7■頁目.意識と違和感と観測と……
エストの元に届けられた報告書はロヴィアの使者が緊急で届けてきたものだった。
セリスが膝から崩れ落ちるのと同時に、エストは報告書を詳細に読み上げ始めた。
「襲われたのは昨日の夕方。ノルベンに捕まっている大災司を訪ねて、王都近郊の駅から降りたところで魔導士の集団から襲撃を受けたらしいっス。襲撃による死者はフィンと……一緒にいた大災司のシバって子供みたいっス」
『シバもか……。ロヴィアは無事なのか?』
「一命はとりとめてるっスけど、かなりの重傷を負ったらしいっス。どうやら不意に落石に巻き込まれてフィンとシバはそのまま下敷きに、ロヴィアはそれを守ろうとしたものの頭に一撃を食らってしまったみたいで……」
そんな話はセリスの耳に届ききっていなかった。
可能な限り情報を集めようと、ノエルはエストに尋ねる。
『連中の目的は?』
「セリスには酷な話っスけど……続けて問題ないっスか?」
『……いずれ知ることになる情報だ。続けてくれ』
「フィンは右腕が……切断されていたらしいっス。だからきっと、彼の本当の死因は失血死ってことになるっスね。シバって子はそれを止めようとしたのか、身体には深い刃の傷があったとかで。ロヴィアが無事であることを鑑みると、結論としてはフィンの腕とやらを切り落とすのが最終的な目的だったみたいっスね」
『その程度ならロヴィアが守れるはずだが、落石のせいで戦況が混乱して被害が拡大した……といったところか。くそっ、こうなる可能性も考えてはいたが、それがこんなに早く最悪のケースで起きるなんて……』
「ロヴィアたちが何をしようとしていたかはある程度聞いていたっスけど、それがここまで邪魔されるとは……。あれ、だとすると結構マズい事態なんじゃ……」
そんな言葉も、セリスの耳には届いていない。
セリスの中にあった自責の念。
それは竜巻のようにぐるぐると頭の中を巡っていき、やがてセリスは現実から思考を切り離した。
端的に言うと、強いショックによる発熱で気を失ってしまったのだった。
セリスは意識が遠のく中、エストとノエルの声が頭に響き続けていたが、それらも次第に真っ暗な闇の中へと消えていった。
それはまるで夢のように、セリスの記憶の中へと溶けていった。
***
***
***
宿にて。
「はっ……!?」
セリスは目を覚ましてベッドから起き上がる。
『お、ようやく目が覚めたか』
ノエルはそう言って、セリスに近づいてくる。
しかし、セリスは焦った表情で荷物をまとめ始めた。
『お、おい!? 急に旅支度なんて始めて、一体どうするつもりだ?』
「助けに行くのよ、フィンを……! あんなの、絶対に何かの間違いなんだから!!」
『ちょっ、おい!? 待てってば!』
ノエルの静止の言葉も聞かず、セリスは全ての荷物をまとめて宿の外に出て、駅へと走っていく。
セリスの様子がおかしいことに気づきつつも、ノエルは彼女を追いかけた。
***
駅に到着したセリスは隣国であるノルベン直行の切符を購入し、ホームに並んだ。
その間、セリスは脳裏に残っていたエストとノエルのやり取りを思い返していた。
「(記憶が正しければ、フィンたちが向かったのはノルベンの王都近郊の駅。ということは、ここ数日で別の国の大災司から情報を引き出してから次の国に到着したタイミング……って考えるのが自然だわ。あと、落石があったってことは事件が起きたのは岩壁がある付近……? でももしそうだとしてもロヴィア様が対処できないとは思えないんだけど……)」
『やっと追いついた……。急にどうしたんだよ、セリス?』
「(不意打ちだったとしたらロヴィア様でも防げなかった可能性はある。でも岩が崩れれば音で予兆はあるはずだし、誰も気づかないなんてことは……)」
『セリス、考え事でもしてるのか……? おーい』
「(もしかして、奇襲を受けている最中に落石が起きた? そうだとすると敵は複数人? いや、敵の攻撃で崩れ落ちたって可能性もあるし、とにかく油断はできない状況なのは確かで……)」
『おい、セリスってば!』
ノエルの言葉がようやく耳に届き、セリスはハッとする。
「あ、あぁ。クロ、どうかしたの?」
『どうかしたの、じゃない。急に飛び起きたと思ったらノルベン行きの駅に駆けて行くし……。一体何があった?』
「フィンが助けを求めてるの! あたしが行かないと!」
『フィンが助けを……?』
すると、列車が到着した。
セリスは急いで乗って席に座り、列車はノルベンに向けて進み始める。
***
列車の中でセリスたちは何の言葉も交わさずに時間だけが流れていった。
そんな中、セリスは頭が冷えてきていた。
「(あれ、でも……冷静に考えてみたらあたし1人で勝てる相手なの……?)」
持っている手札を確認し、セリスは考える。
「(運命魔法はまだ習いたてで戦闘で応用できない。いや、そもそも敵に会えるとも限らない。あいつらはきっと目的を果たし終えた後……ううん、そんなことはない。きっと、きっとフィンは……!)」
その時だった。
全ての時間が止まった。
魔導列車も、外を走る風景も、通っていく空気も、そしてノエルの羽根ペンも。
セリスを除く、全ての時間が止まっていた。
「な、何が……起きたの……?」
「あら、さっきの続き、考えなくても良いのかしら?」
「っ……!?」
その女はいつの間にか、机を挟んでセリスの正面の席に座っていた。
長い金髪は床に触れそうなほどで、その容貌は麗人という印象をセリスに強く与える。
手にはティーカップとソーサー。
驚くセリスの顔を見た後、その女はティーカップを口に運んだ。
セリスは急いで席から離れ、女から距離をとる。
「あんた、何者!? まさか……」
「そんなに警戒しなくてもあなたに危害を与えるつもりは毛頭ないわ。それに、今はそんなことどうでも良いんじゃないかしら?」
「ど、どういう意味よ……?」
「さっき、きっとフィンは生きている、って考えていたでしょう?」
「どうして……それを……。ってことは、やっぱりあんた教団の魔女ね!」
「今はわたくしの正体なんてどうでも良いはずよ。わたくしはただ、あなたに忠告に来ただけなのだから」
あまりに不思議と敵意がないその女の言葉に、セリスは構えを解く。
そして、周囲を見回して呟いた。
「クロも止まっちゃってる。時間をここまで大掛かりに止めてまで、やりたいことがあたしへの忠告?」
「思っていたよりは冷静に物事を判断できるみたいで何よりよ。もしあなたが襲い掛かってきたりでもしていたら、怒りのあまりうっかり殺しちゃうところだったもの」
セリスは背筋が凍り、その言葉が偽りではないことを直感した。
その女は言葉を続ける。
「フィンはもう手遅れ。あなたがノルベンに到着したとしても、ことは全て終わっているのだから。あなたが来るべき時は、もっと前だった」
「わ……分かってるわよ、そんなことは……!」
「いいえ、あなたは何も理解していないわ。あなたが見るべきは後ろでも前でもなく、自らの足元。冷静に考えることはできても、冷静になるまでに時間がかかりすぎたのよ」
「足元……? あんたが何を言ってるのか全く分からないけど、早くこの空間をどうにかしてくれない?」
「ええ、あなたが望むのなら。だけど、その時は……」
セリスの目の前から女の姿が消える。
そして、その声はいつの間にかセリスの後ろにあった。
「今のあなたとはさよなら、よ」
「っ!?」
セリスは驚いて振り向く。
そして、女は人差し指でセリスの額を突いて言った。
「次に目が覚めたら、もっと周りに目を配ることね。そうしたら、わたくしの言葉もきっと理解できるはずだから」
「ちょっと、待っ……!」
「忘れないで。あなたの大事なフィンは死んだ。その事実だけは変わらない。あなたが目にしていない結果だとしても、その結果が存在したことをあなた自身は絶対に忘れてはいけないわ」
「あんたは……一体…………!」
セリスの意識は遠のいていく。
最後に自分が何を言いかけたのか、それすらもおぼろげになっていく。
目の前の女は口を動かしていたが、その言葉もセリスは届かない。
やがて動き出した時は、夢幻の狭間へと消えていった。
***
***
***
宿にて。
「はっ……!?」
セリスは目を覚ましてベッドから起き上がる。
『お、ようやく目が覚めたか』
ノエルはそう言って、セリスに近づいてくる。
セリスは周囲を見回し、その光景に強い違和感を感じた。
「ここ……まさか……」
見覚えのある部屋。
見覚えのある窓の外の雪景色。
そして、聞き覚えのあるノエルの言葉。
その違和感はやがて確かな既視感へと変わる。
「あたし、戻ってきた……ってこと……?」
セリスはノエルに尋ねる。
「ねえ、クロ。今っていつ……ううん、ここヘルフスに到着して何日目?」
『うん? 何だ、その聞き方は。今日はヘルフスに来てから……ちょうど4日目じゃないか。急にどうしたんだ?』
「やっぱり……。つまり、さっき過ごしてた時間も今日と同じ日に戻ってたのね……。あの魔女が言ってたのはこういうことか……」
『戻った……? って、まさかお前……!』
「うん。あたし、未来から来たみたい。どういうわけか分からないけど、あたしが知らない間に時間遡行が発動した……みたいね」
『無自覚に発動したってのか……? 一体、何があった?』
セリスは記憶している限りの全てをノエルに伝えた。
先ほど過ごしていた時間で起きたことも、その時間に一度戻ったことも。
そして、フィンが死ぬということも。
『そうか……フィンが……』
「さっきは過去に戻ったことにも気づかずに、その事実を受け入れきれなかったの。でも、日にちからして今日の夕方にフィンは死ぬってことになる」
『だが、このまま急いで向かったとしても間に合わず、列車の中で謎の女に足止めされる始末……か。色々と考えるべきことがあまりに多すぎるな……。とはいえ、1つずつ潰していかないと前には進めない。まず最初に考えるべきは、お前のことだ。セリス』
「あたし?」
『どうやって……は一旦置いておくとしよう。だが、なぜ過去に戻った? その力はお前自身がいけると直感してからセリス自身が発動する魔法だったはずだ。それがもし自動発動したとしても、何かしらのきっかけはあったんじゃないか?』
「……それは多分、フィンの死を自覚することだと思う。その時間軸でフィンの死を知覚すること、それが時間遡行のトリガーになってるんじゃないかしら」
そう言いつつ、セリスは唇を嚙む。
『それは……あり得るな。あとは……どうして明確にこの時間に戻ってくるか、だ。まだ2回目のこととはいえ、どっちも今日という日に戻ってきている。だが、フィンを助けるためには今日という時間は遅すぎる……というのは今さらか』
「そこまでは分かんない。でも、1つだけ言えることがあるわ」
『何か気づいたのか?』
「それは、あたしがこの時間に戻ってきたことには必ず意味があるはずってこと。じゃないと、列車の中であの魔女に遭遇するはずがないもの」
『推定、闇の教団の魔女と思われる女だな。セリスはその女に再びこの時間に戻された。そいつが教団の魔女なんだとしたらここの時間に戻す意味がない。フィンを殺すという明確な共通目的があるのだとしたら、足止めもせずそのまま向かわせれば済む話だろうからね』
「そういうこと。なのにあの魔女はあたしにヒントを与えてまでこの時間に戻した。つまり、あの魔女が味方であれ敵であれ、この時間に戻す意味があるってことになる。そしてきっとその鍵を握るのは……」
***
「それが、アチキ……っスか?」
セリスたちはエストの元へとやってきていた。
「エスト様ならこういった運命を変えるって分野においてはスペシャリストだと思うんです。何かアドバイスとかないですか?」
「いやいや、そもそも時間遡行をする運命魔法なんてとんだ反則技、信じられないっスよ!? それ、下手したら特級……いや、もはや原初魔法にも匹敵するレベルなんじゃ……」
セリスたちは、ことのあらましを全てエストに伝えた。
エストはしばらく混乱していたものの、やがて冷静になる。
「とりあえず、記憶を残したまま過去に戻れる魔法があるという、もしもがあったとして話を進めてみるっス。じゃないと、理解ができないんで……」
「それでお願いします……! あたしはこれからどうすれば来たる未来を変えられるんでしょうか……」
「まず、この時間軸……言いにくいんで『時の輪』と呼称するっス。少なくともこのループにおいて、フィンの死という結果は絶対に変えられない運命っス。なぜなら、その運命がもしも変わったところでそれをセリスは目撃できない、つまりはその運命を観測できないからっス」
『運命魔法で運命の変化を起こすためには、その結果を実際に見る必要があるってことか。だが、逆に言えば実際に目撃すれば済む話なんじゃないのか?』
「ん? どういうこと?」
『前回は列車という手段でノルベンに向かったから間に合わなかった。それはセリスの空間魔法の腕前で空間を跳躍したところで、列車よりも早く到着できない距離だったからだ。だが、その距離の移動を一瞬で行うことができれば、結果の観測はできるんじゃないだろうか』
エストは頷く。
「そういうことっス。そして1人だけ、それが可能な共通の知り合いがいるっスよね? しかもちょうどその人はノルベンに住んでるっス」
「そっか、ルフール様! こんな距離、あの人なら簡単に空間を繋げられるはず!」
「とはいえ、それはあくまで運命を変えられたらというもしもに過ぎないっス。実際に何があったのかをその目で観測し、必要な変化を理解してから対処する。もし過去に戻れたとしても、その流れだけは絶対に変えられない。つまり、このループではフィンを絶対に見殺しにしなくちゃいけないっス」
「え……? う、嘘……ですよね……?」
『今回で助けきっちゃダメなのか? 移動手段があるならそれくらい容易いだろう?』
「そんな簡単に死の運命は変えられないっス。運命魔法が干渉できる結果は、それが大きければ大きいほどに干渉が難しくなるっス。もし、今回フィンを助けられるような状況になったとしても、より悲惨な結果になる可能性もあるんスから。そして、その被害を被るのがセリスになる可能性だってあるっスよ」
セリスは必死に考え、やがて言った。
「あたし、見届ける。何があっても……その結果を変えるためだったら」
「本当に、良いんスね?」
『……アタシはセリスの判断に従うよ』
「うん、ありがとう。あたし、行ってくる」
「じゃあ、銀行財布を貸すっス。これですぐに連絡をしてみるっスから」
セリスはエストに財布を預け、エストはその中の機構を弄ってルフールに呼びかける。
しばらくするとルフールがワープゲートを開いてセリスたちの前に現れた。
セリスはすぐにノルベンに移動したいという話を簡単に伝え、ルフールは頷く。
「待ってて、フィン。必ず……必ず、姉ちゃんが助けてやるんだから……!」
セリスは覚悟を胸に、ノエルと一緒にゲートを潜るのだった。




