星の夜
「少しはゆっくり出来たかな?」
「はい、お陰様で」
自身はお仕事に励んでいたにも関わらず、わたしの体調を気にかけてくれる彼の優しさに思わず笑が溢れる。
「そうですわ、先程フォール子爵令嬢ラステルさんと二人でお茶会を致しました」
「なに?」
目を見張る殿下は、唖然と呟く。
「何で……お茶なら僕を誘えばいいじゃないか」
「……シオン様はお仕事でしたでしょう?」
「……」
邪魔はしたくないから声を掛けなかったに決まっているのに、今更駄々を捏ねられても困る。
「ラステルさんも馬がお好きみたいで、乗馬も嗜まれるようです。貴族令嬢では珍しいですよね。女同士だし、いつか一緒に遠乗りをする機会に恵まれると良いですねって、言い合っていました」
「そんな機会に恵まれなくていいし、誘わなくていいから」
にべもなく答える殿下に、今度はわたしは唖然となった。
「リディアとの遠乗りの相手は、常に僕だから。それに今後は、お茶会も他のことも誘わなくてもいい」
「どうして?」
「必要ないから」
どうしても必要以上にわたしとラステルさんを接触させたくないみたいね……。
浮気相手と関わらせないようにしている、とかじゃないわよね?つい勘くぐってしまうのは仕方がない。
深夜に殿下がラステルさんの部屋に入っていくのを目撃したのは、つい昨日の出来事なのだから。
部屋に二人きり……。
(まだ確定したわけではないけれど、もし本当に浮気だったらやっぱり張り倒す?)
◇
夜になり、私室に戻って殿下と二人の時間を過ごしていた。
窓の方を見やると、夜空は星でいっぱいだ。
無意識に窓に近づき、夜空を眺めやる。
「星が綺麗ですね」
「そうだね」
「!!!」
「どうしたの?」
「いっ、いえっ!?」
殿下の手がわたしの腰に添えられて、過剰反応してしまった……。
そして次の瞬間、強く引き寄せられ──思わず後退り、高速で距離を取る。
(腰に手を添えられるなんて、一般的なエスコートじゃないっ、わたしったら何を動揺してるの)
「きょ、今日も疲れましたし、早めに寝台で横になろうかしら?」
「それもそうだね」
決して逃げた訳ではないけれど、わたしは寝台の方へ向かうが──殿下も着いてきた。
(着いてきたっ!?……まぁ、同じ寝台で寝るのだから当たり前なのだけど、それも仕方なくですけど!)
寝台の前で立ち止まると、真後ろの殿下はわたしとは僅かさの距離だった……って、近いわ!
いけないいけない、ペースに呑まれては相手の思う壺。
特に殿下は、わたしのペースを乱すのが上手い。それは裏を返せばわたしを理解しているから。
(理解してくれてる……)
脳内で一言呟くと、今は余計なことは考えまいとわたしは頭を振った。そして寝台へと上がる。
寝台まできたのは口実であり、本当はまだ眠い訳ではない。取り敢えず寝台の枕を背にして腰掛けた。
途端シオン殿下の声が落ちてくる。
「テーブルの上に置いてある本を取ってこようか?」
「え、確かに本を読みたい気分ですが、シオン様のお手を煩わせる訳には……」
「気にしないで」
わたしが言い淀んでいる間に殿下は、すたすたと本を取りに行ってしまった。
「はい」
「ありがとうございます」
読みかけの本『壮絶なる死闘』を差し出され、それを受け取る。ちなみに周りの令嬢が好むロマンス小説は、話題に付いていくために流行りの物には目を通している。
本を開いて暫く読み進め、物語に没頭していった。そんな私の頭に、ふいに殿下の手が触れた。
突如頭を撫で始めた殿下の手が、そのまま優しく髪を梳く。
(動揺しては相手の思う壺、無視よ無視、平静を装わないと……って、無理ー!!気が散るわ!)
本を読むのを諦めたわたしは真横を向いて問う。
「どう致しました?」
質問に彼は返答せず、代わりに無言でわたしの頬を撫で、更に親指で唇をなぞった、
「!!?」
「リディアが、分かりやすい愛情表現にしろと言ってたから」
「!?」
蠱惑的な笑みを浮かべる彼を目にして、自分は明らかに動揺しているのに視線が逸らせない。
(表情も雰囲気も無駄に色気が……って、何を考えているの私は!?
いけないけない、また殿下のペースに飲まれてしまっているわ、わたしとしたことが動揺してしまうなんて……動揺?)
「境界線のリボンを取って来ます」
「……ちっ、覚えていたか」
わたしは立ち上がってリボンを取りに行きつつ、平静を取り戻すことに尽力した。
今夜も寝台の真ん中にリボンを引いて、左右に別れて眠る。
(一緒の寝台で寝るなんて、今までもあったことだし、昨日だって……。って、意識しすぎてはいけないわっ)
そう自分に強く言い聞かせたものの、灯りを消して寝台に横になると、結局隣を意識してしまう。
「ねぇ」
「はいっ!?」
(ビックリしたー!気配を消して近づいてこないで下さいっ)
気付けば境界線を越え、私の至近距離に殿下が移動していた。
「いつの間に移動してたんですかっ。って、境界線越えてますよっ」
「近づいた方が声が聞こえやすいかなって」
「さっきの距離でも十分聞こえますからっ」
狼狽する人の心境を知ってか知らずか、彼から優しく落ち着いた声が落ちてくる。
「また一緒に何処かへ遠出したいと思ってくれたら嬉しいな」
「それは、是非連れて行って頂きたいです」
「良かった」
安堵のため息を吐いた殿下はわたしの手を握ると、そのまま離れてくれた。
まぁまぁ適切な距離感ね。
手繋ぎくらいなら許してあげなくもない。
「視察で見た町や国で素敵な物を目にすると、リディアを連れて行れてきて見せて上げたいと思っていたんだ」
「わたしも、シオン様が見てきたものを共有出来たら嬉しいです」
手を繋いだまま、穏やかに目を瞑ったつもりだったけれど、今夜も寝付くのに少々時間を費やした。




