欠章5.悪魔への言葉
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私とファーリがラスターと名乗る放浪者と出会い、共に旅をするようになり、ファーリの瞳には光が戻った。
そして、それからしばらくして、ファーリは旅をやめた。
当然私にはそれを止めることはできず、2人はある辺境の地に居を構えたのだった。
間もなく、2人は結婚した。
特に行く当てもなかった私はファーリの隣の家に住み、2人をそのまま見守ることに決めた。
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それからまた数年が経過し、2人は子を成した。
長女ガブリエラ、長男ラファエル、次女ミシェルの三つ子。
3人の子供たちは健やかに育っていた。
その一方で、変化があったのはファーリの家庭だけではなかった。
辺境に1軒しかなかった家の周りには次第に人が集まるようになり、村が形成されていったのだ。
最初は私も戸惑ったものだが、村が魔物に襲われて逃げ延びてくる人々が思いの外多く、ファーリは魔法を使って村をどんどん発展させていった。
ラスターとの出会いから、ファーリは魔法を隠さなくなっていた。
それからというもの、恐れられるべき力として『魔法』と名づけられた力は、便利なものとして認知されるようになる。
そのことに内心安堵しながらも、私は未だに危機感のようなものを感じていた。
そして、それは起きた。
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ある日、私がファーリの家の庭を覗くと、そこには三つ子とファーリが遊んでいた。
「ねーねー、ママみてー」
「どうしたの、ガブリエラ?」
「ほら、これ!」
そう言って、長女のガブリエラは手元から水を放出してファーリの顔に当てた。
最初のうちはファーリもただのいたずらと思ったらしく、楽しそうな声でガブリエラの出す水を手で防ぐ。
しかしそれからしばらくしても水が長く放出され続けており、それに違和感を覚えたファーリはハッとしてガブリエラの手を掴んだ。
「ガブリエラ!? 今、何を……!?」
「ママ……? いたいよぉ……」
我に返ったファーリはすぐに手を離し、すぐに謝った。
すると、残る2人の子供たちも各々に不思議な力を操ったのだった。
それが彼女たちの手元にいた精霊から発せられていたものだと気がついたファーリは、一瞬にして恐怖を思い出した。
自分が『魔法』と名づけた力。
それは自分だけの力ではなく、遺伝し、受け継がれるものだった。
受け継がれてしまう力だった。
子供たちは、精霊が見えていたのだ。
眼鏡越しなら精霊がぼやけて見える私でも、その光景はかつてのファーリとの出会いを思い出させた。
それからファーリは三つ子にその力を使わないよう言いつけ、それを私に預けて、自分は研究に没頭した。
それから数日で、彼女の研究は完成した。
正しくは、完成させたのはファーリではなく、ラスターだった。
***
「ここにいましたか」
「君、一体何をした?」
ファーリは精霊と『魂の盟約』なるものを交わし、呪文と呼ばれる力で精霊の力を封じた。
それから間もなく、私はファーリを遠目に見ながら、傍らにやってきたラスターにこう尋ねていた。
「何のことですか?」
「『魂の盟約』……。あの理を作ったのは君だろう。私の目は誤魔化せない」
「なら、ケルビムさん。あなたは僕が何をしたのか分かっているということでは?」
「何をした、というのはどうやって、という意味だよ。あれはこの世の理を覆す、新たな理の追加だ。どうしてそんなことができる?」
「……なるほど。であれば答えは至って簡単だ。僕は普通の人間ではないのですよ」
それに私は納得した。
眼鏡越しに何度かこの男の周囲を見たことがあったが、その時の精霊たちの動きが異様だったのを覚えているからだ。
ファーリやその子供たちの周囲には当然、精霊たちが無数に集まっている。
普通の人間たちの周囲にも、ファーリたちほどではないもののある程度の精霊が近くにいる。
だが、ラスターの周囲はまるで精霊が避けているかのような、色が欠けた空間が存在していたのだった。
「それ、私に言っても良かったのか? ファーリにも言っていないんだろう?」
「問題ないでしょう。だって、あなたはただの傍観者だ。あなたはこの世界に存在している人間ではあるけれど、この世界に干渉できる力を持っていない。さっきだって、僕から話しかけなかったら声をかけることすらできなかったのではないですか?」
「……あぁ、そうだね。私はきっと、この世界から隔絶された存在なんだろう。だから、ファーリが知り得ない情報は私から伝えることは不可能だ。これまでずっと、そうだった」
「なら大丈夫ですね。僕はそう……ファーリが忌み嫌う名を持つもの。かつて人々から『悪魔』と呼ばれ、人間の手で滅ぼされた種族。『魔族』あるいは『魔人』……そう呼ばれる存在です。僕たちは世の理を変えられる不思議な力を持っている。ご推察の通り、ファーリが『魂の盟約』と名づけた契約は、僕が作りました」
「悪魔……そうか、君が……。それがどうして、ファーリに近づいた? 人間は憎むべき存在なんじゃないのか?」
「僕は魔族の最後の生き残り。人間をどう思っていようが、種を存続させる義務がある。まあ、僕自身は人間をどうとも思っていませんがね」
そう言ったラスターの瞳には、楽しげに笑うファーリの姿が映っていた。
しかし、ラスターは子供たちを目に捉えた瞬間、悲しげな表情を浮かべる。
「でも幸か不幸か、僕の力はファーリの力と共にあの子たちに受け継がれてしまった。ファーリは気づいていないだろうけど、僕には分かる。だから、『魂の盟約』にはその力の封印も含めておきました」
「魔人の力が、あの子たちに……? でも、その力と精霊には関係ないはずじゃ……」
「ファーリの力がそうであったように、僕の力も遺伝した。僕たちも魔人の力を全ては理解できていない。生物学的に考えれば、僕たちの力は血によって受け継がれるものだったのでしょう。だから、あの子たちがこの力を自覚する前に封印する必要があった。完全に封じるわけにもいかなかったので呪文での制御に留めましたが」
「なるほど……。その力を君が使えなくなるのは困るってことか。それは魔人としての役目……のようなものだろうか」
「そうですね。今となっては不要となった役目なので、この立場を手放そうとも思ったのですが……。使いようによってはああやってファーリと子供たちの安全を守ることができますし、捨てたものではないのかと」
「それについて話すつもりはない、ってことだね。そういえば、はっきりとした結論を聞いていなかった」
ラスターは不思議そうな顔をする。
「何のことです?」
「どうしてファーリに近づいたのか、さ。別に子を成すだけならファーリじゃなくても良かっただろう?」
「そ、れは…………」
「……君は知っていたんだな、ファーリのことを。『魔法』のことを」
「……ええ、そうです。ケルビムさん、あなたに隠し事はできないようですね。その眼鏡の力でしょうか」
「いいや、今のはただの推測だよ。私は人間だからね。感情の機微には明るいんだ」
「ご冗談を……」
そう言ってしばらく、ラスターは静かに遠くを見つめていた。
それから何を思ったのか、1つの小さな溜息を吐いた後、言葉をたどたどしく紡いだ。
「ファーリは、あの子は……不思議な力のせいで居場所がなくなった。そして、その力を悪魔の力……悪魔になる方法と呼んだ。どうしてあんな力があの子に宿ったのか、もしもそれを仕組んだ神がいるのなら僕は絶対に許せない」
「つまり、君は同情した……ということかな。魔人という種族の過去と、ファーリを重ねてしまった、と。いや、むしろ種族どころか君自身と重ねてしまったのかもしれないね」
「そこまで言うのは野暮ですよ。でも、それだけじゃありません。僕にはちゃんとファーリに惚れ込む理由があるのです」
「……聞かせてくれるかな」
「彼女は自分が忌み嫌った『魔法』という力を人助けに使った。たとえそれがあなたの教えだったとしても、それを無意識であれ行動に移した彼女はとても気高いと思ったのです。その力で自分を悪魔と呼んだ人間を殺すことも、忌むべき自分という存在を殺すことだってできたのに、彼女はそれを魔物に振るった」
ラスターの言葉はどこか自嘲気味で、それでいて熱が籠っているように聞こえた。
そして、彼は言った。
「彼女が僕に見せてくれた最初の『魔法』。あの炎が本当に……美しかった。それで気づいたのです。僕が勝手に自分と重ねていた少女のその心は、瞳が闇に覆われていても絶望していなかったのだと。そんな清廉で気高い彼女の心を、僕は美しいと思ったのですよ」
「……良かったな。君という魔人がファーリに出会えたことは、何よりの幸運だったと言える。そして、君が1つ……履き違えていることがあるのも分かった」
「一体、それは?」
「ラスター、君は自覚していないかもしれないが、今の君の言葉にはある願いが隠されていた。確かに子を成すことは君の義務かもしれない。でもそれ以上に、君は誰かの願いを託された者だった。どうして君という魔人だけが生き残ったのかは知らないが、君はきっと孤独だったはずだ」
「それ……は……」
「もし君を生んだ……あるいは作った者がいるとして、またあるいは君に最後の生き残りとして望みを託した者がいるとして、彼らの願いは何だったんだろうか。人間の抹殺? 子孫繁栄? それとも――」
「……なるほど、あなたが師匠と呼ばれていた理由が分かった気がします。大丈夫です。今ので、十分に分かりましたから」
そう言って、ラスターは幸せそうに微笑み、私の隣から離れていった。
***
この世界の傍観者でしかない私でも、こうして言葉を伝えることはできる。
この私というただの人間でも、悪魔を人間にすることができる。
言葉を交わし、心を交わす。
人間とはそういう生き物だ。
姿や種族は違えど、きっと魔人も人間と同じ心持つ生命なのだろうと思った。
ただ、そうして歩いて行った先に、私は何を望むのだろう。
ラスターにかけた言葉は自分にも降りかかるようで、胸が痛んだ。
過去の記憶もなく、未来への展望もなく、ただ『魔法』という存在を認知している自称・黒の魔女。
ケルビムなんて、記憶に残っていた数少ない言葉を取ってつけた名前に過ぎない。
いつの間にかこの姿でこの世界に降り立って、ファーリと出会った。
名前も、年齢も、どこから来たのかも、何も覚えていなかった。
ただ、自分が『魔女』である、ということだけは強く記憶に残っていた。
でもそれ以上に、私は知ってしまっていた。
ファーリ、精霊、魔法、それから3人の子供たちのことを。
そして、やがて訪れる絶望的な未来のことを。
それは誰にも告げられない未来。
ファーリが起こしてしまう大厄災。
いつ来るのかも知らない未来を、私は知ってしまっている。
その言葉と記憶を呑み込み、私はこれからもファーリと、そしてラスターと共に前へと歩んでいく。
***
それから、ファーリの村は町へ、都市へと徐々に発展していく。
そして、その都市の魔法による発展は類を見ないほどの速度で進行し、やがて土地を所有していた国を塗り替えるまでに至った。
辺境の土地にある家から始まったその場所は、30年以上の時間をかけて国へと発展し、初代国王に選ばれたのは長女のガブリエラだった。
その国は『ヴァスカル』と名づけられた。




