カーリィの記憶
今にも隣のイヴが「甘酸っぱ空間は~」と言い出しそうな気配を醸し出している。ちょっと焦る俺は、我が巫覡と巫女の会話をどう穏やかに中断させられるかと悩んだ。
「お姉さま、そういったお話はまた後でなさって。デフォラピスをどうするかが先ですわ」
「あ、うん。エゥヴェ兄さま、今デフォラピスってどういう立ち位置なの?」
「前公爵夫人としてグラテアン家に籍はあるが、屋敷の外では誰も彼女が存在しているという記憶は無い状態だな」
「何、その面倒くさい状況」
「デフォラピスが巫女もどきに変化した時から、デフォラピスを知る者たちの記憶が一時的に無くなっているんだ。野良だからな」
「では、処分しても問題ないじゃありませんか。グラキエス・ランケア帝国軍侵略の混乱のなか野良巫女になったので処分した、と王宮と神殿に報告すれば終わりですわ」
「ヴァニ、ダメだよ」
「エゥヴェお兄様の見てくれはグラテアンのお父様ですし、フロラリア一族はもう終わりです。ほら、なんの問題もありませんわ」
「メトゥスはグラキエス・ランケア帝国皇帝、イーと侍従くんはメトゥスの側近の武官、アーフは側近の文官なの。その人たちの前で面倒だから処分するなんて言っちゃって、本当に処しちゃったら問題しかないじゃないの」
「問題ありますの?」
駄目なの? みたいな顔で妹君は我が巫覡を見て言う。
「幼い頃の姉上に対する行動だけで万死に値する。何の問題もない」
「やはりそうですわよね!? さすがは巫覡でいらっしゃる。どうぞ、お姉さまを『姉上』とお呼びになってくださいまし」
妹君は軽く手を打ち合わせ、満面の笑みだ。色々すげぇな、この妹。
我が巫覡も許可を得た、みたいに頷かないでください。
「当人同士はさも当然そうなんだけどさ。あれ、色々おかしくねぇ? なんで妹君が、我が巫覡に巫女サマの呼び方を許可してんの?」
「小姫様にとって、お姫様のあれこれを指図するのは当然の事なのです。『おひー様を崇めるために全力で努力しましょう隊』の会長は小姫様ですよ」
「以前も思ったけど、本当にそんな隊名なのか。誰が決めたんだよ」
「……当時の隊員皆で、ですかね?」
小さなカリタ様が姫君の様だって話から、「おひめさまじゃないな、おひー様か」みたいな結論になった記憶があるな。と、聞こえるか聞こえないかの声でぶつぶつ呟くイヴは、どう見ても大真面目だった。
巫女サマが小さい頃ってことは、妹君はもっと小さかったんだろ? 何でいい大人が揃ってんのに、姫本人より小さい子が会長になってんだよ。
「もうさ、私の呼び方は好きにしてくれればいいよ。でも、私に対する行動でどうにでもしていい、はダメだよ。規則とか前例とかをすっ飛ばして処断しちゃいけないと思う」
「いいえ、当然の扱いでしてよ。お姉さま、お忘れですか? この国は巫女の為の国ですわ。そして、わたくしたち侍女にとって巫女は母なる女神の化身ですもの。お姉さまはこの国で至上のお方じゃありませんか」
真面目な表情に戻りきっぱりと言う妹君。兄君はなんの感情も乗らない顔で、姉妹を見ている。
横目でちらりと見たイヴもまた、妹君の発言を当然のものとして捉えているみたいだった。
巫女だけが驚き、戸惑っている。
「待って。巫女の国って……マテルムはニタスとグラキエスを繋ぐための国で、わたくしの為では……いえ、そうだわカーリィを守るための国で。だから、わたくしは国を出なくてはと……。待って、おかしい。私はこんな記憶しらない……」
「エゥヴェお兄様」
「ああ」
段々と顔が青ざめ頭を抱えるよう俯き、口調も定まらなくなっていく巫女。それを心配そうに見る妹君は、兄君に助けを求めた。
「カリタ、お前は混濁する記憶に惑わされているんだ。今はお眠り」
音もなく立ち上がり巫女に近寄った兄君は、今までにない優しい声で言った。顔を上げた巫女は小さく「にぃさま」とこぼし、彼女の不安に震えていた瞼はゆっくりと閉じられていった。
前のめりに倒れた巫女を支えた兄君は、横から巫女を心配そうにのぞき込む我が巫覡に苦笑し、力なく眠る巫女の身体を預けた。
「カリタは封じられたカーリィの記憶を思い出して混乱したんだ。今、カリタに不調を起こす記憶を封じているから、心配ない」
「貴兄が封印を?」
「正確には俺とニィだ」
我が巫覡は、巫女を壊れ物を扱うように大切に抱きかかえ、妹君を見た。
妹君は腹の前で手を組み、巫女を見つめている。しかし、視線は巫女に向いているが巫女を通り過ぎたもっと向こうを見ている風だ。
「姉上は、なぜ今になって記憶が混濁なさったのですか。フラエティア神殿に預けられる前後には『カーリィ』以降の記憶を取り戻した、と言っておられたのに」
巫女を抱え臆することなく無表情で問う我が巫覡を、兄君は面白そうに見る。息を吐きだす様にひとつ笑うと、我が巫覡を巫女ごと椅子に座らせて向かい側へ腰を下ろした。
「カリタが持つカリタより前の記憶は完全なものじゃない。カーリィからカリタまでの間に失われたり、封じられたりしているからだ」
「なぜ封じる必要が?」
「あの記憶を抱えていると、カリタは壊れる」
「壊れる、とは?」
兄君は怪訝に問う我が巫覡に答えず、妹君を見る。それまで何かに集中して動かなかった妹君が小さく息を吐き、こちらを振り向き疲れた様子で兄君の横へと座る。
「それについては、ニィに説明してもらおう」
「はい。まず先に、お姉さまが思い出した記憶は封じられたと思います。思い出させる事を言ってしまいました、ごめんなさいエゥヴェお兄様」
「いいや。ニィやヴァニトゥーナの発言としては、何も間違っていない。俺とニィが揃っていて、このうす暗い部屋の様子があの時によく似ているんだろう。カリタが目覚める前に、照明をもう少し明るくしておこう」
兄君が軽く手を振ると部屋が一段明るくなり、斜め前に座る我が巫覡が心配そうに意識の無い青白い顔色の巫女を見つめる姿が良く見える。
しっかり話は聞いておられる様だが、巫女から顔を離す気は無いと全身で語っている。
「こういう状況ですと、居心地わるくてもエゥヴェお兄様のお姿がお父様で良かったですわ。エゥヴェお兄様そのものの姿だったら、どうなっていたことか」
部屋は温かいはずなのに、妹君は寒そうに腕をさすりつつ巫女と同じ様に青白い表情で首を振った。
兄君はそんな彼女の背中を軽く叩き席を離れ、新しくお茶を煎れ始めた。誰も口を開こうとしないので、茶器の触れる小さな音が部屋に響く。それが心地よく、俺たちの混乱や妹君の不安なんかが落ち着いた気がする。
そこそこの時間をかけて目の前に置かれたお茶は、さっきのとは違いほんのり柑橘の香りがする。
一口飲むと、想像した柑橘の酸味は無く柔らかい口当たりのお茶の味がした。
少し落ち着いたが、もう何がなんだかよく分からない。
「お茶なんだから、お茶の味がして当たり前だろ」
「彼にしては素敵な表現じゃないですか。いつもなら『お茶だ』の一言でしょう」
「そうですけど、もうちょっと言い方ってものが……」
「君は彼に何を期待しているんですか」
なんて、俺を挟んで交わされた会話は俺の耳を避けて行ったらしく、まったく聞こえなかった。
「カリタお姉さまが言うエゥヴェお兄様が消滅された時の記憶は、実際に起きたものとは違うのです」
お茶を飲み、気を落ち着けていた妹君がしっかり前を向いて話し出すのだった。




