人間からの変化
巫女の父君は人間じゃなかった。いや、厳密には神の子が人間に宿っていた、という事だったんだけど。グラテアン家へ押しかけてきた女まで人間じゃなくなったとか、神の家系どうなってんだよ。
すっごい遠い所にある神々の色々が、めちゃくちゃ近くなってきている。そういう事にあんまり驚かなくなってきてるよなぁ、とため息を飲み込んだ。
妹君は蠢く塊── 元継母 ──をちらりと見て、言った。
「結界がフランマテルム王国を覆った時ですか。だから、お兄様はソレをこの家に封じてくださっていたのですね」
「そうなるな」
「ではエゥヴェお兄様は、お父様として生まれたということでしょうか?」
「いいや。フラメンギリスというこの身体に宿った、が正しい」
前グラテアン公爵に宿っているという巫女と妹君の兄エゥヴェというこの人物は、組んでいた足を解き立ち上がって言った。
「お前たちを立たせて話をすると、責められているみたいだ。以前のこの身体の男のした様に、お茶でも飲みながら話をしよう」
と、続きの部屋の扉を開けて俺たちを促す。左手をかざして蠢いて近寄る元全グラテアン公爵夫人を床に縫い留めてから、部屋の扉を閉めた。良かった、あれを見ながら茶を飲むという拷問を受けなくて済んだ。
さっきの部屋は書斎みたいなこぢんまりとした部屋だったが、こちらはそこそこの広さのある客間風だ。全員が座れる椅子もあることから、夫婦と子供たちでこうしてお茶を飲んで話をすることがあったのだろう。
手慣れた様子で全員のお茶を用意して、巫女の兄君はぽつぽつと話を始めるのだった。
「さて、なぜ俺が消滅しなかったか、からかな」
「そうだね。でもこうやってエゥヴェ兄さまを見ると、消滅したって断言するの自信ないね」
「仕方ないさ。実際に身体は消滅したんだ」
「え、でもあの消え方は……」
「カーリィを騙せたんだな。やはり、あの術具は相当な優れものだったってことだ」
「術具?」
「そう。俺があちらを旅するって言ったら、あれこれ持たされた」
「お母さま、お父さま、おじい様、おばあ様……誰に?」
真剣に問う巫女に、彼はふっと笑って言った。
「全員に。母上とおばあ様は、問答無用で腕だの足首だのに装着してきたな。あちらでの俺はお前たちが闘った拘束の女神にも負けない程、体中に術具があったぞ。しかも全部隠蔽されていて、どんな鋭い神にも気づかれなかった」
「お母さま、全力で術をかけたのね」
「お姉さま、それも大事ですけれど聞かなければならないのは違う事でしてよ。なぜ、お兄様はあちらへ行かれたのです?」
「こちらとの違いを見たかった。父上方の結界のおかげで内部は安全といえば安全だ。しかし、その結界も永遠ではない。そして、この大陸もフランマテルム王国やグラキエス・ランケア帝国を見れば、この先も安泰とは思えなかったからな」
「あちらがどうやって存続しているか確かめに行ったってこと?」
「神々や人間が生きていくには、色々な方法があると思ったんだ。あちら以外にも人々の住む場所はある。できれば全部見てみたかった」
「行けましたか? あちらの更に向こうへ」
「一瞬だけ、な。海を越えてやっと見えた陸に踏み出したとたん、いつくかの術具が壊れてしまったんだ。どれも身を護る物だったな。さすがに危険だと思って、すぐに移転して戻ってきた」
苦笑する兄君を笑う者は誰も居なかった。
神々が、それも炎の女神や戦の男神が全力で創り上げた護りの術具だぞ。あちらとやらの神は全然気が付かない代物、それが一瞬って。
「兄さまが無事で良かった。もしかして、それが私たちの所に移転してきた理由?」
「そう、まずフランマテルム王国に移転した。そうしたら神殿あたりに異様な気配が立ち込めているじゃないか。探索してみたら、カーリィとニィの気配も感じられてな。とりあえずお前たちの所へと移転したら、お前たちと嫉妬の女神が対峙していた」
「そうだったんだ。だから兄さまは私たちの間に入って、あの攻撃を止める事しかできなかったんだね。あちらの更に向こうの土地から出るにも、相当な術力を使ったんでしょう?」
兄君は、巫女の悲しげな声に困った様な笑顔で笑うだけ。巫女の言う通りだったんだろう。
「身に着けていた幾つもの術具のおかげで、攻撃の全てを俺に集めることができたな。肉体は消滅たし魂にも傷ついたが、少し離れた場所で復活した。だが実体までは戻らないし傷ついた魂も弱っていて、早急に休養が必要だった。あのままだと間違いなく消滅していたな」
「だから、フラメンギリスお父様に宿ったのですか?」
「母上とおばあ様の能力の強い術具だったから、おばあ様の気配の濃いグラテアン一族の集まる所で復活したんだ。当時の当主の寿命が尽きそうだというのに、次期が決まらないと当主候補が集められていたんだ」
「お父様は術力量はすごいけど当主候補の最下位だったのに、兄さまよく宿れたね」
「だから、だ。弱り切った俺が宿ったところで、術力が多少消費される程度で術力量が人並み以上には違いないし、候補順位には何の変化もない。俺は誰にも生きていると知られたくない、フラメンギリスは持て余す術力に振り回されて困っていて当主になりたいなんて考えていなかった。お互いに助かったんだよ」
「なのに、お父様はティティアリースお母様と婚約しちゃって、当主になっちゃったのね」
「俺はずっと眠っているから、フラメンギリスが当主になろうがどうでも良かったんだよ。なのにカーリィとニィが生まれてきたろ。カリタにはうっすらとカーリィの記憶が有りそうな感じだったから、気が付かれない様にフラメンギリスから出て行こうとしてたんだ」
「教えてくれても良かったんじゃないの?」
「ニィを開放するために奮闘してるお前に、実体の無い俺が現れたら混乱するだろ。カーリィとニィの気配が有るときは深く眠ることにして、お前たちから距離のある時に出て行こうと思っていたのに。フラメンギリスときたら、ずっと妻と娘の側に居るじゃないか」
ものすごく渋い声で言う兄君に、姉妹は顔を見合わせて苦笑していた。きっとグラテアン公爵夫妻は、いつも甘酸っぱ空間を作っていたに違いない。
「離れ損ねていたら、ティティアリースがデフォラピスの呪いで倒れた」
「ティティアリースお母様は呪いにかかっていたのですか?!」
「あれは呪いだったな。何回かフラメンギリスにおばあ様に助けを求めろ、と警告したんだけどな。国王にちょっかいを掛けられていて、対応に追われて後手に回ったんだ。当主より強い寵愛を授かっているから、まだ大丈夫だろうと油断していたのもあったと思う」
「人間であるデフォラピスが、ティティアリースお母様に呪いなんて掛けるのは無理があるんじゃないのかな」
「今にして思えば、そのあたりから人間じゃなくなっていたんだろう。カーリィ、元デフォラピスは今何に成っていると思う?」
質問で返された巫女は教師からの問いを解く生徒のように、素直に蠢く塊が居るであろう方面を向き、目を凝らした。
「禍々しい気配だね。よくあの気配を押さえられてるね、兄さま」
「いい迷惑だ。アレのせいでグラテアン邸から出られなくなったんだぞ」
「大兄さまと小兄さまの為に、だね。相変わらず優しいね、エゥヴェ兄さま」
ふっと固い表情を緩める巫女に、兄君は照れ臭そうに押し黙る。それを見ている妹君が、褒められた兄君を睨んでいた。ブレないな、妹君。
「うーん。あんまり感じの良くない神の侍女か、巫女級の寵愛を授かってる?」
「授けた神は、どなたか分かるか?」
「禍、不幸、恨み……。あ、まだ人間なのに呪いを掛けられたんだった。そのまま呪いの男神だったりする?」
「当たりだ。デフォラピスは今や、呪いの男神イムクリブスの巫女だ」
「げぇ……」
「お姉さま、口が悪いですわ」
妹君、今言うのはそれじゃないと思います。
もうほんと、どんだけ巫女だの巫覡が誕生すんのよ。




