きゅん♡きゅん♥らぶすくーる
ゲームソフト開発製造販売を行うベンチャー企業、TROP TARD。
港の近くの観光都市から逸れた中華街そばの集合住宅。
駅から徒歩20分、一本通りを間違えば風営法に乗っ取りながらも決して子供の前では発せない店名の酒場が連なることで家賃相場が大幅に下がっているベランダには、何十もの世帯が、子供服やスーツ、年季の入った布団やシーツ、非合法マッサージ屋のラグマットなど、各々の生活状況をあらわすような洗濯物を干していた。
そんな住宅の最上階の角部屋。エレベーターがないことでさらに周囲の建物の最上階物件から賃料を下げられている八畳一間の1Kに、ゲームソフト開発製造販売を行うベンチャー企業、TROP TARDのオフィスがある。
TROP TARD代表取締役社長とプロデューサー、およびシナリオライターを行う廻田直は、現在制作中の「きゅんきゅんらぶすくーる」という乙女ゲームの設定を印刷したファイルを片手に、もう一人の社員かつ、TROP TARDの制作に関わる全てのイラスト、デザインを担当している素井有栖に声をかけた。
「有栖くん今進捗どないなっとる~?」
「ミスティアの彩色してる」
TROP TARDの社員は廻田直と素井有栖の二人のみ。税周りのみ、外部から税理士を雇っているが、制作は誰の協力も得ない。
廻田直が先導し、素井有栖が追随する。
素井有栖がイラストやデザイン、庶務を担い、廻田直がプロデュースとシナリオ、進行を行う。それが二人の制作パワーバランスであり、学生時代から続く習慣であった。
「ぼちぼち皆の好きなもん決めよ思うんやけど、有栖くん何好き?」
「別に俺の好きな食べ物関係なくない?」
素井有栖は、オフィス内で最も高額な品物である液晶型ペンタブレットで、ミスティアという、乙女ゲームに登場する女性人物の制服を塗っていた。
「ぱっと、人がこれ好きって言う食べ物なんやろって」
廻田直が問いかけると、素井有栖はしばらくよそを見た後、「焼き鮭」と呟いた。廻田直は眉間にしわを寄せる。
「バカタレんなもん入れられるわけあるか」
「やっぱ入れる気じゃん。俺の名前ヒロインのデフォルトネームにして次は食べ物じゃん」
きゅんきゅんらぶすくーるでは、主人公の名前を自由に設定できる。しかし、特に名前にこだわりがないプレイヤー向けに、さっと使える名前も用意していた。それが『アリス』だ。
家名はハーツパール。
きゅんきゅんらぶすくーるのタイトルを決めロゴデザインを行った折に、素井有栖がハートを組み込んだデザインにしたことから、廻田直が「ハート」をもじり「ハーツ」としていたが、「アリス・ハーツだとブランドや何かしらのコンテンツと被りそう」という理由でなにか探していたところ、桃髪の乙女、乙女座、乙女座で最も輝く星がスピカ──真珠星であることから、ハーツパールに決定した。
「あれは復讐やろ、で、食べ物どうする?」
「直決めてないの? ストーリーではどうなの?」
「お菓子作りはするけど好きな食べ物が直接シナリオに関わることはないなぁ」
「なら……」
素井有栖は辺りを見渡す。
壁には素井有栖の好む日本画家の画集のほか、廻田直が好む天文学に纏わる書籍、二人が読んでいる「さよなら天国おはよう地獄」というデスゲーム漫画、科学者である護丘定理の論文をコピーしたファイル等、双方の趣味や関心を反映した棚が並んでいる。
「……木の実とか」
ややあって素井有栖は呟いた。
「木の実?」
「うん。ミスティアとかと違って平民だし、料理屋だから材料とか調理過程知ってても、じゃあそれ食べられるか……? みたいな。まかないはあるだろうけど、貧しい料理屋なら、材料の仕入れも大変だろうし」
「でも、木の実喰うて、書いてええんか? 食いもん真似る奴出てくるやろ」
今度は廻田直が長考し始めた。素井有栖が「出るか?」と眉間にしわを寄せる。
「人間の執着舐めたらあかんよ。このキャラ好き、アリスみたいになりたいとか、攻略対象に恋して、アリスなるわって木の実喰いだしたら困るやんか」
「あぁ……なんだっけ、好きな芸能人のシャンプー飲むみたいな」
「そうそれ」
「なら大量に食べても問題ないやつ、とか?」
「じゃあ、ラズベリー……木苺とか」
「ええな。栄養価高いわ。木の実よか安全」
廻田直は嬉しそうに自分の手帳にメモをした。手帳には、廻田直が素井有栖に「ブランド品っぽくて、国内の感じはしない、知る人ぞ知る感ある50歳くらいの男が好きそうな架空ブランドのロゴ入れて」と面倒な注文をして出来上がったロゴが刻まれている。
「でもミスティアのイメージカラー、赤と黒だよ。ラズベリーってどうなの? アリスはピンクだし、」
「それはなあんも問題あらへん。良く言うやろ、主役喰うて、婚約者喰うてまうんやから、好物木苺、ようするにミスティアさんでええ」
「女性同士の恋愛ってこと?」
「いーや? そういう意図は一切ないわ。ただそういうもんも作りたいなぁ、男二人が作る百合ゲー、おもろそう。まぁ今はきゅんらぶせなあかんけど」
「ミスティアの好物はどうするの?」
ちょうどミスティアの彩色を終えた素井有栖が、名前を変更し保存を実行しながら問う。
「焼き菓子」
「アバウトの塊みたいな設定」
「文句言いなや。焼き菓子手間かかるやろ、だからや。お嬢様やし、上手いもんあほほど喰っとる中で一等好きなもんなんか聞かれたところでぱっと出えへんやろ、あれもこれもって、でも答えなあかんから……ってんで焼き菓子にしてん」
「でも、そういうアバウトな答え方しつつ、レイドだけは一番好きってこと」
「せや。昼ドラみたい言われるやろうけどな」
そんな昼ドラみたいな展開をなぜ乙女ゲームに入れ込もうと考えたのか。素井有栖は気になったものの、尋ねることはしなかった。かわりに「レイドとミスティアが結ばれるルートってあんの?」と質問する。
「厳しいんちゃうか。ミスティアさん好き好き言うけど、レイドが好き言うより、自分の心の洞穴みたいなん埋めてくれる誰かでええのに、それすら認めんで……そのあたりをレイドは薄々分かっとるけど、親見て恋愛全般諦めてるから、わざわざ指摘して踏み込んでいかんし、お互い恋愛できる元気さないんよ。こればっかりはもう、相性の話やから」
「じゃあミスティアが行動変えても厳しい? 嫌われないように控えめになったりとか」
「行動変えたとて言動やろ、何してくれたかより何言うたか、どんぐらい役立ったか助かったかより、痛いとこちょっと知ってる、助けたい思えるかやで。両方とも助けたい、助けられたいのデコとボコが逆なんよ。ミスティアさんが助けたいときレイドも助けたいでぶつかるし、ミスティアさんが助けられたいときレイドさん助けられたいでかすりもせえへん」
──だから。
廻田直は続ける。
「好きも嫌いも結局、デコボコが合うかやろうな」
素井有栖は新たにイラストソフトを開き、新規でキャンバスを開く。そしてミスティアを描いた。
最後には学園に放火する女。
廻田直はハッピーエンドを好むが、同時に売れることも念頭に入れる。きゅんきゅんらぶすくーるのシナリオを読んだが、そのどれもが、ミスティアがカタルシス要因として散っていく。してきたことを考えれば無理もない末路であり、いじめはいじめだ。絶対に許されない。
絵の中ではどうか、いじめなんかなく、皆が笑い合えれば。
そう思って、一緒にお茶を楽しむミスティアとアリスを描いた。
ゲームソフト開発製造販売を行うベンチャー企業、TROP TARD。その本籍地のすぐそばには、平日休日問わず観光客で賑わう中華街がある。
そしてTROP TARD代表である廻田直、話を円滑に進めるためにときには秘書として振る舞う素井有栖は、中華街の中でも多くの同業に愛される中国料理店『常龍』で、やや遅めの昼食を済ませていた。
「双子の好きな食べ物って、似るんかな?」
ご飯を小盛、さらに半分と注文を付け加えた麻婆丼を食べながら、廻田直は素井有栖に問いかけた。
「知らない。親戚いないし一人っ子だし」
もう話すことはないとでも言うように、素井有栖はテーブルの真ん中に盛られた水餃子を、三つ同時に取りほおばる。
「フィーナさんとヴィクターどないしよ、好物」
廻田直は頭を抱える。素井有栖は自分が餃子を食べ終えてもなお結論を出さない廻田直に「シナリオに関係あるの?」と問いかけた。
「ないけど、食べ物にも人間性出るやろ。小さい頃ずっと苺食うてたから苺嫌いや言うたら、苺嫌いなるまで食えるご家庭なんやなって分かるやんか」
「ああ」
「ええもん食べさせたいわ。なんも食べる気せえへんファンが、この人も食べとんのやったら食べよ、思うかもしれへんし」
「ああ、この間言ってた木の実食べちゃうの逆か」
「おん」
「で、アリスは木苺でミスティア焼き菓子でしょ……じゃあ、フィーナは甘い系でいったほうがいいか」
素井有栖は小盛りご飯に苦戦し始めた廻田直の付け合わせを指す。
「女の子は皆甘いもの好きや思うとったら偏見ですからね! って刺されへん?」
廻田直は付け合わせを引き渡しながら眉間にしわをよせた。
「好きなものが違ってもいいし一緒でもいいだろうし……いいんじゃない? アリスの木苺好きだってマリネかもしれないし、熟れてないやつかもしれないし」
「なら……パンケーキどない? あれなら何か、しょっぱいやつあるやろ、この近くに」
中華街の奥を進んでいくと、港が広がっている。ゆえに海を眺めながら優雅なモーニングや、国内にいながらハワイ気分を味わえるとうたい、パンケーキの店が乱立する激戦区が存在し、大手外食チェーン店の姉妹店、有名レストランプロデュースの専門店などが出店と撤退を繰り返していた。
「いいかも。パンケーキだと、量調整出来るし」
「お前ファンのことなんや思てん。かしこない赤ちゃんやって馬鹿にしとんちゃうか」
「だっ、写真とか撮るじゃん。誕生日に。5段重ねって言ったら重ねるファンもいるだろうし、木の実と一緒。それにフィーナ……性格ってあれだろ、完璧さが求められてきてる人だから頭使ってるぶん、糖分も必要で……ああでも社交的だから色んな人がフィーナさんの好物って用意してる……ってことを考えると、色んな茶会でパンケーキ食べるのか。なら、皆あれこれフィーナに気に入られようと味付けするけど、本当はなにもつけてないパンケーキが好き……とか」
「やめろ廻田直くんの出番なくなる」
「廻田直は天才なんだから俺に出番とられるわけないだろ」
強い語気で素井有栖は否定した。廻田直は怪訝な顔をしながらフィーナの味覚について熟考し、「バターとかのってないやつ?」と確認する。
「うん。はちみつとか、メープルシロップもなし」
「なら……パンケーキやな。バターなしとかメープルシロップ無しは書かれへんから、公式発表ではパンケーキでまとめるけど、それでええ?」
「うん」
自分のぶんをすべて食べ終えた素井有栖は廻田直のあまりを食べ始めた。廻田直は礼を言いつつ、ヴィクターの好物に想いを馳せる。
ヴィクターは、シナリオ上、レイドの対比として考案したキャラクターだった。
役割はレイドに立ちはだかる障壁。
アリスに思いを寄せることはないが、レイドを陥れるため好意を寄せているていでアリスに近づく──といった場面を追加しようか、廻田直は苦悩していた。
ヴィクターは、思考の根幹がレイドと近い。
逆の立場なら、レイドはどうするんだろう。
人物について考え、物語の流れについても考える。
物語ばかり突き詰めれば人物が人形のようになり、人物だけを考えれば、廻田直の物語は最終的に全員死ぬ物語になってハッピーエンドに至らない。
廻田直はスマホに記したメモを見返す。
『レ父に似てるヴィ』
妹を亡くしたヴィクターの強硬さは、自分の妻を亡くしたレイドの父親の強硬さと通じるものがある、という点を思い付き、メモしたものだ。
レイドの父親は妻であるレイドの母親を愛しているが、すれ違いお互いの感情を誤解し合ったまま、レイドの母親は帰らぬ人となってしまう。
人物について突き詰めることは際限がない。
人間は一人では生まれないし、人間を作るのは環境や周囲の人間で、呪われたり痛めつけられたりもするけれど、たとえどんなに呪いがかかろうと、短所を抱えていようと、どんな人間であれ誰かを好きになることはできるし、誰かを好きになれずとも、そのぶん誰かに好かれる。
今が幸せではなくても、なんとか耐え抜いて待っていれば幸せになる。
頑張りすぎずとも、どれだけ辛くとも。
祈りを持ちながら人物を創っていく。でも現実ではなく創作は、エンターテイメントだ。だれかが楽しんでこそ。
現実でない以上、全員幸せにすることは難しい。廻田直のエンターテイメントの鉄則として、「悪を描く」があるからだ。改心しない悪役も、途中で味方になる悪役もなんでも。
正義と悪を描き悪を打ちのめしたいのではなく、正しいだけの世界は窮屈で、悪に焦がれる嗜好が廻田直の中に確かに存在しているから。
一方、悪には罰が必要だ。焦がれるだけの悪だけではなく、悪に焦がれる廻田直でも許せない邪悪はある。
いじめを行うような人間は死ねばいい。
大切な誰かを殺されたなら、その相手を殺してもいいんじゃないか。
法制度の定義で前者は殺人未遂に至らない。後者は殺人に該当する。
分かっていても価値観は変えられない。曖昧な価値観を持っているからこそ、過不足ないか再考している間に、設定は膨らむ。
しかし レイドはともかくレイドの父親について、プレイヤーはそこまで興味もないだろうと、シナリオでは省く。
レイドの父親ならば、間違いなく自分の妻の為にほかの女に近づく。そういう男だと廻田直は断言できる。
しかしレイドは違う。ヴィクターがほかの女に近づく手段をとれば手っ取り早く差別化に繋がるが、差別化のために人物を無視するのは避けたい。
それでいて自分の大事な人が死に、「女に近づけない」なんて悠長なことを言っていられるか疑問が浮かぶ。
「ハワイパンケーキ繋がりでさ、ヴィクターの好物、揚げた魚はどう?」
悩んでいると、素井有栖が口の周りを拭いながら言った。
「揚げた魚?」
「フィッシュアンドチップスのフィッシュ部分。揚げた魚って表記しておけば、なんでも該当するじゃん。それこそ国籍問わず、西洋ならフィッシュアンドチップスだし、東洋なら松鼠魚だってなるし、それこそ日本なら魚の竜田揚げってなるし。そうすればファンが各々、これって食べれるし、ヴィクターも設定読んでる限りはあんまり国とかにこだわらなさそうだし」
魚好きの登場人物は現段階、決めてない。ヴィクターはレイドと同じく何でも出来る。それでいてレイドがしないようなことをする男でもあるから、釣りを趣味にすることもあるかもしれない。
妹がそのままのパンケーキを好む、根本に素朴な部分を持つのならヴィクターも釣りをした魚を食べるとか、そういう。
性格上、狩りを好むようなタイプではない。少なくとも妹が死ぬまでは。
「じゃあ……レイドの好物は肉のなんかにしよ」
廻田直はスマホのメモに「レ好物肉」と記入する。追加で「調理過程多いやつ」と書き、言葉にはせず夢想する。
ヴィクターとレイドが協力することはなかった。
でももしなにかのかけ違いで協力することになれば、色々と違っていたのではないか。
可能性や分岐の果てを想像し、やめる。
分岐ばかり考えていれば本筋から逸れてしまう。
「ぼちぼち攻略対象の好きなもんも決めなあかんなぁ」
つぶやいて、廻田直は茶を飲んだ。
ゲームソフト開発製造販売を行うベンチャー企業、TROP TARD。代表である廻田直は代表業と並行しながらシナリオ執筆をしており、素井有栖もまたあらゆる庶務を処理しながら、イラストとデザインを手掛ける。
そのため、ある程度時間があれば外へ食事に出かけるが、諸々の仕事が重れば宅配利用に切り替えていた。
今日は新進気鋭のシェフが切り盛りするイタリア料理店「セレーノ・ヴェニーレ」イタリア語で「晴れが来る」という店のピザを頼み、作業をしながらピザを食べ、二人のスケジュールが立て込むことになった要因の一つ──きゅんきゅんらぶすくーる2の人物設定について話をしていた。
「あかんわ。ヘレルキちゃんの好物が浮かばん」
「甘いものは?」
「あほか女の子全員甘いもん好きなの偏見やろ。甘いもん好きな男もおるわ」
「情緒不安定すぎる」
廻田直の粗ぶりに素井有栖はあきれ顔をしながらピザを食べる。事の起こりは三か月前のこと。きゅんきゅんらぶすくーる2の初動を受け出版社からファンブックの声がかかった。
そこで誕生日や好物のデータを提供することになったが、肝心の設定が失われていたのである。
もともと、廻田直は設定を作りこむタイプのクリエイターだった。入念な下調べのもと人物を作り上げ、こういう人物ならこういうものが好き、と人物の外堀を囲んでいく。食べ物や服、纏う香りも適当に決めることがないよう、徹底していた。名前のない人物含めてだ。
結果的に人間の記憶力のみでデータを保持することはできず、一つの作品が終わるたび、制作データすべてをオンラインクラウドで保存、パスワードは念のため紙のメモに残し、自分のパソコンに張り付ける古典的なやりかたをしていた。
しかし、それが燃えた。
正確に言えば、燃やしたのだ。
廻田直と素井有栖はきゅんきゅんらぶすくーる1の発売後、呪いの記憶を獲得した。それを思い出すたびに、廻田直の指は動かなくなる。だから思い出さないようにしており、もう二度と触れないために設定も燃やしていた。
しかし、徐々にメンタルを持ち直しゲーム制作に励んでいたところ、ふぁんぶっくの話があり、リハビリのつもりで受け──失われたデータの数々に地獄を見ていた。
「ゲームでは何食べてたっけ。ヘレルキ食べてる記憶ないんだけど」
「なんも食べてへんよ。水しか飲んでないわ」
「めちゃくちゃヤバい女じゃん」
「多分……そういう女の動画かなんか見て参考にしたんやろな、可愛いもん好きな子はこんな感じやって」
「なるほどね……じゃあ実は良く食べるもあり?」
「そうやなぁ……」
「良く食べる組って誰がいるっけ」
「甘いもんならクラウスやな」
廻田直はクラウスの設定をした時を思い出す。クラウスはサポートキャラクターで、足が速い。さらに頭の回転が早いため、甘いものを好物として、糖分のエネルギーをたくさん吸収、消費する人物と描写していた。
「クラウスって一番好きな食べ物ってあるの? 甘いやつの中で、なんか、果物系にはいかなそうなイメージっていうか、描いてたスチルとかクリーム系多い印象だけど」
クラウスは、きゅんきゅんらぶすくーる2では「攻略対象」になるルートが発生する。そこで彼は、ヒロインとともにお菓子作りをしたり、食べ歩きをしたり、ヒロインから差し入れしてもらったお菓子を食べる。
お菓子が描かれ可愛らしく華やかなスチルはプレイヤーにも人気で、記念として差分を作り、目を開けて笑っているクラウス、目を閉じた笑みを浮かべるクラウスの二種展開で、グッズ展開も視野に入れている。
「キャラメルとチョコチップ系のなにか」
しばらく考えて、廻田直は素井有栖の質問に答えた。
「なにかエピソードはあんの」
「クラウス雰囲気的にお菓子作りの家やないから、買ったもんが好物になっとるイメージ。せやからヒロインが作ったお菓子が、特別なお菓子になるいうこっちゃ」
「自分で作ることとかないの」
「自分で作ったら美味しないの分かっとるからな。自分で作ったら美味しい、手間かけたらうまいの感覚あればもうちょい手心あるわ」
「でも、手の込んだ悲劇好きじゃないの?」
「それはそれや」
廻田直は首を横に振る。
クラウスは悲劇を愛しているが、悲劇にリソースをさくぶん、他では温存する。
ここぞというときに、何でも取っておく。そう考えて、ヘレン・ルキットの方向性が決まった。
「決めた。ヘレルキちゃんとダライアスの好きなもん」
「なににするの」
「ヘレルキちゃんは、甘いもの、ダライアスは未確定にするわ」
廻田直は、それまでずっとキーボードにのせていた手をピザに向ける。
「いいの?」
「おん。何でもかんでも答え出せばええんちゃうし、それに、決めないことも決めることやから」
廻田直はピザを食べる。
無理に決めるのではなく、決まっていくことを祈りながら。
そして「夕食は久しぶりにカフェで食うか」と、目に見える範囲のものを、ひとまず決めた。
ゲームソフト開発製造販売を行うベンチャー企業、TROP TARD。
代表とプロデューサー、シナリオライターの三つの顔を持つ廻田直、イラストレーターとデザイナー、庶務雑用の三つの顔をそれぞれ持つ素井有栖には、たびたび訪れている喫茶「ぱらいそ」がある。
サイフォンで淹れた珈琲を売りとし、自家製にこだわった料理で常連客に愛されているその喫茶店は、駅近くの集合住宅の一階に店を構えている。
その店の二人がけテーブルで廻田直はプリンとジャスミン茶を、素井有栖は珈琲とスフレチーズケーキを注文し、きゅんきゅんらぶすくーる1の設定について話をしていた。
「プリンどない? 好物プリンにしてプリンコラボ狙うん」
廻田直は目の前のプリンを眺める。
「プリンのコラボがしたいの? プリンをシナリオに出したいの?」
素井有栖は問いかけた。目の前のプリンは、白いホイップクリームがぐるりと盛られ、その頂点には蜜にしっかりと漬けられていた赤いさくらんぼが君臨している。
いわゆる、昔ながらのプリン。
スプーンを入れればきつねがかったクリーム色の断面がはっきりと見え、ほろ苦いカラメルソースのブラウンとの対比が美しい。
スプーンを入れるとその弾力がしっかりと伝わりつつも、一口食べればなめらかで、バニラと卵の風味、優しい甘さが口の中に広がる。売り切れも多々ある人気商品だ。
プリン柄の文房具もあるし、なおかつイラストとして映える。
「ここのプリンがええ。俺もともとプリンに対して無の人やったから、プリンを出したいわけやないねん。ここのプリンがええ」
廻田直は繰り返す。
「きゅんらぶで?」
素井有栖が怪訝な顔をした。「きゅんらぶ」というのは今まさに二人が作っている乙女ゲーム、「きゅんきゅんらぶすくーる」の略称だ。
ファイル名やその話をするときに、きゅんきゅんらぶすくーるだと文字数がかさむ為、二人で議論し合い、「らぶすく」「きゅんすく」「らぶくる」「きゅんくる」という候補の中から選ばれたのが「きゅんらぶ」だった。
決定打は「末尾濁音のほうが言いやすい」という音としての意見合致だ。
「でも出して迷惑かけるじゃん。きゅんらぶっていうかミスティアのやることが全部ヤバいから」
「そうなんよな。だから匂わす。そうしたらファンもあれ出来るやろ、聖地巡礼言うん? あのドラマの撮影の場所とか行くやつ。日々の楽しみにしてもろたらええ」
「お前ファンの生活にことごとく関わろうとするな」
「そんなんちゃうわ。カスみたいな育ちしてたら、話の世界が世界の中心なるからな。逃げ場なるかもしれへんやろ、きゅんらぶが」
「そのわりに治安悪くない?」
きゅんらぶ、特にミスティアはヒロインでアリスを苛め抜くという設定上、犯罪行動を繰り返す。
王道的で主要人物が道徳的な行動を行う、応援しやすい主人公の場合は問題ないが、倫理的に背く行動をとりやすい、そういった思想を持っていた場合、実在の場所をモデルにすることや、発表することは難しい。
「治安悪い話やないと落ち着けないやつもおる。お行儀いいエンタメもええけどそればっかりやったら道徳の教科書の例文でもええってそのうちなってまうから」
「だからミスティア暴れてんの?」
「いーや? 暴れておる女かっこええやろ。一本筋通ってる女」
「はぁ……」
「レイドはそういう所に、いい意味で思うところがあって、ちょっと放っておいたのもあるんよ」
レイドは攻略対象の一人で、ミスティアの婚約者だ。ミスティアと異なり品行方正のレイドがミスティアを選ぶことは考えづらいが、舞台は現代ではない。貴族中心の世界であるため、政略的な婚約により縁ができた二人となっている。
「レイド、ミートパイ好きやろ。あれただのミートパイやのうて、母親のミートパイなんよ。ちな、ここのミートソースモデルな」
廻田直は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ミートソース作るん、手間やん。玉ねぎみじん切りして、ひき肉炒めて、トマトで煮てって。そのあとに今度パイ生地まで作るん、愛やろ。レイドが好きなん、結局はミートパイやのうてミートパイ作るくらいの愛情なんよ。ミスティアはミートパイ作れへんけど、ミートパイ作るくらいの強い想いはあるからな」
でも、ミスティアは料理を作らない。レイドのために料理を勉強することはない。
好きな人の為に、料理を勉強しようと思うことはないのかと思うが、きゅんらぶの時代設定では料理は使用人が作るもの。人にはそれぞれ役割がある。
『この設定、多分、普通は好きな人の為に料理頑張ろなるもんとちゃいますか~とか、聞かれるんやろうな』
以前、設定を詰めているとき、廻田直が話をしていたことを素井有栖は思い出す。
「ロベルトのポトフ好きは、どうなの? 設定的にあの家、あんまりこう、道徳に出せる家じゃないでしょ」
ロベルト──攻略対象の一人だ。真面目で医者を夢見る男子生徒だが、家の不和を抱えている。
「あれは……ロベルトの中で栄養価の総合値が高いんがポトフってことや。ロベルトは栄養価で考えとるからな。味に重き置くことはない。誰と食べようが栄養の数値は変わらんからや。ただ……そういう感慨は、わりと変わる。ヒロインと出会って、作るんも食べるんも、あれ、この人と食べると違うかも、みたいなん出来て……数値だけやないなって気付く」
「ああ……」
素井有栖は目の前のスフレチーズケーキを見る。普段、チーズケーキが食べたくなることはないが、喫茶店でチーズケーキが食べたい、もしくは仕事の話をしながら珈琲を飲みたいと思うことはある。
そういう風にロベルトの好みも変わっていくことがあるのか。
素井有栖はしばらく目の前のスフレチーズケーキを見つめた後、持っていたタブレットのスリープモードを解除した。そして、夜のパーティーでドリンクを飲むロベルトのラフを描く。
スチル、パッケージと、ずっと眼鏡をかけ続けているロベルトを描いていたから、眼鏡をはずして。
そしていつか完成したらいいなと、素井有栖は夢想した。
攻略対象たちやほかの男子面々が集まって、食事を楽しむような場面が生まれたらいいと。




