5頁目.夢と決意と命運と……
それからというもの、セリスとフィンは泉の世界に何度も訪れた。
家族や村の人たちに怪しまれないよう、3日に1度くらいの頻度で家を抜け出し、森の中へと入る。
そして、セリスが闇雲に進むと泉の前に辿り着き、フィンが泉の水に触れることで泉の世界に飲み込まれる。
目を覚ますとクロとイースが待っていて、そこでお互いの情報を交換し合う。
そんな日々が繰り返され、半年が過ぎようとしていた。
***
セリスの魔法を見ながら、クロは尋ねる。
『そういえば、今さらながらに聞いていなかったな。お前はどうして魔女になりたいんだ?』
「あぁ、そのこと……。あたしはパパ……今の村長の長女だから、次期村長候補ってことになってるの。だけど、農家しかない村の村長なんて絶対につまらないじゃない? だから、魔女になって職を得れば村長にならなくて済むと思ったの」
『そんな話は前にも聞いた覚えがあるな。ただ、アタシが聞きたいのは、魔女になりたいと思ったきっかけじゃなくて、魔女になってどうしたいのかだ。ひとえに魔女になるったって、色んな仕事があるだろう? 護衛とか傭兵とか、あとは職に就かずに研究に明け暮れるってのもある』
「将来の夢ってこと? そりゃあ、もちろんあるけど……」
『あ、教えたくないんだったらそれでいい。アタシは、お前が魔女になりたいって意志がどれくらい強いか知りたかっただけだからね』
「まあ……教えてあげてもいいわ。これまでお世話になったし、これを教えたところであたしに何のデメリットもないから」
そう言って、セリスは石の書を取り出して、最初のページをめくった。
『治癒の魔法……だったか。これがどうかしたのか?』
「実はずっと話してなかったんだけど、この魔法はフィンのための魔法なの」
『フィンのため……? あいつ、どこか怪我でもしてるのか?』
「ううん、怪我じゃなくて……言うなれば病気、かしら。あの子の右腕、見たことある?」
『そういえばずっと長袖で隠れていたし、手袋のようなものもしていたな。だから、見たことない……な』
「小さい頃、フィンの右腕が魔物に噛まれてね。その牙に毒があったのか、悪い魔法でもかかっていたのか、フィンの右腕は真っ黒に染まってしまったの。怪我を治してくれた医者も何の病気か分からなかったらしくて、未だに治ってないってわけ」
セリスは右手の指で石の書に書かれた呪文をなぞる。
「当時は毎日のように右腕が痛むもんだから、ずっとあたしが看病してたわ。そしたら、その年のあたしとフィンの誕生日。戸棚に飾ってあったこの本が急に光ったの。今思えば、まさに運命っていうものを感じた瞬間だったわ」
『なるほど。それでめくってみたら、治癒の魔法が書いてあった……と』
「そういうこと。その時はもちろん使い方なんて分からなかったから、ママに使ってもらったけどね。でも、ママに魔法の使い方を教わってからは、あたしがフィンの右腕を治す役割になったの。今もずっと、ね」
『ってことは、お前の将来の夢ってのは……』
「長くなっちゃったけど、あたしの夢はフィンの右腕を魔法の力で完全に治すこと。それがあたしの魔女としての最終目的!」
胸を張って、セリスはそう言い切った。
『……立派なお姉ちゃん、してるじゃないか』
「まあ、あの子が魔物に襲われた時に何もしてあげられなかったっていう後悔もあるんだけど……。いつかその魔物をぶっ飛ばして、あの時の後悔もすっきりさせちゃうんだから!」
『ってことは、魔物の研究もしなきゃねぇ。ただ、アタシの知る限りの知識では、そんな魔物は聞いたことも見たこともないな……。魔物の知識には自信があったのに……』
「やっぱりそう簡単に見つからないわよね……。でもいいわ。それだけ目標は大っきければ大っきいほど燃えるってものよ!」
『よく言った! じゃあ、今日も特訓始めるぞー!』
「おおーっ!!」
***
その一方で、フィンはイースにある相談をしていた。
『戦えるようになりたい……ですか?』
「うん。多分、姉ちゃんは俺のために魔女になろうと頑張ってる。でも、それじゃ俺は姉ちゃんが魔女になるのをただ待つだけで、何もしてない感じがして嫌なんだ」
『でも、こうしてボクに色んなことを教えてくれていますし、色んな発明もしています。何も戦えるようにならなくても、知識で支えることも出来るのでは?』
「うーん……。それだけだと、やっぱり受け身になってるだけだからなぁ……。あー、どこかで発明の修行とか出来れば、もっと姉ちゃんの役に立てるのに……」
『発明の修行……。でしたら、ノーリスの工房に弟子入りしてみるというのはどうでしょう?』
「機械の国・ノーリスか……。確かに、あそこには色んな工房があるけど……。急に弟子入りってのはちょっとハードル高くない?」
フィンは眼鏡を外してレンズを見つめる。
『フィンに聞いた限りですと、今のノーリスは発明大国になっているそうですね? それに、フィンの発想力であれば、どこかの工房に弟子入りすることはそう難しくないと思いますよ』
「イースにそこまで買ってもらってるとは思わなかった。なるほどね……考えておくよ」
『戦えるようになるかはさておき、フィンはセリスのことをしっかりサポート出来るような立派な発明家になれると、ボクは思っていますよ』
「や、やめてよ、急に。恥ずかしくなってきた……」
眼鏡を付け直し、フィンは眼鏡の鼻当てを押さえる。
『あぁ、そういえば。フィンはセリスが魔女見習いになったら、彼女の旅に付き合うんですよね? その腕のこともあるでしょうし』
「うん、そのつもりだけど……。どうして聞いたの?」
『いえ、そうなったら工房に弟子入りするのは大変かもしれないと思ったので。魔女見習いが魔女のライセンスをもらうための試験……。聞いた限りですと、その旅はきっと過酷なものになるでしょう』
「あぁ、確かにそうかも……。でも、あとそれまで2年半も時間はあるわけだし、少しでも出来ることはやっておきたい。だから俺、ノーリスで修行するよ。もしかしたら、ここに来れる頻度も落ちちゃうかもだけど……良い?」
『ええ、もちろん。ボクはその夢を応援することくらいしか出来ませんが、頑張ってください!』
「うん! じゃあ、姉ちゃんにも言ってくる──」
その時だった。
無音だった泉の世界に突然地響きが鳴り続け、同時に地面が揺れる。
「じ……地震!?」
『この数十年間、こんなこと起きたことありませんよ……!?』
「そ、そうだ、姉ちゃん!!」
フィンとイースは急いで小屋の外に出た。
***
「……何、あれ」
『……最悪だ』
「クロ……?」
『最悪だ、最悪だ最悪だ!!』
セリスとクロが見上げた先には、穴が空いて割れた空と、その中から溢れ出てくる黒い何かがあった。
そして、割れ目から人影が降りてくるのがセリスの目に映った。
「ねえ! あれ、何なの!」
『まさか数十年破られなかった結界が破られるなんて……! 今のアタシじゃ、あれを守ることなんて出来やしないってのに……!』
「ちょっと、クロ!!」
『はっ……。起きてしまったものは仕方がない。セリス! フィンを連れて今すぐここから逃げろ!』
「わ、分かったけど、クロたちは!?」
『アタシたちはあいつを足止めする。だから……』
すると、フィンとイースが駆け寄ってきた。
「何があったの!?」
『あっ、あれは……ファーリの呪いですか!? かつて、無力化して封印したはずでは……』
『確かに呪いの根源は封印した。だが、既にバラまかれた大厄災の呪いの残滓は、そのまま外に存在し続けていたってわけか……。しかし、これはかなりマズいぞ……!』
「クロ、これから何が起きるの……?」
『最悪の場合……世界が終わる』
セリスとフィンはそれを聞いて驚き、目の前の蠢く黒い何かから後退りする。
すると、フィンがその場に倒れ込んでしまった。
「この感じ……この嫌な感じは……。ぐあぁっ……」
「フィン! もう、またこんな悪いタイミングで……!!」
「ほう……。『黒の呪い』か……」
突然、低い男の声がそう響いた。
セリスたちが上を見上げると、顔を仮面で隠し、黒いローブを着た黒い長髪の怪しい男が、ドス黒い何かに乗って降りてきている。
『お前ら……一体何者だ! 狙いは何だ!』
「おや、申し遅れた。我輩は『大災司』の一人。名をディーザと言う。目的は……言うまでもあるまい?」
『……心臓か』
「分かっているようで何よりだ!!」
その瞬間、ディーザの後ろにあった黒い何かが一塊になっていく。
『こいつは……! セリス! 急いで逃げろ!』
「でも、フィンが!」
『それでも、可能な限りここから離れるんだ!!』
「でも……でも……!」
『早くしろ! アタシたちが時間を稼ぐから! イース、行くぞ!』
『ええ、分かりました!』
クロとイースは飛んで行き、ディーザの前に立ち塞がる。
「ちょっ……2人とも、無茶よ!」
『少しでも時間が稼げればそれでいい! お前たちを逃すのが、今のアタシたちの役目なんだから!』
「姉ちゃん……。逃げよう……!」
フィンはセリスの服の袖を引っ張る。
しかし、セリスは微動だにせず固まっていた。
「…………ふざけんじゃないわよ」
「姉……ちゃん……?」
「ふざけんじゃないわよ! 最悪、世界が終わるですって? 冗談じゃないわ! あたしたちのこれまでの頑張りを無駄にされるっていうのに、ここで諦めるわけにはいかないでしょうが!」
「姉ちゃん……!」
フィンはセリスの服の袖から手を離し、セリスは小屋の方へ駆け出した。
そして、石の書を腰から手に取り、構える。
『セリス……お前、何やってるんだ!』
「ここにはクロたちが守りたいものがあるんでしょう! それが世界の終わりに繋がるってんなら、あたしが黙って逃げるとでも思った!?」
『お前がどうこうして勝てる相手じゃないんだぞ! 特に、あの手の呪いはお前との相性が最悪だ!』
「そんなの関係ないわ! 良いこと? あたしの運の良さは、こういう時のためにあるの! あたしのモットーは、『為せばなる 何とかなる』! あんな気色の悪い男に、世界の命運を握らせてたまるもんですか!」
セリスがそう叫んだ瞬間、石の書が輝き出した。
そのページをめくったセリスはニヤリと笑い、詠唱を始める。
「あの子供……一体何をする気だ?」
『あの詠唱は……!』
「面倒だ。まとめて仕留めてやろう……!」
ディーザの背後に集まった黒い塊が、妖しく光り始める。
そして、その光が集まった瞬間、ディーザは叫んだ。
「闇呪魔法『破滅の光波』!!」
それと同時に、セリスは叫んだ。
「原初光魔法『天の閃光』!!」
ディーザの背後から黒い光線が放たれると同時に、割れた結界の天井から眩い白い光が何本も降り注ぐ。
白い光に当たった黒い塊は一瞬で消え去り、黒い光線も次第に収まっていく。
「この力は……何だというのだ……! 我輩の呪いの力が……消えていく!」
『聞いて驚け。そいつはこの世で最も強力な浄化の魔法だよ。このまま消えたくなきゃ、さっさとここから出て行きな!』
「生憎、そういうわけにもいかないのだよ。何十年もかけて、ようやく見つけ出したこの場所なのだ! 呪いの痕跡を辿って見つけたこの場所で何の手土産も無しなど、大災司の名折れというものよ!」
そう言った瞬間、ディーザの姿が消える。
『なっ、消えた!?』
「クロ、後ろ!」
「なるほど……。邪魔が入ったせいで心臓を探す時間はなかったが、これなら良い土産になりそうだ」
『やめろ! その結晶に触れるんじゃない!!』
「いずれ、心臓を我が物とせんがため……。こいつは頂戴する!」
『やめろー!!』
ディーザは高笑いを上げながら、結晶に触れる。
その瞬間、ディーザと赤い結晶はどこかに消えてしまったのだった。
***
『何て……ことだ……。よりによって、あれを取られるなんて……』
「……色々と気になることはあるけど、まずはあの結晶について話してもらうわよ」
『あれはアタシが生きていた頃の身体……が結界の土魔法で守られて結晶となったモノだ。あれ自体には世界の命運なんて関わってないから、それだけは安心してくれ。ただ……』
「姉ちゃん! イースが!!」
『くぅっ……。やっぱりそうなったか……!』
クロとセリスがフィンの元へ駆けつけると、フィンの手元には白い羽根ペンがあった。
「イース……? どうして動かないの……?」
『イースは……あの結晶の中にいるアタシが発動した魔法のおかげで、ああやって動くことや話すことができていたんだ。そして、この場所に張られた結界は、あの結晶を守るためにあったのさ……』
「つまりあの結晶が消えたことで、結晶の魔法の効果範囲から外れてしまったイースが動かなくなったってこと……?」
『そういうことだ……。くそっ! どうして2度もイースを失わなきゃならないんだ……!』
「ごめん、クロ。もうひとつだけ聞かせて欲しいの。さっきあいつに言ってた心臓って何? 世界の終わりが関わってるのって、そっちなのよね? それくらいはあたしでも分かったわ……」
『……こっちだ』
クロは丘の方へふらふらと飛んでいく。
セリスとフィンはそれについて行った。
すると、そこは丘の上の小屋の裏手だった。
「ここって……」
『イースの墓さ。ずっと昔にアタシが作った物だ』
「もしかして、ここにその心臓が……?」
『あぁ。元々はアタシの身体の傍らに浮いていたんだが、あまりに野晒しだったもんだからね。お前たちが来たのと同時期に、アタシとイースでここに移動させたのさ』
「そうか。俺たちみたいに誰かが入って来れる可能性もあったから……」
『そういうことだ。さあ、その墓の隣を掘り返してみな』
フィンは白い羽根ペンを一見し、懐に仕舞う。
そして、手で墓の隣を掘り返した。
すると中から、人間の心臓が収められた黄色い結晶体が出てきた。
『こいつは、この世の全ての魔法を統べる制御装置。【ファーリの心臓】だ』
「ファーリ……って、原初の魔女・ファーリ……!?」
「なるほど……。この世の全ての魔法の制御装置ってことは、魔法の元になった精霊と交わした契約をその心臓が担ってるってことか……。確かに世界の命運を握ってるな……」
『だ……から……』
突然、クロの声が途切れ途切れになり、次第に下降していく。
セリスはクロを手で受け止めた。
「クロ……?」
「ね、姉ちゃん、クロの羽根ペンに付いてる宝石にヒビが……! もしかして、さっきあいつの攻撃に当たっちゃってたのか!?」
『すまない……セリス……。お前を……魔女見習いにするって……言ったのに……』
「……大丈夫。大丈夫だから」
セリスは声を震わせながらも、優しくそう言った。
『なら……頼む……。この心臓は……誰にも……』
「分かった。絶対に誰にも渡さない」
『フィン……セリスのこと……頼んだ……』
「……もちろんだよ」
『それなら……安心だ…………』
そのまま、黒い羽根ペンの宝石から光が消えた。
セリスとフィンはその場でしばらく泣きながら、クロとイースの羽根ペンを握りしめるのだった。
***
それから、少しして。
セリスは『ファーリの心臓』をカバンに隠し、2人はそれぞれ、クロとイースの羽根ペンを手元で保管することにした。
そして、2人は崩れゆく結界の中を進み、どうにか出口から出たのだった。
出口から出た2人は、同時に振り向いた。
「ここって……」
「ええ……そうでしょうね……」
2人の目の前にはいつもの泉がなく、代わりに小高い丘とボロボロになった小屋がそこにはあった。
「……これからどうしよう、姉ちゃん」
「心臓はあたしが持っておくから、あたしたちがやろうと思っていたことをこれまで通りにやるのよ。あたしは魔女見習いの勉強。あんたは……」
「……俺はノーリスに発明の修行に行きたい。いや、行ってくる!」
「分かったわ。じゃあ、フィンは発明の修行ね。あぁ、それならついでに頼みたいことがあるんだけど──」
セリスはフィンに耳打ちをする。
それを聞いたフィンは少し驚きつつ、真剣な表情で頷いた。
そして、2人は森の方へと振り返り、前へと足を踏み出した。
この日、セリスとフィンは決意を胸に、新たな道へと歩き始めたのだった。