疑惑の夜
夜が深まった頃──
少しずつ意識が遠ざかっていき、眠りに落ちかけたその時……。
がさりと、衣擦れの音で私の意思が引き戻された。
ぼんやりとした意識の中、薄らと瞼を開けてみる。薄暗い室内では、視界がはっきりとしないが、どうやらシオン殿下が上半身を起こしたらしいことは分かった。
殿下から身体の拘束が解かれたことだし、寝返りを打った振りをして元の位置に戻ろうかしら?微かに思案しつつも疑問が過ぎる。
そもそも起き上がって、殿下は何をしているの?
起きているのを悟られないよう、寝たふりをしつつ観察してみることにした。
殿下は立ち上がり、寝台を出て扉の方へと向かう。彼の背中が遠ざかっていく。
(こんな時間に何処へ行くのかしら?)
このままリボンで敷いた境界線を越えて、本来の位置へ戻ろうと僅かに身を捩った瞬間、閃いた。
もしかしたらシオン殿下は何か秘密を抱えてているのかもしれない。ならば今こそ殿下の弱みを握れる時なのではないか。
どうしても殿下をギャフンと言わせたいわたしは、こっそり後をつけていくことにした。
音を立てないように扉を開けてみると、当然廊下は薄暗い。
部屋から出て階段を降りていると、階下の廊下を歩く殿下を発見した。
見つからないように、慎重にならなければ。
物音を立てずにこっそりと様子を伺い、彼の動向を探ることに集中しよう。
次の瞬間、突如廊下の一角に明かりが差した。
明かりが灯った部屋の扉が開かれたのだ。
見つかってしまわぬよう、身を隠しながら扉の方を注視していると……開かれた部屋の中からフォール子爵令嬢の姿が現れた。
扉が開いた部屋は、子爵令嬢の使う部屋のようだ。
子爵令嬢と部屋の前に立つ殿下が何やら会話を交わしているが、この距離では聞き取れない。
(こんな時間なのに、殿下は子爵令嬢に何の話があるのかしら?この距離だと聞こえないけど、これ以上近づく訳にはいかないし……)
やきもきしながら身を潜め、思案する私をよそに子爵令嬢に招かれるまま、殿下は彼女の部屋の中へと入っていった。
扉がパタンと音を立てて、閉められる。
「……」
は?
予想だにしない展開に、私の思考は完全に停止していた──
(何ですってー!!??)
「どどど、どうしましょ……」
まずは頭の中で絶叫し、一拍して口に出して呟いてしまった。
今のわたしは完全に狼狽している。
(どうしましょう、このまま殿下が部屋を出てくるまでここで待つ……?
って、朝まで出てこなかったらどうするのよ!! 朝まで!!?)
朝まで二人きり、密室で一体何をするというのだ?
あまりの展開に柄にも無く、目眩を感じた私は壁に手を着きながら、一旦呼吸を整えるべく深く息を吐いた。
でもまさか怒鳴り込むような真似は出来ないし……。
わたしは無意識に怒鳴り込んだ場合の想像をしていた。
まさに鬼の形相で部屋に突撃する婚約者のわたしと、可憐でか弱い令嬢ラステルの構図が頭の中で展開されていた。
絵に描いたような修羅場!
逡巡を残しながら、わたしの足は階段へと向かった。
(こんな所にいても仕方が無いわ、部屋に戻ろう……殿下にも何か事情があるのかもしれないし。
夜中に婚約者以外の女性と部屋で二人きりになる事情……どんな事情よ)
寝室に戻ると、自ら引いたリボンの境界線の向かって右側、本来の位置に戻った。
横になって瞼を閉じてもやはり寝付けず、いつもより時間が、頗るゆっくり過ぎていく。
まだ殿下は戻ってこないのかと時計を確認しても、左程時間は経っていなかった。
時間が長く感じる。
(長い……流石に長すぎる……)
結局寝付けないでいた。何度目かも分からない寝返りを打ったその時、扉が開く音が耳へと届いた。
寝返りを打つのをやめたわたしは、微動だにせず狸寝入りを決め込む。
寝付けない程気になっているなんて知られたくはないから……。
わたしが元の位置に戻っていることに気にした様子もなく、殿下はさっさと寝台に入って横になった。
最初に決めたリボンで引いた境界線から、寝台の左側を殿下が使い、右側にわたしが背を向けて横になっている。元通りだ。
しばらくモヤモヤしながら、思考が回り続けていた。無駄に神経を使ったせいかようやく眠りに付くと、そのまま朝まで深い眠りの中へと誘われた。




