乗馬
本日は予てからの約束通り、シオン殿下とトゥールーズ領にある離宮へむかうため、わたしは馬車へと乗り込んだ。
休暇という名目のちょっとした旅行である。
王都を出発して早々、小気味よく走る馬車に揺られながら、殿下は呟く。
「馬に乗っているのが羨ましい、といった感じか」
ぎくっ。
窓の外を眺めていたわたしは、内心かなり動揺した。
畦道を進む馬車を、騎乗した騎士達が囲んでいる。先程からのわたしの視線の先は並走する騎士が乗る馬へと向けられていた。
心の中を見透かされて悔しいわたしは平静を装い、すまし顔で答える。
「いえ、そのようなことは」
「何だ、乗りたくないのか。折角そのために馬を用意してあるのに」
「えっ」
わたしの考えそうなことを見越して、乗馬用の馬が用意されているとは想定外だった。
「したくないなら、別にいいんだが」
「そんなことないですっ」
「何だ、やっぱり乗馬がしたかったんだな」
相変わらず嫌味ったらしいシオン殿下は、勝ち誇ったような表情をむけてくる。小憎たらしい。
悔しさを隠しきれないわたしは、スカートを握り締めながら、若干の曖昧さを含めて呟く。
「うっ……。したいか、したくないかで答えると、乗馬がしたいです」
心情を口にすると、すぐに馬車が止められる。
そして馬車から降りると、一頭の黒馬が連れて来られた。
「よしよし」
黒馬を撫でてから、シオン殿下は騎乗した。
あなたが乗るんですか殿下。
「さ、リディア、後ろに乗って」
「乗るって、共乗りですか……」
「嫌なのか」
じっとこちらを見下ろしてくる殿下に、わたしは慌てて口を開く。
「いえ、想定外でしたので。失礼いたしま……」
「あ、そうだ。待って」
「はい?」
わたしは首を傾げる。
すると殿下は一旦馬から降り、わたしとの距離を詰めてくる。
訳がわからずに狼狽しているわたしを、殿下は軽々と横抱きにした。
(ひょえぇー!!)
叫び散らさなかった自分を、大いに褒めてあげたい。
固まっているわたしを馬の背に上げてから、殿下は再びひらりと騎乗した。
すぐ目の前には殿下の背中。
「失礼致します……」
言いながら恐る恐る彼の身体に腕を回す。
(待って、こんなに密着するなんて今までになかっ……あ、ウサギになった時以来か)
ウサギとなって抱っこされたり世話をされていた記憶が、不意に呼び覚まされる。
つい先日の出来事ではあるけど、もう過去のことになりつつあったというのに。
「僕達は先に町まで行くから、そこで合流しよう」
「畏まりました」
殿下が騎士に告げる。そしてわたしと殿下を乗せた馬が、馬車と親衛隊を置いて町に向けて走り出した。
それにしても、護衛も付けないとは驚きである。
まぁ仮に盗賊などに襲われたとしても、殿下なら魔法で瞬時に蹴散らしそうではある。
何たって彼は魔法の天才。
蹄が力強く大地を蹴り、颯爽と平野を駆ける。
風が草原をなで、わたしの長い髪を弄んだ。
馬上で感じる風も、咲いている花の香りも、蹄の音も全てが心地よく感じる。
暫く乗馬を楽しんでいるうちに、アルムという町が見えてきた。時刻は昼前。
このアルムより更に進んだ先にある町に、今回の滞在予定となっている離宮がある。
「他の者達を待っている間、少し休憩しよう」
町に入った私達は一旦馬から降り、殿下が提案を口にした。
その提案を了承し、馬を預けてからわたし達はカフェへと向かった。
テラス席に腰掛たわたしの目の前には、果実たっぷりの飲み物が置かれている。
(そういえば、二人きりで町のお店でお茶をするなんて、初めてよね)
そもそも王都でも、王子殿下がお忍びで出掛けるなんて、中々容易ではない。
美しい所作でお茶を飲む殿下を一瞥し、わたしは思案していた。
(二人きりのお忍びデートなんて……って、別にデートなんかじゃないわっ)
いきなり頭を振り始めた不審な私に、殿下はポツリと呟く。
「ずっとこうやって」
「え?」
「リディアと二人きりで出掛けるのが、子供の頃からの夢だったんだ」
にこにこと話す殿下は本当に嬉しそうで、彼の曇りなき笑顔はとても美しく、そして可愛らしい。
やっぱりその笑顔はズルい。
まだ時間があるようで、少しだけ町を散策することとなった。
途中立ち寄ったのは、工房が併設された小さな店。
色ガラスが嵌められた扉を開いて、店内に足を踏み入れる。装飾品を取り扱う店のようで、商品を眺めていると、青と紫が混ざり合った、変わった石のブレスレットが目に入った。
手に取って眺めるわたしに、殿下が声を掛ける。
「それが気に入ったの?」
「えっ」
「よし、買ってあげよう」
「そんな……」
「折角二人で出掛けられた記念に、贈らせて欲しい」
断りかけて、言葉を飲みこむ。
王宮に出入りする商人が運んでくるような高価な物ではなく、この店の職人手作りの品。
職人を大切にすることは国の繁栄にも繋がる。ここは職人と店に貢献する為、遠慮するより素直に受け取ることに決めた。
「ありがとうございます」
代金を払い終えて店を出ると、改めてシオン殿下に感謝の言葉を口にする。
「またこうやって、国内の色んな所を二人で見て回れたら嬉しい」
王子殿下が国内を視察して、民の暮らしを積極的に知ろうとし、こうして実行しているのは感服の思いだ。
そしてわたしも一緒に同行させて貰えるのは、素直に嬉しい。
「はい、わたしもご一緒させて頂きたいです」
預けていた馬を迎えに行き、そのまま町の入り口へと向かった。
道中、ふと空を見上げると鳥が飛来し、私達の頭上を旋回した。
「あら?」
殿下の上げた腕に鳥が止まった。そして鳥の足元をよく見ると、手紙が括り付けてある。
足から手紙を外し、読み始めた殿下が僅かに眉根を寄せる。
「馬車の車輪に不都合があったようで、ここへの到着が遅れるらしい」
「まぁ。助けに戻った方がよろしいでしょうか……?」
「いや、このまま行こう。リディアがいるのに、離宮への到着があまり遅くなってしまうのは良くない。それに王宮精鋭の騎士達もいるから、安心して欲しい」
確かに今更戻ったとしても、自分達が何か役立つとは限らない。
そしてこの町から、目的地の離宮まで左程離れていないこともあり、大人しくシオン殿下の言葉に従うことにした。
◇
再び、手綱を操る殿下の後ろに乗せて貰い、次の町まで馬を走らせる。
そしてようやく離宮へと辿り着いた。
城門を守る門兵は殿下に気付くとすぐに敬礼したが、お付きの者が見当たらないことに疑問を感じているようだった。
「ユージーン」
「はっ」
殿下が何やら合図をした瞬間、すぐに姿を見せたのは、綺麗な亜麻色の髪を一つに纏めた騎士、ユージーン。
いきなりの登場に、わたしは目を見張る。
一体いつからいたのだろうか?
「え……」
「護衛を一人も付けないという訳にはいかなくて、彼を密かに同行させていた。
でも、どうしても二人きりの乗馬を満喫したくて、隠れていて貰っていたんだ。ちゃんと会話が聞こえない距離を保たさていたから、そこは安心して欲しい」
「え」
「どうぞご安心下さい」
「……」
深々と頭を下げてくる生真面目そうな騎士を目にして、私は何も言えなかった。
「何故か出掛ける前に、何があっても必ず護衛を付ける様にと父上から、かなり強く釘を刺されてしまって」
流石陛下、ご子息の思考を良くご理解していらっしゃる。
そりゃあ王子様の護衛が一人もいないなんて、その方が有り得ないわよね……。
「馬車の方々は……」
「もう暫くすれば馬車の方も到着する見込みであります」
わたしの疑問にユージーンは素早く応えた。
(もう暫くすれば……?では、わたし達との到着時刻と左程変わらないということ?
そういえば殿下は、馬車の車輪に不都合が生じたとだけおっしゃってて、何か説明がフワッとしてるなって思ってたけども……)
ジトリと殿下に目を向ける。
「やはり二人きりの時間が名残惜しくて、そのまま馬車とは合流するのを止めて出発してしまった」
「自白ですか」
(騙されてた私が馬鹿でしたけどもっ)
「今正直に話した。しかし馬車の車輪がぬかるみに嵌ってしまったのは本当だよ、大したことがなかっただけで」
「そうですか……」
滞在一日目……いえ、離宮へ着く前から既に、殿下に掌の上で転がされていました──
どうしても二人きりの時間を作りたかった、という動機なので、殿下を責める気はないけども──掌の上で転がされている感は否めない。やっぱりちょっと悔しいから、いつかそのうち殿下をギャフンと言わせてやりたい。




