知られざる記録の裏側
何代か前の皇帝がグラキエス・ランケア帝国がフランマテルム王国へ侵攻して、当時の巫女が味方ごと戦場を焼野原にした事件は、その平原の名から通称『ウィリディロルの悲劇』と言われるものだ。
小競り合いという記述だったが、軍勢を見るとけっこうな数の兵を送り込んだらしい。
「我が国の記録にある『ウィリディロルの悲劇』という戦闘のことですね」
「生き残ったのは両国とも数名のみ。記録を残した我が国の生き残りは最後尾に配置された新兵で、突然に巨大な炎の柱が生まれ瞬く間に平原を覆ったとの記録がありました」
我が巫覡に続き俺が言うと、ヴァニ様が小さく頷いた。
「ええ。巫覡、その時の記憶はありませんか?」
「……ありません」
「そう。あの時の貴方はおじい様の愛し子ではありましたが巫覡ではなく、グラキエス・ランケア帝国のただの新兵でしたわ。カルゥお兄様の血筋が絶えてからおじい様は表立っての寵愛を与えず、当時の貴方も寵愛は巫覡並みであっても、認定はされていませんでした」
「あの頃からグラキエス・ランケア帝国の中枢は、おじい様の愛し子を使い潰していたんですよね。その愛し子たちのおかげで生きていけたというのに、痴れ者どもが」
「そうね。あの時の巫覡も寵愛が厚かったのを妬んだ皇帝が、斥候として送り込んできたのよね。そして、真っ先に犠牲になったの」
「愛し子ですよね? 真っ先にというのはあり得ないと思いますが」
「ただの戦闘ならば、そうね。でも、巫女を殺そうとした嫉妬の女神の巫女から巫女を庇ったから、あり得る事態なの」
うん、ありそう。ウルティマールが炎の女神の侍女を傷つけられた事実があるもんな。
脳筋を思い出していると、ヴァニ様は我が巫覡を見て唐突に言う。
「リィヴ、という名前に覚えはありません?」
「ありません」
「テリィヴィタスという名前の愛称なのだけれど……カーリィねぇさましか使わなかった愛称よ。わたくしたちはタースと呼んでいたわ」
ヴァニ様の強い視線が、我が巫覡の目を刺すように見ている。怒りじゃない、でも強い視線。常に動かない我が巫覡の表情が、いぶかし気なものから驚きに満たされ、やがて目を見開いて固まった。そして、小さく「それは…」と呟く。
「それは、『俺』の名前だ。いや……以前の私の名前、だ」
「思い出しました?」
「はい。カーリィ様から頂いた、大事な名前です。なぜ、俺は忘れてしまったのだろう……」
我が巫覡と違う人物が混じった様な口調だが、混乱した様子はない。とても心配だが、静かに控えているのが正解だろう。
「カーリィねぇさまがテリィヴィタスと名付けた少年は、一族グラキエスプリムゥムの、それも『御使い』の末裔でした。その少年は死にかけた所を救われて、恩人であるカーリィねぇさまに付き従って共に戦い、眠る彼女をわたくしたちと命をかけて守っていました。それを見たおじい様が、寵愛を与え巫覡としたのです。彼は『御使い』の血を引くだけあって、人間よりずっと丈夫で寿命も長かった為に我々に近しい存在になったのです」
一族グラキエスプリムゥム、それはヴァニ様方の母君、そしてアグメサーケル陛下の伴侶であるお方が率いていた一族フランマォラティオを滅ぼし、父なる神から『神権』を剥奪された一族だ。
「皆様は、その少年が付き従うことに反対をされなかったのですか?」
誰もが聞きたくて、でも口にしにくい事をさらっと聞いてくれるイヴ。感謝の視線を送っておこう。
「しませんでしたわよ。先祖の罪は彼に関係ないものでしたし、お母さまの一族を襲うことに反対して一族グラキエスプリムゥムから放逐された方々の末裔でしたしね」
「なるほど、理解しました」
ヴァニ様はイヴから我が巫覡に視線を戻し、優しく語る。
「テリィヴィタスはわたくしの態度にもめげずカーリィねぇさまを守り通し、フランマテルム王国ができた頃、人生をまっとうしました。あなた方は惹かれあってましたけれど、結ばれることはなかった」
少しだけ残念そうな我が巫覡に、くすっと笑ってヴァニ様は言う。
「カーリィねぇさまがあまりに悲しそうにするから、わたくしはテリィヴィタスを何度もカーリィねぇさまの近くに生まれ変わらせてあげたわ。そのうちの何回かは、ちゃんとカーリィねぇさまと結ばれていたわよ」
あ、良かった。全敗は悲しすぎる。
「何度生まれなおしてもテリィヴィタスはカーリィねぇさまを覚えていて、カーリィねぇさまが覚えていてもいなくても絶対会いにきていたわ。斥候としてフランマテルム王国を攻めてきたときも、カーリィねぇさまの記憶のない巫女を守るつもりだったのよ。でも、巫女はラエティルミスから彼女の武器を与えられ、それで巫女を殺すつもりだった。それを庇ったテリィヴィタスは、女神の武器が身体を傷つけた衝撃で魂が砕けてしまった」
「……覚えていません」
悔しそうに言う我が巫覡に、ヴァニ様は続けた。
「そうね。魂が砕けたのだもの、仕方ない事だわ。あの時のテリィヴィタスの遺体は、まるでフィアウェル様みたいだった。虚ろな瞳、身体には大きな空洞。そこで一気にカーリィねぇさまの記憶を取り戻した巫女は、狂った」
しん、と静かだった部屋がいっそう静かになり、次にヴァニ様が告げた内容が目の前に見えた気がした。
「慌てて駆け付けたわたくしが見たのは、広く焼け焦げた大地の中央の人影。虚ろな瞳で事切れた少年を抱きしめて呆然とする、カーリィねぇさまの記憶を取り戻した巫女でした」
なぜだかとても悲しくて、息苦しい。横目に見えるイヴも痛ましい表情を浮かべていたし、じー様とじっ様は下を向いている。
そして我が巫覡は、いつも無表情な我が巫覡は……
涙を流していた。




