うまくいかない料理教室
『レシピ集を出してみませんか』
料理屋を営んでいると、よく出版社に声をかけられる。
すぐ断る。馬鹿みたいだから。レシピ集を作ったところで店の料理を再現するなんて無理だから。
火力も違うし素材も違う。「お店に来れない代わりに」とレシピ集を買う人間がいるだろうけど、素材も調味料も何もかも味なんかそっくりになるはずないのだから、詐欺と変わらない。ペテン師クソ商売。
そうして断ってると、「料理が苦手な人向けの入門書を作りませんか?」と話の方向が変わってくる。
すぐ断る。
料理が苦手なんだったら苦手のままにしておけ。
それ以外に思うことがないから。
だって無理だから。
料理が苦手なやつはレシピ通りに作らないし、レシピ通りに作ってないのにレシピ通りに作っていると思い込んでいるから。
同時に、巷のレシピは料理が出来る奴がイメージする「料理が下手ってこうかな」「ここでつまづくのかな」の理解度で作られたレシピなので、双方には致命的なすれ違いが発生しており、両片思い異世界恋愛ファンタジーレベルの致命的なズレが発生している。
骨密度が全壊してるような老人にアメリカに行ってホームラン打って130キロ出せ。
これと同レベルだ。『誰でもカンタン♡とっておきの♡ほめられレシピ』みたいなありふれたタイトルのレシピが、料理が苦手な人間に要求してることは。『言われたことしかできないと鬱屈を抱えるそこのお前、居場所はここだぞ』に改題したほうがいい。そっちのほうが合ってるから。
なのに何でこんなことになってしまったんだろう。
店の営業時間が過ぎた厨房、私は絶望的な気持ちでマグカップの中を見る。
分離と凝固が起きた物体が浮いていた。
いわばマグカッププリンの失敗作。原因は過加熱。それを起こしたクマさんエプロン着用の男──魅蕪療は絶望的な顔をしていた。
「ごめんなさい。死んで詫びます」
「やめて事故物件にしないで」
療は三か月ほど前に、「ストーカーです、料理上手になって貴方と結婚してもらいに来ました」と宣言し店に飛び込んできた変態である。
彼の言い分曰く、「街で見かけて……好きすぎてストーカーになりそうだったので、その前に捕まろうと思い……告白だけ……なので警察に通報済みです!」とのことで、若干の正義感と倫理観と常軌を逸した変態性のトリプルコンボを抱えながら私の人生に突っ込んできたのだ。
普通、店員というか店の人間にストーカーするなんて、連絡先を渡したりとか、店にずっといるとかそういうのだと思ってたけど、街で見かけたその日に惚れて、誰かを好きになったのは初で、自分で自分が怖かったので通報したという警察もびっくりの動機・行動・経緯だった。
私は通報に駆けつけてくれた警察に対し「料理を教えてる生徒が酔ってしまった」と、キモいストーカーを弁護・保護してしまうことになった。
この経緯を話したら、絶対に「療はイケメンだろ」「イケメン無罪」「女さんは結局イケメンを囲う~」とかディスられそうだけど、普通に療はどこにでもいる男の顔をしてる。
にも関わらず、どこにでもいる男とは思えない気性と勢いで飛んできたので「怖い!」と「助けなきゃやばいんじゃないの?」という矛盾の衝動により保護したのだ。
顔が良かったら「どっきり番組に巻き込んでくんじゃねえぞ放送事故にしてやろうか」とある程度の報復をしている。
ということで三か月前から、少女漫画に出てくるような「おもしれー女」の対義語みたいな「わけわかんねー男」に料理を教えている。そのままにしておけないから。「ストーカーです」と名乗る男に毎週料理を教えるの、本当に自分でもよく分からないけど、警察に自首通報する男を野放しにするのにも抵抗があるし、正直なところ私は別に自分の人生を快く思ってないので、「別にもうどうなってもいいか」でこの三か月料理を教えている。
ただ、馬鹿みてえな行動力のわりに療は馬鹿みてえに料理が下手であり、私のことをストーカーになるかもレベルで好きらしいのに、私が教えても覚えない。
「……やっぱプリンは厳しいんだよ。レンジプリンは」
私は療が失敗したプリンならぬ、固形のなにかを食べた。失敗とはいえ勿体ないし、失敗前提で朝ごはんを食べていないので栄養補給だ。
「ごめん……」
「いや別に謝んなくていいよ。出来ないもんは出来ないでいいしプリン作れないところで命に関わらないし」
私は食べ終えたプリン容器を洗う。
「でも……ネットではよくプリン簡単ってあるし……甘いやつの代表みたいではないですか?」
療は心の底から申し訳なさそうな顔をした。私はすぐに「いや?」と否定する。
「プリンは、普通に、簡単そうなイメージあるだけの魔物だから」
なので、プリンは難易度が高い。基本的に全ての料理は比率で決まる。牛乳や水に対し、卵──いわゆる凝固作用を持つ素材をどれくらい入れるかだ。その逆もしかり。
でも多数の人間は「レシピは固定の数字が決められている」と認識する。
いわば数字絶対主義。だからプリンレシピでも、卵1個を2個にするだけでパニックが起きるし、牛乳が少し足りなかったら混乱する。実際は比率なので卵の量を調整すればいい。間違えてドバドバ牛乳を入れちゃったとしてもその分卵を入れればなんとかなる。
作ったプリンが固まらなかった場合、考えられるのは加熱時間が少なかったか、牛乳の量が多かったか。
料理はセンスではない。構造を理解しているかしていないかだ。加熱時間を増やすか卵を減らすか、それで終わる。
しかしそこに電子レンジという不確定要素が加わり、ガチガチに固まる、混ぜ不足で爆発する等の事故が発生する。さらにプリン底のカラメルソースは、フライパンで砂糖を焦がしてお湯を入れて作るけど、お湯を投入するタイミングの見極めが難しい。そしてしくじると跳ねるので熱い。
そのため料理が苦手な人間は、簡単プリンの文字列に踊らされ、料理に忌避感を抱く。実のところプリンなんてばかみてえな難易度だというのに。
それでもプリンのレシピ集が溢れているのは簡単だからじゃなくてプリン人気によるものだ。
「っていうか卵さ、コンビニで最少数狙うとしても4個じゃん。料理しない人間がプリン作った翌日に卵使ってなにか作ろうって思うのか、あれだったし……」
そもそもプリンの失敗率を下げるには、茶こしで液をこしたほうがいい。その時点で手間だ。バニラエッセンスが無いと卵臭い。茶碗蒸しあたりは出汁で卵臭さが殺されてるし、最悪混ざり切らなくて卵白が固まってまだらになっても、すごく嫌にはならないけど、バニラエッセンス風味の甘い卵白はきつい。卵黄だけ使えばその事故は減らせるけど、料理苦手な人間は余った卵白で困る。スープに入れてもいいって言われても、プリン作った前後でスープ飲まない。
「じゃあ……どうしてもプリンが作りたくなった時って、どうしたらいいんですか……」
「邪道だけど、バニラアイス買って電子レンジで10秒溶かして、ある程度冷えたまま卵と混ぜて液にして、マグカップとかに入れて、上にアルミホイルかけて湯煎」
「蒸し器が無い場合は」
「カレーとか煮る鍋の底にお湯人差し指の第一関節くらいのお湯はって、お湯なきゃ第二間接くらいの水沸かして、一旦火から下ろすの。コンロも消す。何故なら熱いから。そこに手突っ込んでアルミかけたプリン液いりマグカップを鍋の中に設置しなければいけないから。コンロ火着いたまま横着すると熱いからやけどする。コンロに火がついてるときとついてない時じゃエライ差だから。で、10分くらいふたして、弱火で煮る。その間スマホで動画でも見てればいい。で、10分経ったら固まってるか見て、駄目そうならもうちょい放っておく。お湯がなくなりそうだったら水でもいいので足す。マグカップに入らない程度に。電子レンジだと固めすぎは手遅れになるけど、正直、湯煎なら強火20分でもしない限りデカい失敗はない。カラメルはもう、最悪無くていいというか、粉のココアをふりかけるとかで」
と、熱心に説明してみたものの、なんで私ストーカーにプリンの説明なんかしてるんだろうなと、複雑な気持ちになってくる。
「っていうか何でプリン作りたいの?」
質問すると、療は私をジッと見てきた。子供ムーヴだけど、彼は32歳、私より5歳年上だ。年齢だけ並べると療の狂気がエグいので気にしないようにしてる。
ファッション誌にある絶対に参考にならないのに妙にストーリーが面白い一か月着回しコーデ特集で「年上で包容力がある商社の彼氏とピクニックデート♡ちょっと子供っぽい一面にドキドキ」という文字列を見るたび、療がカットインしてくるようになった。セルフ通報飛び込みの後遺症だと思う。
訴えたら絶対勝てるんだよな、と思いつつ一緒にいるのは、セルフ通報までする療の自分の人生への価値の感じなさというか、自分の人生あっけなく捨ててしまう絶望の「どうせ自分は幸せになれない」「本命になれない」「選ばれない」「必要とされない」という諦めを、勝手に感じたからかもしれない。
◇◇◇
『褒めて癖になったらな』
父親は私を褒めない理由について、そう言っていたらしい。
私が褒めて図に乗る奴に見えていたのだろう。学校で褒められたことはあったけど、それは成績だし、学校での評価に過ぎない。
父親に褒められたことなんて一度たりともないので、普通に家に居ていいと思えなかったし、必要とされてるかどうかも分からなかったので家を出た。
父親に褒められたかった。諦めたけど未だに思う。というか父親は「あいつは流行ってるから」「あの男はすごい」「あいつでも難しいみたいだな」とよく他人の名前を出しながら、私と比べる。
物事に比較は必須だけど、私は嫌だった。というか比較分析によって向上していくものだけど、前提があってのものだ。
食べ物でも何でも、普通のお菓子は甘いけどこれは優しい甘さでおいしい、とか、褒めるとき比較するのは分かりやすさとして必要な部分がある。前の料理はこういうところが厳しかったけど、今はここが良いと思う、など、受け手の心象はさておきだ。
でも、「あいつは流行ってる」「あの男はすごい」「あいつでも難しい」だと、もう何をしていいか分からないというか、何も分からない。どうしてほしいか一度聞いたら、好きにしろと言ってきたけど、見捨てた宣言なのか何も考えてないのか全部分からない。
それを言えば父親は「じゃあもういい」と何も言わなくなるので、私は黙って自己改善に動いていた。
そもそも、比べられて嫌だなんて言えるほどの能力が無いから。でもだんだん、劣等種の分際で比べられないように努力することすら醜く無様に感じられて、諦めた。というか必要じゃないのに必要とされたいと願う自分も、そういう姿も多分父親には醜く見えているんだろうなと思って、私は私を捨てた。
でも、家を出てからしばらくして、私のスタンスについて知った父親が「必要なのは当たり前のことだし、いてもいいなんて言うことじゃない」なんて言ってたと母親が教えてくれた。
じゃあどうして他の人と比べたんだろうとしか思えない。だって私を人と比べる言葉は言えるのに。それを母親も言ったらしい。父親は自覚がなかったらしかった。私は、父親が名前を出していた「誰か」になろうとしていた。本当は止めて欲しかった。「お前はお前のままでいていいんだよ」「大丈夫」と言ってほしかった。
それは全部ワガママだし、そのままでもいいよと言ってもらえるようなものを私は何も持ってない。それに前に、「自立してほしい」と言われていた。
前に雑誌のインタビューで読んだことがある。「全肯定はよくない」と。
そもそも肯定されたいと願うことは罪なのだろうか。
全肯定は良くない。承認欲求は良くない。
みんな褒められている、承認されている前提の言葉だけど、その褒められとか承認が一切なかった人たちは、空っぽのまま生きていなきゃいけないのだろうか。「全肯定はよくない」「承認欲求は悪」とする人間のこだわりの正義の中で。
そう思うと途方もなくなったので、父親に手を伸ばす自分が無様で惨めに思えて、手を伸ばすのをやめた。父親は、「自分が不甲斐ない父親だった」「もう傷つけたくないから見守ることにする」「あいつが幸せでいてくれたらそれでいい」と母にこぼしているらしい。良いなと思う。父親は最後まで私に手を伸ばさない。私のために無様に惨めになってくれない。最後までかっこいいままだ。キラキラしてて。綺麗なまま。他人事。
傷つけたくないじゃなくて傷つきたくないだけだろと言おうかと思ってやめた。
◇◇◇
「私の為に、何か作ろうという気持ちは嬉しい。そして情報として聞いてほしいんだけど、私には好きな食べ物がない。だから貴方が作りたいものを作ってほしい。プリン失敗したからもう何でもいいやって気持ちじゃなく、私の為にで失敗繰り返してダメージを負い関係が破綻することを避けたいから。ちなみに、その作りたいものを否定する可能性もあるけど」
とりあえず前提条件のすれ違いを解くべく、私は療に宣言した。療は自分の人差し指を自分の顎におき、ミステリーの探偵みたいな様子で長考したあと、口を開く。
「なんでしょうね、あ、サラダチキン? 健康的ですし、コンビニだと200円とか300円するじゃないですか。家で作れば安そう」
「教えたくねー」
聞いたのは私だけどすごく嫌だった。療は「なんでですか?」とすぐ訊ねてくる。
「鶏肉はしくじったときがヤバいっていうか肉系は普通に色々掃除だるいし」
「だるい」
「生肉には食中毒のもとになる菌がいる。どんな肉でもそう。で、加熱で死ぬわけ。だから焼いた肉は問題ないけど、肉切ったまな板とか包丁で洗いが不十分なまま生野菜とか切って食べたら危ないし、包丁とまな板洗っても手洗ってないならアウト、最初から野菜切っておくとか色々やり方あるけど、慣れないレシピを横目に細菌に気をつけながら肉の調理は初心者に厳しい。サラダチキンはよく切らずにOKっていうけど、切らない分調理に時間がかかるし、中まできちんと火が通ってるか確認してる間に疲れる。そんなん教えて食中毒になったらやだ。教えても万が一があるから。っていうかね、料理上手でもチキンはキツい」
「なんでですか。自己責任じゃないですか」
「自己責任どうこうじゃなくやだよ」
「やだよ」
「大事だから」
そう返すと療は目を丸くした。この男は訳が分からないけど、どんな相手であれ、どう思ってるか伝えるのは必要だと思うから言う。それで療が「結婚しますか?」とか言い出しても困るけど。でも人間と人間の交流だし。映画や映像みたいに、台詞や言葉なく思いが通じ合う瞬間があるとか、そういうのは美しい気もするけど、この世界は脚本や演出でくみ上げられたそれとは違う。言葉のない関わりを、当事者でもない観客が理解できるのは演出があってこそ。もしこの世界で言葉なく分かり合える瞬間があるのだとしたら、その前の意思疎通や前提のすり合わせ、下地が必要になる。怖いけど、そこからは逃れられない。だいぶ逃れたいけど。
「大事……」
療は反芻してくる。
「サラダチキン好き?」
「いや、たんぱく質といえばサラダチキンだから……」
「じゃあ、私は今から、あなたに教えたいという知識欲の暴走から話をするけど……たんぱく質の効率接種と脂質? 油が少ないっていうのでで鳥胸肉とささみが優遇されてるけど、鶏むねとささみはそもそも柔らかくする調理方法はあれどそれを初心者がやりやすいか、簡単に出来るか、手順が少なくできるかは別問題だし、たんぱく質目的なら、タラがある」
「タラ?」
「魚系フライのハンバーガーに入ってる白いの」
そう言うと、療は「あー!」と、嬉しそうに商品名を口にした。合ってた。
「それ。味が薄いって言うか、サバとか鮭ほど主張しないから、食べやすいし。タルタルとかオーロラソースとかで、誤魔化せるのも強いから」
「オーロラソース?」
「ケチャップとマヨネーズぐちゃぐちゃにして砂糖と塩ちょろっとソース」
「食べたことあるかも」
療は閃き顔をするけど、あると思う。どこにでもあるから。そしてドレッシングでもそれっぽいのがある。
「ドレッシング系は一番カンタンに作れる料理かもしれない。あとたんぱく質取りたいなら、無脂肪無糖ガチガチヨーグルトあるじゃん。あれに塩入れてチーズ扱いしてもいいと思う。マヨネーズの代わりに。ゆで卵入れてもいいし。あぁ、コンビニで売ってる塩味ついてるゆで卵あるじゃん。あれ殻むいて、ガチガチヨーグルト……コンビニだと微糖プレーンしかないっけ? 喫茶店系の卵サンドの中身好きなら、微糖プレーンと塩味つきゆで卵まぜたら、それっぽいのできるよ。パンにのせて食べれば一食になるし。ただそうなると野菜が足りないから……カット野菜とかさらにのせてもいいし、そもそも、カット野菜の袋の中に殻むいた卵とヨーグルト入れて揉めば容器汚れない。そのままパンにドカンすればカット野菜の中の水分がいい感じにヨーグルトと混ざってマヨネーズっぽくなるし。そうしたらコンビニで全部終わるし」
説明すると、療は「ほわー」と馬鹿みたいな返事をした。
会社員の返事じゃねえだろ、と思う反面、嫌な気持ちはない。
私は社会人としてとか大人としてとか男としてとか女としてとかのソレが嫌いだし、突き詰めると多分、人間と社会が嫌いだから。
生きとし生けるすべての意思疎通可能な生き物が無理だし、人間に対しても私についてはどうぞ泥人形が勝手に凝固して喋ってるだけだと思っていてほしいと思っていた。
なんで料理屋やってるんだよと突っ込まれそうだけど、自分でもよく分からないときがある。人の役に立てるのは嫌いじゃないし、生きてていい感じがするからと答えたいけど、どうせ誰も分からないし、そもそも人間が嫌いだと表明していいことがないので、言わない。
でも前に療に言ったことがある。父親のアレコレでもう分かってもらおうとするのも頑張るのも全部醜いし惨めだしキショい、こりごりと思ったのに。
『いらなくなったら普通に言ってほしい。傷つけないようにする配慮は、配慮じゃない。必要とされてないのに、必要とされていると思い込んで頑張るほうが惨めで虚しくて苦しいから。私はエスパーじゃないから。想像は出来るけど、肯定も否定もないと一人でいるのと変わらないし、それを寂しがりやとか、依存心が強いと思うなら、私とは一緒にいるのは無理だと思う。私は一緒にいたいけど、無理に一緒にいて欲しいとは思わない。それでも無理に一緒にいて欲しいって私が求めるのか試してるのか、様子見なのか、言わなきゃ分からない。私は人間が嫌いだけど、私も人間だから。だから、私は貴方に何も求めないけど、私がそうしたことで、もう期待されてないんだ、見捨てられたんだと勝手に想像するのだけはやめて』
どこまで届いているかは分からない。
結婚とか以前に突然わいてでてきた「わけのわからねー男」何かに言うのもアレだけど、父親みたいな人間関係の終わりは、決していいようにも思えないから。
「思ったんだけど、なんで最初料理上手になるなんて言ったの?」
私は療に問いかけた。
「だって……そういうものだと思ったから」
料理苦手民あるあるだ。あと、料理好きの人間も陥りがちな罠だ。
「料理好き同士で結婚、殺し合い発生パターンあるよ」
「え」
「クミン買ってこいって言ったのに何でパウダーなんだよ、ホールだろ、は? なにそれ意味わかんない、みたいなクソ喧嘩」
「クミンってなに」
「カレーとかに入ってる粉」
「ホールは?」
「クミンを潰して無い状態。それを粉にしたのがある」
「どう違うの?」
「ホール? 潰してないのを潰すと、匂いがいいの。元々粉のやつより。新鮮ってこと。でも、よっぽど鼻良くないと分かんないと思うよ。めちゃくちゃ凝ると、どこどこの産地がいい……みたいになるけどさ、拘りたいときにこだわればいいよ」
「ほあー」
療は感心したような顔をする。
稀に、この男はわざと料理を覚えないのだろうか、なんて疑問がよぎることがある。ただわざとだった場合、私に感情があるわけで。
それならいいかと、ちょっと思う。断り続けたレシピ本も、今度声がかかったら引き受けてもいいかもしれない。
何も知らないへたくそに料理を教えながら、少しだけ別のことを教わった人間として。




