祈り
前日の晴天が嘘のような曇天。もう今にも土砂降りの雨になりそうな陰鬱な天気な今日が、近衛騎士団で初の対特殊能力戦闘訓練だったりする。
王宮の一角にある近衛騎士団の訓練場に、まだ到着すらしてないけど帰りたくなってきたわ。
同行者は副団長の小兄さまと、副官のイーを含む私の小隊。
兄さまの小隊も連れてこようと思ったけれど、近衛騎士団を全員叩きのめして一個小隊で私の攻撃を耐えるのを見せつける方が効果的だから、我が小隊には頑張ってもらおう。
そこで見学している宰相閣下と軍務大臣その他一名に、今回の迎撃戦の予算編成以外から手を引いて頂くようにお願いする、が今日の課題。
まあ、達成はできると思う。
起床したとき、母なる女神から『素敵な日の始まりね、やっておしまいなさい!』ってすっごい楽しそうな声が届いたから。
なんだろうな、アルドール殿下も「とっておきの制服をがっちりキメて待ってるぞ」って仰ってたし、思い切り馬鹿にしてる奴らをブッ飛ばしていいって許可も出てるのに、気分がのらない。
うん、集合の時間にはまだまだ余裕あるし、訓練場行く前に王宮の祈祷所に寄っていこう、そうしよう。
「ねえ小兄さま、イー、訓練場へ行く前に女神へ祈ってくるわね」
先を歩く二人に断りを入れ後ろに続く団員に手を上げて挨拶をして、返事を待たずに方向を変えて歩き出す。祈祷の邪魔をする気のない二人と団員は、そのまま訓練場へ向かうようだった。
本来なら護衛騎士のイーは付いてこなきゃいけないけど、祈祷所には入れないしここで私になにかあれば大問題になるから、王宮の警備には頑張ってもらいましょう。
祈祷所はドアの無い薄紅色の壁に、炎のような形で切り抜かれ紅色で縁取りされた入口があり、内部は白い壁に常に灯される炎のおかげで橙色がゆらめいているのが見える。
王宮内の祈祷所は王族と巫女・巫覡のみが入場を許されているのだが、現在のフランマテルム国王は女神をまったく心棒していないので、ここ何十年も祈祷所に足を踏み入れたことがないそうだ。
来なくていいけどね。内心で女神を馬鹿にする祈祷者がそばにいるだけで、女神の機嫌が急降下してしまい、祈りの時間が女神を宥める時間に変わるんだもの。たまったものじゃない。
なぜこんなにも、胸の内がもやもやするのかなぁ。
訓練前に女神に祈りを捧げて、自分とも対話してスッキリできるといいんだけど。と期待しながら、ほのかに暖かい内部へ足を踏み入れると、祀られた女神の火に向かい祈る男性が居た。
あ、だめだ。母なる女神が騒いじゃう人だ。
カリドゥース・フィリゥレギス・レクステルム王太子。
荒っぽいというか、物騒な場面でご一緒する事が殆どなアルドール殿下とは違い、祈祷所や母なる女神を祀る場所で出会う事が殆どという、とてもあの国王と血縁とは思えない穏やかな方で、女神の信徒でもある。
そういう女神に対しての姿勢を、国王にはちくちく嫌味を言われているのに、上手に受け流しているのを見習いたい。
王太子殿下の祈りは、女神がご機嫌になるような真摯な祈りなのだそう。確かに女神は神官が近くに居るより、王太子殿下が祈っておられる時の方がとても楽しそうではある。
私はまったく楽しくも嬉しくもないから、ちょっぴり迷惑なんだよね。
なぜなら女神から、本当にどうしてあの国王からこうも敬虔な祈りを捧げられる方に成長できるのか、不思議だの理解不能だのと毎回言われるのだ。祈ってる私の頭の上で。
アルドール殿下もあまり変わらない言われようだったりするので、あの方もけっこうな信徒なんだろうなぁ。対外的にそうは見えない態度なんだけど、国王にばれたら煩いもんね。
できるだけ足音をたてずに王太子殿下の横に膝をついて座り、両手を組み親指の付け根を額に当てて頭を少しだけ下げて女神への祈りの姿勢になる。
儀式などでは祈りの言葉を口にして祈りを始めるが、こういう私的な祈りの時は声に出さずに祈るのが通常だ。
―――我が母なる御君、我が至上の女神。エイデアリーシェ様へ心よりの感謝と、幸福にあられることをお祈り申し上げます―――
と、信徒はここから日頃の感謝を述べ、悩みや苦しみ、はたまた今の幸せな気持ちを女神にお話しし、解決策を己で見つけられるようにいろんな案を考えたりする。
ごくごく稀に、女神からイメージでの宣託を与えられる者も居るのだけど、よほど神の気配を読むことに優れた者は別として、神職でも侍女や侍従でもなければそのイメージを受け取ることもできない。
昔は神官も女神の意志をなんとなく理解していたらしいけど、最近の腐敗した神殿では、侍女や侍従ですら女神がお怒りでも気づきもしない、ニブいのがはびこってたりするのが悩ましい。
でも神の寵の有る者は、具体的でなくても女神の云わんとする事が理解出来ている。国中に居る信徒にも大まかな女神の意思は伝わっているし、ちゃんと神託として受け取った人も居るという記録もある。
だからこそ巫女などの詐称は不可能で、いくら神殿内が腐敗していても腐った神官が神職に有るものを含めたすべてを掌握仕切れないのよね。ざまぁ見ろ、クソじじいども!
いけない、いけない、また言葉が下品になってしまった。申し訳ありません、母なる女神。
今の神殿で祈る神官や侍女・侍従などのほとんどは、感謝の次にどれだけ女神への愛を持っているかをつらつら述べて、だから出世したい! みたいな結びになるそうだ。なんで祈って出世できると思うんだ。
もちろん少ないながらも、心から女神を讃え自己研鑽に励む素晴らしい者も居ないことはない。ものすごく少人数だし、腐った神官に煙たがられるから地方神殿に散ってしまっているんだよ。
敬虔な信徒でない神殿関係者の祈りほど要らないものはない、と女神は宣う。欲望のみ全開の信徒でない民の祈りの方が、まだ潔くて良し!って断言されるってどうなの、ダメな神殿関係者たち。
申し訳ありません、あいつらは私ではどうにもなりませんて…心より女神を慕う者たちのお声を聴いて癒されてください。
違う、私はこんなことを考えたいんじゃないのに。
『いいのよ、迷走してる思考でも欲望まるだしの祈りでも、心からの祈りは我が存在の一部にはなるんだしぃ~。とはいえ、気持ち悪い神官たちの祈りは変な力になるから、本当にいらないのだけどねぇ』
鈴を転がしたような軽く楽しそうな、美しい声が頭に響く。というか、他人には視えていない女神が、いつものように頭の上に顕現しているので、頭の上から降ってくる、のが正しい。
アグメサーケル陛下に「カーリィの頭の上に、楽しそうに寝転んで肘をついて組んだ手の上に顎を乗せた女神が、俺に罵詈雑言の嵐だぞ。すげぇ、笑ってんのに怒ってるわ」と初対面で言われて以来、誰かが一緒に居るときに女神が顕現されると、必ず私の頭の上で同じ格好なのだそうだ。
両陛下への挨拶のときに、いつもお二人が微妙な表情で苦笑なさるのは、笑いを堪えてるかららしい。
ちなみ私だけのときは好きなところに好きな格好で現れるのだけど、なにか規則でもあるのかな。
『ないわよぉ。戦狂いの他にも見えるのが居るときは、もう少し格好つけるわよ』
あ、面倒なだけだったんですね。ってそうじゃない。
近いうちにグラキエス・ランケア帝国の侵攻軍と戦闘になります。巫覡プリメトゥスが戦闘に参加することはないと思いますが、もし彼との戦闘になった場合に全力で戦うことをお許しください。
『それが人間の選んだものならば、致し方ないでしょうね。神の子同士争わないのが神との約束。同じように人間から強要されたとしても、背の君の巫覡もカーリと直接に戦わないように気をつけるでしょうよ』
信徒同士の戦闘はなるべく避けられるよう、軍の配置に気を配ってはいますが我がグラテアンの騎士と、氷の男神エイディンカの信徒との戦闘は避けられないと思います。母なる女神には大変申し訳なく……
『わたくしを敬わず信じない人間の選んだ道を、我が子が責任を持つ謂れは無いのよ、愛しいカーリ。わたくしの可愛い娘が、あの方の可愛い息子と戦いたくないのは、わたくしにはよく理解できるもの。わたくしだって、あの方と争うのはとても嫌だわ。それでも欲深い人間に使われる子供たちの争いで、禍がカーリとかの巫覡に降りかかるというのなら、わたくしがそれの全てをこの国の王へ移してやりましょう』
コロコロと笑うような声に、強張った顔と肩の力が抜けるような気がした。
ああ、そうなんだ、そうだったんだ。やっともやもやの原因が理解できた。私は巫覡プリメトゥス――私の緑萌える木の妖精であるあの少年――と戦いたくなかったんだ。
私の娘ねぇ、と楽しそうな女神の言葉に全部腑に落ちた気がした。
なんかの行事で王が側に居る時
女神
『ああああぁ、空気悪い! 気持ち悪い! 潰していい?! ねえカーリ、潰していいわよね! なんてことかしら、あの戦狂いの方がましと思えるってどうなの?! ねえねえねぇ…(以下カリタにより自主規制)』
王太子と祈ってるとき
女神
『ええ、ええ。そうね、そういう祈りはいいわ。ねえねぇカーリ、どうしてアレから生まれてこの子みたいに育つのかしら。だいたいね、アレの…(以下女神による愚痴が続く)』
アルドール殿下と以降の王子たちがなんかの行事で一緒に祈るとき
女神
『まあ。あの子には劣るけど、この坊やもとてもアレの血縁とは思えない良い祈りだわねぇ… 他の土筆たちはまあ似たり寄ったり、身の入らない祈りよねぇ~ ちょっとアレの甥って言われてた、ソレ(王子に続き並んでいる王弟殿下の息子)ってカーリの同級生なんでしょ? やぁあねぇ…(以下、女神よりの血縁評価が続く)』
たいがい国王親子とか血縁とか腐った神官たちが側に来たら、普通に祈れないカリタリスティーシア。
哀れ。