36頁目.偽物と大作戦と黒い炎と……
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14日前の夜。
ノエルは過去のオクトーについてセリスたちに話し終え、フィンが籠手の調整を終わらせるのを待っていた。
籠手を袋の中に戻し、フィンはノエルに尋ねる。
「続きは明日にするよ。それで……何か話があるんだっけ?」
『あぁ、まずはフィンに尋ねたい。今日のオクトー、手合わせした時に何か感じたりしなかったか? 違和感とかそういう類の』
「うーん……初めて会ったわけだし、違和感を覚えられるほど拳を交わしたわけじゃないからね。そんなこと尋ねるなんて、何かあった?」
『結論から先に言おう。あいつはオクトーじゃない。オクトーの殻を被った偽物だよ』
「偽物……え、偽物!? でも今日会ったオクトーさんって、さっきまでノエルが話してたオクトーさんの印象と全く同じだったわよ?」
『アタシが生きていた頃、他人の姿の殻を被ることができる土魔法を見たことがある。それも、人格や記憶までも模倣可能な代物だ。それを使ったのは災司だった』
2人は驚く。
セリスは呟いた。
「災司……。つまり、オクトーさんの殻を被っているのは闇の教団かもしれないってこと……?」
「そう言われてみると、確かに拳がぶつかった時の感覚は岩とかに近かったな。ただ、オクトーさんならそれくらい硬くてもおかしくないって思って、違和感すら感じなかったよ……って、あれ? でも、ノエルはどうして偽物だって気づいたの?」
『大きな理由の1つはオクトーとの最初の会話にある。あいつ、アタシの声を知っていたからこの姿をアタシと理解した。そうだったろう?』
「そうね。声だけでノエルだって判別してたわ。でも、それがどうかしたの?」
『アタシは過去に蘇生魔法を使った後、その名前を歴史から消してもらった。少なくとも、アタシは死んだことにされた人間だ。そして、その知らせはオクトーにも届いていたはず』
セリスたちは頷く。
「でしょうね。マリン様の一番近くにいたオクトーさんだからこそ、絶対に知っているはずだわ」
「だけど、いくら70年近く経ってるとはいえ、過去に聞いた声を覚えている可能性は普通にあったよね?」
『問題はアタシの声を覚えていたことじゃない。声だけでアタシをノエルだと認識した、その事実なんだ』
「どういうこと……?」
首を傾げる2人に、ノエルは言葉を続ける。
『例えばの話だ。セリス、お前の知り合いがもし死んだとして、その葬儀まで行われたとしよう。その後、その知り合いと似た声……あるいは同じ声が街中から聞こえたとして、お前は振り向くか?』
「まあ、振り向く可能性はあるわね。聞き覚えのある声には反応すると思う」
『その時、お前はその知り合いが生き返ったと思うか?』
「思うはずないわよ。偶然似た声の人がいたんだと思うくらいで……あっ」
「そうか……! ノエルの声を聞いただけで、死んだはずのノエルが生き返ったなんて普通は思わない!」
『その通り。いくら魔法の力があるとはいえ、人間の命を蘇らせられるなんて普通は思うはずがないんだ。しかも、蘇生魔法の存在は一切結界の外に出ていない。だとすれば、アタシをアタシだと認識できる人間は自ずと絞られる。そいつらはこの姿のこのアタシが大魔女ノエルであるとはっきり知っている唯一の存在だ』
「それが闇の教団……。それもその事実を知ってるとなると、恐らく幹部である大災司ね……。なるほど、そういうことだったの。でも、あれだけ用心深いノエルが推測だけでそこまで確信できるとは思えないわね。他にも何か確信に至る材料があったんじゃない?」
ノエルはしばらく黙った後、答えた。
『まさか気づかれるとはね。あぁ、その通りさ。アタシには誰にも見えないものが見えるだろう?』
「ええ、魔力ね。もしかして、何か見えたの?」
『偽オクトーに微量な土の魔力と火の魔力が付着していた。呪いの魔力までは見えなかったがね。とはいえ、少なくとも普通の人間であったはずのオクトーが纏うような魔力の付き方じゃなかったんだ』
「さっき言ってた、姿を模倣する土魔法の残滓か……。でも火の魔力ってどういうことなんだろう。別に戦ってる時は燃えるような熱なんて全く感じなかったけど」
『化けている中身が土魔法を使うとは限らない。もしかしたら本体は火魔法を使うのかもしれないね』
「なるほど、それなら納得ね」
ノエルは咳払いをする声を出し、話を切る。
そして、言葉を発した。
『さて、この話を持ち出したのはただその事実を共有するためじゃない。ここからどうするかを考えるためだ』
「どうするって……。正体が判明した以上、マリン様に伝えて捕えてもらうのが一番じゃない?」
『いや、どうするかってのは処遇の話じゃない。奴の目的を知って奴を叩きのめすための方法を考える必要がある。大災司かどうかは分からないが、少なくともオクトーに成り代わってマリンに近づいている以上は十中八九、闇の教団だろう。となれば、そいつはアタシたちにとって大事な情報源だ』
「でも目的を知るって、直接聞き出すわけにもいかないでしょ? どうするの?」
「そもそもの話なんだけどさ。オクトーさんに成り代わってまでマリンさんに近づく理由って何なんだろう。いつから成り代わってるかは分からないけど、ただ殺す目的なら成り代わったその日に殺せば良いはずでしょ?」
『偽オクトーが鳴りを潜めているのは、最近闇の教団への警戒が強まっているせいだと思う。マリン自身も警戒しているから隙を見せることがないんだろうさ。あくまで殺しが目的だった場合の話だがね』
セリスは数秒考えて言った。
「サフィア様の時、あの大災司は時間をかけて例の指輪を手に入れようとしてた。サフィア様の命よりも神器の指輪、さらにそれよりも水籠の魔力を手に入れることが最終目的だったわよね。となると、今回も膨大な魔力を手に入れるためにマリン様の指輪を狙ってるんじゃないかしら」
『あぁ、今のところはその線が一番濃厚だな。マリンが持つ【藍玉の涙】はサフィーの指輪とほぼ同じ力を持っている。となると、連中が狙う膨大な魔力は……』
「この国の上空に浮かんでいる巨大な指輪の結界! で、でもその魔力を取られちゃったら、サラマンダー以外の人間はこの環境に耐えられなくなるんじゃ……!」
『連中にとっては些事なんだろう。いずれ大厄災を再演しようとしている連中なら、その辺りの容赦は一切ないものと思った方が良い。そして、あれほどの結界が破られてしまえばきっと大厄災への一歩を踏み出してしまう。そうなれば、この世界が崩壊していくのも時間の問題ということになる』
「この世界が……。だったら、絶対に止めないと……! とりあえず、マリンさんから指輪を取るのが偽オクトーさんの第一目標って考えで進めて良いんだね? でも、そう簡単に取れるとは思えないけど……」
『サフィーの場合が特殊だっただけで、マリンなら絶対に手放さないはずだ。それこそ殺されでもしない限りは手に入れることはできないだろう。だが……その場合、奴はどうやってマリンを殺すつもりなんだ? 既にオクトーに成り代わってる時点で何か算段があるはずだが……』
それを聞いたフィンはハッとして言った。
「そうか、そのためのマリン杯なんだ!」
『どういうことだ?』
「オクトーさんがマリン杯の開催を進言したら、マリンさんはどう反応すると思う? それも、ノエルとの記憶が消えている状態で」
『あいつなら……その通りにする。他でもないオクトーの、自分を何十年も愛してついてきた男の進言だ。マリンが記憶の枷をかけられた時点で、その言葉を受け止める器ができていてもおかしくはない……!』
「そういうこと。つまり、マリン杯の舞台こそがマリンさんが一番油断するタイミングだって、偽オクトーさんは考えたんだと思うよ。そのために今回の大会の開催の流れが生まれたんだよ、きっと」
「確かにあり得ない話じゃないわね……。でも、記憶を封じられてその器っていうのができてたとして、どうして大災司がそれを知っているの? それを知ってないと、オクトーさんに成り代わってまで行動を起こそうとは思わないわよね?」
『なるほど、記憶を封じた場にいた誰かが闇の教団の内通者だったという可能性か……。いや、真実を見抜けるクロネさんがそこにいた以上は、内通者は存在し得ないな。となると……もう1つの可能性が浮かび上がってきたぞ?』
セリスは首を傾げて言った。
「もう1つの可能性……?」
『あぁ、さっきアタシが言った模倣の土魔法のことは覚えているだろう? それはさっきも言った通り人格や記憶までも模倣できる。であれば、奴がオクトー以外に模倣した人物がいてもおかしくはない』
「あっ、マリン様を模倣したのね!?」
『恐らく、本来は蘇生魔法の作り方を記憶から読み取るために模倣をしたんだろうが、タイミングが悪かったのか記憶は封じられた後だった。そして、その時に記憶が封じられているという事実にも気づかれてしまったんだ。そして、今回の作戦を思いついたんだろう。マリンが油断する瞬間も、その時に何となく分かったんだろうね』
「ってことは、少なくとも2年前からオクトーさんは成り代わられてたんだ……。あれ、ってことは本物のオクトーさんは……?」
『殺されたか、あるいは……。いや、この辺りは流石に考えても分からない領域だ。後で調べた方が良いだろう。今は今後の方針を決める方が優先だ』
すると、フィンは言った。
「だったら、もう決まってるよ。オクトーさんが俺に気功を教えてくれるって話。あれが偽物の言ったことだとしても、2年もオクトーさんを演じている人間の言葉だからこそ俺は信じたい」
「ちょっ、フィン!?」
『……技を伝授してくれるのは恐らく本当だろう。盗める技術は盗んでおくに越したことはない、か。確かにフィンの考えも一理あるな。要は泳がせておこうって話だろう?』
「そういうこと。俺たちの読みではマリン杯で偽オクトーさんの作戦は実行されるはず。それならいっそ、作戦を実行させてあげるってのはどう?」
「そ、それってマリン様を殺させるってこと!? ダメダメ、絶対にダメ! 何言ってるのよ、さっきから!」
『なるほど、その手があったか!』
「ノエルまで何言ってるの!?」
ノエルはすかさず答えた。
『このアタシがむざむざとマリンを殺させるはずがないだろう? 相手が偽物なら、こっちも偽物を使ってやれば良い!』
「マリン様の偽物を殺させるってこと?」
『そういうことだ。ちょうど良いことに、マリンは自分の分身を作る火魔法を持っている。【陽炎の分身】……だったか。そいつを使ってマリンが油断した姿を見せ、あえて殺させるんだ』
「だけど、それって……」
『あぁ、アタシがマリンの記憶を呼び戻させた上で、今回の偽オクトーの目論見を伝える必要がある。それに、それは偽オクトーの作戦の直前まで気づかれてはならない。つまり大会中の時間稼ぎが必要だ。ついでに、アタシがマリンに近づく必要もある』
「……さっき話してた大会中のノエルの特等席の件、あれをマリン様の近くで観覧できる席を用意してもらうとかどう? 名目としてはあたしの試験なんだし、マリン様と同じ場所で見守る権利くらい主張できるでしょ?」
『あいつにそういうことを頼むのはちょっと癪だが、仕方ない。だが、そう頼むっていうことがどういうことか、ちゃんと分かっているんだろうね?』
セリスたちは頷いて答えた。
「もちろん、優勝ね!」
「うん。じゃないと、その特等席にノエルがいる理由がなくなっちゃうからね。それに、表彰式っていう場に偽オクトーさんを誘き出すよう絞り込めば、大会中にオクトーさんを気にせず戦えると思うし。うん、この作戦で良いんじゃないかな」
『じゃあ決まりだな。ふっ、優勝できる前提で進む話ってのも滑稽なもんだよ。2人ともちゃんと明日から特訓を頑張ることだ。戦い方はお前たちに任せるから、アタシはアタシで偽物の作戦に対して色々と打てる手を考えておくよ』
「任せてよ。偽オクトーさんに感づかれないようにいつも通りに振る舞ってみせるから」
「あたしも特訓かぁ……」
『当然だろう。新しい戦い方は絶対に必要だ。なんたって、優勝した後に大災司との戦いが控えているんだから……ねぇ?』
セリスはハッとして肩を落とす。
フィンとノエルはそれを見て笑うのだった。
『それじゃ、明日から偽オクトー打倒大作戦、開始だ!』
***
「ってわけで、お前が殺したのは火魔法で作られた偽物。その血は血液の色に似た液体を入れた袋だよ。あぁ、もちろんお前が持っているその指輪も偽物さ。偽物のお前にこそふさわしい作戦だと思うんだけど……気に入ってもらえたかな?」
フィンは得意げに偽オクトーにそう言った。
偽オクトーは鼻で笑って言った。
「はっ、そういうことだったのか。だが、そう言いつつもまだ疲れが見えてるぜ、お坊ちゃん。まだ勝ったなんて思うんじゃねえぞ?」
『何を言っている、偽オクトー。お前はこの作戦に嵌った時点で詰んでいることに気づいていないのか?』
「偽オクトーって呼ぶんじゃねえ。俺はデモニア……。大魔女マリンに殺された、マリン杯の前回の優勝者……ドミニカの子孫だ!」
「前回優勝者の子孫!?」
『何がマリンに殺された、だ。あいつは呪いの力のせいで捕まった後、きっと牢獄で生涯を終えただけだろう? 自業自得じゃないか』
「うるせえ! とにかく俺は大魔女マリンを殺すために大災司になったんだ!」
そう言って、デモニアはオクトーの殻を破り、その姿を現した。
しかし、その姿は人間の形をした黒い炎だった。
「黒い、炎……。それが火の魔力の正体か」
『禍々しい、いつもの嫌な魔力だ。だが、殻に隠れていたとはいえどうやってそれを隠して……』
「ごちゃごちゃうるせえんだよ! とにかくマリンを出しやがれ! この俺が今度こそ殺してやる!」
「誰が教えるもんですか。っていうか、あたしたちも知らないし」
「じゃあ……探しに行くしかねえなぁ!」
そう言った瞬間、デモニアはその姿を消した。
火の粉すらも残さず、その炎は音もなくセリスたちの目の前から消えたのだった。
「消えた!?」
『くっ……魔力も見えなくなっている! そうか、それがデモニアの呪いの力だ! 視覚から……いや、全ての感覚から自らを遮断する呪い……!』
「マズい、マリンさんを探しにどこかに行った! 流石にそこまでは読めてなかったぞ……!」
『……!』
急いで周りを見回したノエルは、リングの壁際にそれを見た。
それは、確実にこの状況を打破できる存在の魔力だった。
ノエルは笑いながら言った。
『どこにいるかは知らないが……デモニア、お前はやっぱり詰んでるよ』
「ノエル?」
『お前はこの作戦において1つだけ大きな見落としがあった。それは【マリンを殺す】ことで自らに降りかかりうる一番の災難を計算に入れていなかったことだ』
その言葉にハッとし、セリスは魔導書を開く。
そして、範囲防御の土魔法を唱えた。
その時だった。
「『大瀑布』」
観客席全体の上空に突然、水の円環が出現した。
そして、それは一斉に落下し、巨大な滝と水流を生んでリングの中へと流れ込む。
セリスたちは防御の魔法でそれを免れたのだった。
「ぐぁぁああああ!?」
そして、この攻撃を一身に受けた人型のそれは、観客席から姿を現してリング内に転がり落ちてきた。
「ぐ、ぅ……! 何が……起きたぁ……!」
その瞬間、リングの壁際から人影が近づいてくる。
長い蒼髪の人影は怒りの籠った声で言った。
「ちょこまかと逃げるんじゃないわよ、大災司」
「お、お前は……マリンの……!」
「ふう……。やっと来てくれた……」
「待ったましたよ……サフィア様!」
その大魔女は、今にもこの闘技場を壊しそうなほどの怒りの形相で歩いてきていた。
ノエルはそれを見てデモニアに言った。
『良いか、デモニア。この世には絶対に怒らせてはならない人間ってのが存在する。お前はその1人の逆鱗に触れたのさ』




