2 母の手紙
私の十五歳の誕生日の夜。
父、ジェラルド・フォン・ワイルドハート伯爵に呼び出された。
私の父は濃い栗色の髪と瞳の大柄な軍人らしいタイプの人だ。
「エレーナ、時間はあるか」
「ございます、お父さま」
父は書斎の椅子から立ち上がると、手招きしてくれた。
母との急な別れのあと、悲しみに浸る時間もないまま、お別れの式や埋葬、親族や知り合いたちとの別れの会があった。
その後は、私は侍女のマーサと共に今までは母がメイド頭と采配をふるっていたあれやこれやに追われていた。
悲しむ暇がないことは逆にありがたかった。
それはお父さまも同じだと思う。
「お父様、お身体は大丈夫ですか?」
「エレーナこそ大丈夫かい?ずっと忙しくて疲れたろう。そんな時に呼び出してすまないね。どうしても今夜のうちに伝えておきたいことがあるんだよ」
私を軽く抱きしめてからソファーに座るよう促して、お父さまも向かいの席に腰を下ろすと、スッと封筒を滑らせるようにテーブルに置いた。
「ヘレナからお前への手紙だ」
「お母さまの…。そんなお手紙があったのですね。今ここで読んでも?」
「ああ、読んでやってくれ」
真っ白な封筒には母の筆跡で「エレーナへ」と書いてあった。
ペーパーナイフで丁寧に封を切り便箋を取り出すと、ふわりと母の愛用していた香水が流れてきた。懐かしさでみぞおちの辺りがギュッとなる。
紺色に近い濃い紫色のインクで文字が書かれていた。病床で書いたのかと思っていたが、そうではなく、日付を見ると数年前に書かれていた。
私に向けて書かれた文章は…
「これをエレーナが読んでいるということは、私はこの世から旅立っているということ。そしてあなたは15歳になっているはずよ。
直接あなたに大切なことを告げられないのは残念だけれど、それが神の思し召しなら従いましょう。」と言う書き出しだった。
ヘレナお母様の手紙の内容は、すぐには理解できないものだった。
お父様の前で三回も読み直した。
曰く、
母の家系には母から娘に受け継がれる能力があること。
その能力は「癒し」と「真実への導き」があること。
母の場合は癒しの力だけであり、その力を刺繍に込められたこと。
能力が確認できるのは娘が十五歳になった日の夜以降に確認できること、であった。
読み終えてお父様の顔をに目を向けると、お父様は穏やかな表情を浮かべ、説明してくださった。
「ヘレナの刺繍は私のお守りだった。戦いに赴く時、いつでも胸に刺繍の入ったハンカチを忍ばせて行ったものだ。
長引く悪い戦況の時も、判断が困難な状況の時も、ヘレナの刺繍のハンカチは私に勇気と冷静さを与えてくれた。
最初は気のせいかと思っていたが、いつの間にか確信していたよ。彼女の刺繍には力があった。
ヘレナはいつでも私の癒しであり女神だった」
「だから私にあんなに熱心に刺繍を教えてくれていたのですね…。お父様、今夜から刺繍を始めてもいいでしょうか」
「そうだな。出来るか?」
「針と糸で作るものなら私は何でも好きです。もし私にその力が有るのであれば、挑戦したいです。お母さまの残してくれた力が私に授けられているかどうか、試したく思います」
明るい表情でそう伝えると、お父様は柔らかく微笑んでくれた。
「私が確認の役を引き受けるよ」
「ありがとうございます、お父様」
お父様はお仕事柄、常に他国との緊張の中に身を置いていらっしゃる。
国内にあっても反乱の危惧は常に潜む世界に生きていらっしゃるわけで。
そんなお父様を私が癒して差し上げたいと思った。作るものはすぐに思い浮かんだ。
侍女のマーサが全てを知っていたかのように私の部屋に刺繍の道具を用意してくれていた。
もしかしてマーサは手紙の内容も知っていたのだろうか。マーサは色々と謎なところがある侍女だ。
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