7頁目.拳と記憶と偶然と……
唐突に告げられたロウィの言葉に、ノエルは固まっていた。
『アタシと泉の結界についての全ての記憶を……消しただと……? な、何をバカなことを……』
「気持ちは分かるけど、これは本当の話。もちろん、みんな最初は反対したよ。でも……闇の教団の中にどんな魔法を使える奴がいるかも分からない状況で、あの結界の場所を知られるのが一番まずいことだった。何たって、あそこには魔法世界を揺るがす心臓が眠っていたからな」
『結論としては、その集会より前に泉の場所がバレちまってたわけなんだが……。なるほど、とりあえずその記憶操作の件がロヴィアと会わせられない理由ってことなんだな』
「そういうこと。エストの提案を飲んだ大魔女たちは、エストの魔法でノエルに関する記憶を全て失った。空いた記憶の穴は別の記憶で埋められたらしいけど、それでもノエルという存在を知っていると認識するのはほとんど不可能……だと思う」
『ん? だったらどうしてお前はアタシのことを覚えてるんだ?』
「アタイ自身は大魔女じゃないし、泉の結界とか心臓とかについて詳しくは分かってなかったからね。あとは……もしもの時のバックドアの役目を果たすためでもあったんだ」
『バックドア……?』
すると、フィンが答える。
「裏口、とかそういう意味の言葉だけど、ここで指すのは非常事態があった時のための抜け道……。つまり、1人だけ闇の教団に探知されにくい人間に、ノエルの記憶をあえて覚えさせていたってこと……ですよね?」
「解説ありがとう、フィン。そう、アタイはもしもノエルたちに何かあった時、動けるように記憶を残してもらってたんだ。実際、偶然とはいえフィンたちがノエルをここに運び込んでくれたおかげで、こうして直せたわけだし」
『いや、こいつは恐らく偶然じゃない。そうだろう、セリス?』
「まあ……多分ね。あたしの運がいいって体質が全部影響してるとしたら、どれもこれも都合良く進んだ必然ってことだろうし。でもこういうのって自覚ないから、あんまりあたしの力は買い被らないでもらえる?」
『あぁ、気にしてたのならすまないね。なら、ロウィと再会できたのがセリスのおかげだとまでは言わないが、2人が頑張ったことで掴めた必然だった……とでも言っておこうか』
「なるほど、セリスにそんな力があったんだ。そういうことなら偶然じゃなかったのかもな……。あぁ、そうだった。他に質問はある?」
ノエルはしばらく固まった後、尋ねた。
『あ、そういや、ロウィが見てる光景ってロヴィアも見てるはずだよな? そいつは問題ないのか? 今のロヴィアをアタシと会わせるわけにはいかないんじゃなかったっけ』
「あぁ、アタイたちの在り方も昔からちょっと変わってね。人格が切り替わった後はお互いに情報交換をしない限り、何を見て何をしたのか共有できないようにしたんだ」
『ほう? 何かあったのか?』
「あ、別に仲が悪くなったとかじゃないから安心して欲しい。数十年前からお互いの仕事が増えてきて、他の人にも分かりやすいように日替わりで交代することにしたんだ。それで、まあ色々とプライベートとかパーソナリティってものがお互いに生まれてきたってわけ」
『なるほど、そういうことだったか。だが……困ったことになったな。エストのせいでアタシがセリスとフィンに力を貸す意味が半分以上消えてしまった』
「あっ、本当だ!? 大魔女たちの力を借りることができな──っぶ!?」
そう言ったフィンの頭に、ロウィの拳が振り下ろされる。
フィンは叩かれた頭をさすりながら、振り返った。
「フィン、お前が熱くなるな。バックドアってものが何のためにあるのか、冷静になって考えてみるんだ」
「だからって殴らなくても…………あっ、そうか。抜け道を作ってもその状況が改善されないのなら、抜け道を作る意味がない。つまり逆に言うと、抜け道を作ったことには意味がある……ってことですか?」
「そう、それが正解。そんでもって、ここからの話がノエルにするべき一番の本題になる。簡単に言えば、ノエルたちの旅の目的ってやつだ」
『……聞かせてもらおうか』
「まず、大前提として大魔女たちの力を借りるためには、セリスが魔女ライセンスの試験である大魔女の試練に合格する必要がある。それについては問題ないよな?」
「ええ、もちろん。ノエルの力を借りたかったのはその後のことでしたし」
ロウィは頷き、話を続ける。
「よろしい。セリスが大魔女の試練に合格する。そして、大魔女との対面を公式に叶えるんだ」
『うん? 話の腰を折ってすまない。別に公式に会わなくても、ロウィが声を掛ければ普通にあいつらには会えるんじゃないのか? わざわざ無理して公式に会う必要はないと思うんだが』
「仕方ない、それについてはきちんと説明する必要があるね。元々これは、セリスの魔女ライセンスの取得のついでに行う作戦だ。でも、闇の教団を完全に倒すためにはそのライセンスの方が大事になってくる」
『どういうことだ?』
セリスが答える。
「無名の魔女見習いが闇の教団を倒しても、魔導士協会……ライセンスを発行してる魔法の国・ヴァスカルの魔導士団体は、その事後処理を行ってくれないの。何なら、通報にも駆けつけてくれないと思うわ。つまり、闇の教団の残党が世間に野放しになったままになっちゃうってわけ。国の監獄に入れることまでは可能だけどね」
『まあ確かに公認の魔導士じゃないとなれば、信じてもらえないどころか、闇の教団の自演だと思われる可能性もあるだろうね。全く、ライセンスなんて面倒なものを作るからこうなる……』
「あと、単純にあたしの力が闇の教団に通じるとも思えないし、試練を受けさせてもらうに越したことないのよ」
『うん? お前には原初光魔法【天の閃光】があるだろう? 石の書に書いてあったんだし、何度でも使えるんじゃなかったか?』
「ええっ、セリスって原初魔法使えたの!?」
ロウィは驚く。
すると、セリスはばつが悪そうな顔をして答えた。
「実はその魔法が書かれた石の書のページ……。あのディーザとかいう奴の攻撃で破れちゃったのよねぇ……」
『な、何やってるんだー!?』
「し、仕方ないでしょ! あいつの攻撃を避けるので精一杯で、手元なんて見てなかったんだから!」
『魔法が発動した後だったから良かったものの、詠唱中に破れていたら魔法が発動しなかったんだからな……?』
「うわぁ……。そう思うと、本当に姉ちゃんの運が良くて良かった……」
ロウィはノエルたちに尋ねる。
「色々と気になることはあったけど……話を戻してもいいかな?」
『あぁ、そうだった。それで、セリスがそれぞれの試練に合格した後の話だったか』
「そう、大魔女と公式に面会する。その時こそ、ノエルの記憶を取り戻させる一番のチャンスになるんだ」
『アタシの記憶を取り戻すチャンス……?』
「ロヴィアを含む、7人の大魔女たち。彼女たちの力を本来の意味で借りるためには、ノエルについての記憶を全て思い出してもらわなくちゃいけない。なぜなら、災司についての一部の記憶もノエルの記憶と一緒に封印されたからだ」
『それは大変……って、ん? 封印だって? アタシについての記憶は失われたんじゃなかったのか?』
ロウィは首を振って答える。
「エストが言うには、記憶というのは人間の運命が辿った記録。そして、生き物は過去に起きた運命に抗うことができない。だから、それを完全に消し去ることは不可能なんだって。つまり、ノエルについての記憶は消されたんじゃなくて、魂のどこかに封印されている……らしい」
『アタシの記憶が封印……。確かに、それならどうにかできるかもしれないな』
「それ、本当よね!?」
『ああ、恐らく今のアタシは生きていた頃よりも魂に干渉しやすい存在……だと思う。そのはずだ。だから、アタシが大魔女たちの魂に触れることができれば、彼女たちの魂に封印された記憶を呼び起こせるかもしれない!』
「そういうこと。つまり、ノエルたちの旅の目的はこうだ。セリスが修行をトップ合格して大魔女たちと対面し、ノエルを彼女たちの身体に触れさせる。そして、ノエルが彼女たちの魂の中から、ノエルに関する記憶を呼び起こす。それが今のアタイが考えうる、最善の手だよ」
「良かった、どうにかできるのね! 安心したわ……!」
「一時はどうなることかと思ったけど……。ようやく、希望の光が見えてきたかな」
喜ぶセリスとフィンを横目に、ロウィは呟く。
「あーあ。でも、やっぱりノエル任せのバックドアだったか。アタイの記憶が残されてたのがこのためだったって思うと、ちょっと癪だなぁ。ノエルのことを覚えているのがアタイだけなんて、さ……」
『何を言う。お前に記憶を残したエストたちの選択は、結果として最善だった。お前はバックドアとしてちゃんと役目を果たせたんだ。そしてアタシのこれからの旅は、お前を一人ぼっちにしないための旅にもなる。アタシの記憶をお前以外の仲間に思い出してもらうための、大事な旅だ』
「ノエル……」
『60年以上前の借りを返せるかは分からないが、アタシたちの旅を応援してくれるか?』
「そりゃ……もちろん! アタイの自慢の弟子もくれてやるんだ。絶対に、闇の教団の連中を倒す手立てを立ててくれないと困るってもんだよ!」
「えっ、俺って師匠の一番弟子だったんですか──ぐふっ!?」
フィンの背中をロウィは蹴り飛ばす。
「自慢の弟子って言っただけで、誰も一番弟子なんて言ってないだろうが! お前がアタイの一番弟子を名乗るには、100年あっても足りないよ!」
「だからって蹴り飛ばさなくてもいいでしょうが!?」
「昔よりも頑丈になってんだから、文句言わない! ウチの連中に揉まれて体力もついたんだから、これくらい痛くも痒くもないだろ!」
「痛いものは痛いに決まってるでしょう! 裸足じゃなくてブーツで蹴りましたよね、さっき!」
「わざわざブーツ脱いで蹴るわけないだろうが! それくらいで文句言ってるようなら、まだまだ鍛錬が足りないんじゃないか?」
「俺、この籠手で殴って良いですか!? 良いですよね!?」
セリスとノエルは、喧嘩するフィンたちを黙って見続ける。
『……いつもあんな感じなのか? あの2人』
「あたしはたまに見に来る程度だけど、そうね。っていうかそもそも、本当はロウィ様じゃなくてロヴィア様に師事する予定だったんだけど」
『えっ、そうだったのか?』
「だって、前にノエル言ってたじゃない? 自分たちがゴーレムみたいなものだ、って。だったら発明家よりも、ゴーレムとかの土魔法に詳しい人の弟子になる方がノエルを直せる可能性が高いでしょう? 普通に考えて」
『まあ、確かに……』
セリスはため息を吐く。
「なのに、フィンがロウィ様とロヴィア様の判別を付けられなかったばっかりに……。まあ、今となっては怪我の功名ってやつだったのかもしれないけどね」
『融合の秘術に長けていたロウィの方が、アタシを直すのにうってつけだった。それに加えて、ロウィがアタシたちの旅の原点となる情報を全て握っているバックドアだった……か』
「うーん……。これじゃまるで、フィンの運が良かったみたいじゃない」
『そう言われてみると……確かにそうだな。ってことは、今回の偶然はセリスの力とかじゃなくて……』
「本当の本当に、ただの偶然……だったのかもねぇ……」