これから
ニネット公女が運ばれてから、わたしとシオン殿下は庭園が見渡せる部屋へと移動していた。
「ラステルさんが男性で、ルーブルク公国のリヒト公子だったなんて未だに信じられない思いですわ」
「リディアはリヒトを一目見ただけで、フォール子爵令嬢だと気付いたじゃないか」
「それでもです」
リヒト公子は魔法で女の子の姿になっていたのではなく、本来の身体のままウィッグを被り女性になりすましていた。
それでもリヒト公子本来の姿を見るまで、ラステルさんのことは「もしかしたら男性が女装をしているのでは?」などと微塵も疑いはしなかった。
確かにラステルさんは高いヒールの靴を履いていないことから、身長が女性にしては高い方だとは思っていた。
そんなラステル嬢に扮したリヒト公子は現在わたし達より一つ年下の十六歳。
数年すれば更に精悍さが増して、大人の貴公子に成長する様が予想される。
ちなみに本物のフォール子爵家のラステル嬢は、領地でお留守番をしているらしい。
「だからシオン様はトゥールーズの離宮で、深夜リヒト公子のお部屋に……」
「深夜、何だって?」
「あ、い、いいえ、何でもございません」
(危ない危ない……うっかり口を滑らせて、深夜にこっそり後をつけていたのが、バレてしまう所だったわ)
「リディアはあの夜、リヒトの部屋に向かう僕をつけていたよね?」
「げっ!? 気付いていらしたのですか!?」
「そりゃあ気付くよ」
どんな感知能力してるのよ!?
脳内でツッコミを入れつつ、青の双眸に見つめられたわたしは、はっとして頭を下げた。
「えっと……申し訳ございませんでした! シオン様が深夜に寝室を出ていかれたのに気付き、気になって後を付けてしまいました。そして女性の部屋に入っていかれたのかと、勘違いしてしまって、その……」
「勘違いしていたの?」
「事情がおありなのだとは察していたのですが、深夜に女性と二人きりなどという事態には驚いてしまいました……」
しどろもどろなわたしの話を、視線を逸らすことなく聞いていたシオン殿下は口を開く。
「気になるなら聞いてこれば良かったのに。……まぁ、リヒトの正体に関しては明確には出来なかったけど」
「直接聞くのは怖くて中々……」
「何が怖かったのかな」
「だって、他の女性と二人きりなんて」
そこまで言って口を噤む。これでは嫉妬していたと悟られてしまったのではないだろうか?
そのような感情を露わにするのは恥ずかしいのと、女性関係に心を乱される自分に戸惑っていた。
そんな自分がはしたなく思うのと、嫌われるかもしれない不安が混ざり合う。
出来れば隠しておきたかった──
「不安にさせてしまったのは謝るよ」
「謝罪なんて必要ございません。リヒト公子は命を狙われていたからこそ、変装して身を隠していらっしゃったのですから。それに男性同士だから何も問題はない筈です」
「でも極力リディアを不安にさせたくない」
「ありがとうございます。しかし今回の件でますますシオン様への信頼が増しましたから、きっと簡単には不安になどなりませんわ」
「信頼は嬉しいけれど、たまには妬いて貰えるのも悪くないのにな。まぁ、浮気と勘違いされたら……それは僕の愛が伝わってないってことだよね? 僕の気持ちが伝わるまで監禁するしかなくなるけど……」
剣呑な光を双眸に宿しながら発せられた言葉に、わたしは震え上がった。
(危なかった、一歩間違えたら監禁ルートまっしぐらだった! 動転して問い詰めなくて本当に良かった、助かった!)
「ふふ、冗談だよ」
不敵に笑むシオン殿下の表情は冗談には思えない。
そもそも常日頃から監禁監禁言っといて、今更冗談なんて思える筈もなく、警戒するに決まってるじゃない!
一歩でも踏み違えると真っ逆様に堕ちてしまう、綱渡をしている感覚だった。
微妙な緊張感が漂った室内に、固い扉を叩く音が響き渡る。
ニネット公女の様子を見舞いに行っていた、リヒト公子がやってきた。
従弟姉同士である二人の再会は、ほぼ会話を交わさないままニネット公女の気絶によって幕を下ろしている。
「お招き頂き、光栄です」
挨拶を終えると、リヒト公子は人好きのする笑顔を浮かべた。そんな彼に、わたしは気掛かりだったニネット公女の容態を尋ねてみることにした。
「あの、ニネット公女のご様子は……?」
「ニネットの心配をして下さってありがとうございます。幸いどこも怪我はなく、今は寝台ですやすやと眠っています」
「そうなのですね、良かった……」
少しすると、侍女がお茶を運んで来た。
侍女によってお茶の用意がなされ、テーブルの上にはポットと、三人分のティーカップが並べられる。
「リディア嬢とのお茶会は二度目ですね、前回は二人きりでしたけれど」
二人きりのお茶会とは、離宮でラステルさんの姿をしたリヒト公子とお茶をした時のことだ。
あの時は女同士だと信じて疑わなかった。
そんなわたし達の会話を聞いていたシオン殿下が、むっとした表情でリヒト公子に言葉を続ける。
「リディアと二人きりでお茶会だなんて重罪だな」
「わたしがお誘いしたのです。てっきり女性だと思い込んでいましたので」
「それでもだよ。万死に値するね」
わたしが弁明しても不機嫌さを隠そうともしないシオン殿下は、ため息混じりに呟く。
「それにしても子爵令嬢に扮したリヒトの部屋へと、訪れる僕を見ていたのにも関わらず、呑気にお茶会に誘えるなんてリディアは……」
「えぇっ!? じゃあリディア嬢は浮気相手かもしれない女……というか俺をお茶会に呼んだり、あんなに親切にして下さったのですかっ!?」
「えっと……まぁ……」
親切だったかは定かではないけれど、事実だけ並べると否定出来ない。
「女神だ、やはり女神だ……!」
「!?」
感極まったリヒト公子がわたしの手を勢いよく自身の両手で包み込んだ。
(流石にびっくりした……)
虚を突かれたわたしの顔を、彼は清廉な瞳で見つめてくる。
そんなリヒト公子の手の甲を、シオン殿下は抓り上げた──痛そう……。
手の甲を摩りながら、リヒト公子は「意外と嫉妬深かったんだな」と呟き、何だか楽しそうである。
「何はともあれこのシルフィード国やリディア嬢には色々と迷惑を掛けてしまった。だからこそ、俺が公国を正しい方向へと導けるよう尽力すると誓うよ」
「こちらとしても、リヒトが公国の後継に就いて貰うのが有難い」
リヒト公子とシオン殿下の考えを聞き、わたしは密かに胸を撫で下ろした。
(両国が戦を望んでないことが知れて良かった……)
「ルーブルクに帰還すればヘンリックに加担していた貴族達も粛正し、早急に膿を出し切ることも約束する」
胸の内を真摯に言葉にしたリヒト公子。
曇りなき表情の中にも、思慮深さを感じさせる彼ならきっと大丈夫。そう信じているルーブルクの人々の気持ちが分かる気がした。
「さて、堅苦しい話はここまでにして、折角本来の姿でこうして友人達とのお茶会の機会に恵まれたんだ。楽しい話に花を咲かせよう」
リヒト公子の言葉を皮切りに、わたし達は暫く他愛のない話をしながら過ごしていた。
「それにしても、婚約者殿の前だとシオンも人の子なんだと改めて認識出来て嬉しいよ」
「リヒトはこれからも女の格好のままだと認識してたけど違うのか」
「敵の目を掻い潜るための手段だから……って分かってるだろ」
「普通に趣味だと思ってた」
「嘘付けっ」
軽口を言い合うシオン殿下とリヒト公子を眺めているのは新鮮で、中々楽しい一時だった。
楽しいと感じる思いとは別に「シオン様って友達いたんだ」と内心ほっとしていたのは内緒である。
(やっぱりシオン殿下の毒舌を笑って受け流す、リヒト公子の度量があってこそよね。ありがとうございますリヒト公子)
リヒト公子はシルフィード国での滞在期間中に、国王陛下と同盟の儀を結んだ。これによって二国の結び付きはより強固なものとなった。
これはシオン殿下の立太子に続いて、シルフィード国にとっておめでたい出来事として記録され、人々も大層喜び合っていた。
シルフィード国王陛下が後ろ盾となり、ルーブルク公国の後継にはリヒト公子が収まることとなった。
リヒト公子がルーブルクに帰還する際には亡命中に得た友、フォール家の次男アルドを伴って。
一方ヘンリック公子は継承権を失い、ひっそりと辺境の地へと送られたらしい。




