「分かる?」
「なんとなくですがね。いつもより量が少ないようだし、心なしか気配がどんよりしてます」
「どんより… 当たってるかも」
「グラテアン邸か神殿に顔を出す予定がお有りで?」
もりもり食べながらの会話なのに、声を出すときは絶対に口は空だ。ガツガツしないで優雅に食し、しかも丸のみじゃなくてよく噛んでる雰囲気が出ている。どうやってるのかしら。スキエンテも同じように優雅に早食いしてるのに、野蛮でもなく貴族のように気取ってるようにも見えない。
ちょっと真似のできない技術だと思うの。しようとは思わないけどさ。
「当たり。グラテアン邸に行くのだけれど、その前に学園に寄らなくちゃいけないの」
「学園なら小さな姫様にお会いできるからって、いつもご機嫌じゃないですか」
そうなの。いつもならヴァニが押しかけてくれるから、とても楽しみなんだけれどね。
「それが、ヴァニは激励式の準備で神殿に詰めているらしくて、激励式が終わるまで登園しないのね。当然なんだけれど、目的のグラテアン邸にも居ないの」
「ああ、お気の毒です。その激励式、いつなんです?」
「三日後だって。昨日の夜に通達が来たわ」
驚きのあまり黙ったクアンドの代わりに、こちらの会話を聞いていた団員から「はあっ?!」と声が上がった。
「それって戦闘参加する騎士団の、代表だけが参加ですよね?」
嫌そうな顔でクアンドが聞いてくるけれど、あの国王がこちらに配慮なんかするわけがない。平常時に常に酔っ払ってるんじゃないかって思うくらい、とても成人した殿下方の親とは思えない言動をするのよね。
母なる女神が見たところ、誰かに魅了されたり幻惑されたりはしてないらしい。他の神の気配もしないそうなので、外部からの影響はないと考えていいと思う。
「所属問わず出られる者は全員参加せよって、国王が仰せだそうよ」
馬鹿じゃないの、頭おかしいでしょ、と不敬罪な言葉が飛び交う。
でも、本当に自分の権威を見せつけたいだけの、子供みたいな言動になってるのがねぇ。
「全員は無理ですからねぇ。戦闘参加しない者を含めて半分ちかくを参加させれば、都合つけるのを頑張ったと言い訳できるでしょう。副団長と相談して人選しておきますよ」
「そうね、誰が出るのかなんて宣伝することでもないし。誰を選ぶかは任せるわ、よろしくね」
了解です、と軽く返事をして立ち上がるクアンドの手元にある皿は空だった。
え、いつ食べ終わったの? 私の食事、まだ半分残ってるんですけど?
「ティー、まだ食事中か? 学園に寄るなら、そろそろ支度しないと慌てることになるぞ」
溜息を我慢して食事を再開したあたりで、イーが横に立つ。
「うん、どうにも行動が鈍くなるんだよね。行きたくなーい」
「気持ちは分かるが、どうやっても行かなくちゃ終わらないだろ。今日は学園、明日は本邸って別れてるよりいいじゃないか」
それは分かってるけれど、学園には王太子殿下の年の離れた高慢ちきな従兄弟ソノルース殿下が、グラテアン邸には気持ちの悪い義母が待ち構えてると思うと、食欲だって無くなるってものじゃない。せめてヴァニと会えるというなら頑張れるのに、どちらにも居ないんだもの。
「ゲンナリするのは分かるが、せめてコレとソレだけは食べておけよ」
皿に残る食事のうち、私の食欲がなくても喉を通りそうなものを指さしして、背中を軽く叩き離れていく。
諦め悪く口に入れずにフォークで突いていると、皿の横に大きなカップが置かれた。湯気のたつ中身は、私の好きな柑橘の香り。
同じものを手にしながら黙って横に座ったイーの目が、「それで流し込んでいいから早く食え」と言っていた。
「なつかしい香りがするね。そういえば、これ飲めば喉につかえてる食事が呑み込めたわ」
「あの頃と同じ顔をしていたからな。いい思い出じゃないだろうが、食べられるなら食べておいた方がいい」
まっすぐ前を向いてこちらを見ないのは、イーも思い出しているからかもしれない。あの頃の私、ひどい状態だったもんね。
「確かに、いい思い出じゃないね。でも、イーのおかげで食事に味があるんだって思い出せた、いい思い出でもあるんだよ。ありがと」
笑ってカップを持ち上げて飲む。カップの向こう側で、ひっそりとイーが微笑んだのが見えた。




