85頁目.感謝と矜持と再編と……
数分前。
フィンがスターヴを引きつけている間にエストの冷たくなった肉体を確認したセリスは、クリスに肩を貸して森の方へと退避させた。
そして、セリスがフィンの元へと戻ろうとしたその時だった。
「セリス、後ろ後ろ」
「えっ? 今の声って……」
聞き覚えのある女声にセリスは振り返る。
すると、そこに現れたのはエストだった。
セリスは安心したような声で言った。
「あぁ、なんだ。エスト様でしたか」
「あれっ、思ってた反応と違うっスね……?」
一方で、クリスは目を見開いて驚いていた。
「エスト様!? あれ、さっきあの男に斬られたはずでは!?」
「それっス! その反応を待ってたっス! どうしてセリスはそんなに落ち着いてるっス?」
「だってあの死体、もう消える寸前でしたもん。触ったところから崩れていってたし、魔法で複製したものだってすぐに分かりましたよ」
「なるほど、複製は壊れた後のことまで考えずに作ってるっスからね。でも、大した演技をしてくれたんじゃないっスか?」
「声も性格も、どこを取っても完璧にエスト様でした。今になって思えば、魔法まで使えるなんて凄いですね!」
『お前、一体いつから入れ替わっていた?』
すると、エストは自慢げな表情で言った。
「ここに来る道中っス! 下手したら死にそうだと思ってたんで、念のために複製を向かわせてたんスよ」
「全然気づかなかった……。って、そうでした。フィンがあいつを引きつけている間に、済ませることを済ませなきゃ!」
「……分かってるっス。そのためにここに来たんスから。ここはアチキに任せて、セリスたちは先に行ってて欲しいっス」
「分かりました。じゃあ、これはエスト様に」
そう言って、セリスはカバンから『精霊の氷結晶』を取り出してエストに手渡す。
「言葉は、覚えてますよね?」
「声が聞こえなくても、この胸の奥にバッチリっス」
「じゃあ、待ってますから!」
『頼んだぞ、エスト。それと、クリスも!』
そうして、セリスたちは戦場へと戻る。
その背中を見送った後、エストはクリスに近づいた。
「クリス、アチキはあんたのことを全く覚えてないっス。でも、ネーベが教えてくれたっス。あんたがアチキの記憶を戻すためのカギを握ってるって」
「えっ……ネーベ……? ど、どういうことです?」
「詳しい話は記憶を戻してからっス! さあ、アチキのことを思い出しながらアチキと握手するっスよ! さあ!」
「は、はい!」
エストは地面に片膝をつき、クリスへ手を差し伸べる。
そして、クリスはエストの手を握る。
その瞬間、2人の間に光が生まれた。
「…………あれっ?」
「何か光りましたけど……」
「んー、特に変化はないっスね? クリス、ちゃんとアチキのことを思い出してたっスか? さっきネーベの名前を持ち出したのがマズかったっスかね……。70年前から変わらないその執着心はアチキも見習うべきかもしれないっスけど……」
「うん? 今、なんと?」
「あんたのネーベに対する執着心はアチキも見習うべき……って、あれ。アチキ、ネーベのこと覚えてるっスね……。いや、思い出したって方が正しいんスけど…………いや、待つっス! やっぱりネーベのことばっか考えてたっスね!? ネーベの記憶の部分しか思い出せてないじゃないっスか!」
「し、失礼しました! どうやら俺、その名前を聞くとどうにも条件反射で思い出さずにはいられないらしく……」
「もっかいっス! アチキと歩んできた70年をしっかりと、全て思い出すっス!」
そうして、エストはクリスと再び握手をする。
すると、今度はより強い光が溢れた。
「……ど、どうでしょう?」
「……アチキはエスト。運命の大魔女にして、クリス君の……師匠っス」
「おお、その呼び方はまさしく! ということは記憶が……って、師匠……? 別に俺、エスト様の弟子になった覚えはないのですが……」
「でもアチキはそのつもりで接してたっスよ。災司という束縛から解放した後、身寄りのないクリス君を教え導いたのは間違いなくアチキっスから。それに、かつて呪いの残滓があった場所の近所に魔導工房を作るなんて、アチキの口利きがないとできなかったことっスよ?」
「もちろんその恩はありますが、俺の魔法は俺自身の独学ですし……」
「師匠ってのは魔法の師匠だけを指す言葉じゃないっスよ。って、それどころじゃないっスね。そしてなるほど、今になって理解したっス。あの黒い羽根ペンは……」
その時だった。
「そんな簡単に神器なんて渡すわけないでしょ!」
セリスの声がエストたちの耳まで届いた。
その言葉が、エストの思考を加速させた。
「そうだ、クリス君! 君に伝えときたいことがあるっス! ネーベからの伝言っス!」
「あ、そうでした。ネーベ! 一体どういうことなのですか!」
「この氷結晶の中にずっといたみたいっス。そして、セリスの魔法経由でクリス君に伝えたいことがあるって分かったんス」
「まさか……ずっと一緒にいたなんて……。それで、ネーベはなんと?」
「……ありがとう、と。そして、ネーベは間もなく消えてしまう、と。どうやらこれまで一緒にいられたのは自然のルールに逆らった行為だったらしいっス。だからお別れをしたいって、そう言ってたっス」
「そ、そんな…………ネーベ……」
氷結晶を手にしたクリスは、淡く青い光を放っているその中心を見つめる。
そして、それを抱きしめて言った。
「……感謝を伝えたいのは俺の方だよ、ネーベ。俺の生きる意味になってくれて、今まで一緒にいてくれて、ありがとう……。俺がこうして生きているのも、こんな家族に恵まれているのも全部、ネーベのために頑張ったからだ。まさかこんな形で再開できるなんて思ってなかったけど……」
「その頑張りも、成長も、ネーベはきっと全部見てたっス。でも、この言葉を伝えられなかったことがよっぽど悔しかったっスね。だから、どうにか頑張ってその氷結晶の形を保ち続けた……」
「ネーベのことを知りたがった俺が言うのもなんですが、どうして今伝えたんです? 別にこの戦いが終わってからでも良かったのでは……?」
「ここからが本番だからっス。クリス君にはちゃんと魔法使いとしての矜持を見せてもらうっスよ」
「俺の矜持……。ですが、俺の足は見ての通り動かなくて……」
その瞬間、氷結晶が強く輝き始める。
すると、クリスの周囲にあった雪が融け始め、やがて形を成してクリスの体を支えるのだった。
「これは……! ネーベ、俺に最後の力を貸してくれるんだな!」
「え、えぇ……? 精霊が自我を持って魔法を発動したってことっスか……? うーん……いやはや、これはクリス君にしかできない芸当っスね……」
「さあ、今の俺は最強です! やられっぱなしは性に合いませんし、セリスとフィンを助けなくては!」
「や、やる気になってくれて何よりっス。それにもう1人、アチキたちは恩を返すべき人間がいるっスよ」
「ええ、ノエル様のためにも、必ず……!」
エストはセリスから聞いた大災司や盟約についての話を簡潔にクリスに伝え、2人はセリスたちの元へと急ぐのだった。
***
こうして、エストとクリスはセリスたちに合流した。
セリスを守り、スターヴを打倒するために、クリスはスターヴの足止めに徹する。
しかし、スターヴは怒り狂い、発生した氷を破壊し続けて運餓魔法を発動しようとしていた。
「2人とも、球体が出たらあたしのとこに! あたしの近くなら、あれは発動できないはず!」
「了解したいところっスけど、アチキを舐めてもらっちゃ困るっスよ!」
「何言ってるんですか! あれを食らったら魔法が使えなくなるって言いましたよね!?」
「いいや、あれは魔法が持続しなくなるだけっス。つまり、一瞬でも発動に成功する魔法なら問題ない!」
「あ、そういえばそんな魔法だってすっかり忘れて……って、え? どうしてそれを……」
その瞬間、エストとクリスの目の前に球体が現れ、破裂した。
そして、セリスが止めることも叶わず、2人は運餓魔法をあっさりと受けてしまったのだった。
「あはは……あっはは! どうだ! 僕の運餓魔法に当たった人間は必ず死に至る! 一生分の不幸を、その身に受けるが良いさ!」
しかし、呪いの光を浴びたエストは、なぜか嬉しそうな表情でスターヴに言い放ったのだった。
「ふっふっふ……。アチキは運命の大魔女! どんなジャンルであれ、運命魔法ならなんでもござれっス! でも、それ以上に忘れてることがあるっスよ。アチキのもう1つの研究内容を……!」
「はあ……? 知るわけがないだろう、そんなもの!」
「あぁ、残念っスね……。アチキはこの世の誰よりも、その分野に詳しいという自負があるというのに……。そのことも知らずにベストコンディションのアチキを相手にするなんて……」
「おい、どうしてそんなに平然としている? お前らの死は確定したも同然だっていうのに。魔法も使えない状況で、どうして、そんな……!」
セリスはハッとして言った。
「エスト様の研究内容は、魔法の歴史と、呪いについて……。ってことは……!」
「アチキはその元となった運命魔法のことも、付与されてる呪いの力のことも、全部お見通しっス。そんなものが通用すると思ったら大間違いっスよ、バカな大災司!」
「嘘だ……! そんなことあるわけがない! 僕の運餓魔法は最強の力なんだぞ!」
スターヴがそう吠えると同時に、大きな地響きが鳴る。
すると、エストとクリスのみを狙ったかのような雪崩と岩の塊が降ってきたのだった。
「は、はははは! そら見ろ、今にも不幸が落ちてくるじゃないか!」
「そんなことあたしが、させな――」
「僕がそんな簡単に魔法を使わせるわけないだろ!」
「くっ……!」
セリスの魔法の発動を、スターヴは剣技で精一杯邪魔をする。
雪崩と岩はあと1秒で当たるところまで来てしまっていた。
しかし、その前にエストは声高らかに唱えていた。
「これがアチキの導いた呪いへの答えっス! 特級運命魔法『運命の再編』!」
***
「は?」
スターヴは目の前で何が起きたのかを理解できなかった。
目の前の状況が一瞬で変わっていた。
雪崩も落石も消えている。
エストとクリスすらも目の前にいない。
ただ、その目の前にあったのは宙に浮く巨大な水の塊だった。
「水なんて、剣を持った僕に効くわけないだろ!」
スターヴは落下してくる水の塊を剣で斬る。
水は見事に半分に斬れたが、その水魔法を発動していたクリスは口角を上げて言った。
「そいつは水の精霊が作った何よりも純粋な水魔法。たとえ斬れたとしても、周囲にあるのは水の精霊の塊だぞ!」
その瞬間、断面から水が次々に破裂する。
それはスターヴに確実なダメージを与え、やがてスターヴの全身を覆った。
「ぐ……ごぼっ、ごぼぼ……!」
「足掻いても無駄だ。俺とネーベが作った魔法は決して破れない。この魔法こそが精霊と共に生きることを望んで生きてきた、俺の矜持だから」
「ごぼっ、ごぼぉっ!!」
「これでとどめだ。『魔水霊の氷棘』」
そう唱え、クリスは氷の槍を水に突き刺した。
すると一瞬で水が凍りつき、スターヴは気絶してその動きを止めたのだった。
それと同時に、クリスの足元にあった水は消えてなくなり、クリスは尻もちをつく。
『い……今の一瞬で、一体何が起きた……?』
スターヴが倒された一方で、セリスたちは戸惑っていた。
その場にはいつの間にかフィンも合流しており、明らかな変化が目の前で起きていたのだった。
「あれ……? 俺……どうしてここに……」
「フィン!? あんた、さっきまでどこにいたのよ! 心配したでしょ!」
『おい、エスト。お前……何を、した?』
「アチキが70年かけて作り上げた、秘中の秘。かつてアチキが使おうとした特級運命魔法を最大級に強化したとっておきっス。効果はただ1つ。自分にとって最大の幸運と、相手にとって最悪の不運とを同時に発生させて書き換えることっス」
『お前たち2人が運餓魔法を受けなかったことにして、フィンが追い詰められなかったことにして、クリスの攻撃があいつにとって運悪く命中し、最大火力で攻撃された……と?』
「その通りっス。見ての通り、デメリットもないっスよ」
セリスたちは全員唖然としている。
しばらくの沈黙の後、ノエルはハッとして言った。
『あまりに強すぎるだろ!』
「アチキの人生をかけて作り上げた最高傑作だから強くて当然っス! もちろん効果が強いだけあって発動条件が限られてるっスけどね」
「エスト様のさっきまでの戦い方からして、もしかしてその条件って……」
「そうっス! アチキが死ぬ直前だけっス!」
「え、俺ってさっきまで死ぬ直前だったんですか?」
「そりゃ、魔導士とはいえ雪崩と落石に当たれば死ぬっスよ。まあ、当たったらの話っスけど」
すると、クリスは目を滲ませながらエストに縋って言った。
「あの、エスト様……お願いですから、老い先短い老人の寿命をこれ以上縮めないでください……。エスト様に振り回されてきた人生でしたが、命の危険に晒されることなんてほとんどなかったんですから……」
『あるにはあったのか……』
「ピンチをチャンスに変える力こそ、運命魔法の真価っス。クリスも一緒にピンチになってくれたおかげでより強力になったんスから、もっと喜ぶっスよ!」
「喜びたくても喜べないです……!」
「あ、そういえばクリスさん。ネーベはどんな様子です?」
セリスはクリスにそう尋ねる。
しかし、クリスは氷結晶を手にしていなかった。
「……この通りです。もう俺の……私のところにネーベはいません。ですが、最後に別れを言えたので満足ですよ」
「クリスさん……」
『あれ、でももしネーベが消えていたとしたらあの氷塊はどう説明すれば良いんだ? スターヴを凍らせたのはネーベの魔法だろう?』
「……あれ? 本当ですね。魔法を発動したのは私ですが、主導したのは間違いなくネーベのはずで……」
「良いことを教えてあげるっス。アチキにとっての最大の幸運。そのカタチは、色々あるっスよ」
そう言って、エストはスターヴが入った氷塊に触れる。
すると氷塊は割れ、気絶したスターヴが出てきた。
エストは剣などの装備を一通り手に取り、セリスの空間魔法に入れさせる。
そして倒れたスターヴを魔法の枷で拘束し、そこに残されたものを拾い上げた。
「あれ、それって……」
『形状からして氷結晶の欠片……? どうしてそんなところに……』
「恐らく、ネーベが残したものっス。流石にアチキの魔法でも自然の理に逆らうことはできなかったみたいっス。でもたとえ消滅する直前に、ネーベが残るものを作る時間くらいは稼げたみたいっス。つまりこれはネーベの魂核……と呼ぶべき代物ということになるっスかね」
「あ、魂核については教えてもらったことあるわ。自分の魂を魔法の核とする代わりに、核が存在する限り永続する魔法が発動できるって。精霊にもそんなことができたなんて……」
『むしろ精霊だからこそ、だろう。魔法の発動を行っている精霊が魔導士以上のことをできるのは当然と言える。で、そいつはどうするんだ?』
すると、エストはそれを地面に座っているクリスに手渡した。
「当然、これを持つべきはクリス君っス。死ぬまで持つも良し、誰かに託すも良し。これまでと同じように大事にしてやるっスよ」
「ありがとうございます、エスト様。これは大切に持っておくことにします」
そう言って、クリスは壊れた家を見つめる。
そして、それと同時にエストに尋ねた。
「そうだ、俺の娘は無事ですか!」
「お孫さんが避難させてたっスし、この辺には病院も多いっス。少なくとも重傷ではなかったっスから、大丈夫だと思うっスよ。ひとまず、クリス君たちは家の修繕が終わるまでは宿で泊まるっス。修繕費も含めて予算はアチキが負担しておくんで、安心するっス」
「いえ、修繕費までは流石に……」
「いーや、断らせないっス。少なくとも魔導工房が半壊している以上、国の補助金が下りるのは当然として、大災司によって壊されたのなら国の一大事に巻き込まれたと認められるっスからさらに保険が下りるっス。つまり、クリス一家にはそのお金を受け取る当然の権利があるっスよ」
「……分かりました。とりあえず、お金のことは後にしましょう。今はとにかく事態の後始末をしなければならないでしょう? 俺よりも今問題にするべきはあの大災司でしょうから」
倒れたスターヴを全員が見つめる。
すると、セリスがそれに近づく。
『セリス? フィンまで、どうしたんだ?』
「こいつには数えきれないほどの恨みがあるわ。だから国に引き渡すだけで終わらせるのはちょっと癪なのよ」
「姉ちゃん、流石にとどめを刺したりはしないよね?」
「気絶してる奴にとどめを刺しても何の気も晴れないわよ。だからせめて、呪いをフィンに吸わせて廃人にしておこうかなって」
「そう言うと思った。でも断るよ。それじゃディーザがシバたちにしようとしたことと同じになっちゃう。姉ちゃん、俺は目的と手段が入れ替わっちゃいけないと思うな」
「じゃあ、どうするってのよ?」
フィンは少し考え、エストに尋ねる。
「エストさん。すぐじゃなくても良いので、俺たちにこの国の監獄に入れられた大災司への面会の許可を下ろすことってできます?」
「目的によるっスね。何をするつもりっスか?」
フィンはエストの耳元でセリスたちに聞こえないような声で目的を伝える。
その瞬間、エストは吹き出して笑った。
「あはは! あー、全く最高っスね! セリス、君の弟はとんでもないワルっスよ!」
「え、え、何? フィン、一体何をしようとしてるの?」
「きっと姉ちゃんの気も晴れるよ。とにかく、今回は呪いを吸収しないことにしたから。まだこの国で一番重要な情報も聞けていないわけだし、いつでもできることは後にしよう」
『そうだな。この国に来た一番の目的をアタシたちはまだ果たせていない。明日はラミティカに会う日だし、まだしばらくはこの国で厄介になりそうだね』
「あ、それで思い出したっス。ちゃんと改めて言わなきゃいけないことを忘れてたっス」
そう言って、エストはノエルの方を向いて言った。
「不肖エスト、ただいま帰ったっス。2年のブランクはあれど、セリスたちが必要とするであろう情報や知識を教えることについては任せて欲しいっス!」
『あぁ、おかえり、エスト。積もる話もあるが、それは事態を収束させてからだ。でもとりあえず、再会くらいは喜んでおこうかな』
エストとノエルは嬉しそうな声で小さく笑いあった。
こうして、セリスたちはエストたちの力を借りて大災司・スターヴを打倒したのだった。




