願井♥構文
最近怖い目にあっている。職場の人間からのメッセージがキツい。
相手は願井公太という同じ部署の成績トップの若手社員だ私より五歳下である。最早浮世離れしたと言ってもいい、御伽噺から飛び出して来たかのような王子様の容姿を持ち、語学が堪能で学生時代は英語の成績はトップであったことで女子社員から多大な人気を誇っていた。
学歴は、本人は「一応」とつけるが、国内トップの最難関大学の文学部を卒業している。ちなみに「一応」とつける理由はストレートで大学名を言うとドヤ顔クソ自慢をしていると思われてしまうかららしい。
そして家柄は外資系企業の重役とキャビンアテンダントの両親という「あ~なるほど!」という組み合わせだ。恵まれお育ちどころではない。何なんだろうと思う。
少しくらい性格が悪ければ叩きようがあるけど、物腰は柔らかく、誰に対しても丁寧に接し、品行方正を地で行く男。彼女なし。
それが私の知っている、彼のプロフィールだ。
正直、何か絶対あるんだろうなと思っていた。
だって、おかしい。モデル顔負けのスタイルを持ち、顔面は国宝レベル。普通に女性が性的対象じゃなく、男性が性的対象だった場合とか、そもそもそう言った感情が無い性的感情を抱かないとか、物や植物が性的対象ならまだしも、彼には好きな女の人がいて、片思いしていると言う。
だから怖かった。あんな完璧な人間が誰かを好きになったら、相手によほどの事情が無い限り、両想いにならないなんてことないから。相手がたとえば既婚だったら願井は諦めるだろうし、好きになる性別が違っていても諦めるだろうし、性愛とか関係なければやっぱり諦めると思うから。なぜなら願井は、無理強いとかをしない控えめタイプで、そういうところも人気の要因の一つとなっている。
なので、好きな相手がいても結ばれないのは、確実にやばい性癖持ってるとか、実は酒癖がやばいとか、生粋のギャンブラーとか、とんでもない暴力クズでも無い限りありえないのだ。それほど願井は異彩を放っていた。
で、そんな奴にアプローチされてるなんて言えば、私は頭がおかしいと訴えられるだろう。みんなに優しい願井の配慮を好意だと勘違いしただけだ、と罵られる。
しかしながら、証拠があるのだ。私はおもむろに自分のスマホを取り出し、アプリを開く。
『おつかれさまデス!! 昨日はお仕事フォローありがとうございました♡ ぜひ来週の資料のお話もしたいので(;''∀'') ディナーでもいかがですか♥ 実は気になる肉寿司のお店があって(^^♪ 飲みすぎちゃった時はちゃんとタクシーで送りますよ★ もしくはテイクアウトしてウチでも……♥』
寒気がする。
願井からのトークメッセージである。
地獄みたいなおじさん構文である。五歳下の若手からのおじさん構文だ。地獄の仕上がりすぎて信じてもらえないために、職場に掛け合えない地獄が起きている。
恵まれてそうキラキラ有能新人から、おじさん構文でこんなメッセージ来るなんて誰が予想できただろうか。
アカウント乗っ取りを疑うし、こんなメッセージ来てます、と相談できる人間が職場に一人もいないので、私は助からない。飲み会も嫌いだし、仕事だけしていればいいと誰とも関わらない、愛想とかも面倒だし、優しくしたところで新人も同期も給料がどうとかでアッサリやめるので、もう誰も信じないと機械的に仕事をしていたらこうなった。
普通にこのまま働いて生きていければ、結婚なんてどうでもいいやと思ってたら、こんな地獄みたいなトラブルが湧いて出てくるとは思わなかった。
しかも相手は年下で社歴はこっちが上なので、おじ構文送信者のほうが社会的に守られている今世紀最大のバグが起きている。
びっくりする。普通に「よければ食事でも」とか言ってくれたら、正直、行ってた。
だってあんまり警戒すると「自分を女として見てる」みたいな変な期待をしているみたいで、私のほうがキモいからだ。それにおだてられてたら勘違いしてたかもしれない。それくらい、願井には人間としての魅力がある。
でも、その願井の魅力全部を願井本人が出力するおじ構文で殺せると思わなかった。
一応「これ願井くん?」とスマホを見せて聞いたことがあるけど、野球部が監督と話すみたいに「ハイ!」と朗らかな返事が返ってきてしまった。本当に悪意がなさそうなのが難しい。
しかもこのクソキッショメッセージは、願井が他の男社員に好きな人間にアプローチ出来ない、という相談をしている途中、なぜか願井が私に「どう思いますか」と振ってきたので「メッセージとか送れば?」と返した日から始まった。
要するに私は、おじさん構文潜在犯にメッセージの送信を促してしまった。最悪の自業自得だ。
私はメッセージをスクロールする。既読はつけたけど返事はしてない。それで察してほしいのに、馬鹿みたいに届く。
『今日、一緒に帰りたいと思って誘いたかったんですけど、誘えなくて途中までついて行っちゃいました★気付いていましたか?今考えたらストーカーっぽかったなって(;_;)ゴメンナサイ』
怖い。ずっと怖い。徹頭徹尾怖い。
ただ、一応、メッセージに返事せず「どこ?」と本人に聞いたら、私の座席から4メートルくらいしか離れていないフロアの出入口だった。しかも願井は隣の席なので、「なんなんだこいつは」となった。そこまでなら言わないほうがいい。恐怖を与えるだけなのに本人視点だとおそらく「誠意」とか「詫び」の気持ちなので手に負えない。
そして、本当にどうしようかなコイツ、色々悩んでると疲れるので「考えるのやめてパフェとかたーべよ!」「自分の機嫌は自分で取ろう!」と、休日にいい感じのカフェに入った結果、願井と大学生くらいの男が入ってきた。しかも真後ろの席に座っている。願井は気付いてないけど背中合わせだ。何で戦国時代でもないのにこんな命がけの背中合わせが発生してるんだろう。私はパフェが食べたかっただけなのに。自分の機嫌も自分で取ろうとしてるのに。なんなんだよ自己啓発本。ベストセラーだったけど呪いの書だったりするのかもしれない。私が元気を出すものだ、心を楽にするものだと勝手に勘違いしただけで、本来の用途は呪う為だったのかもしれない。実用書って書いてあったし。
とりあえずパフェは注文済みかつ奮発して三千円のものを選んでしまったので、息を潜めてパフェを楽しむか、わんこそばよろしく速度重視で平らげるか、手元にあるナイフで割腹自殺するか検討している。
「最近御上元気なくない?」
願井が問いかけると、願井の向かいに座る青年が「漫画家へ励まし応援メッセージを送ったから」と死んだような目で返した。
「何、その漫画家のこと嫌いなの?」
「違う。嫌いじゃない。なんていうんだろ……誰に対してもなんだけど、見捨てることになるかもしれない、一人ぼっちにしてしまうかもしれない、この人は誰にも褒められず励まされず慰められることも鳴く不安を抱えているかもしれないと考えて、物事を伝えるけれど、伝えた後必ず虚無が訪れる」
「虚無?」
「そんなの僕一人だけだ。誰も求めてない。苦しいって。誰かを励まして慰めるたびに、僕も欲しいって思う、どうして僕は誰にもって思う。一人だなって思って、自分を思い知って死にたくなるから」
「じゃあやめればいいじゃん。誰も御上くんにそういうの求めてないでしょ」
「でも相手が一人だったら僕は僕が大嫌いな見捨てた人になる。それが怖くて、最終的に、別にもう、いいかって言ってる。どうせそもそも僕の言葉に価値なんてないから、届かないだろうし、言う言わないだったら、言ったほうがいいかなって」
「玉砕覚悟かー俺も一緒だ」
願井は目の前の青年に一緒だと言う。絶対一緒じゃないと思う。だって青年は漫画家とか言ってるし、一人に対して執着してないというか目の前の人間がいたら発作的に何か言う人だけど、願井は私におじさん構文クソメッセージをしているので、絶対並べちゃいけないと思う。青年も否定すればいいのに。知らないのだろうか。青年の目の前にいるのは、夏に『エアコンきついですよね(;_;)本当にしんどかったら言ってくださいネ♥上着貸しますよ( *´艸`)デモ汗臭いカモ?キツいようなら部長に相談しておきますカラ( `ー´)ノ』と送る男だ。なのに青年は目の前の存在が化け物だと知らないからか「きついよね」なんて返事をしている。やめてくれ。お前と一緒にするなと憤ってくれ。
「っていうか何? その虚無以外にもなんかあったの?」
願井が青年の相談にのろうとしている。普通に頼りがいはあるんだろうな、と感心しそうになり、私はキショ構文メッセージを読み返す。ちゃんとキモい。大丈夫。奴は化け物。
「いや……代替品というかさ、察せなかった色々があって?」
青年が暗い調子で話した。
「どういうこと?」
「なんか、分かり合いたい人がいたんだけど、こう、黙ってる人で、無口なのか、今まで意見を言っても捩じりつぶされてた人か、喋るの苦手か、分かんなくて、もしかしたら何だけど、色々あって意見の機会を潰されたのかもとか、僕ほら、支配的で強権政治で生きてたから、そうかも……と思ってたんだけど、普通に……嫌われてたっていうか、なんて言うんだろうな嫌われるまではいかないけど、そもそも、分かり合う必要性というか、まぁなんて言うんだろう。僕にとっては、相手は最重要、相手にとっては、そうでもないっていう、感じだったことに、気付くのが遅れたっていうやつ」
あはは。と青年が自嘲気味に笑う。願井は「どういうこと?」と聞き返していた。聞き返すなと心の中で突っ込む。聞き返しによっては傷つくだろうし、正直、好奇心で聞いてるのか助ける気があるのかと誤解されかねない。願井は多分、普通に相談にのろうとしているだろうし、その調子は誤解される可能性も……。
「言っても意味ないというか、合わないし、何かを言うほど思い入れが無いというか……相手が多分一番望んでいるのは、僕と頑張ることじゃない。相手がやる気ないっていうことじゃなく、なにも僕に求めてない、関心がない相手に対して、僕は求めすぎたというか、もうこの人いいやって思わせたことに目を背けて、しつこくし続けた……というか。勝手にね、この人は僕に関心がある可能性があって、もしかしたら、こういう風に傷ついてるかも、こういう心配や不安を抱えているかも、とか考えてたんだけど、相手にとっては全部負担というか、そもそも僕が何も思わないこと、行動しないこと、伝えないことが、最善だったっていう」
大丈夫そうだった。青年普通に話してる。良かったな、願井誤解されなくて、と安心した。
「それ言われたの?」
「自我殺せ、モラハラDVクズと合いそう、婚活、マッチングアプリしろ、他の作家売れてるんだからとか~とか。色々トラブルがあって、励ましてほしいって一回言ったの。そしたら他の人に言え、だった。それで、もしかしたら励ましとか慣れてないというかその人なりに僕のこと助けようとしてくれてるのかも、と思ってたんだけど、僕がとんだ勘違いというか、僕がキモいだけだった。僕さ、その人と一緒にカフェとか行ったことあるんだけど、相手食べない人のはずだったんだけど、一緒に食事してくれて、その時、その人の上司いたんだけど、相手上司置いて僕と帰っちゃったの。その後、なんか……大急ぎでどっか行ってたんだけど、なんか、もしかしたら気使って一緒に帰ってくれたのではなんて思って」
「キモ勘違い」
「そう。キモ勘違い」
青年は笑うけど、願井も相当なキモ構文を出力しているので、青年に対してキモなんて言える立場ではない。
「だから言うのやめた。何もしないことにした。ただ万が一、相手が何か考えていた時、その邪魔をしたくないから、相手が言ったら動くってことにした。そうすれば、相手は負担ないだろうから」
「へ~」
青年みたいに願井も行動停止してくれないだろうか。心の底から祈る。
「だからなんて言うんだろう。僕も、励まし好きだって勘違いされたり自分に自信がある、自分の言葉は届くって思い込んでる人だと勘違いされるんだけど、同じように……僕も勘違いしてたんだなって。その、僕に求められているのは、まぁ、離れることだったというか……これ言うと本人否定しそうだし、僕もそれを信じそうだけど、本人にあるのは加害者になりたくないという正義の気持ちや、人を傷つけたくない真心で、別に僕を傷つけたくないわけじゃない。それを、弁えなきゃいけない」
「で、どうするの?」
「静かにしてる。こうして書くけど、書くのは抜け殻になるためだから。書けば、終わる。その気力も、多分そのうち無くなるだろうから……で、早速明日、電話あるみたいに言われて、多分打ち切りとかだろうし、そうじゃなきゃ会社に言われたとかだろうから、スムーズに言われたことだけ返事してようと思う。はは」
青年は笑みを浮かべた。願井は「しんがりだ」と返した。
「しんがり」
「見捨てるのやだから最後の人になるわけじゃん。誰も見捨てないように自分が最後尾に」
「だね。俺は幸せになることはないけど、本読んだ誰かが、俺が死んだときに、誰か一人でいいから俺に死んでほしくなかったって思ってもらえたら、いいなって思う。だってほら、俺、出版社に、読みたいに繋がらないって言われてさ、ある程度数出たけど、結局ほら、今はネット小説ブームで、結局、何にも企画とかない時期というか、発売前のまっさらなとき、そのままの文章で読みたいに繋がらないって言われるような事実は、ずっと覆らない。会社の人間が読まずにそういうこと言わないし。だから、俺の場合、売れる売れないは関係なくて、存在していいって、必要とされててよかったってされるのは、死んだとき、その瞬間、純粋に、俺が必要だったか、不要だったか決まる。そういう、育ちだから」
「俺も同じー」
願井は同意する。え、と思った。
「俺の家は、形式上、子供が必要というか、幸せ家族ブランディングに必要だったから生まれたに過ぎないしさ。お前みたいに生まれてこなきゃ系じゃないし、金持ちだけど、必要とされたことないから」
「それもきついな」
「恵まれてるんだろうけどね、俺。金持ちだし。でも、普通に、愛情が欲しかった。で、欲しい欲しいって思ってたけど、あげたいって思ったの初めてで、出してる」
え。
それが、あの、地獄のおじ構文ってことか?
うそ。
そんな重いバックボーンであのおじ構文出力されてたってこと?
なんだか今までキモいで片づけてたのが急激に申し訳なくなってきた。
「だから、すごく感謝してる。欲しい欲しいだけの俺に、あげたいって感情をくれた」
どうしよう。前提が変わってくる。今までこの地獄のおじ構文が無理というので彼からの想いに目を背けてきたけど、そこが違うと色々前提が変わってきてしまう。
「……今何してるんだろ、メッセージ送ろうかな」
「休日突然ってならない?」
「4時間くらい考えてるから。どうすれば負担にならないんだろうとか、重くないのかなって。だからまぁ結局、明日とかになるよ。送信」
まずい。創意工夫の結果だ。変な下心じゃなく、色んな配慮の積み重ねが呪物を生み出していたんだ。そして多分、呪物と言っていいものじゃない。
私は手元のスマホを見て、先ほどまでキモいと断罪していたものを、改めて読む。
『ステキカフェ☆彡見つけたので今度一緒にどうでしょう~(^^♪空いた日出来たらイチバンに聞きたいデス♥』
いやこれ問題あるだろ、と思いつつ、私はスケジュールアプリを開いた。




