C1P3『爪跡-Reversal-』
「『爪』……? プ、アハ、アハハハッ!! へ、へぇ……それで? その『爪』で攻撃するのかな?」
幽哉は、完全に糸音の個彩に対して油断しきっている。
糸音が左手の平から顕現させたのは、淡く光る透明な『爪』。正しく言い直すのであれば、光でできた刃の様なもの。意外と『爪』は長さを誇るので、当たれば相手の肌を易々と切り裂けるのだが――。
「フフ、それじゃあ勝負しようか。君のその『爪』と――僕の『傀儡』で!!!!」
幽哉はそう言い放ち、工具類が無差別に置かれていたラックと呼ばれる大棚を浮かせて見せた。どうやら、『傀儡』の糸が触れたものなら重量は関係なく持ち上がるらしい。だとすると、建物まで利用される可能性が出てくる。幽哉自身にも被害が出そうだし、流石にそこまで危険な事はしないと思いたいが。
ラックは鉄パイプとは桁違いの重圧感を発しながら宙を舞っている。幽哉は『傀儡』で持ち上げたこのラックと糸音の持つ『爪』で激突させる気だ。この『爪』が、果たしてあのラックを打ち破れるか……。
……最悪、違う方向に押し出すだけでも被害は避けられる。真っ向勝負よりも保険を掛ける方が優先だ。
「さあ――準備はいいか、有村糸音!!」
「……ああ、来い」
態度を変えない糸音に、幽哉の表情が歪む。好青年の整った顔立ちが台無しになる。最早、彼に残るのは憎悪と優越感――そしてその結晶である『傀儡』の能力。
一時の期待を裏切った以上、報復をしなくてはいけない。糸音も、勝ちたいと思うのだ。
「――潰、され、ろ!!!」
幽哉の捻り出した声と共に、……ラックが遠くから『発射』された。
「ハハハ!! 『傀儡』の糸はこういう使い方もできるのさ! 加速させて打ち出す瞬間に『傀儡』を解除すれば――操られていた物は、一気に重力に乗って投げ出される!!」
どうやら、そんな器用な技も持っていたらしい。能力によって紡がれた糸は、自分の意思次第で即座に解除――つまり、消去させられるのだ。まるでコンピュータ内のファイルの様に簡単に、だ。
そうして、射出されたラックは野球で投げられたボールの様に早く、糸音に近づいてくる。糸音は『爪』を構える。この光の『爪』は糸音の手と一体化している訳ではないので、万が一に押し負けても手に影響は無い。つまり、『物理的には無害』なのだ。しかし――、
「……今は」
「何ー?? 聞こえないんだけど!?」
「…………今は、わざと押し負けよう」
「は」
糸音は体をラックの飛んだ方向から逸らし、長い『爪』を横からラックに接触させた。凄まじい重量を纏って飛んだラックに――『爪』は呆気なく、折れたのだった。
「――――っ!!」
「え……普通に勝ったんだけど……は、弱っ!? やっぱ『傀儡』には遠く及ばない能力じゃん!! アハッハハハハ! 君にお似合いだよ!!」
糸音は痛がる。痛みは本物だ。ただし、『精神的な痛み』だが。
糸音の『爪』は、折れた直後に光の粒となって消滅した。だがその数秒後――『爪』は一瞬で再生した。
「再生……した? ……成程、それが君の能力の本質『無限の爪』って訳ね」
「まぁ、そんなところだ」
「ふーん……だから何って感じだけど? 何なら何回でも折ってあげようか、その脆い脆い爪を」
「……ああ。お前の気が済むまでこの弱い『爪』を折ってくれ」
「言われ、なくても!!」
幽哉は投げたラックに再度糸を接触させ、宙に浮かせて自身の方に持ってきた。また同じ方法で来る気だ。
そして予想は当たる。幽哉は先程とは少し違う、優越感に満ちた顔でラックを打ち出す。糸音もそれに倣って回避と『爪』の横出しを行う。二度目の、『個彩』の激突。
しかし、結果は変わらない。糸音の『爪』はまたも折れた。ラックは高い金属音を響かせて地面に落下する。
結果は変わらなかった。糸音の『爪』が負けた。負けて、それでも再生する。幽哉は口角を歪めながらラックを糸で拾い上げる。……ラックの落ちていた場所に、その『一部』が残っている事にも気付かず。
「よし――決めたよ。君はもう戦意喪失しているみたいだし、僕はどうもこの作業が愉しくて仕方ない。だから君を殺すのは、君の個彩をズタズタに破壊してからにしよう」
「……ああ。それでいいよ」
「クク、圧倒的過ぎたね」
そしてループは続く。幽哉は『傀儡』でラックを投げる。糸音はそれを避けて『爪』を擦る。再び、『爪』は一瞬にして折れるかと思われた。だが――。
「……!?」
ラックと平行に摩擦した『爪』が、耳障りな音を上げながらラックの一部を切り裂いたのだ。勿論こんな施設に置いてある位の棚だ――素材は鉄で間違い無い。硬度も誇れる筈だ。
だが、そんな鉄の棚を『爪』は切り裂いてしまった。先程落ちていたラックの欠片も『爪』との接触が原因で落ちた物だ。今度に至っては幽哉もそれを見る事ができた。
「は……はぁ!? 何それ、『爪』が一方的に折れる筈だろ!? 何で鉄が簡単に傷付く訳!?」
「……傷付く、と言うより切られてるな」
「五月蝿いよ!! どうして切られてるんだよ!! 多少錆びてるけどそれでも十分硬いでしょ!」
「じゃあ――『爪』が硬くなった、とかじゃないか?」
「え、?」
実際、それは事実だ。この『爪』は折れても無限に再生する事ができる。糸音は昨晩過ごした物置の中の物でそれを試したから知っている。だが、幽哉にとっては完全に予想外だ。
「くっ……こんな事なら早く殺しておくべきだったよ。いや、いいさ。今から本気で殺してあげるよ」
予想通り、幽哉は激怒している。
当然だ。何せ予想外の事態が起きた上に、これ以上のタイムロスは形勢逆転の種になってしまう可能性があるからだ。その上、再び糸音の『爪』は再生した。さっきよりも硬度が上がっている。
「有難う、幽哉。お陰で『爪』を強くする事ができた」
「ふざけるな!! じゃあずっと『痛がる振り』して実は平気だった訳だ!?」
「……いや、痛覚は本当に在った。ある意味の『自己犠牲』の様なものだろう」
「関係無いよ……見下ろす様な真似しやがって……!! 許さないぞ、『傀儡』!!!」
幽哉が両手を横に広げる。両手の掌からそれぞれ糸が無数に広がる。その先にあるのはベルトに固定された約五十本の鉄パイプの束。ベルトは乱暴に外され、束が分解されて、鉄パイプが二、三本ずつ宙に浮いていく。
「避けられるものなら避けてみろ!!」
先程ラックを使った方法と同じく、幽哉は鉄パイプを発射していく。ラックよりも軽い分、速度が上がっている。糸音は走りながら、鉄パイプの軌道から外れていく。
「容赦なくどんどん撃ってくよ!! 当たれ当たれ!!」
まるで弾丸の連射。投げられた槍の様に鉄パイプは真っ直ぐに飛んで地面に突き刺さる。当たったら内臓ごと串刺しにされてしまう。幽哉も段々と『傀儡』の能力――糸の扱いに慣れてきている。鉄パイプを糸で拾い、それを発射するまでの時間が短くなっていく。
糸音はこんな時にふと思った。不思議に思ったのだ。『なぜ、自分の運動能力でここまで躱せる?』と。明らかにおかしかった。変だった。例えるなら世界的な体操選手にでもなった気分だ。体技を披露するのではない。完璧なタイミングで、殆ど脳では考えずに、反射で身体が危険を回避する。
そして、恐怖も無かった。負けた気も、していなかった。何故なら。
「く……っ、そろそろ無くなるな、しかも『爪』で鉄パイプまで切ってるし、どうなって……。」
一つ、幽哉の攻撃が停止する事。二つ、其れに乗じて疲労度が溜まっている事。三つ、糸音の方も精神的に限界な事。
そして、四つ。――有村糸音は未だ『個彩を使っていない』事。
「さて、そろそろお披露目しようか」
「は……? 何を……??」
「決まっているだろう、僕の『個彩』だよ」
「え、いやいや。君の個彩は『爪』でしょ? さっきから使って」
「……いつ、僕が『これが自分の個彩』だなんて言ったんだ?」
闇が、渦巻く。静寂は、激動へと変化する。
「は、はぁ!? じゃあ、『爪』は何なんだよ!?」
「『爪』は勝手に僕が付けた『能力の名前』だよ。何となく、そう見えたから」
「でも……でもそんな事有り得ない!! 何で君だけが『二つも』持ってるんだよ!?」
「まぁ、『一人一つ』とも言われてはなかったし、分からないが……少なくとも僕の『本命』は別にある」
「嘘、だろ……」
過ぎた時間も、受けた傷も、癒えはしない。ただ、忘れ去られるのみ。
心に、身体に根を張る闇が残ったのならば、それらを光に焼き――放てば良い。
「いいよ、いいよ。どうせそれも弱いんだよ……『劣等者』如きが使う『個彩』なんて!!」
「…………他人であるお前が、何を知っている?」
「……っ!?」
全力の殺意を以て、命ではなく心を壊せ。相手の内側に建つ壁を崩せ。
「し、糸音……何だよ、その『顔』は……無表情、じゃ、ない……?」
「……生憎、元から表情が薄いから感情が伝わり辛いんだ。でも、今回は流石に伝わった様だ」
「こ、殺すというのか!? 僕を……ぼ、僕達は、友人だろう!? 今回だってただの……」
「ただの喧嘩、か? 甘いんだよ。詰めも甘い、失敗に甘い――そしてお前自身にも甘い」
「や、や、やめろ!!!」
今までと同じ方法で、且つ――新たな力で。
「…………大丈夫だ、幽哉」
「し、糸音」
「殺しは、しない」
「は、は、あぁ……」
さあ、始めよう。これが、『劣等者』の人生を覆す――。
「――ここらで一発、逆転だ」
&・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「これが僕の本当の個彩――『窮鼠噛猫』!」
『爪』が柔らかく消滅し、掌の先に現れたのは、光の玉だ。
玉の中心に、より強い光が生まれる。周囲からは黒い霧が集まる。――経った時間と、負った心の傷による『苦痛』が具現化したものだ。黒い霧は次第に光に飲み込まれて消える。霧を吸って光は膨れ上がっていく。そして、大きな轟音を一瞬上げて、玉が割れ、光が広がる。
「神業よ――起きろ!」
糸音の命に従い、光は段々とその姿を変える。
変わった姿は、嵐。周囲に砂塵を巻き散らす正真正銘の暴風。見た目は完全に竜巻同然だが、嵐は旋風の向きを幽哉へと向ける。
「くっ……終わってたまるかぁ!! 『傀儡』!!!!」
幽哉は一部破壊されたラックを拾い上げ、数本の糸で操りながら振り回す。今までで一番強く、早く。
最高速度の鋼鉄が、嵐に向かっていく。
糸音の『神業の嵐』と、幽哉の『鋼の嵐』が、衝突する。勝ったのは――。
「な……っ!?」
糸音の嵐がいとも容易くラックを壁に吹き飛ばす。そして、矛先を幽哉に戻して進む。台風にも例えられる速さなので、幽哉は抵抗できずに巻き込まれる。その身体は軽く軽く、まるで『傀儡』の様に操作されながら、天井を突き破って遠くに飛ばされた。
&・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
気付くと、倉庫の外側から何人かの男の声がしてくる。流石に轟音の所為で騒ぎになった様だ。ちょうど、ラックが飛ばされた先の壁に穴が空いている。少々窮屈で危険だが、あの穴から密かに脱出する他ない。
こうして初戦に勝利し倉庫を離脱できた糸音は、自宅に戻る事にした。空はすっかりと暗く、時計を見れば既に八時になっていた。
「……やっぱり、夜までに帰れなかったな」
糸音はそう呟きながら、ゆっくりと自宅に向かって歩いて行った。
「……。」
「……。」
その背中を見届ける『影』が二つ。
「どう? 彼みたいに強そうな人も居て、面白そうでしょ?」
「……うん」
風に消えそうな小声で話す男女。二人には、異常な身長差があった。
「あの人は――私の、『名前を殺してくれる』かな」
『低い』方の女子は、先程よりも消えかかった声で、そう呟いた。
月光に、当てられた彼女の姿は――それはそれは儚げに、『強か』に見えたのだった。
まさかの一日置き投稿!!
これで、モチベーションの上がり具合が分かって頂けたと思います。(書き溜めではないですよ)
新たな物語が、展開されていきます……次回もお楽しみに!